第18話 連絡などいたしません

 旦那様は、トコトコと立ち上がっている私の足元へやって来たかと思うと、ソファーの上にあがり、お座りをされました。


「どうしたんですか、旦那様」


 旦那様の背中を撫でながら、隣に座ると、旦那様は何も言わずに、なぜか私の太ももの上にのってきたかと思うと、不安定な状態なのに、そこでお座りされてしまいました。


「…旦那様、重いですし、前が見えません。ふかふかな毛並みを触らせていただけるのは有り難いのですが」


 ぎゅうと後ろから抱きしめたら、嫌がって逃げられるかと思いましたが、今日の旦那様はなぜか逃げません。


 もしかして、先程の事を怒っていて、私に嫌がらせをしようとしているのでしょうか?

 いや、本当に重いんですが…。

 我慢できる間は我慢しようかと思いますが、私の前方の視界は旦那様の毛で埋め尽くされていて、左右しか見えません。

 ハーデンが見えないのは助かりますけど。


「やあ、可愛い犬だね。名前はなんて言うんだい?」


 ハーデンがどんな顔をしているか全くわかりませんが、とにかく答える事にします。


「旦那様です」

「…旦那様?」


 ハーデンの困惑した様な声が聞こえました。

 横目でジャスミンを見ると苦笑しています。


 昨日、ジャスミンに旦那様を紹介した際に、名前を聞かれましたので旦那様と答えましたが、ネーミングセンスが悪いと一刀両断されてしまいました。

 でも、本当に旦那様なのですから、ネーミングセンスも何もありません。

 シークスという名を付けても良いのですが、さすがに旦那様を呼び捨てにするわけにもいきませんし…。


「旦那様です。ちょ、やっぱり旦那様、重いです。ちょっと横によけてもらえませんか?」

「……」


 旦那様は無言で、私の太ももの上からおり、右横に座ってくださいました。


「旦那様、もしかして心配して来てくださったのですか?」


 尋ねると、旦那様が「ワン」と犬の鳴き真似をしてくださいました。


「ありがとうございます、旦那様」

「エレノア、君は…」


 旦那様の背中を撫でながら言うと、ハーデンが憐憫の目で私を見ながら言います。


「クロフォード公爵に愛してもらえないあまりに、犬に名前をつけたのか?」

「それなら、旦那様ではなく、シークス様と名付けますよ」


 呆れた顔で答えると、ハーデンはなぜか瞳を潤ませます。


「エレノアがそんなに愛に飢えているなんて知らなかった。僕を遠ざけたバチが当たったんだよ」

「あなたの姿を見なくなって、私は清々いたしましたが」

「エレノア! 君がそう言えと命令されている事は、招待状と一緒に同封されていた手紙に書いてあるんだ!」


 ハーデンの言葉を聞いた旦那様はソファーからおりると、テーブルの上に置かれていた封筒をくわえ、私の所まで持って来て下さいました。


 とてもお利口さんです。

 って、中身は旦那様ですものね。


「旦那様、ありがとうございます」


 頭を撫で撫ですると、旦那様はふさふさの尻尾を振ってくれました。

 犬の旦那様はこうやって、嬉しい時はわかるので良いですね。


 旦那様から受け取った封筒の中から、招待状らしきカードと手紙を抜き出し、手紙の内容に目を通すと、ローラ様は私達の事を好き放題に書いてくださっていました。


 もちろん、夫婦生活がない事については事実ですが、色々と想像して書いて下さっているものが多く、何かの読み物の様になっていました。


 旦那様が鼻を私の手に押し当ててこられるので、手紙を読みたいのかなと思い、見えるようにしてさしあげると、しばらくすると読み終えられたのか、紙をくわえて私から奪い取ると、前足で何度も踏みつけられました。


