第37話 王の憂鬱⑥

「さて、そろそろ次の議題に移るとしよう」


 気が付けば意外にもたくさんの案が出たルーへの贈り物。実際に贈る物は、後で議事録を見てピックアップすればいいだろう。私は議題を次に移すことにした。


 我が国には残念ながら多数の問題があるが、この2つの大問題の前には全てが些事と化す。


 1つは先程まで論じていたドラゴンの子ども、ルーの問題。正確には、問題なのはルーではなくルーの親だ。ルーの格はトゥルードラゴン以上。ならば、ルーの親もそうだろう。我らは既に子どもの誘拐という大罪を犯してしまった。怒れる親ドラゴンにより国が焦土となりかねない大きな危機に瀕している。この国難を脱するために、ルーを精一杯歓待し、ルーのこの国への、人間への心証をより良いものにして、失うには惜しいと思わせなくてはならない。怒れる親ドラゴンもルーの言葉なら聞いてくれるかもしれない。あまりにも不確実で頼りない選択だが、我々には他に取れる手段が無い。空を飛び、強力なブレスで全てを焼き払うドラゴンに対して、人間はあまりにも無力だ。我々は決して敵に回してはいけないものを怒らせてしまった。よく人の怒りをかうことを“ドラゴンの尾を踏む”なんて表現するが、この国の現状はさらに悪い。ルーを親元に返さない限り、親ドラゴンの怒りは募るばかりだろう。その膨らんだ怒りがぶつけられたりしたら……この国は亡ぶ。


 そして、もう1つの問題が……。


「アブドルヴァリエフ王国との戦争についてだ」


 重鎮たちの顔付きが鋭く真剣なものに変わった気がした。おそらく、彼らにとってアブドルヴァリエフ王国との戦争の方がより現実的な問題なのだろう。まぁ分からんでもない。私も実際にルーの姿を見なければ、怒れるドラゴンが攻めてくるなんておとぎ話、信じ難いものがあっただろう。ましてや、その対策がドラゴンの子どもにおもちゃを贈ることなんてな……重鎮たちが私の正気を疑わない訳が分からないほどだ。今は、それだけ重鎮たちの信頼を得ているのだと喜んでおこう。


「宰相」

「はっ! まずはアブドルヴァリエフ側の動きですが……」


 アブドルヴァリエフ王国に動き有りという報告は以前から上がっていた。5年前の戦争以来、我が国はアブドルヴァリエフ王国の動向には敏感だ。アブドルヴァリエフ王国が戦費調達のために増税したことも当然掴んでいた。問題は、その拳がどこに振り下ろされるかだったが……最悪なことに、再び我が国へと降りかかるらしい。クソッたれ!


 このような事態を避けるために、我々はアブドルヴァリエフを挟んだ国々に対アブドルヴァリエフ王国の同盟を持ちかけていた。アブドルヴァリエフ王国の国是が人類国家の統一である以上、必ず戦争か服従を求められる。場合によっては我が国のように服従すら許されない場合もあるだろう。決して、成る可能性が無い話ではないと思ったのだが……遅かった。アブドルヴァリエフ王国は、それらの国に対して“領土を安堵した服従”という現支配体制を認めた案も提案しているらしい。当然、我が国と同盟を結んだりすれば、我が国のように服従すら許さず滅ぼすと警告されているようだ。


 人類国家の中で、アブドルヴァリエフ王国は頭二つは飛び出た強国。それに敵対することに、どの国も及び腰になっているのだ。


 しかし、我々は諦めずに最後の最後まで同盟を、対アブドルヴァリエフ王国の包囲網の構築を目指すつもりだ。まだ、いや、あと半年弱しかないが、なんとかそれまでに……いや、開戦してからでも我々が強固に粘れば、今は日和見をしている国々も考えを改めるかもしれない。今、人類世界は分水嶺に立たされているのだ。アブドルヴァリエフ王国の支配を受け入れるか否かを選択しなければならないのだ。そのことに気が付いてくれさえすればあるいは……。


