第27話 色取月その1

「え、結婚するんですか!?霙依さん、彼女いないって言ってませんでしたっけ?」


「いませんでしたよ。三か月前までは」


「ちょ、早すぎません?お見合いでもされたんですか?」


キーボードを叩く手を止めて心底驚いた表情で氷室が問いかけてくる。


すでに土地開発のほうには報告済みだが、プロジェクトが終わるまでは、西園寺メディカルセンターの社員扱いになっているので、イノベーションチームのメンバーには報告しておく必要がある。


チーム冬属性として慕って貰えるのは有難いが、不要な出会いの場に連れだされるのは面倒なので、早々に打ち明ける事にしたのだが。


「お見合いではないですよ・・・・・・亡くなった祖父の紹介とでもいいましょうか」


「は?なんすかそれ・・・遺言的な?」


さすがにラブレターがきっかけで、と暴露するのは憚られるので、適当にごまかす事にする。


「・・・・・・まあ、そんなところですね」


あの日、燈子が祖母の恋文を手に霙依家を尋ねて来なければ、辰己と燈子は出会う事が無かった。


燈子が、辰己の声に過剰反応を示さなければ、辰己は彼女に興味を持つこともなく、二人の縁はあのまま切れてしまっていただろう。


祖父の古い日記を探してみたけれど、結婚以降のものしか見つけられず、その中にも淑子ひでこの名前は出て来なかった。


辰己の祖父、誠一郎にとっては、淑子ひでこは純粋に幼馴染の友人の一人で、生涯その関係が変わることは無かったんだろう。


あの情熱的な恋文に綴られた淑子ひでこの想いが届かなかったから、辰己と燈子が出会えたのだと思うと、なんとも感慨深い気持ちになる。


燈子に案内してもらって淑子ひでこの納骨堂に挨拶に行った帰り道、改めて彼女に結婚を申し込んだ。


出会ってから三か月しか経っていない、超スピード婚にはなるが、辰己の両親には、伯父夫婦を通じて根回しをしてあるし、気がかりだった独り身の次男坊が嫁を取るのだから、感謝こそすれ文句なんて出て来るはずもない。


燈子はやっぱり迷う表情を浮かべたけれど、よろしくお願いします、と答えてくれた。


伊坂呉服の前で鉢合わせした元カレとの別れが、彼女に結構なしこりを残していることは何となく察しがついていたので、長期戦も覚悟したけれど、最終的には辰己の声で頷かせた。


あれほどこの声に弱いのなら、もっと早く迫っておけばよかった。


耳元で名前を呼べば頬を染めて瞳を潤ませて、抱きしめれば身体を震わせて拒むどころか擦り寄って来る柔らかい身体は、全身で辰己への好意を伝えてくる。


あれから二度ほど贈った着物でデートをして、二回とも辰己が手ずから帯を解いて着物を脱がせた。


結婚までしません、と突っぱねていた燈子の意思は、三回優しく名前を呼んだところで緩んで、たわんで、五回目には溶けて無くなっていた。


抱き寄せた彼女の身体は見た目以上に柔らかくて、はだけた着物と長襦袢の隙間から見える白い肌に夢中になった。


結婚したら、行儀よく彼女の言う通り休前日に誘いかけるつもりだが、まだしばらくは彼女を家に招くたび、甘やかして蕩けさせて抱かせて欲しいと頼むことになるだろう。


入籍だけして挙式はしない方向で動いていた二人が、急に方向転換する羽目になったのは、兄夫婦と両親が家族式だけでもしたほうがいいと口を挟んできたからだ。


折角だから、着物とウェディングドレスで写真も撮りたいし、色々準備をしたいと意気込む母親と、伯母の熱意に押される形で、三か月後に式場の予約を押さえて、身内だけの写真撮影と食事会を行う事になった。


プロジェクト終了と同時に土地開発に戻ることになる辰己との新居探しはまだ先でいいと言った燈子は、自宅と辰己のマンションを行き来して生活している。


「氷室、自分のプロポーズが上手く行ってないからって他人の色恋に首を突っ込むな。仕事をしろ」


飛んできた上司の雪村の声にも動じることなく氷室が言い返した。


「仕事はしてますよ。報告書添付していまメールしました。上手く行ってないわけじゃありませんよ。二の足踏まれてるだけです」


実際氷雪コンビの仕事ぶりは優秀そのもので、イノベーションチームの要になっている。


彼らがいるおかげで土地開発側との連携は取りやすいし、商談がスムーズに進むことも多い。


「氷室くんの彼女、社内の方でしたっけ?」


「そうです・・・・・・霙依さんは、どうやって彼女に結婚を決意させたんですか?」


「・・・・・・プロポーズは、親戚に押されて雰囲気で・・・・・・本当は、もう少しきちんとした場所で伝えたかったんですが、そうすると彼女が拒みそうな気もして・・・・・・結局最終的にはゴリ押しした感じですかね・・・」


燈子が自分の子に弱いことが分かっていたのでここぞとばかりに攻めの手を緩めなかった耳殻がある。


が、あのまま押し切っていなかったら、燈子との関係はいつまでも進展していなかったはずだ。


ある意味、伯母の芳子は二人のキューピットである。


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