「どうかされましたか?」


 別に必要のないものですので、ぐしゃぐしゃにされるのは良いのですが、怒っていらっしゃるようですし、旦那様に聞いてみますと、鼻を鳴らされました。


 今は話せないという事でしょう。

 とにかく、ハーデンには早く帰ってもらう事になければ。


「この手紙に書いてあるお話は、ほとんどが嘘です。私と旦那様はそれなりに上手くやれています。少なくとも、あなたに心配される様なものではありません」

「嘘をつかなくていいんだ! お飾りの妻として一生暮らすなんて幸せじゃない!」

「幸せかどうかは、私が決めますので、あなたに判断していただかなくて結構です」


 お茶もすっかり冷めたようですので、お引取り願う事にします。


「ジャスミン、お客様がお帰りです。出口までご案内さしあげて下さい」

「承知いたしました」

「待ってくれ、エレノア!」

「私はあなたとお話したい話はございませんので」


 ハーデンは立ち上がって、私に近付いてこようとしたけれど、旦那様が前に立ちはだかり、唸ってくださいました。


 大きい犬が相手だからか、ハーデンは怯んだ後、私に向かって言います。


「いつでも連絡を待っているからね!」

「連絡などいたしません」


 ひらひらと笑顔で手を横に振ると、ジャスミンがハーデンを部屋から追い出して私に言います。


「玄関までお見送りしてきます」

「ありがとう。お願いしますね」


 ジャスミンが静かに扉を閉めたのを確認してから、旦那様に話しかけます。


「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

「迷惑なんかではない」

「でも、怒っていらしたじゃないですか。私が何か失礼な事を言ってしまったのですよね?」


 それなのに、心配して様子を見に来てくださったのですから、本当に申し訳ないです。


「君は、俺がどうしてショックを受けたか気付いていないんだろう?」

「そうですね…。どの発言か、色々とありすぎてわかりません。旦那様が私の発言に対して、すぐに答えを返して下さいますので、ついつい言いたい事を言ってしまっておりました。もちろん、嫌な思いをさせたかった訳ではありません。ですから、何が気に食わなかったか教えていただけませんか?」


 陰口を叩くよりも直接、本人にお伝えする方が良いと思っておりましたが、それは私の考え方であって、わざわざ言ってほしくない人もいますよね…。

 反省しようと思います。


「では言うが、俺は仕事人間だが、仕事が趣味なわけではない。だから、仕事をせずに、ゆっくりしたい日もある」

「申し訳ございません。では、今日はゆっくり」

「最後まで聞いてくれ」


 旦那様はソファーの上に乗ると、前足でソファーを叩き、隣に座る様に指示してきます。

 ですので、横に座ると、旦那様が尋ねてきます。


「ここには何の為に来たんだ?」

「新婚旅行です」

「なら、君と楽しまないと駄目だろう?」

「でも、仕事を持って来ていらっしゃるじゃないですか」

「そ、それは…。やらないといけない時もあってだな…」

「旦那様、私、よく無神経だと言われるのです。はっきり言っていただけませんか? 理解しない限り、同じことを繰り返すと思うのです」


 身を屈めて、旦那様と視線を合わせて言うと、旦那様は私の手に、自分の前足をのせて言います。


「仲良くしたい」

「……はい?」

「君と仲良くしたいんだ」

「ええ!? 私とですか!?」


 家族にまで変わっていると言われる私と仲良くしたいんだなんて…。


「旦那様は本当に良い人なのですね…」

「…ヒートに聞いた」

「お兄さまに? 何をです?」

「どうして、妹は変わっていると言うくせに、そんなに可愛がっているのかと…」

「……何て言っておられました?」

「エレノアの毒舌は、自分を守る為のトゲなのだと。傷付いている自分を見せたくなくて言い始めたものが、いつしか、それが素の自分だと思いこんでしまっていると言っていた」

「……そんなに素敵なものではありませんよ。ただ、この性格の方が公爵令嬢としては生きやすかっただけです」


 何をしても万人には好かれません。

 どんな良い人であっても誰かから疎まれたり嫌われたりします。

 ですから、良い人ではない私は、他人の顔色をいちいち気にしていては生きていけません。

 そんな事をすれば、心が壊れてしまう可能性があるからです。


「俺はそのままの君で良いと思っている。だけど、君と仲良くしようとしている人間まで遠ざけようとするな。もちろん、さっきの男は駄目だからな! 友人も君の事を理解してくれる友人を選ぶ様にするんだ」

「そうですね。家族やジャスミンの様に、私の事を理解してくれる人もいますものね」

「ああ。俺も理解しているしな」

「ありがとうございます」


 笑ってお礼を言うと、旦那様がすりっと私の頬に頭を寄せてくれてました。


「そうでなければ嫌っているだろう。もちろん、そういうタイプが嫌いな人間がいてもおかしくないから、俺は変わっている方なのかもしれない」

「変わっていると思いますよ。それに、私も嫌われているなあ、と思いましたら近付きませんし」


 答えると、旦那様が聞いてきます。


「もしかして、俺が君を嫌っていると思いこんでいたのか?」

「思い込むというか、旦那様は何だかんだとお優しいですし、嫌いと言えないのかなと」

「君はどれだけ人間不信なんだ。……その、エレノア、俺はだな…」


 旦那様が前足をソファーでもじもじさせた時、ジャスミンが部屋に戻ってきました。


「お待たせしました、エレノア様」

「お見送りご苦労さまでした」

「あら、まだ犬がいるんですね。一人で散歩してはいけませんよ?」


 ジャスミンに言われ、旦那様はなぜか大きなため息を吐いてから、私の太ももの上に顎をのせてきたのでした。

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