第十二話
五つ目の空間は、あの時バーサクと戦った、現代アメリカの高層ビルが参差(しんし)として立つ、あの舞台そのままであった。無論、そこに送り込まれたのは≪色欲の指導者≫フォルニカと礼安の二名。
礼安の動揺も意図して組まれたものであろう舞台であったが、礼安は浮かない表情のままであった。
「……やっぱりだ、何かおかしい」
礼安はフォルニカと対峙し、第一声がそれであった。
「おかしいって、何がだよ? 男と女が行為を重ねるなんて、普通のことじゃあないか」
そんなフォルニカの茶化しを一切意に返すことなく、悩む礼安。次第にフォルニカの表情は厳しくなっていく。
恐らく、他の舞台では戦いが始まっているであろうに、剣のひとつも交わらせない現状。
ただ、礼安は剣を交わらせることよりも大事なことがあると、確証はないものの確信していた。彼女自身の根っこの部分にあるお人よしな心が、目の前にいる男に対してセンサーが働いていたのだ。
「……これ、正直確証はないよ。でも……貴方、最初から嘘ついてたんじゃあないかな」
「――嘘? 今まで女を口説き落とすのに何度も使ってきたさ、どっかの吸血鬼がパン食った枚数を問うたようによォ。もうそれは数えらんないさ」
礼安の表情は一向に変わらない。それは、彼の発言がまた「嘘」だと何となく理解していたからであった。
「……クランさんは、最初から本心で喋ってた。『死にたい』って嘘以外、何一つ嘘ついてなかったんだ。でもあなたは違う、とても苦しそう」
渋谷にて最初交戦した時のような、苦虫を噛み潰したかのような表情をしているフォルニカ。次第に彼の心の声が漏れ出す。
「……貴方、最初から嘘ばっかり。それで人を振り回そうとしているみたい」
「……やめろ」
礼安は捲し立てる。彼女の中で、少し足りない頭脳でも行きつける結論に、手を届かせるために。
「調子を狂わせて、それによって発揮できる力があるんじゃあないの?」
「……やめろって言っているだろ」
徐々に膨らんでいく、フォルニカの怒気。今まで軽口と挑発が彼の十八番であったはずなのに、煙に巻けるはずの存在に足元を掬われる。彼にとって、何よりもの屈辱であった。
「心を揺さぶることによって、貴方自身を嫌いにさせることによって発揮できる能力こそ、貴方の怪人としての力なんじゃあないの?」
「やめろって言っているだろ!!」
瞬間、辺りに魔力と彼自身の圧による衝撃波が、礼安とビル群を襲う。耳をつんざくほどの轟音に、息を合わせたかのように割れて、辺りに散らばる強化窓ガラス。
砕けたガラスに映る彼の表情は、今までのフォルニカであったらあり得ないほど、怒りと恥辱の色に染まっていた。まるで子供が癇癪を起こしたかのように震え、目は充血しきっていた。
「……ああそうだよ、ああそうだよ!! 俺の怪人としての能力は『狂った青鬼≪リベンジ・オブ・ヘイテッド≫』、お前の予想通り、相手が俺を嫌いになればなるほど思いのままに操ることが出来る俺に似合った能力だよ!!」
礼安が彼を見つめる瞳は、まさに助けるべき対象を見つめる庇護の瞳。彼に対して、一切の嫌悪感や不快感を無くしていた。フォルニカにとって、最低最悪の相性にあったのだ。
「……確か、私の力もそうだけど、何かしらのコンプレックスによって生まれるもの、だったよね。貴方のソレも……」
「ああそうさ、嫌というほどの迫害を受けた俺だからこそ成立した! 誰も助けちゃあくれない、誰も手を差し伸べちゃあくれない!! だから私怨も込みで組織からあのゲーム内で殺していいって指令を受けた時から最高だったさ!! だからこそ、復讐するためにも……こいつが俺の支えだったんだ……!!」
