第一章 empty_jewel box -1
「ええい、くそっ、何で簡易ネクタイじゃないんだよ、もう!」
ルーク・エイカーはパニクっていた。
先ほど脱ぎ捨てたスーツジャケットを慌ててひっつかみ、扉を乱暴に開ける。
廊下は爆風によって割れた大量のガラス片で装飾されていた。未だに結び方が覚えきれないネクタイに悪戦苦闘しながら、少年は外枠だけになった窓の向こうに目を移した。
校庭に落ちたアレは一体なんなのか。
閃光となって飛来した災厄。
例えば墜落した飛行機などではあんな風にはならない。人工衛星は大気圏で燃え尽きる。ならばやはり隕石か。
「――、痛っ!!」
右足の土踏まずにチクリと痛みが走る。
どうやらよそ見している間に長めのガラス片を悪い具合に踏んでしまったようだった。丈夫な靴底だったので事なきを得たが、それでも先端が僅かに貫通してしまった。
「くそぅ、厄日だ……」
靴を脱いでガラスを取り除き、ルークはげんなりした表情で言う。ここが
「入学式で暗殺されかかるし、校庭になんか落ちるし、ハルはどっか行っちゃうし……、それでこれから生徒会の指揮? 僕が何したって言うんだよ、本当……!」
通信が鳴った。
「――私だ」
一瞬で声優が交代した。
完全無欠の生徒会長(CV:ヘタレ催眠陰キャ)は静かな、しかし重い威厳を纏わせた声でイヤホン型の通信機に向けて応答する。
『こちら副会長です! 今どちらに!? 生徒会室にいらっしゃらなかったようなので――』
「野暮用だよ。それよりも校庭の落下物だ。そちらの状況はどうだい?」
『はい! 教員と生徒会役員を回らせていますが、今のところ新入生の一部がパニック状態です。新入生ガイダンスを教室で行っていたからか、幸運にも負傷者はゼロ。しかしそれゆえに好奇心が強い人間が生まれたようで、数名が校庭へ向かったのを止めましたが、今後、我々だけで彼らを統率できるかどうか……!』
なるほど、どこの世界でも新人には命知らずの馬鹿というものが一定数、湧くものらしい。
……さっきその馬鹿の一人を見失ってしまったが。
今すぐ連れ戻したいが、彼女を自力で捕まえるのは不可能だろう。せめて安全に、そして誰にも見つからないで欲しい、と思いつつルークは音が乗らないように溜息を吐いた。
「現状は把握した。今すぐにこの通信を放送部に繋げてくれ。全生徒に対して私から勧告を行う。それと、まだ校内には報道陣が残っているだろう。彼らへの説明と足止めをするよう、校長に伝達してくれ」
『了解しました!』
ジャケットを羽織り、ルークは早足に歩みを再開する。
「それから治安維持隊に通報して応援要請を頼んでくれ。警備としても幾人か雇っていたはずだ。彼らにも協力を仰いで生徒の保護と監視をさせるんだ」
『それが別棟に待機させていた治安維持隊に通信が繋がらず……。おそらく落下の衝撃で影響が出たものと思われます』
「……?」
ルークは訝しげに眉を上げた。
警備隊の控室がある棟と落下現場は確かに距離が近いが、彼らにあてがわれた部屋は校庭とは反対向きのはずだ。
いかに凄まじい衝撃波だったとはいえ、果たして装備に身を包んだ彼らが通信不能になるほどの被害を被るだろうか。
だが彼らに多く気を回す訳にもいかない。最優先は生徒だ。
「……、承知した。今年は上級生に治安維持隊候補生が八名いる。彼らと協力して生徒を避難させてくれ。現場の指揮は君に任せる」
『了解しました。放送部に繋げます』
副会長の言葉が終わると同時に、ルークはようやくネクタイを首元に締め上げ、彼は『生徒会長』になる。実に忌々しい恰好だが、こういう時こそ威厳というものは重要になる。
『――こちら放送部です』
「こちら生徒会長、ルーク・エイカーだ。話は聞いているね?」
『はい。合図の後、全校放送に繋げます。3、2、……どうぞ』
ルークは深呼吸をし、口を開く。
「特別能力育成第一高等学校、全生徒に伝達――」
◇
『――校庭に落下物を確認。負傷者を優先し、全生徒は教員と生徒会役員、治安維持隊候補生の指示に従って第一、第二体育館、及び訓練場に避難。また現在教室に居ない者はその場で待機、配布デバイスで生徒会室に現在位置を連絡し、指示に従うように。繰り返す――』
生徒会長、ルーク・エイカーの声が校舎中に響く。
ノイズ交じりではあったが、その威厳に満ちた声は全生徒に緊張を伝播させた。非日常に浮かされた者たちも彼の声によってその好奇心が一瞬で失われた。
生徒会役員など少ない在校生は言わずもがな、今朝の一件で新入生たちも思い知ることとなったのだ。
ルーク・エイカーの言葉に逆らうということ、その意味を。
放送の言葉が繰り返し終える前に、生徒たちは軍隊よりも整然と行動を始めたのだった。
ただ、一人の少女を除いては。
「………」
彼女、露藤ハルはちらりと足元に転がる男を見下ろした。
身に着けている装備は治安維持隊のものだ。
恐らく入学式の警備として呼ばれた者だろう。形式的な警備だから経験を積むために新参者が幾人か混ざっていたのかもしれない。
落下の衝撃で吹き飛ばされたにしては無傷な気がするし、どうしてこんな所で倒れているかは謎だが。
「まあいいや」
そう言って頷き、ハルは男の装備を漁り始めた。
