第六話 奇襲
眼を足首に巻き付いているものに向ける。先ほどとは違い繊細な操作が必要になる。慎重に、足首の隙間をめがけて眼を見開く。
けれど、力を発しようと意識した瞬間に、体を無理矢理揺り動かされた。仰向けにされ、目の前に一人の男がのしかかっている。大きなが手が顔に押し付けられ、視界が闇に包まれる。ごつごつとした指先の強い圧迫感をこめかみに感じた。
「やめろ。大人しくしていれば、これ以上の危害は加えない」
おそらくあの筋肉男の方だろう。想像通りの低い声をしている。
「はなせっ!」
男の腕を掴み、足をばたつかせるが、きっと意味をなしていない。純粋な体格差で抑え込まれている。
だから、また投影をする。ドアノブを破壊したものと同じ眼を使おうとする。
けれど、こめかみに食い込んだ男の指が思考を鈍らせる。痛みが眼の析出を遠ざける。せめて、私の顔を覆っているこの手の力を弱めさせなければ、何も始まらない。必死に暴れ、掴んでいる腕を殴ったりしてみるが、とても効いているようには思えなかった。
「落ち着け。我々は穏便に済ませたいんだ」
頭に血が上っていくのがわかる。これが、穏便に、なんて宣う男の態度か? わざとらしい嘘をつきやがって。
「ふざけんな! ママを返せ!」
「話を聞け。そうすれば誰も傷つかないで済むんだ」
こんな状態に追いやっておいて、ママを連れ去るようなことを私の目の前でしておいて、よくそんなことが言える。
とにかく、この状況を早く脱しなければ。けれど、どれほど冷静になろうとしても、思考は痛みと熱さで遮られる。そこへ、聞き覚えのある声がした。
「威勢がいいのは結構だが、少しは話を聞いたらどうかね?」
勧修寺のものだ。心なしか先ほどよりも声が低い。侮蔑の念が込められているように聞こえる。
「落ち着いてさえくれれば、話ができると思うんだがね」
「こんなことされて、落ち着けるわけないでしょ」
息を切らしながら、そう答える。さんざん暴れて、この男を膂力でどうにかできないことは十分にわかった。そして、覆いかぶされたままでは眼の力さえ発揮できそうにないことも。両手を投げ出し、背中で冷たい床を感じる。
「そうだね。だから、ここでは互いの休戦を認めることが必要だと思うんだが、どうかね?」
だから、敢えてコイツらの提案に乗ることにした。
「わかった。だから、まずこの手をどけて。痛くて仕方がないんだけど」
「構わないが、その眼を使わないと約束してくれるかな?」
「約束する。だから、お願い」
「いいだろう。
きっと、この筋肉男の名前なのだろう。低い声の返事が聞こえ、視界に光が差し込んでくる。一瞬の眩しさの先で、先ほど視た、角ばった顔がまず目に入る。そして次に勧修寺の年季の入った顔。
二人に見下ろされながら、私は腰を起こす。押し付けられていたせいか背中や肩などの関節が軋み、痛みを訴えてくる。
「足のこれは外してくれないんですか」
床に手をつき、足を引きずりながら勧修寺に聞く。
「ああ、そうだね。土掛くん、外してやりなさい」
「いいんですね?」
「ああ、構わないとも」
「りょーかいです」
玄関先にいた土掛が乱雑に革靴を脱ぎ、どかどかと上がってくる。指先をこちらに向けると、足に巻き付いた鎖のヘビはするりと抜け、彼の腕へと跳ぶように帰っていった。
自由になった足首を回し、確かめながら、状況を俯瞰する。敵は三人。おそらく後の一人はママを連れてどこかに逃げている。そいつのことをできるだけ早く追いたいが、そのためには結局、この目の前の三人を排除する必要がある。
パパと弟はどうしているだろうか。コイツらのことだから、手を回していそうだ。無事だといいが、今すぐに確かめる術はやはりない。
「さて、それじゃ落ち着いたところできちんと話をしようか」
勧修寺は私に立つよう促し、ホンゴウと土掛に前後を挟まれながら、リビングへと移動した。
ソファへと座らされたが、後ろには土掛が立っている。そして、目の前には勧修寺が座り、その隣に本郷が立つ。さらに、玄関の開く音がしたと思えば、先ほどママを連れ去った眼鏡の男が戻ってきた。