すると、フォルニカは思い切り拳を振りかぶり、礼安の顔面を捉える。鼻の骨や頬骨に、鈍い音と共に罅が入る。
「お前は大馬鹿野郎だ、だからこそ、こうしたほうが俺を嫌う可能性が圧倒的に高い……!! テメェを傷つけさえすりゃあ少しは不快に思うだろ!! 俺と同じ目に合えばよォ、少しは歪んでくるだろォ!!」
フォルニカは、礼安だけでなくアーサー王のゲーム内に入った英雄に対し、予め嫌われておくことによって、後の戦いを大いに有利にすることばかりを考えていた。現に、礼安のトラウマを抉るような、あのゲームの舞台を引っ張り出してきたのだ。
必ず、瀧本礼安は自分を嫌う。そう信じていた。
しかし、礼安は拳を優しく払って、変わらず彼の心の底まで見透かすような慈愛の瞳を向けていたのだ。フォルニカは、心底気味悪く、そして絶望を感じていた。手前でいくらトラウマを抉ろうが、一回弱さを見せてしまったが最後、彼女にとっては救う対象となっていたのだ。
「貴方の嘘に気づいちゃったら、それは見過ごせないよ。私という人間を、少し甘く見てたね」
そう言いつつも、微笑して見せたのだ。敵対している男に、怪人化していないとはいえありったけの力で殴られたのにもかかわらず。
恐怖した心は、すぐさまもう一度、どころか何度も害すことを選んだ。いつか、自分の思い通りになる。一抹の希望を捨てきれずにいたのだ。
何度も、何度も殴りつける。重なる恐怖によって力は弱まっていく。彼女自身の血によって拳が滑り、中途半端なダメージに終わるものもある。しかし、ダメージは確実に入っているはずなのに、彼女は聖母のように攻撃を受け続けたのだ。
「何でだよ……何でだよ!! 俺を嫌えよ!! 顔と髪は女の命だろ!? 何でお前の心の色は変わらないんだよ!!」
頭からも血が零れ落ちる中、額で拳を受け止めた礼安は、まるで何事もなかったかのようにニッと笑って見せた。敵に向ける表情では無かったものの、礼安の目の前にいるのは、救うべき対象。礼安にとって、彼に向けるべき表情がこれであると、心の芯で理解していたのだ。
「私は、貴方を憎まない、嫌わない、見捨てない。その代わり、貴方が犯した罪を憎むし、嫌うよ。文字通り、罪を憎んで人を憎まず、だよ」
彼女のオーラに気圧されたフォルニカ。後ずさりし、恐怖した。知らぬ間にライセンスを手に取って目の前にいる薄気味悪い存在を、何としてでも殺してやろうと防衛本能が騒ぎ立てていたのだ。
礼安は、目の前にいる悲哀を帯びた保護対象の中に巣食う、どす黒い罪とその意識を摘み取るべく、後ろへと飛び退いてライセンスをデバイスに認証させる。
究極の聖人を目指すがあまり狂人に近づいた英雄と、狂人に成りきれなかった怪人くずれ。
「貴方を、必ず救って見せると約束するよ」
「嫌え……俺を嫌え!! そして思い通りに動け!! カースト最上位がよォ!!」
自己犠牲の究極系と、自己防衛の究極系。
「「変身」!!」
歪な、それでいて悲しい戦いが、始まった。
ビルを数多犠牲にしながら、二人は衝突を繰り返す。
しかし礼安は一切攻めることなく、相手の激情に駆られた攻撃を捌いていく。
決して初めて戦った時のフォルニカのように、嫌悪感を持った敵対者の心が読めるわけではないが、何故か先の攻撃が見えたのだ。
戦闘の勘、か。
英雄としての地力がそうさせたのか、強者としての能力が礼安の中に芽生え始めたのだ。
(とても、辛そうだ)
彼に対して、敵対心の類を欠片も抱かない礼安に、激しく苛立つフォルニカ。
「止めろ止めろ止めろその憐みの目をォォォォォッ!! 俺を嫌えェェェェッ!!」
数多の攻撃用触手を礼安に伸ばし、捕らえようとするも、次々に捌かれる。
