第25話 すべては前哨戦

「……ひなのさん」


「……はい」


「中学のとき、一時的とはいえ水泳部に所属していたんだよね。競泳水着なんてもっと露出あるのに、何で今更脚を出すのを恥ずかしがっているの」


「……水泳目的と遊び目的じゃ、意識は変わるじゃん」


「というか、夏場はあの水着と同じくらいの長さのハーフパンツで普段過ごしていたよね?」


「水着と洋服は別物でしょ!」


「……というか、そもそも私たち同じ寮同じ学年だから、結構大浴場で一緒になったりもするし、水着はおろか普通に裸の付き合いあるんだけど?」


「……。

 寮の大浴場はまた別の話じゃない? ……というか、明菜。

 これから温泉に行くのに、その話を今しちゃう?」


「……」


 11月下旬の平日……けれども今日は学園が休みの創立記念日。学校周りの木々も既に黄や赤に色づいている。

 そうなると流石にかなり肌寒くなってきて、本格的な冬の到来が間近となってきた。私はもう冬物のロングコートを今日は着ている。

 ひなのさんは、青森出身で寒冷耐性がエンチャントされているのか分からないが、まだアウターはショート丈のボアブルゾンだった。秋用の部屋着と言い、ひなのさんの服ってたまにモコモコ系のやつを着ているけれども、もしかしたらそういう系統が好きなのだろうか。


 更に、これに加えて私たちはお互いに結構大きめのリュックを背負っている。理由は、主に水着を入れるため。なんというか外見ではこんなに冬っぽい恰好なのに、荷物は水着というのは中々不可解な気持ちになるね。



 そして最早恒例になりつつある初手、学校近くのバス停からのバス乗車。しかし今日は最寄り駅に行くまでしかバスには乗らないので、いつものように話に夢中になっていると普通に乗り過ごしかねないから、ここでのひなのさんとのおしゃべりはほどほどであった。


 駅に到着すると、改札を抜けて高架になっているホームへと向かう。時刻はちょうど9時になるくらい。この時間に駅に居たら大体遅刻するとは思うので、通学や通勤ラッシュの時間は多分越えていたのだろう、ホームはそこまで混雑していなかった。


 それに私たちはこれから京都市街から遠ざかる方の電車に乗るので、こちら側のホームで待っている人はかなりまばらであった。

 それは電車が来て、車内に乗り込んでも同じであった。ひなのさんは私を角の席に座らせて、彼女はそんな私の真隣に座る。


 そのままじっと私のことを見つめて、話しかけて欲しそうな小動物的オーラを出していたから、取り敢えず深く考えないで思っていたことを口にする。


「空いているねー、ひなのさん」


「だねっ! 大体目的地までは40分くらいだっけ?」


「うん、電車乗るのはそれくらい。そっから先は無料の送迎バスが出てるってさ」


 電車内は暖房が効いているので、ドアがしまって動き出した後だとちょっと暑く、私もひなのさんも上着は脱いで膝の上に置いておくことに。

 私は荷物はとっとと網棚の上に置いてしまったが、ひなのさんは背負っていたリュックも膝の上に乗せているので、上着のもこもこで、わぷわぷしている感が傍から見るとある。


 そして電車の揺れもあるだろうが、明らかにひなのさんは身体を楽し気に左右に振っていて、彼女の髪先もふわふわと揺れ動いている。わぷわぷのゆれゆれだ。



「……楽しそうだね、ひなのさん?」


「そりゃあね! だってだって、明菜と一緒に電車に乗るのって初じゃない!?」


 確かに今までひなのさんと遊びに行った場所って、基本京都市内だったから全部バス移動で事足りた。そう考えると今日の日帰り温泉が一番の遠出になる。

 というかこれだけの大都会なのに、今まで全部バスで動けていたのって普通にレアじゃない? 京都さまさまだ。


 しかし、いくら一緒に電車に乗るのが初めてだからと言って、そんなにわくわくするものなのかな。……まあ、彼女が楽し気にしているとなんだか私の方まで楽しい気持ちになってくるけれども、そんなターン制楽しさ上書きバトルを先にけしかけてきたのはひなのさんの方だ。私の雰囲気に波及して彼女が楽しそうにしているわけじゃない。