勧修寺がその様子に気づき振り返る。
「
「問題ないです」
「そうか。なら、あとはこっちだね」
カンバヤシと呼ばれた男がドアの前に立った。私の眼のことを知ったうえでの配置だろう。
三人は一度に視界に捉えることができる。けれど、後ろにいる土掛だけはどうしようもない。眼を使えば物理的に状況を俯瞰できなくもないが、それでは手数がつぶれる。同時に二種類の異なる目を使用するのは、あまり好ましくはない。
なにより、後ろに立っている男は明らかに普通じゃない。私と同じトクベツセイだ。 そんなのが背後にいるとなれば、状況はよりまずい。
そして、だ。一つ、なぜか、思い出したことがある。
それは対特殊異能班のこと。彼らは私のような本来人間にはあり得ない能力を持ってしまった人たちを取り締まる機関だ。そして、彼らの中には同じように能力を持った人々が存在し、能力によって私たちのような人間と対峙していると聞く。つまり、土掛以外の三人も普通の人間であるかと問われれば、確証はないのだ。
なぜ、自分がそんなことを知っているのか、そんな考えに思い至るのかは、この際どうでもいい。ただ、確信できる情報だ。そしてそれは最悪なほど私に対して不利に働いている。考えなしに眼を使っても、さっきみたいに押さえつけられるのがオチだ。
「さて、先ほどぶりだね、七海燐さん。ああ、それとも、
「なんのことですか?」
温厚そうな笑顔が今は腹立たしく見える。腹の底に隠しているどす黒い考えを覆い隠すための貌だ。
「まあ、どちらでもいいんだがね、私は」
勧修寺は深く背もたれに寄り掛かった。
「それで、だ。まあ、薄々気づいてはいると思うんだが、どうだろうか。さっき聞いた質問の答えは変わったかな?」
「質問って何ですか?」
「私たちと来ないか、という話だ」
「それは断ったでしょう」
「ああ、わかっている。だが、君にうなずく以外の選択肢があると思うかい?」
「ママを人質にして脅す気ですか? 警察ってそういうやり方もするんですね」
にやにやとした表情を崩さず、深く息を吸った。
「なるほど、まだそういう状況なんだね。なら、話は早い。その認識は合っているよ。彼女は人質みたいなものさ」
「そんなやり方で従わせても、いつまでも大人しく従うとは限りませんよね」
「そうだね。だが、私は今ここでの返答を聞いているんだ」
わかり切ったうえで乗って来いということなのか。たしかに、この場でうなずけば、穏便には済むのだろう。少なくともそういう触れ込みだ。
でも、私にだって譲れないことくらいはある。例えば、彼ら、対特殊異能班に従うこととか。
だから、答えは悩むまでもなく決まっている。背筋を伸ばし、余裕ぶった
「無理ですよ。協力はできません」
「その返答の意味が分かるかな?」
「わかっています」
「機会は二度目、いや正確には三度目、もしくはそれ以上与えた。十分だね。けど、聞かせてほしい、そんなに自分の眼に自身があるのかな?」
「ええ、そうですよ」
と、強がってみる。正直、何一つ私には視えていないし見えてこない。それでも何とかこの状況を脱するしかない。
手は全くないわけではない。一度使用したことのある眼なら、析出から投影、発現に時間はかからない。問題はどれを選ぶか。
過去に使用した眼を思い浮かべる。視るだけで破壊するもの、眠らせるもの、空間を切り裂くもの、燃やすもの、冷やすもの、騙すもの――どれも強力だが、わずかに届くビジョンが見えない。背後の一人と目の前の三人、これらを一度に屠るには――思い出し、また頭痛がした。思わず頭を抱え込む。
「ダメだね。やりなさい」
勧修寺が私の行動を、何かの合図だと思ったのだろう。命じる声は、威厳に満ちていた。
けれど、勧修寺の命令が口先から紡ぎ終わるのと同時に、ガラスが割れる音がした。それから、空き缶が転がるような音が部屋に響く。
そして、背後から、伏せろと言う声とともに、頭を強く押さえつけられた。
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