それに対しても苛々しだし、攻撃も粗雑なものへと変わっていく。
荒々しくも、一本一本の触手を振るう様に一抹の悲しさを感じ取る。
(救いたい)
礼安の中にあるのは、純粋な願い。そしてささやかな欲望。どれだけの罪人でも、罪の部分以外を一切憎んでいない。
剣を振るい、触手を薙ぎ払って一気に距離を詰める。
しかし、フォルニカはそれを許さない。
一際大きな触手を用いて、薙ぎ払う。
衝撃を殺しきれず、ビルの屋上の地面に突撃してしまう礼安。
転がって何とか体勢を立て直そうとするも、フォルニカはその隙を逃すほど甘くは無かった。
中遠距離から無数の触手による無差別乱打。性別などお構いなしに人体の各所を的確に殴打する。
何とか防ごうにも、剣一本ではどうしようもなかった。
胴体、腕、顔面、脚。徐々に立つ力が衰え始め、根性で立つのみであった。
(苦しんでる人を、救いたい)
気迫のこもった瞳でタイミングを窺う。一番彼を傷つけることなく、一番効率的に現状を打破できる瞬間。
彼女には戦闘の経験値が無い。そんな中で相手を傷つけて機を見出すことは、救うべき相手を目の前にして出来なかった。
だからこその、全ての触手が一振りの斬撃に重なる、奇跡的な瞬間。それを体力と根性の続く限り待つしかなかったのだ。
「アハハハハハ!! 結局そうだ!! 力こそ、力こそが俺を救ってくれる!!」
しかし、そんな奇跡的なタイミングは訪れることなく、礼安はその場に膝をついてしまった。流れ出る血は、自身の足元に巨大な血だまりを作るほど。
呼吸も浅く、誰がどう見てもピンチであった。
「結局、お前なんかに俺は救えない。無力な奴が粋がるのが……一番胸糞悪ィんだよ!!」
思い切り顔面を蹴り飛ばし、頭部装甲を破壊する。
頭から流れ出る血の量はかなりのもので、この状態が十数分と続くなら失血死も見えるほどであった。
それでも。礼安の瞳は死んでいなかった。自身の死が間近に迫っていても、どうしても諦められなかったのだ。
「目の前で……必死に助けを求める人がいるのに……手を差し伸べなきゃ英雄じゃあない」
芯が折れない礼安に激怒し、触手を纏った拳で仕留めにかかるフォルニカ。
「うるせェ……ああ全く――うるさくてたまらねえよ!!」
敵対してきた英雄の中でも、今までこういった純度百パーセントの正義感とお人よしの塊はいなかった。そのせいで、拳を振るうのに躊躇の一瞬が生まれてしまった。
半ば怯えに近い。
今まで見たことのない存在を見ると、人間は排除したくなる。それによる怯えは、心からの怯え。死を前にしても尚、自分を気に掛けるその心が怖いのだ。
(でも、もう無理かも)
礼安の根性が尽きようとしていた、その時であった。礼安の中で、声がこだまする。
『礼安、目を覚ませ!!』
声を上げたのは、他でもないアーサー王であった。その声で、精神世界の消えゆく礼安は立ち止まる。
『貴様は、その程度の継承者だったのか? 貴様の信ずる道を歩むことを、もう諦めるのか!?』
「でも、私にもう体力は残っていないよ、王様……救いたいけど、私じゃあ力不足――」
そう弱音を吐く礼安に対し、拳骨をお見舞いするアーサー王。ただ痛いだけでなく、その中には根の温かさを感じた。
『誰が貴様だけで戦えといった。私もいるではないか』
「でも……これは私とあの人との戦いだから……頼るのは気が引けるというか……」
そう言葉を細々と紡ぐ礼安に、もう一発の拳骨。先ほどよりも強くなった。
『いいか、礼安。流儀に酔って勝ちを捨てるのは三流だ。使えるものは何でも使え。勝ってから、己の流儀を果たせ。今目の前にいる、己が救いたいものを救え』
礼安はいまだ痛みの残る頭をさすりながら、アーサー王に問う。
