第15話…帰宅

『誰の事も信用なさらないで』


 その言葉は、エマ様ご自身だったのかもしれない。私を心配する台詞すら、嘘だったのかもしれない。邪魔者だと告げる為に、あんな遠回しな言い方をしたのかもしれない。

 あぁ、私は本当に考えるのが下手だ。

 私はずっと守られて育って来た。それが当たり前だったから。

 だが、ここに来て広い世界を知った。

 世間も何も知らない私はどう考え、どう決断したら良いのか、わからない。

 頼れるのはネヴィル様のみ。だが、今はもう遠い存在にしか見えない。

 まるで今の私は図書室で探すべき書物の見つからない、迷える子供だ。


 もう家に帰ろうか。

 このまま、ここに留まる理由がない。

 この先、何を知ったところで絶望しか見えてこない気がする。

 そして、父にネヴィル様との婚約破棄を願い出ようか。



☆ ☆ ☆



「お帰りなさいませ、フロタリアお嬢様」

「ただいま」

「旦那様がお待ちでございます」

「ありがとう」


 玄関先で執事と侍女の出迎えを受けた私は、馬車に積んだ荷物をそのままにすぐ階段を上がって行く。

 予め、突然の帰宅を文にて知らせていたとはいえ、私に何かあったのではないかという懸念があったのだろう。

 父は本来なら家にいないはずだ。男爵として、やらねばならない事は毎日山積みなのだから。

 それでも書斎で私の帰りを待っていた。きっと大事な相談なのだと予測していたからだ。

 階段を上がり、真っ直ぐに書斎へと向かう。

 父は私の話を聞いたら、どう思うだろうか。

 きっと激怒するはずだ。或いは呆れるかもしれない。


『そんな話は聞いていないぞ。 だから大人しく花嫁学校に行けと言ったのだ』


 執務机を叩いて、そう返されるのは目に見えている。それでもこれは、私の判断だ。自分で決めたのだ。


 書斎のドアをノックすると、低く落ち着いた声が中から聞こえて来る。


「入りなさい」


 許可を受け、静かに開ける。

 重厚感のある執務机に壁一面の書物、歴代の男爵の肖像画。

 それらを長年に渡って守り、引き継いで来た父。執務机で書類に目を通す姿は昔から何も変わらない。


「急にどうしたのだね、フロタリア」


 普段は温厚な父だが、執務中は厳しく、邪魔する事を良しとしない。今も、娘である私にすら冷たい。

 その全てが私の意思を揺るがせるようで、思わず怯んでしまう。


「お父様に大事なお話がありまして、一旦帰って参りました」


 父は椅子に深く凭れ、いったい何事かといった顔で髭を擦りながら思案している。


「まずは話とやらを聞こうではないか。そこに座りなさい」



☆ ☆ ☆



「ネヴィル君はこの事を知っているのかね?」

「いいえ、私の一存です」

「ならば、簡単には決められぬ」

「ですが、お父様。私はそうしたいのです」

「駄目だ、フロタリアはネヴィル君と結婚するのだ。そして彼の妻として伯爵家を守って行くのだ」


 ソファーには、私がまだ幼い頃に付けた悪戯の跡が今も残っている。

 父の持つペンの尖った先で、ソファーの布地を引っ掻いたのだ。

 書斎には入るな、と言われていたのに勝手に入ってソファーを傷つけてしまい、酷く叱られてショックで泣いた事を覚えている。

 それは父に叱られたせいではない。書斎への立ち入りを禁じられ、そこがどういう部屋か、まるで私には何もわからない事が悲しかったのだ。

 以来、私が勝手に入る事はなくなったが、同時に父との高い壁をも感じるようになった。


「今日は泊まって、明日には学校に戻りなさい。この件をネヴィル君無しで進めるわけにはいかないよ」

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