 ……と、ここまで考えて1つの思い付きに至る。


「もしかして、ひなのさんの実家の近くって電車が走ってなかったり?」


「そうなんだよねえ。最寄り駅が車で30分とかだから、駅まで行って電車に乗るよりも、最初からバスに乗るなり全部車で行く方が余裕で速くてさ。

 そういうのもあって、本当に全然電車って乗らなかったなあ……」


 地元で電車に乗った経験がほぼ皆無のようである。聞けば駅はおろか、スーパーとかファーストフードのお店とかも自分の住んでいる町にはなく、そういうのは遠出して行くもの、という価値観だったらしい。ただ町のド外れの山間にぽつんとコンビニはあったらしく、それは徒歩や自転車圏内とのこと。


 つまり青森時代のひなのさんにとっての『電車』とは、ちょっとしたテーマパークくらいのポジションに存在するものだったみたい。だからこそ、こっちに来てからは、田舎暮らしの反動もあってかびゅんびゅんと乗り回して色々なところに行っているらしいが。



 ……うん。まあ、なんていうか……その。

 ――『当たり前』って、住んでいる場所が違うだけでも、こんなにも違うんだ。



 だからこそ――私は気付いた。


「……もしかして、ひなのさん。

 今日、そんなに楽しそうにしているのって――」


「んー? 気付いちゃった? いいよ、明菜の予想……聴かせて?」



「……あのとき。トロッコ嵯峨駅の『19世紀ホール』。

 ベーゼンドルファーとブロードウッドのピアノを見たあの場所で。ひなのさんが、あんなにもSL列車で喜んでいたのって――」



「……せーかい。

 SLを見て喜ぶのは、自然……だったでしょ?

 でもね。私にとっては普通に街中を走る電車も、SL列車も。中学までのレア度で言ったら本当は大差無かったんだ」



 ――SL列車に喜んでいたのも事実。だが、同時にそれは『擬態』でもあった。

 彼女があの時、真に喜んでいたのは『列車という存在に喜んでも不思議じゃない場』を用意したこと。


「だったら、大阪でも神戸でも、適当な場所に遠出しようと私を誘ってくれれば良かったのに――」



「……私から言い出さない形で、明菜に気付いて欲しかったんだ。

 ちょっと無理難題っぽいと自分でも思っていたけど……現に、明菜は今こうして気付いてくれた。


 ――そういう明菜の察しが良いところ。私、めっちゃ心地良いって思ってるよ?」



 そういうひなのさんのワインレッドの瞳は。

 私をしっかりと捉えて――捕らえて。決して逃さない、と目で雄弁に語っていて。



 ――私自身は。

 その今のひなのさんの目で見られることに……心地良いと思ってしまっている部分もあった。




 *


「とうちゃーく!!」


「……紅葉が綺麗だね」


 バスと電車とバスに揺られて2時間弱くらい。ここまで移動すると京都市内の街っぽさとは打って変わって、360度どこを向いても紅葉に彩られた山々に囲まれている。

 広い駐車場があって、案内看板を見る限り温泉以外にも、近くにはハイキングコースや湖、更にはグランピング用の施設や釣り堀なども揃っているようで、私たちが思っていたよりも複合的でかつ大規模なレジャー施設であった。


「取り敢えず到着記念に1枚写真を撮ろうよ、明菜!」


 そう言いながらひなのさんはリュックから自撮り棒を取り出す。……準備が良い。

 でもひなのさんは結構SNSの更新をしているので、よく考えてみればそりゃあ持ってくるか、という感想になる。


 まずは施設入口の看板でぱしゃりと1枚。でも、温泉にスマホの持ち込みって多分無理な気がするとは思ったが、それはひなのさんに伝えずに再び案内板のところに移動した。


「これだけ色々あるなら、もっと計画を練ってくれば良かったね」


「……ハイキングコースは2時間くらいかかるみたいだけど、どうする?」


「やだ! 今日は、温泉で時間を使うって決めてたから変更なしで!」


 ひなのさんの鶴の一声により私たちは、そのまま温泉旅館の館内へと向かい、券売機で日帰り入浴プランのチケットを購入する。

 そのプランに無料でセットとなっていたバスタオル・ハンドタオルのレンタル品をフロントで受け取って、館内マップと更に館内着を受け取る。


 どうやら、全部が全部水着でうろうろできるわけではなく、館内着に一時的に着替えることで宿泊客が利用できるお風呂以外の施設も使えるようになるみたい。

 確かにお昼を跨ぐから、ご飯もここのレストランで食べられると思えば便利だね。


 また肝心の温泉も水着着用のバーデゾーンのほか、普通の大浴場もあったり、色んな休憩スペースもあるとのことで。


 でも、最初は更衣室へ行って水着に着替えることにした。




 *


「……やっぱ、恥ずいな。明菜の選んだショートパンツ、短いってこれ」


 ヘアゴムで髪を後ろでお団子にまとめていると。そこには一度写真で見てはいたが、上半身は例の黒に翡翠のサイドラインが入った長袖のラッシュガードで。下は私と一緒に購入した薄桃色のショートパンツを履いたひなのさんの姿があった。