「じゃあ――――貴方の力を借りたい……というより、貸して。救いたい人がいる」
先ほどまでの、弱り切った瞳ではなく、勝ちたい欲望に満ちた、英雄そのものの瞳をしていた。アーサー王は微笑し、首を縦に振る。
『……無論だ。ようやく、様になったな……礼安』
迫りくる拳を、エクスカリバーで咄嗟に防ぐ。その反応速度は、人体のそれを超越していた。
「ようやく……力をフルに出せる」
そう言って、最初に相対したサソリの化け物に見せたような笑みを、フォルニカに見せた。
「貴方の罪を、頂戴」
無意識に、ドライバーの両端を押し込む。すると、今までにないほど礼安の装甲を始めとした全出力が数倍まで向上する。
『超・必殺承認! 罪人を裁く、裁定の聖剣≪ルーラー・オブ・エクスカリバー≫!!』
膨大な魔力を帯びたエクスカリバーを二度振るい、亜高速の飛ぶ斬撃を生み出す。
疲弊により、身動きが取れない中でもろに食らう。ビルの屋上から仰向けに落ちていくフォルニカ。
しかし、痛みを一切感じさせることなく、斬撃が交差する一転に漆黒の球体が現れる。
「んだよ、この程度かよ!! 締めにしては大したことないんじゃあねえか!?」
フォルニカは、道連れによって、引き分けに持ち込もうとしていた。民衆に対し、深い絶望を与えようとしていた。かつて、『自分が味わった』ように。
しかし、礼安はそれでも目の前の敵を救う意思が変わらなかった。どれだけ汚い一面を見ようとも、彼女に弱みを見せたら最後であった。
「終わりなわけないじゃん」
ニッと笑って見せ、その場から空高く飛び上がる。その衝撃の余波で崩壊するビル。
「やっぱり……英雄の必殺技と言えば、キックでしょ!」
もう一度ドライバーの両端を押し込み、魔力を限界突破させる。迸る雷を身にまとい、一気に勝負をつける覚悟を決めたのだ。太陽を背にして力を高めた彼女の姿は、まさに勇敢な英雄そのものであった。
『超・必殺承認! その想いは電光石火のように≪ライトニング・ストライカーズ≫!!』
噴き出す魔力によって速度を急上昇。まさに、雷のようであった。
その漆黒の球目掛け超高威力の飛び蹴りを放つ。
圧倒的な雷の魔力、速度、威力。少しでも触手を用いて衝撃を緩和しようとしたが、どれも光の速度には到底及ばず。
胸部、その球体に激しく突き刺さる。
瞬間、フォルニカを通過したその衝撃は、ビル群はおろか地盤ごと破壊する。耳をつんざくほどの轟音に、昔話のティタノマキアよろしく天変地異。
地面で一切衝撃を殺しきれず、まるで地面が巨大な蓮の花のように変貌していたのだ。
フォルニカは、その衝撃をもろに食らい、チーティングドライバーを粉々に粉砕される。宙で人間に戻り、落下死してしまう可能性もあったが、礼安が優しく抱きかかえる。
「良かった、無事で」
ドライバーの画面には、『GAME CLEAR!!』の文字が力強く示されていたのだった。
衝撃の中心地は、綺麗に窪んでおり、人を寝かせるうえでは丁度良かった。礼安はその場にフォルニカを寝かせ、側で変身を解除する。
「……いいのかよ、変身解除して」
「うん、もう貴方から敵意を感じ取れないから」
敵意を感じなくなった、というのは半分不正解であった。流石に、雷の速度での全力の蹴りを食らったら、怪人体とはいえ死ぬことも平気でありうるためであった。故に、恐怖心による降参、がフォルニカの現状としては正しい。
あの漆黒の球体。あれは、彼の中にある罪の意識。それを覆うとても堅い殻を割るために、ああまでの衝撃がいったのだという。
その影響か、フォルニカの中では、彼女に対する恐怖心と、今までやってきた行いに対する悔恨の念があった。
