第4話「たった二桁?」です

 どうぞ、笑ってください。私は目の下辺りを袖で拭う。

 正直な数を言って笑われるよりかは、過小に申告して笑われた方がまだ傷が少ない。


 しかし思いの外、私の回答を聞いた王妃様は「ほぉ」と驚いたように口を動かして、不敵な笑みを浮かべた。


 王妃様からこそ、もっと小馬鹿にするような笑いを当てられると思っていた私は、その反応が理解出来ずに数秒間立ち尽くしていた。

 

「あんた、つまんねぇ冗談はよせ」


 するとケープフードを被った私より少し背低い少女が、私に詰め寄る。

 鋭い口調に違和感を覚えたが、声は確かに少女のものだった。


 袖の刺繍は華やかな橙色の紋章が施されており、見た事がないくらい鮮やかな石が散りばめられている。


「あ、えと、ごめんなさ」


 他に聖書を授かった人に出会った事がない私が、おいそれと答えて良い質問では無かったのかも知れない。


「百は盛り過ぎ。聖書のページ数なんて、二桁ありゃあ聖女になれるかどうかの権利が与えられるってのに」

「え? たった二桁?」


 つい、うっかり。私は思ったままを口にしてしまう。二桁って、十とか、二十とか? そんな訳、ないはずだ。

 私の発言に、後ろで聞いていた女性達が、顔を隠したまま肩を揺らして笑い始める。


「あんた達、笑ってんじゃねぇよ!」

「あ、あの、ごめんなさい、気に障ったのなら謝りますから」

「うるせぇ。あたしは今、あんたに謝られるのが一番腹立つ。とりあえず一回殴らせろ」


(あ、この人、やばい人だ)


 そう言ってフードケープを下ろした聖女候補生様は、緋色の綺麗な髪をしていた。


 片方だけ結った髪の毛やくりっとした瞳は幼さを醸し出しているというのに、この乱暴な言動と表情は如何なものか。


 そんな事を考えているうちに、私は首根っこを掴まれて、顔を歪ませてしまう。


「あたしはソレイユだ。言い残す事はあるか?」


 今、名乗るタイミングですか? そして、私は殺されるのですか?


 殴られるのは嫌だ。でも受け入れるしかない。殴られてもしょうがない事を私はしてしまったのだろう。

 

「ソレイユさん、お辞めなさい。その方はまだ、一般市民です」


 私を窮地に陥れた一言も、窮地から逃れさせてくれた一言も、発したのは王妃様だった。

 私の首元を圧迫していた手から力がゆっくりと抜けて、解放される。


「五十も使えれば聖女は確定、そこにいらっしゃる王妃様だって百もお持ちじゃねぇよ」

「う、嘘」


 私がおかしいのか。首元が苦しくて、思考がおぼつかない。


「あぁ、嘘だろうな。王妃様に免じて許してやるが、あたしに二度とツラ見せんな」

「ご、ごめんなさい」

「ブランノワールさん、お待ちください」


 女王様の静止を尻目に、私は咳き込みながら逃げるように謁見の間を去る。逃げるようにというか、本当に逃げたのだ。

 開いたままだった謁見の間の扉に向かって走り出す。


「これ、パステル村のブランノワール、待ちなさい!」


 扉の外で待っていた王国司祭様が、私にしがみ付いて止めようとしたが全力でそれを振り切る。押しのけて転かしてしまった王国司祭様が断末魔のような声を上げたが、振り返る余裕はない。


 続けて追いかけて来た兵士からも逃げ出して、置いていた手荷物も持たずにお城から飛び出した。


 走って走って、走って、綺麗に舗装された地面を蹴り続ける。


 城下町をずっと下って行ったところで、露店が立ち並ぶ道の人混みを掻き分けていく。


 これ以上は走れない。上がった呼吸を整える為に路地裏に逃げ込んだ。


 荒い呼吸を、壁に縋って落ち着かせる。胸に手を当てると、心臓が過労死しそうなくらいに音を立てていた。

 

 どうしてこんな思いをしなければならなかったのだろう。

 それに、十や二十で、聖女になれる権利とか、どういう意味だったんだろう。

 

 混乱した頭を落ち着けようとしたところで、どうせ自分には関係ないか、と深く息を吐く。


 私には、あんな恥ずかしい呪文は口にすることすら出来ないんだから。


 それにしても、今日は本当に散々な一日だった。

 あんなに恥ずかしい思いまでさせられて、怖い思いもさせられて。


 早くお家に帰ろう。


「あ、あれ」


 冷静になって、青ざめる。あれだけ急いでたから、私という人は。


「馬車代金とか、全部お城に、置いてきちゃった」


 ふと手を見ると、司祭様と揉み合った時に何か手に掴んでしまっていた事に気付く。

 やけに毛量が多いと思っていた司祭様は、カツラだった。黒いフサフサの毛の塊を手に持ったまま、私は項垂れる。


「もう、最悪」

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