野薔薇の花束
猪野々のの
スピカに溺れて
前編
証明をするのに何でもよかった。幼馴染の
「ムギ~! ほい、これ昨日言ってたヤツな」
子供のような、あどけない笑みでシンは僕に例のものを譲与する。それはタイトル無記名のサンプルデータ。このCDの中身には彼の手掛けた才能――人々を魅了する楽曲が詰まっている。そう、皆がインターネット越しにスピカに溺れる動機を提供及び製作するのが僕、
「うん、確かに受け取ったよ。ふふ、シンは相変わらず創作のスピードが凄まじいね」
「むぅ、そうか? オレはパッと頭に来たのを、ぐわっと出してどりゃーっていい感じのをムギにわたしてるだけだからな!」
「……ふふ、毎度のことながら擬音ばかりで全然わからないよ。けど、真珠らしい」
おう、と元気に身を任せて頷くが幼い頃から知り合いゆえか、勢いだけの返事だと僕は納得した。人生の八割、ほぼ同じ環境を共にした者として。
端的に、僕たちは孤児だ。
両親は居ないし、顔も覚えていない。名前と生年月日が記載された情報源が確かにあるだけで血筋の繋がりは無いに等しい。
赤ん坊にして天涯孤独の身。中学卒業まで孤児院で過ごしていたが、今は学生寮のある高校にお世話になって二年目の夏となる。
そんな僕らの拠り所、それが……。
「あ、そういえば。先週の土曜日にアップした動画、凄く評判がいいよ。ほら、コメント」
「なになに……『曲が好き! 定期的に聞きたくなる、毎日再生してます』『安定の神作曲と神作詞のコンボ、スピカさんはやっぱり天才。言っとくが異論は認めん』『曲もだけどMVも凝ってるよね。そう思った人はいいねして!』」
楽曲投稿、もとい現在では動画投稿を始めて約一年。僕ら『スピカに溺れて』は趣味の範疇ながら良き高校生活を送っている。……真珠の創った曲が、僅かながらも世間に浸透してニヤニヤしてしまうのは仕方ない。だって僕は、シンの存在をたくさんの人へ――。
「あー……この曲、オレが考えたっけ?」
唸りながら彼は問う。その回答はイエス、他の誰でもない真珠が楽曲を創作して世に送り出した。
作詞と作曲、それから自身が歌唱までしたのにも関わらず彼はいつものように忘れてしまっている。……いや、正確には既に興味を失っているのだろう。理由は簡単、次の新曲のことで頭がいっぱいなのだから。
「……あはは、シンってば。この曲、自信作だって言ってたよ」
愛想笑いだとバレないように微笑を撒き散らしては、再び真珠は首を横に傾けて腕組みも加えながら思考に陥る。僕らの中で最高の曲を創れるのはシンだけなのに。
「うーむ、覚えてねぇな。つか、このコメント、曲とか映像のことばかりじゃん。ムギの描いた絵のこと、まったく書かれてないのヘンだろ」
「っ、それは」
言葉に詰まる。ついでに珍しくも思った。真珠がこの活動に
真珠星――スピカに溺れて。
これは僕が勝手に名付けて、動画や曲を定期的に投稿している……所謂、クリエイター
ネーム。その由来と目的は真珠の才能を世に示すため。それ以上の願望はなく、僕が携わる内
容は正直どうでもいい。
見て、聴いて、感じて欲しいのは彼の創った作品なのだから。ちなみに真珠本人は曲が創作出来れば満足のようで、軽い気持ちで投稿の件を持ち掛けたら快く承諾してくれた。
シンが曲を創り、僕が曲のテーマやイメージに合致したイラストを描くことによって。
「ははは。僕の素人丸出しの絵なんかより、シンや先生のクオリティの方に目がいくってだけの話だと思うよ」
「は、なんだよ……それ」
嘘。本当は僕に対するコメントも多少はあった。良識ある所見や感想、それからシンへ
に対する酷評も。当然、それらはすべて発見したらすぐに削除した。僕のことで本来見て欲しいものを失われるのは嫌だし、彼のアンチなんて消えてしまえばいい――。
「雨夜、謙虚は常日頃から求められ時に美しいが。行き過ぎるとただの卑下となる。教師命令だ、今の発言を撤回しろ」
馴染みのある、低い男性の声。
旧校舎の一角、ここを訪れる者は限られている。それも夏休みと題された今なら尚更。
「
旧音楽室の出入口付近、ドアに凭れるようにして彼は居た。
獅子尾さとみ、二十七歳。
僕が所属するクラス担任にして、若手のイケメン国語教師。また、厄介なことに春から『スピカに溺れて』の動画制作を担っている人物。
「ああ、はよ。早乙女も」
「ん、先生。おはよう。聞いてよ、またムギが――」
シンが先生に近付きながら話を開始させる。
距離が近いのは仕方ない、同じ活動者として目を瞑ることは出来る。それでもいつもの、違う。ここ数ヵ月で彼が本格的に動画担当となってから、よく見かける光景。完璧な動画を製作する上で真珠が思い描いた楽曲、理想の世界に一歩でも近づくなら構わない。
しかし、このモヤモヤとした心の奥底に違和感があるのは事実で……理由を探すのに手間取っていた。
「……悪いな、早乙女。生徒をパシらせちまうみたいで」
ふと、ぼんやりと二人の会話を聞き逃していたら獅子尾先生がシンに硬貨を一枚渡していた。おそらく、真新しい五百円玉を。
「いいよ、オレも喉乾いてたし。余った釣銭、本当に貰うからな。あとで返せとかはナシで! んじゃ、自販機で缶珈琲とムギの好きな林檎ジュースも買ってくるから!」
「ああ、頼む。ゆっくりで構わないからな。廊下は走るなよって、聞く耳持たないか」
教師の忠告も虚しく、真珠は言葉通りに光の速さで移動を開始した。
さて、と放ちこちらを興味深そうに向く要らぬ世話を焼く彼のことも知らずに。
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