第八十八話 仲間

 退却を命ずる陣太鼓が打ち鳴らされ、山中に響き渡る。

 太鼓の音が届くまでに時間差があるからなのか、やっと優位に立った状況を放棄することを惜しんでいるのか。どちらか分からないが、別動隊の動きは鈍い。


 むしろ先に反応したのは東側に伏せていた三好勢。

 こちらが伏兵に気が付いていたことを見透かしたように動きが激しくなり、移動は大胆になっていった。


 そうなると別動隊も異変を察したようで陣立てを整え出した。

 そこへやっと使番が辿り着き、目に見えて別動隊の本陣に動揺が走る。

 陣立てが揃い切らないまま、退却を始める別動隊。

 焦ったせいか陣形がばらけている個所が見受けられる。


 ――――遅い。判断も速度も。


 櫓の上から眺める俺は手すりを殴りたくなる衝動に駆られる。本誓寺を発って進軍してからというもの、すべてが後手後手に回っている。

 いや、朽木谷を出る時からそうだったか。今さらながらに三好長慶の大きさを実感する。


 どうやったら盤面をひっくり返せる?

 どうしたらこの窮地から抜け出せる?


 このまま別動隊が窮地に立たされるようなら、彼らの力を借りなければならないだろう。


 俺の気持ちを余所に、別動隊は退きながらも更なる伏兵を恐れ、速度が上がらず、後方では松永勢が嫌がらせのように寄せては退き、寄せては退きと圧をかけ続けている。

 後ろから押されるように別動隊は一丸となり、ゆるゆると退く。


 そうしている間に、三好長逸勢は退路を塞ぐように広がり、別動隊を迎え撃つ準備を整えた。後を追う松永勢は息を整え、最後の一撃を加える機会を狙っている。

 松永勢は猟犬の如く、三好勢の待ち構える地へと追い立てている。


 そもそも山中では千単位の軍が移動できる道は限られている。かち合うのは時間の問題だ。

 待ち構える三好勢はおよそ五百。追い立てる松永勢は二百ほど。


 幕府軍別動隊は救援隊を含めても一千程度まで減っていた。

 馬防柵もない五百程度の軍勢であれば、一千の幕府軍が突破するのは容易い。しかし、後ろから松永勢がちょっかいをかけ、戦い続けた疲労もあってか速度が上がっていない。このままでは再び包囲されるのは目に見えていた。


「惟政! このままでは、また包囲されてしまう。援軍を!」

「良いのですか? 朽木殿のお考えに背きますが」


「良い! 数か月と言えど共に過ごした仲間の危機だ! 助けるのは当然であろう!」

「しかし上様! ここを手薄にするわけにはいきません」


 藤孝くんが必死に諫める。朽木の爺さんが救援隊として赴いた理由もそれだった。

 ここまで翻弄され、三好長慶の手の上で転がされているのだ。俺がいる将軍山城が狙われてないと高を括るほど、俺も安穏とはしていない。

 だからといって、ここで仲間を見捨てては、俺が朽木谷から出てきた意味がない。俺は仲間と平和に暮らせる世を造るために、朽木谷から出てきたのだ。


 しかし、藤孝くんの意見も理解している。実際に朽木の爺さんに丸め込まれた理屈でもある。だから考えていた。数は少なくとも、兵の質で凌駕出来る部隊であれば、将軍山城を手薄にせず、現状を打破できるのではないかと。


 ――――そして、その部隊の心当たりが俺にはある。


「いるだろう。山々でも速度を落とさず駆け通せてる脚力を持ち、立ち向かう敵を吹き飛ばせるほどの腕前を有する部隊が」

「…………」


「いるだろう。仲間の為なら、自分の命を惜しまない男たちが」

「……彼らを使いますか」


「ああ。彼らなら敵が予想できないほどの速度で辿り着けるはずだ。一撃だけで良い。敵の重囲に穴を開けて味方を逃がすことさえ出来れば……」

「あとは逃げるのみですな。前が開ければ退却速度も上がることでしょう」


 言葉を引き継いでくれる和田さん。俺の考えを理解してくれている。

 藤孝くんも、もう何も言わない。彼は彼なりの役目を果たしている。

 彼も助けに行くことを反対したかった訳ではない。


滝川益重たきがわますしげに伝えよ。直轄軍の兵 百を連れ、退路を塞ぐ三好勢の背後を急襲せよ。そして仲間が逃げる道を切り開けと」

「直ちに」



 城門前に整列する男たち。

 背に負う短い旗は濃紺地に金泥で描かれた「丸に二つ引両」。それだけ見れば、足利にゆかりのある部隊だと思うだろう。なぜなら公には幕府直轄軍は存在していないのだから。

 これを掲げられるのは足利二つ引両を下賜された有力武将や一門衆のみ。

 時代が過ぎると共に珍しくなくなった足利二つ引両の紋。


 しかし、俺たちだけは分かる。彼らは深く結びついた仲間。一人の仲間を救うために自分たちの命を賭けられる強き紐帯。甲賀の山々を走り込み、絶え間なく訓練を重ねてきた。彼らは戦うことのみを生業とする猛者たち。


 総じて背が高く、体格が良い。甲冑は磨き抜かれ、鈍く光り輝く。手に持つ槍は無骨で荒々しい。

 彼らは待っている。俺のめいを。仲間を助けるべく、己が力を示せと。


 櫓に立つ俺は彼らの目がこちらを向くのを待ち、鞘から抜き放った刀で指し示す。さらなる困難が待ち受けている味方の方角を。


 それを見た隊長の滝川益重は、かすかに頷いたように見えた。


「出陣」


 気負うこともなく、さりとて確固たる意志を感じさせる声。

 その声に一糸乱れぬ動きで出陣していく男たち。

 きっと彼らなら味方を窮地から救い出してくれるだろう。

 俺は、そう確信めいたものを感じた。


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