第23話
それから、王都でも一番大きな手芸用品店に向かう。
大通りはやはり人が多くて、足を踏み入れることを少しだけ戸惑う。
けれどアレクが前に立ち、リィネが手を引いてくれる。
これからはこの王都が、ラネの住む町になるのだ。いつまでも臆してはいられない。
思いきって足を踏み入れると、初めて訪れた日が嘘のように、自然に馴染むことできた。
目的地の手芸用品は、かなり大きな店だった。中では縫製や刺繍もしているようで、働いている女性がたくさんいる。
店内には、綺麗な服を来た令嬢が数名いて、楽しそうにおしゃべりをしながら生地を選んでいた。
店主は三十代半ばの女性だったが、アレクの姿を見ると店の奥から出てきて挨拶をしている。
親しげに笑い合う様子は、丁寧に接しながらもどことなくぎこちなかった貴族の人たちとはまったく違って、とても自然だった。
「今日も、リィネさんのドレスを仕立てるのかしら?」
「いや、彼女が、ラネが刺繍を教えてくれるというから、その道具を買いに」
店主の視線がラネを見つめ、きらりと光った。
「これはまた、リィネさんとは違ったタイプだけど、綺麗な方ね。何だかドレスのデザインが浮かびそうだわ。彼女のドレスは作らないの?」
「昨日の祝賀会でパートナーになってもらったが、時間がなかったのでリィネのドレスを手直ししたからな。ラネのためのドレスも、必要かもしれない」
ふたりの視線がラネに向かい、慌てて否定する。
「そんな、必要ありません。もう着る機会はありませんし」
「ないとは限らない。それに、パートナーにドレスを贈らないのは無作法らしい」
アレクの言葉に、店主も頷く。
「採寸だけさせてもらえばいいから。デザインは任せて。絶対にあなたに似合うドレスを作るから」
そう言って、やや強引に店の中に連れて行かれる。
「あ、あの……」
助けを求めるようにリィネを見たが、彼女も楽しそうに後を付いてきた。
「私もラネさんのドレス姿がまた見たいわ。昨日のドレスも似合っていたけれど、もう少し淡い色の方が似合うと思うの」
「ああ、リィネさんのドレスというと、コバルトブルーのドレスね。そうね、もっと淡い色で……」
振り返ってアレクを見ると、彼は応接間で別の店員にお茶を淹れてもらって、すっかり待つ体勢である。
救いの手は差し伸べられなかった。
「何ですか、コルセットなしでこの細い腰は……」
採寸をしていた店主は、そう言って溜息をつく。
「一着だけなんてもったいない……」
「兄さんなら、ラネさんが欲しいと言えば何枚でも仕立ててくれそうだけど、ラネさんは絶対にそんなこと言わないもの」
「……仕方ないわ。この一着にすべてを賭けるしかないわね」
されるがままのラネは、ふたりの会話にも入り込むことができない。
一応好きな色などを聞かれたが、すべて任せることにした。
やっと解放されてアレクの元に戻ったときには、すっかりと疲れ果てていた。
「ところで、刺繍を教えると言っていたけれど……」
応接間で寛いでいたアレクの元に戻り、お茶を淹れてもらってひと息ついたとき、満足そうな店主にそう尋ねられた。
「はい。刺繍の仕事をしていたので。リィネさんに教えながら、そんな仕事がないか探そうかと」
「刺繍の仕事ならたくさんあるわ」
店主はそう言って、やや興奮気味に立ち上がる。
「今年は凝った刺繍のドレスが流行っていて、手が足りなくて困っていたの。どんな仕事をしていたの?」
「キキト村で、刺繍の絨毯などを……」
「キキト村!」
「……メアリー、少し落ち着け」
アレクに諭されて、店主は少し恥ずかしそうに腰を下ろした。
「ごめんなさい。つい興奮してしまって。でも、キキト村出身なら腕は確かでしょう。よかったら刺繍の仕事を引き受けてくれないかしら?」
ここに通っても、自宅で仕上げてもどちらでもよいと言う。
「もちろんです」
凝った刺繍は得意だが、ドレスに刺繍をしたことはないから、最初はこの職場に通わせてもらうことにした。
「ありがとうございます。これからよろしくお願いします」
早々に仕事が決まったことに安堵しながら、店主に挨拶をする。
しかも、刺繍の仕事を続けられる。
たしかに刺繍は収入を得るための仕事だったが、集中して針を刺す時間が、ラネはとても好きだった。
アレクはこの店で、刺繍糸や布をたくさん買ってくれた。
「リィネは初めてだから、練習のためにも多めに買っておいたほうがいいだろう」
「でも、こんなに……」
初めは戸惑っていたラネだったが、さすがに王都の店は種類が豊富で、美しい色の刺繍糸がたくさんある。
「綺麗……」
つい手に取ってしまい、それをアレクがすべて購入してくれた。
店主にそう感謝され、刺繍糸や布もおまけしてもらい、さらにたくさん買ってくれたからと、買った品物を配達してくれるという。
「ありがとうございました」
上機嫌な店主に見送られて、店を出た。
採寸に時間が掛かったせいか、朝早く出てきたはずなのに、もう昼はとっくに過ぎている。食事をしていこうかと話し合った結果、以前連れて行ってもらった高級なレストランではなく、屋台で買って公園で食べることにした。
「ラネさん、これおいしいね」
笑顔でそう言うリィネに頷き、公園に集まってきた鳥にパンくずを投げたりして、まったりと過ごす。
アレクが傍にいてくれるから、変な輩も近寄ってこない。
平和で穏やかで、とても幸せな一日だった。
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