「……不思議なもんだな、全く」
礼安は側に座って、剣を地に突き立てる。
「……貴方は、どうしてこんなに歪んでしまったの」
元より、情状酌量などちゃちなものに頼ろうなどとは思っていなかった。そんなもので減刑されるなら、元から犯罪行為など行ってはいなかった。誰かに頼ろう、などとも考えなかった。真に信じるのは、自分のみ。
それでも、礼安には不思議と話すことが出来た。罪の殻を破った張本人であるからか、ここまでフォルニカ自身と向き合った、初めての人間だからか。
「……いいか、今から俺が話すのは……全て独り言だ。覚えたければ……勝手に覚えな」
男は、生まれながらのいじめられっ子であった。
保育園、小中高大と誰かの下に居続けたのだ。しかも、底辺中の底辺。誰かに踏みにじられ、鬱憤晴らしに誰かを踏みにじることもできないまま歪んでいった。
しかし、そんな男でも好意を抱くことはあった。初恋は、周りより少し遅い大学生。
自身の好意をあからさまなものにしても、嫌な顔一つしない。それだけで、男は救われたのだ。
次第に、二人きりでどこかに出かける、といったことが増えた。
最初は大学付近の図書館、次はひっそりとたたずむ小料理屋。回数を重ねるうちに、どんどんと遠出していくようになった。
予定が食い違って会えない日も、SNSアプリで事細かに連絡し、距離感を少しでも縮めようと奮闘していたのだ。
いつしか、男の中には劣情が芽生えていった。会えば会うほど、より自分のものにしたいと、次のステップに踏み切りたいと考えていたのだ。
しかし、そのような歪んだ欲望は察知されやすいもの。女は男のもとを去っていった。
最初は自分が悪いものだと、自分を責め続けた。しかし、大学内で「性欲の獣」と言われるうちに、自分の中で嫌な予感が立ち込めてきたのだ。
予想はすぐに当たった。
女が言いふらしていたのだ。しかも、女には男がいたのだ。まさしく、男の存在や人格を否定していた男そのものであったのだ。
酷く罵られ続け、暴力を振るわれ続け、誰に肩をもたれることなく、精神病を患って大学を中退した。
重い雲がかかった、薄暗い崖。荒れ狂う波に揉まれた剣山のような岩々を下に、飛び降りたら最後生還は難しいと思われる崖であった。そのせいか、多額の借金を作っただとか、男に逃げられただとかで、ここから命を絶とうとする人間はかなり多く、東尋坊同様自殺の名所と化していた。
何も語らず、何も思わず。
全てに絶望していた男は、死ぬ決意も早いものであった。
(最期くらい、派手に死んでやろう)
そう思い立って、まるで階段を一段踏み外すかのような、そんな気軽さで。
男は落ちていく――――――はずであった。
力のない右腕を引くのは誰だと、恨みの籠もった瞳で振り返ると、そこにいたのは端正な顔立ちをした青年であった。しかし、足元は透けていて、実体はほぼないような。
「あなた、命を自分で絶とうだなんて、もったいない」
飄々とした女性はけらけらと笑い、男を小ばかにする。その態度にむかっ腹が経った男は、効果が無いことを承知で、無力な拳で殴る。
しかし、その拳は案の上空を切って、無情にも地面に倒れこむ。そんな無力な自分に心底腹が立って、涙が零れていた。
「まだ、悔しいって感情は消えていないみたい。結構結構」
男の眼前に立ち、歪な変身アイテムを差し出す女性。
「これはチーティングドライバー。あなたのような社会的弱者を救う、まるでチートを使役しているような夢心地で意のままに力を振るえる、まさに夢のドライバー」
それに手を伸ばそうとするも、ドライバーを引っ込める悪戯顔の女性。男を心の底からおちょくっているようであった。
