第47話 根底、そこに思慕〈河原崎沙衣〉

 一体、何が起こったんだ?


 成す術も無く、トシエに壁際まで追い詰められてる俺。そのトシエの後ろ。



 凜花さんがいきなり来て、トシエの背中にドンッとぶつかった。



 何してんの? 体当たりで倒そうとしたのか? 俺を助けるために?



 トシエの動きがピタッと止った。



 ──なッ!?



 どうなって‥‥?


 トシエはこっちを向いているのに、頭はするすると真後ろを向いたッ?!


 首、ヤバい‥‥これは人間じゃない。二見さんが言う通り、物質の世界を超えた存在は俺たちには理解出来ないよ‥‥‥



「‥‥なに‥‥する‥‥の?」



 トシエの体が急にシュルって半回転して、ちぐはぐ向いてた頭と胴が揃った。



「痛ッ!」


 動きと同時に、俺の腕に痛みが走った。俺に何かが軽くぶつかったみたいだった。


 その答は、探さずとも自分の目の前にあった。



「‥‥これは!」



 俺にかすったのは‥‥破魔矢の羽だ! トシエの背中に刺さってた。



 今の一撃、凜花さんがこれを刺したんだ‥‥



 破魔矢の力でトシエが壊れた?


 トシエから面妖な二段方式で正面を向かれ、おののいた凛花さんが、後ろに一歩よろめいた。



 トシエの背中越し。こんなに目が見開いた人を初めて見てる。


 どうにかしたいけれど、俺は情けないことに体が動かせない。気持ちと体が一致しない。



 一拍おいて凜花さんの叫び声が薄暗い部屋に響いた。



「キ、キ、キャーーーーーーッッッ!!!」



 彼女のまぶたはフッと閉じられ、そのまま膝が折れて床に崩れ落ちる。



「凜花ーーーーーッッッ!!!」



 レイヤさんが魔法円から飛び出し、即座に駆け寄って来た。


 俺はレイヤさんの叫びが引き金となり、やっと自分を取り戻す。



「はっ、早くッ、凜花さんを連れて円に戻れっ!」



 カラカラの喉から、必死のかすれた声が出た。




 俺は俺のすべきことを今───



 なあ? 神様というものがいるのなら答えてくれよ。


 きっとこれは俺の使命なんだろ? あの日、あの時、あの決意をした瞬間からの。



 俺はトシエの腕を後ろから掴み、背中に刺さる破魔矢を引き抜いた。


 血は全く出てはいない。破魔矢にもついてはいない。



 一見、生きている人間のようだけど、そうじゃない。


 破魔矢からは、うずくような攻撃的な緊張が這い上がって、俺の体に伝って来る。


 さっき手にした時にはこんな感触は感じなかったのに。



 これは凛花さんのせい‥‥?



 暗い部屋にも蒼白があらわのレイヤさんは、魔法円の内側で凜花さんを両腕で抱えてこちらを向いて立っている。



 俺たちには逃げ場がそこしかない。そしてそこさえも確かに守られるかどうかは定かではない。こうなっちゃ座ってもいられないよな。


 あんたらにとっちゃこんなの、とんでもない大当たりで、本当に迷惑なことだったよな。申し訳なかった。



「‥‥欲しいの‥‥‥あの人に‥‥なり‥‥たい‥‥‥私じゃない‥‥‥誰か

 ‥‥に‥‥‥なり‥た‥‥‥い」



 凛花さんを追おうとしてるトシエの前に、両腕を広げて立ちふさがった。



 聞いて。お母さんはここいたらいけないんだ。



「お母さん‥‥‥行かせないよ。もう、やめてくれよ‥‥‥」


「やり‥‥直したい‥の‥‥‥人生‥‥‥を‥‥私じゃない‥‥誰かに‥‥なって‥‥‥」



 トシエの両頬に涙が伝う。




 ‥‥トシエの願い。



 この人もずっと苦しんでいたんだ。その生き方に。


 もがいても、あがいても、うまくいかない人生。他人を羨む人生。生まれし時から惨めな自分。


 俺だけじゃなくて、トシエもそうだったんだ。


 ほんと、人生も最初が肝心だったのに、そうも行かなくて。

 


 今思えば、トシエのことなんて俺、ほんの一部しか知らない。



「‥‥人のものを奪ってもやり直しは出来ないよ。お母さん。俺たちは過去には戻れないし、先に進むしかないんだ‥‥」



 トシエの力が弱まってる? ハッキリ見えていた姿が揺らいでる?



 気のせい?



「‥‥‥嫌。‥‥‥沙衣‥‥‥いい子に‥‥してたら‥‥‥」



 また、服を脱ごうとした。


 この人はこれでしか人を動かせないと思っている。可哀想な女。それでしか価値がないとでも?



 ──そうじゃないんだ!



 俺は思わず彼女を抱き締める。ぎゅっと──



 お母さんと呼べる。その存在だけで良かったのかも知れない。


 あれほど憎んでいたのに。



 殺したいほどに───



「お母さん。もう、いいんだ‥‥‥そんなことしなくても‥‥俺の記憶の中のお母さんは‥‥あなただけなんだ。だから‥‥‥」



 その耳許で囁く。



「だから、そのままでいて。お母さん‥‥‥」



「嫌よ‥‥沙衣‥‥‥‥消えて‥‥‥いらない子‥‥‥」



 ──俺は、最後の最期まであなたには愛されないんだ? お母さん‥‥



 涙が滲む。心臓をぎゅっと握り潰されてるような、どうにも出来ない苦痛を感じる。


 でもね、俺こんなこと慣れてる。



 ──さようなら、お母さん。心より憎く、そして愛おしい人。



「愛してる、お母さん‥‥‥」



 これは心の奥の奥に沈めていた想い。こんなこと俺は認めたくなかった。



 ここからは、スローモーション。



 愛しい人を抱きながら、その背中に聖なる矢を突き刺す。


 凛花さんの強い思念がこもった破魔矢を───




 ──‥‥蝶?



 にじんでる俺の視界に、ひらひらと小さな白い蝶が一つ飛び込んで来た。


 それは、ひらひらふわふわ二つ三つと増えてゆく。



 気づけばトシエは半透明になっていて、矢が刺さったその背中からは、淡い光の粒が溶け出して、蝶のように儚げに舞い上がってゆく。



 俺の腕の中のトシエがほどける。淡い白い光の蝶になって────



「お母さん‥‥‥」



 俺はその姿を目に焼き付けておきたくて彼女を解放した。



 どんどん蝶が逃げ出して、その分、トシエは欠けていく。



 やがて、カラン‥‥と、軽い音を立てて破魔矢が床に落ちた。



 どうやったらこれ、とめられるんだろう? 飛び立った蝶は、やがて闇に溶けてゆく。



 トシエの消えつつあるくちびるが、短く動いた。



 《xxxx‥‥‥》



 そんなこと、何回俺に言えば気が済むの? ひどいな。ははっ、あなたらしいね。最期までサイテーだ!



 この哀しみも、苦しみも、憎しみも、俺が死ぬまでに昇華出来るのかは、わからない。



 ついに最期まで、手を伸ばしても握っては貰えなかった。



 それでも俺がこの世で『お母さん』と呼べたのは、あなただけだったんだ───



 来世ではさ、もう俺たち、出会わないことを祈っとくよ。



 

 ──さようなら、俺のお母さん‥‥‥



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