「……私の水着は肩出しなんだから、お互い様でしょ。

 それとも……自信が付くまで、私がひなのさんの脚を褒めて欲しいってこと?」


 そう言ったら、逡巡この銀髪少女は迷ってから、


「……いやいや、そういうワケじゃないし……」


 と言葉の上では私の提案を拒絶する。でも……そこで迷っちゃった、ってことは、褒められたいと言っているようなものなので、ちょっと本腰を入れてこの銀髪少女の瞳をじっと見つめながら言う。


「……普段から自転車での移動とかで足を使ってるから、結構引き締まっているし。

 確か、ひなのさんって部屋にフットケア用の保湿ジェルあったよね? 保湿ケアもかなりしっかりやっていることは私も知っているので大丈夫で――」


「ちょ、ちょっ! 言わなくて良い、言わなくて良いからっ!

 ってか、何で私のケアのことも把握してんの?」


「……どーせ。ひなのさんは私が肩の辺りもスキンケアしているのを知った上で、オフショルダーの水着を選んだんでしょ。把握しているって言うならお互い様じゃない?」


「……まー、そりゃ何かお手入れしてそうなのは知ってたけどさー」


 一体どこで把握されたのかは皆目見当がつかないが、観察眼にも優れたひなのさんのことだから、どうせバレていると思ってカマをかけてみたが、どうやら本当に把握していた様子。


 そしてこの瞬間にお互いやや赤面になっている理由も多分、お互い分かっていて。

 ……ひなのさんも私も、出会った頃の4月のときよりも、細かい身体のケアに力を入れるようになっているんだよね。薄々分かっていたが、それを同時に確定情報へ昇華させたことで……ねえ。


 自分が綺麗になろうとしている努力が相手にバレているのとさ。

 相手が自分と出会ってから綺麗になろうと頑張っていることを同時に知ってしまうと……そりゃ恥ずかしいって。




 *


「滝行のやつ!!」


「……打たせ湯だね」


 肩こりとかに効くらしく、2本のノズルシャワーで両肩に当てられるっぽい。というか、京都だと割と探せばお寺とかで本物の滝で修行体験とかも出来そうだよね。

 今日のところは温泉なので、そういう修行要素はゼロ。



「あわあわー」


「ジャグジーは割と定番だよねえ」


 泡というよりは身体中に空気砲をぶつけられている気分。物理ダメージは無いがずっと攻撃を受けているような気持ちになる。大人の中にはこれが気持ちいいって言う人も居るけど、分からないかも。まだ私の中では物理ダメ無効化装置でしかない。



「ねえねえ、明菜! 温泉プールだって!」


「温水を飛び越えて温泉プール……」


 案内路に従ってそれまでの温泉ゾーンから通路を通っていくと、普通にプールがあった。温泉風とかそういう感じじゃなくて、本物のプール。


「ちゃんと25メートルある! 明菜って泳げたっけ?」


「一応、バタフライ以外は出来るけど。

 でも中学文化部相手に、元水泳部が勝負を挑むのはちょっと大人げなくない?」


「むむむ……」


 でも、最終的には私が折れる形で25メートル自由形バトルをしたが、案の定ひなのさんに大差を付けられて負けた。

 敗因は単純な技量のほかに、そもそも私がロング丈のワイドパンツの水着を履いているおかげで全く泳ぐのには向いていなかったこともある。


「ひなのさんのラッシュガードだと泳ぎやすそうだね」


「えー、これでも多分えぐいタイム落ちているけどなー。ストップウォッチがあれば」


 ……まあ、水泳は小学校のときにスイミングスクールに一瞬通って泳ぎ方を覚えただけくらいの私にタイムの話をされても、それが選手として良いか悪いのかすらさっぱりである。



 そして、露天風呂。数人が入れるくらいの温泉旅館にしては小さめの石造りスペースがいくつもある感じで、既に先客は居たものの、まだ誰も入っていないスペースもそれなりに残されていた。


「おぉー……。流石に11月に水着で外気はさむー……。

 明菜、明菜、早くお湯に浸かろ?」


「周囲の山々が紅葉しているのに水着を着ているという事実は、なんか脳がおかしくなりそう」


 とはいえお湯に浸かってしまえば、まあ普通に露天風呂である。



「はぁー……きもちー……」


「ちょっと、ひなのさん。いくらなんでもリラックスしすぎじゃない?