「こいつは、世の中を我が物顔で占領する、クソ共に対抗するためのとびっきり。生半可な覚悟で使ってもらっちゃあ困るね。せめて、誠意を見せてもらわないと」
「……結局かよ、アンタも俺を見下すんだな??」
「ああ、見下してる。だからこそ、汚れたことでも、そうでないことでもやってのける、覚悟ってのを見せてもらわなきゃあならない」
ドライバーを男の眼前に置き、しゃがみこんで、男の髪を力強く引っ張る。間近で女性の表情を垣間見た男は、心底寒気がした。今までのどこかあどけなさを残すような表情ではなく、獲物を狙う捕食者≪ハンター≫のような瞳であったのだ。心の底を見透かすような、恐ろしい瞳であった。
男は、どれだけ力をつけようとこの上位存在には敵わないと、その一瞬で見抜いた。
「これを使って、君が恨んでいた身近な人間を十人、殺して。あなたのような社会的弱者が恨む人間なんて、君以下の存在価値だよ。覚悟ある君には、わけない話だろう?」
最初は女性の話すことが欠片も理解できなかったが、深淵を湛えた瞳に吸い込まれるように、男は自然とドライバーに手が伸びていた。今まで使ったことなどないはずなのに、脳内にドライバーにまつわる記憶がなだれ込む。脳内で氾濫でも起きたかのように、大きな波でごった返していた。
手にした後、男は笑っていた。全能感が、体中から溢れ出していたのだ。今まで無力だった存在が、偶発的に爆発的な力を得た後、やることは一つだった。
ゆらり、と立ち上がった男は、ドライバーを下腹部に装着する。上下部をグイ、と押し込んで歪な怪人へと変貌する。
「覚悟、っての、見せてやる。幸い、恨んでいる奴はうんといるんだ」
そう言うと、男は霧散して消えた。女性は良いおもちゃを見つけた幼い子供の様に、顔を大いに緩ませた。重苦しい雲で覆われた天気の中、引き裂くような狂笑を響かせていた。
「ああ、これだから布教活動はやめられないなぁ」
その数時間後、とある大学にて十人が殺害、殺害された女子生徒一人に関しては強姦されたのちに殺害という、凄惨な事件が起きた。大きい教室の黒板には、『神により力を賜った弱者による復讐が始まる。神を崇めよ』と血文字で書かれていたのだ。
色欲を司るフォルニカ。その起こりは、悪意を持った人によるものであったのだ。
仰向きに力無く倒れたフォルニカ。空を見るその瞳は、深く濁り果てていた。全てを曝け出され、対抗するすべすら砕かれ、どうしようもなかった。涙すら出ない。情けなさすらない。
「……んだよ、その目は。同情か、憐みか? 本当気味悪ィ」
「……私って、結構頑固なの。救いたいって思ったら、もう救わなきゃヤダ。子供っぽく見えちゃうかもだけど、昔っからこうなんだ」
「……んだよソレ、クソめんどくせェ」
自身を飾ることをやめたフォルニカは、多くを語らない。無気力な瞳で、空を眺めるばかり。いつものあの口調も、全て取り繕ったもの。女性がメイクを落としたら、飾りのないすっぴんが残るように。
「……実は、私もこの性格から昔いじめられていたんだ。偽善者、偽善者って。当時の私……まあ今も変わらずちょっとお馬鹿だから、全く意味わからなかったけど……今思うと、中々酷いよね」
「……や、案外当たってんじゃあねえか? お前の場合、偽善者より質の悪い……根っからのお人好しなだけなんだろうが」
「酷いなあ」とだけ呟くと、長袖を捲り、自身の右肩辺りをフォルニカに見せる。そこにあったのは、無数の痛々しい切り傷や打撲痕、煙草の根性焼きの痕。どれもこれもかなり前の物であったが、誰であれ心が締め付けられるものである。
「皆してさ、ちょっと捲ってようやく傷跡が見える場所ばかりに傷をつけるんだ。からだも、心も痛かったよ」
