踏み出す農民

「さあ、到着したよ」


 良い馬車の乗り心地にうとうとしていたが、この一声で意識がはっきりした。

駄賃を払い、地面に足をつける。


「ありがとうございます、また何か縁があれば」

「ああ、御贔屓ごひいきに」


 馬車に揺られもう少しゆったりしていたかったが、しょうがない。


 何はともあれ家に着いた。


「ただいまー」


 言葉はただ家の中へと吸い込まれていく。

待つ者のいない俺にはこの言葉は意味をなさないが、この言葉だけは何故か言ってしまう魔力がある。


取り敢えず玄関先ですぐ重い装備を脱ぎ、どれを捨てるべきか考える。


「頭部の甲冑はは重いし視界が狭まるから却下、胴はサイズが少し大きくて、走ると上下にカタカタ動いて擦れて痛いしイライラするので却下、脚もガチャガチャ無駄に音が鳴るし重いし走りにくいので却下。残るのは・・・」


 ぶつぶつと呟きながら選別した結果、腕の装備だけが残った。

なんとも貧相な感じになってしまったのだが、動きやすくなるためなら致し方ない。


「あとは、かばんの中身を整えるか」


 支給されたものだし一式揃っているとは思うのだが、追加で何か必要ならばと一応確認。


「中に入っているのは乾燥されたものを中心とした食料、これは腐らないことに重きを置いていてありがたい。あとは地図と小型のナイフやらマッチ、蝋燭ろうそくに……ん?」


 他にもいろいろと入っていたのだが、下の方に固い、無駄にスペースを食っている物があった。正体を確かめるべく取り出すと、一冊の本だった。


「なになに……って、真っ白じゃないか」


 中は白紙。強いて言えば全てのページに罫線があるだけだ。ペラペラと捲っていたら、一枚のメモがページの間からひらひらと落ちた。もちろん拾う。


「勇者殿、長旅になることと思います。さぞ様々な出来事がありますでしょう。そこで私め、日記をつけることをお勧めいたします!きっと役に立つこともあるでしょう」


 と、書いてあった。

絶対あの側近だと思う。

まあ、日記はもしかしたら必要になる時が来るかもしれないので(振り返るその日まで生きていられるかが分からないが)持っていくことにした。


「それにしても分厚いな」


 こんなに書くことはきっとないけれど。

後は適当に自分で何かに使えるかもと思った農具等を入れて準備が完了した。


「意外と軽くなったな」


装備が重すぎたのもあるのだろうが、これから魔王討伐に向かう者の持ち物だとは誰もわからないだろう。

重いのは勇者という肩書きだけで十分過ぎる。


 すぐに出発とは言ったもののもちろん名残惜しい。今まで住んでいた家だ、思い入れがない方がおかしい。

また、ここに戻って来たいな。

どんな姿になってしまっても。


「……行ってきます」


 もう一度、誰も居ない家へと言葉を残す。

それと同時に、もうただいまは言うことがないのだろうな。そう思うと、寂しい気持ちになった。


あと心残りといえば、この愛情かけていた畑。

王城を出る前に側近の男に畑を何とかしてくださいと約束してもらったが、やはり自分の手で最後まで作りたかった。

付近の農夫仲間には、お世話になっていた事もあったので一声掛けていきたかったが、何と言えばいいかもわからなかったので何も言わずに出ることにした。


そして、


「戸締りは、もうしなくて良し! どうせ盗られる物も無いしな!」


 さあ、何日俺は生きられるだろうか? 

魔王を倒すことなんてこの時点で諦めてはいるが、やはり生きるのは諦めきれない。


「ふぅ......よしっ!」


 気付けの意味を込め、両の頬を思いっきり叩く。


「いってぇ! 強く叩きすぎた」


 思いの外力が入っていて声を上げてしまったが、ヒリヒリと痛みが残るうちに脚を動かす。

振り返ることは、しない。


 何はともあれ俺の人生最大、砕身粉骨な旅の幕開けである。


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