警棒やプレート、拳銃など、材料になりそうなものを幾つか拝借してから彼女は爆心地に顔を向ける。
ひゅう、と風が吹く。
爆発で巻き上げられ、うすぼんやりと校庭を覆っていた砂煙が次第に晴れて行く。
しかし中心地の荒れようは未だ凄まじく、クレーター周辺にまで近づくと大地は赤々と燃え、炎を伴った熱風が吹き荒れているようだった。
一歩脚を踏みだせば、細かい砂の混じった熱い風が頬を撫でる。
(このまま近づいたら目が傷つきそうだ)
ハルはジャージのポケットからサングラスを取り出し、装着する。
「……?」
と、ぴくりと露藤ハルの細い眉が僅かに動く。
爆心地に近い位置で動きがあったように見えた。ハルは身体ごと向き直り、サングラス越しにじっと土煙を見つめる。
すると煙の層や揺らぎ以外で、何か影のようなものがあることに気づいた。
「あれは、」
なんだろうか、とハルは首を傾げた。
確かに見えるものではあったが、断定するには少し信じられないことだった。
ハルは少しだけ思案した後、確かめれば分かることだと思い、ゆっくりと落下地点まで歩き始めた。
距離は数百メートルほど。
近づけば近づくほど熱風の温度が上がり、その勢いは少女の白髪を巻き上げるほどになっている。
だが耐えられないほどではない。
露藤ハルはサングラスを上げ、無表情に歩みを進めてゆく。
「…………」
ぴたりと少女の足が止まる。
数十メートル先では地面がすり鉢状に抉れ、巨大なひび割れが蜘蛛の巣のように広がっている。赤熱した地表の所々からは火が上り、さながらトルクメニスタンにある『
そして、
「……こんにちは、で良いのかな」
【――、――――】
クレーターの淵に、その少女はいた。
くるりと少女が振り向く。蒸気と煙が揺れ、彼女の全身が視界に入った。
不思議に青みを帯びた白い髪。
艶を消したルビーのような赤い瞳。
その表情は能面のようで、無表情というよりは感情を知らぬような雰囲気を思わせた。
身に着けているものは薄汚れた薄水色のワンピースのみで、まるで手術衣のような恰好だった。
「えっと、」
再び口を開いたものの、続く言葉が思いつかなかった。
場所は隕石(?)の落下地点。相手はこの場において明らかな異常。とはいえ見た目はヒトガタで、しかも子供だ。
上手い会話の切り出し方が思いつかず、ハルは黙りこんだ。
(……そういえば、さっき遠目に見たとき)
ふと気になったハルは少女を改めて観察する。
(背中にでっかい影みたいなのがあった気がしたけど)
しかし目の前に佇む少女は状況と恰好を除けばただの幼い女の子にしか見えない。
もしかしたら翼でも生やせるのかもしれないが、この少女を天使と呼ぶには少し無理がありそうだ。
「君の髪――」
とりあえず何かしらコミュニケーションを図ろうとハルは少女に声をかけた。
「同じ色だね、僕と」
ほら、とハルは後ろで一つ束ねた髪を後ろ手にかき上げて示してみせる。
【……】
ひゅう、と吹いた熱い風が向かい合う二人の白色を揺らす。
僅かに、ほんの僅かに少女の瞳が動いた気がした。
「それに瞳が赤色だね。カラコンには見えないし……髪といい、アルビノってやつなのかな」
【…………】
「学術的には色素欠乏症。遺伝子の欠損で、先天的に身体がメラニンって色素を作れなくなるものだ。私の髪は――少し君のとは違うけれど」
【……………………】
沈黙が続く。
(なんだろう、これは)
無視されているという感じではない気がした。どちらかと言えば美術館の絵に向かって話しているような手ごたえ。だが独り言という気もしない。不思議な感覚だった。
(むしろ、何か懐かしいような)
【――!】
ぐるん、と唐突に少女の頭が横を向く。
直立不動のまま首だけが勢いよく回った。
あまりの機械的で素早い動作に思わず身構えたハルだったが、挙動の理由はすぐに耳に入って来た。
『こっちです!』『迂闊に近寄るな!』
『まずはフェンスを立てる! 簡易でも良い!』
『そんなに多い人員は要らない! 生徒の避難が最優先だ!』
『とにかく、生徒会長と治安維持隊が来るまでは現場を保存しろ!』『了解しました!』
少女の目線を追うと、校舎の方から複数の影が出てくるのが土煙越しに確認できた。声と内容からして恐らく生徒会役員と教員だ。
この場をとりあえず簡易的に封鎖するつもりらしい。
ここまでか、と露藤ハルは判断する。
彼らが現場に気を回す余裕が出来たということは、ルークが上手く指揮したのだろう。
もう少しこの少女を観察したいところだったが、ここで自分が見つかればルークに余計な負担を強いてしまう可能性がある。ここは土煙に紛れて一度引くのがベターだ。
ハルはなるべく目立たないように去ろうと後ろに一歩足を後退させ、
「え」
いつの間にか隣に移動してきていた少女に服の端を摘ままれ、停止した。反射的に身を捩って放そうとするが、少女は予想以上に強い力でがっちり掴んでいる。
【――――】
「ちょ、」
ハルが困惑した一瞬、少女の足元が黒く輝いた。
輝きは瞬時に地表を這い、二人を囲んで鍵穴を描く。
「――、」
【……】
思考する間さえなかった。
次の瞬間、露藤ハルの視界は真っ白に染まった。
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