そういう彼女の瞳に、曇りや陰りは一切ない。薄気味悪いほどに、清々しかったのだ。
「……何で、お前はそこまでされてんのに……人を助けようとするんだよ!? 人の醜悪極まりない面すら知っているのに、人を死ぬほど恨んだって、何なら俺みたい腹いせに殺したって良いだろうに!! なのに何で――――」
「だからこそだよ」
青々と広がった空を眺めながら、礼安は言葉を遮った。そういう礼安の表情は、想いを馳せるようなものであった。
礼安の今までを手短にまとめると、『地獄』であった。
生まれて少し経った後から、保育園に預けられた。専業主婦であった母親と英雄の父親、それぞれ共働きでかなり忙しかった為であった。年少のころから、大好きな母親に「いつだって人を助けられるような、他人にも自分にも優しい人に育ちなさい」と言われ、その言葉を胸に生き続けた。
ある日、別クラスの女子が容姿を理由にいじめられていた。礼安はそれを許すことが出来ず、間に入り食って掛かった。その日のうちに、女子に対して教師や親を巻き込んだ面談も行われ、問題は沈静化したように思えた。
しかし次の日。礼安がいじめられるようになったのだ。しかし深いことは考えず、『他人や友達が傷つかないならそれでいい』と、楽観していたのだ。
結局、卒園まで陰湿ないじめは続き、暴力や嫌がらせは何度も受けた。頬や腕に残った打撲痕は『自分がやったこと』と、母親に嘘をつきとおした。
小学校に入っても、一切変わることは無い。何なら、いじめっ子の神経を逆なでするように人助けを続けたために、いじめっ子の兄や姉まで巻き込んだ、大規模なものにまで発展した。それでも、礼安は誰に対しても笑顔であり続けた。
遂に、事は起こった。
いつも通りいじめられていることを悟られないよう、ごまかす理由を探しながら家に帰ると、母親がいなかったのだ。
スーパーでのパートだろう、そう思いテレビをつけたその瞬間、彼女の中で時間が止まった。
母親が、交通事故によって亡くなったというニュースが速報として入ったのだ。しかも、その犯人は現在逃走中。しかし、現場にはあの同級生のものと思われるアクセサリーが落ちていたのだ。
初めて、秘めていた感情が暴発するように、大粒の涙が溢れた。まるで容量いっぱいのコップに水を注ぎ続けるかのように、とめどなく溢れたのだ。声を上げることなく、その場にへたり込んで。
声が出ない。何もかも真っ白になった。その瞬間、今までいじめによって生じた古傷が悲鳴を上げる。しかし、そんな大の大人がのたうち回るほどの痛みすら感じないほど、喪失感が全てを支配したのだ。
そこから葬式などの事を終えた数日後、ショックにより涙の痕がくっきりと残り、生気を失った顔で登校した。それでもお構いなしに、むしろ以前より酷くいじめは続いた。
人間は、いつだって周りと異なる異分子を排除したがる節がある。周りの恵まれている小学生と対比し、正義感の塊であり、並々ならぬ正義感から生まれた底知れぬ薄気味悪さを持ち、母親が不慮の事故で亡くなった礼安は、格好の的であったのだ。
無気力に、相手のストレス発散になればと、いじめのターゲットであり続けた。いくら教師にバレようとも、嘘を貫き通したのだ。
結果、心身はすり減って小学校卒業と同時に中学校に進学することを、無意識に拒んだのだ。そして礼安の父親は、礼安が負い続けたストレスを見抜けなかったことと礼安の意思を尊重し、一人今まで住んでいた場所からはるか遠くに住居を構え、一人暮らしをさせることを決意した。
何かをしたい、何かをやりたいといった彼女のささやかな願いを全て叶えるために、贅沢をうんとできるほどの大金を毎月振り込んでいた。しかし、最終的には本人の父親に対する申し訳なさから、使わずに貯金ばかりしていた。