 身体伸ばしすぎだし、腕ちょっと邪魔……」


「ぶー、今日は空いてて他にお客さんもあんまりいないんだから良いじゃん」


 私たちが入っているお風呂のスペースは2人きりなので、確かに多少リラックスしても問題はなかったけれども、でもこの場には他にもお客さんが居るわけで。

 しぶしぶ元の姿勢に戻ったひなのさんは、座る位置をかなり私に近付けて座り直した。


「……いや、近くない?」


「ふっふっ、もしかして明菜、照れちゃってる? 可愛いー」


「照れ、というか、ひなのさんの体温高すぎで暑いんだけど」


「えっ、嘘!」


 ずっと温泉入りっぱなしで、現在進行形でお風呂に入っている状態でひっついたらそりゃ体温も上がるよね、としか。

 肩と肩が触れるくらいの近さ。でも私が感じたのは暑さだけで、不快感は無かった。




 *


 一旦お風呂に入るのはやめて。

 水着から、借りた館内着に着替えて更衣室を出る。館内に居ればいつでもお風呂に再入場ができるので、取り敢えず時間もそろそろ1時になりそうだしまずはご飯。


「おっ! 升に入った映え抹茶ティラミスくんだ!!」


 温泉旅館内のレストランなので価格帯は結構高かったものの、ひなのさんはデザートまで食べる豪胆っぷり。

 で、食事を終えてすぐまたお風呂という気分ではなかったので、休憩スペースの方にも足を伸ばしてみることに。


「色んな本とか雑誌が置いてあるねえー。これはマンガミュージアム以来の読書会になるかなー?」


「というか学園には図書室も寮の談話室には本棚もあるのに、日常生活でひなのさんと一緒に読書する機会が無かった方に私は驚いているけど」


「私たちどっちかの部屋に集まっても、勉強会か清水寺の水の飲み会ばっかりだもんねえ」


 インドア派なのに部屋で遊ぶ方が少ないという異常事態である。まあ寮で2人読書会が今まで無かったのは、基本私たちって2人きりになるとむしろ喋りまくるというのがあると思う。

 まあ、一応軽く本でも読もうということになって私は適当に目についた美術雑誌を、ひなのさんはドイツのトラベル誌を手に取ると、私にこう伝えてきた。


「あっちに、テントの形したハンモックのソファーがあったから一緒に読もうよ!」


「え……なんて?」


 急な情報負荷により一時的に脳がフリーズしたが、この謎発言少女に連れられてやってきたら、確かにテントの形をしたハンモックのソファーとしか形容できないものがあった。


「今日はグランピングをする気は無かったから、これでテント気分でも味わおうよっ!」


「まあ……良いけど」


 それで2人で入ってみたら見た目よりも思いのほか狭い。


「ひなのさん……これ多分1人用だけど……移動しようか?」


「……別に良いよ。このままで」


 ちなみにお手洗いでちょっと席を外した際にホテルの人に聞いたら、2人で入っても大丈夫と言われたので、定員オーバーとかでは無かったっぽい。




 *


 ハンモックソファーには結局1時間近く一緒に居て、多分勉強会含めても私とひなのさんの2人で居ながらここまで終始無言だった時間は初めてだったと思う。


 元々無言が気まずいと思う性質ではなかったので、別に話さない時間が苦痛ってわけじゃない。そしてその1時間はぴったりと身体を寄せ合っていたけれども、それもやっぱりイヤではなかった。


 その後は、ひなのさんが『ガチ泳ぎしたい!』と言ってきたので、もう1回水着に着替えてプールへ。私は体力的についていくのは無理だと思ってずっと泳いでいるひなのさんをプールサイドから眺めて見ていたけれども、恐らく彼女にとって今年最後になる泳ぐ機会を存分に満喫できたと思う。