心のリミッターが掛かった結果と、過度なストレスによって見舞われた、自身の激しい不調にまつわるものとの両方によって、仙台の地に住むこととなったのだ。
そんなある日、礼安の家に何者かがやってきた。人に対する恐怖心が超過していたため、目を合わせることすら叶わなかったが、訪問客は院であった。
礼安を見て、そして部屋を眺めて一言。
「……貴女、相当に嫌な目に遭ったのね。『あの人』から聞きましたわ。私が……この真来院が、『あの人』と一緒に手取り足取りサポートするから、感謝なさい」
その時の院の微笑は、礼安にとっての一筋の光であった。まるで大好きな母親を思わせるような、太陽のような温かい微笑み。礼安にとっては何よりもの救いであった。
「それが、あの時いじめられていた私を救ってくださった、貴女への永遠の恩返しですわ」
「――私は、もう亡くなっちゃったママとの約束をずっと守り続ける。でも、その結果どれだけ裏切られて傷ついても……どん底にいた院ちゃんを救えた、って証しは残り続けると思うんだ」
盲目的でありながら、確固たる楔が心の中に打たれていた。外野の人間が、とやかく言ったところで一切折れ曲がることは無い。
呆れと諦めが合わさった深いため息を一つつくフォルニカ。
「……変なことをどれだけやろうが、一度弱みを見られちまったら最後まで救いたがる、か……俺とお前はとりわけ相性が悪いんだな、ッたく」
「もう少し前に出会えていれば、きっと貴方も歪まなかっただろうから、余計に悔しいよ」
「クソお人よしがよ」
そう吐き捨てて、そっぽを向いた。もう確定的に勝てないと悟った瞬間であった。何度世界を巡ろうと、こちらがどれだけ強かろうと、一生この聖人には敵わない。
「さ、帰ろうか。貴方はあっちで罪を償わなきゃあいけない。そればっかりは、私なんかじゃあどうしようもないから」
「だろうよ、一学生のお前に結構大事なこれからを左右されてたまるかってんだ」
礼安は肩を貸し、ふらふらの体を支える。普通なら、警察に出頭するうえで足取りはかなり重く感じられるはずであろうが、礼安に支えられながらゆっくりと歩を進める今、ほんの少しばかり楽に感じられた。あくまで思い込み程度、の話だろうが。
「うーん……やっぱり動き辛そうですね、こういう時に使えるライセンスがししょーから渡されたはずなんだけど……あった!」
そうやって手に取ったライセンスを一瞥し、それを下げさせる。
「……あくまで勘だが、それ使うのやめとけ。約一名にある意味盛大な負荷がかかる、ライセンスのシリーズの中でもかなりの問題児だ。俺は歩けるから……あの丙良の為にもやめとけ」
その忠告とほぼ同タイミングで、どこか遠くの場所で奇妙奇天烈な叫び声が聞こえた。礼安は首を傾げるも、フォルニカはやっぱりな、と言った呆れた表情をしていた。
「……最後にひとつ言っとく。この声を、誰のだか分からん声を、どこか分からん場所から上げさせたければそれ使え。嫌なら止めとけ」
礼安は何かを悟った様子で、無言で首を縦に何度も振った。流石に無自覚なサディスト、というわけではないらしい。
最終戦、≪色欲の指導者≫フォルニカVS≪究極のお人よし英雄≫瀧本礼安。ある程度の傷こそ負ったものの、自身よりも格上であった存在のフォルニカを下し、見事勝利する。
そしてこれにより、英雄VS教会神奈川支部の代表戦は、誰に致命的な被害が出るわけでもない、英雄側の完勝となった。
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