 ……それに、今までのお出かけのときってひなのさんは私のことを逐一気にしてくれていたけれども、ここに来て初めてワガママじゃないけれども、私のことを抜きで自分が100%やりたいことというのを私に見せてくれた気がする。

 まあそれまでも色々やりたい放題な不思議少女ではあったけどさ。でも、最終的には『私が楽しめるか』ってことを結構念頭に入れていた、と思うから。私のことを放置して自分が気の向くままに泳ぐ、という行動は、それまでの彼女なら取らなかっただろう。


 それは……何というか……うん。

 普段よりも一層、心を開いてくれている……ような気がした。




 *


「明菜、今日はとっても楽しかった!」


「そうだね、ひなのさん」


 送迎バスに乗って駅へと戻り、再び電車に乗った時には既に太陽は地平線に落ちようとしていた。この分だと、寮に戻ったときには真っ暗だろう。


 段々と日が沈む時間も早くなってきている。そういう意味では夕日に照らされるこの電車は、まだ帰宅ラッシュの時間に巻き込まれるはずもなく、そして今度は京都市内へと向かうために、朝と同じように空いていた。


 そんな車内で、ひなのさんはちょっとうとうとしつつあって、頭が揺れていた。


「ひなのさん……眠かったら寝ちゃってもいいよ。到着するときに起こすからさ」


「でも……それじゃ、明菜に悪い、よ……」


 ほぼ頭を使わずに喋っている感じのとろんとした口調なのに、真っ先に出てきた言葉は私への心配だった。

 まったく、この銀髪少女は……と思いながらも、私は言葉尻が優しくなるように努めて声色を乗せる。


「じゃあ、そうだね……ひなのさん。

 寝ないなら……ちょっと……お話、する?」


「……うん、明菜ともっと……話したい……よ」


 素直に寝ろ、と言っても聞かなそうなので、子守唄のように優しく語り掛けてそのまま寝落ちさせようという魂胆である。

 とはいえ、既にもう割とうつらうつらしているので、このままでも寝そうだ。


「さっきひなのさんは楽しかったって言ってたけど、今日やったことで一番楽しかったのはなに?」


 眠たいときにする質問じゃないかな、もっと二択とか答えやすいのにした方が眠りやすいのかなとは聞いた後に思ったが、しかしひなのさんはそれほど間をおかずに答えた。


「……何が……というより……。明菜と一緒……が、楽しかった……」



 ……あれ? これもしかして、聞いている私の方がダメージを受けるやつなの?

 からかいの可能性を考慮して、改めてひなのさんの顔をおそるおそる見てみても無反応。本当に眠そうな顔をしている。


「……そうだったんだね。

 ありがとね、ひなのさん」


 もう少し話を広げようかとも思ったが、もう今すぐにでもひなのさんは寝そうだったので、私は感謝の言葉を告げるに留めた。


「……うん。明菜……」


「なあに?」


「……つぎも、2人だけで……泊まりで……温泉、行こうね……」



 その先に言葉は続かず、ひなのさんの頭が私の肩に寄り添うようにしてもたれかかったのが合図であった。それから、さほど時間もおかずにひなのさんの唇からは柔らかな寝息だけが発せられるようになった。



 そんな様子を受けて、私はまずひなのさんが膝に乗せていた彼女のリュックをそっと私の胸元に引き寄せて。

 そしてその間で丸まっていた彼女のもふもふの上着を広げて寒くないようにかけて。

 最後に。眠りやすいようにと、彼女の頭をそっと私の右手で左肩にもっと寄せるようにした。



 ……次は、泊まりの温泉旅行……ねえ。

 なるほど、女子旅――というのはあるだろう。女の子2人だけでも旅行に行くことはあるかもしれない。


 ……けど、さ。それは大学生だったり大人なら分かるけれども、女子高生が2人きりで温泉に宿泊するというのは早々存在しないというか。

 それに、他に友達が居る中でわざわざ『2人』であることを強調する必要はどこにもない。



 それが意味することを、理解できない程……私は鈍くはなかった。

 すぐ隣で寝息を立てているひなのさんにも絶対聴こえないくらい小さな声で――



「この子、ひなのさんって。私のこと……好きすぎでしょ。


 ……でも。

 私も。ひなのさんのことは言えない、かな――」



 ――私はひなのさんの寄り添う頭に、自身の頭を重ねるようにしながら……そう呟いた。


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