「アブドルヴァリエフ側の兵力は、前回の10万を超えます」


 宰相の言葉に、苦い顔を浮かべる者も多い。敵の兵力は前回以上、我が国は前回の戦禍が癒えず、動員できる兵力が目減りしているというのに。この場に居るのは、いずれも5年前の苦しい戦争を知る古強者だ。今回の戦争が、いかに苦難に満ちたものになるか、想像に難くないだろう。


 アブドルヴァリエフの王は、広く諸侯に呼びかけており、その軍勢は大規模なものになると予想されている。5つあるアブドルヴァリエフ国軍の実に4つが参戦し、最終的なアブドルヴァリエフの兵力は、試算では10万超え12万から14万にも膨れ上がると予想されている。


 これに対して我が国の動員できる兵力は多く見積もっても7万。実に倍近い差がある。アブドルヴァリエフ王国は周辺国への備えの兵を置く余裕があるというのに、我が国は根こそぎ動員してこれだ。まったく、嫌になるな。弱いというのは、かくも惨めだ。


「そして……これは極めて繊細な問題ですが……」


 これまで淡々と語ってきた宰相が、初めて躊躇いをみせる。この先は決定を下した私自身が言った方が良いだろう。


「敵を迎え撃つのは、シルヴェストリとする」

「なんと……」

「まさか……」


 私の宣言に会議室中が揺れ、ざわめきが起こった。そうだな。私の発言は常軌を逸しているとも言える。なにせ、国土の3分の1を捨てると言っているのだからな。


 シルヴェストリは、王都の東にある城塞都市だ。5つもの支城に守られた我が国一の要塞群。対アブドルヴァリエフ王国の最終防衛ラインである。最初から最後の砦にて迎え撃つ。これしかない。


「お待ちいただきたい!」


 ざわめきを破って立ち上がったのは、第三陸軍卿であるカンナヴァーロ辺境伯だ。彼が反対するのは分かっていた。彼の領地であるカンナヴァーロ辺境領は、アブドルヴァリエフ王国と国境を接し、シルヴェストリよりも東にある。彼は見捨てられる側の人間なのだ。


「我が領都であるカレッラ、そしてジーリとジージ、この2つの要塞と力を合わせれば、必ずやアブドルヴァリエフの撃退が叶います! どうか、どうかご再考いただきたい!」

「伯の言い分、尤もである」

「おぉ。では…?」


 喜色を浮かべる辺境伯をこれから絶望に叩き込むのかと思うと、自分自身が嫌になる。伯の言い分は分かる。しかし、私は彼を、彼の領民を、国土の3分の1を切り捨てねばならない。


「しかし、決定は変わらない」

「な!? 何故!? 何故東部をお見捨てなさるのですか!?」


 何故…か。


「我が軍の兵力は7万だ。カレッラとその2つの要塞で7万もの兵を収容できるのか?」

「それは……」


 伯が言葉に詰まる。アブドルヴァリエフ王国のには大きく劣るが、7万という数は大兵力だ。いかに東部最大の都市カレッラと2つの要塞をもってしても、容易に収容できる数ではない。収容できない以上、野戦になるが……兵力に開きがあり過ぎる。


 こうなることは事前に予想がついていた。本来ならば、ジーリとジージの他にも要塞を築き、カレッラでアブドルヴァリエフを迎え撃つ計画だったのだが、アブドルヴァリエフの動きが予想以上に早すぎた。まさか5年で……国力の差にあまりにも苦い感情を覚える。


「で、ですが! まずはカレッラにて迎え撃ち、それで撃退できたなら良し、もし攻略されるようなことがあれば、その時は改めてシルヴェストリに布陣すればよいではありませんか!」


 兵力の差を思えば、野戦などできない。防衛施設を用いて戦力の差を埋めるべきだ。そして、防衛施設を正しく運用するためには人数が必要だ。カレッラで不十分な状態で敵を迎え撃ち、戦力を擦り減らすようなことがあれば、シルヴェストリ防衛のために必要な兵の数に足らなくなる。やはり、カレッラは捨てるしかない。万全の状態でシルヴェストリにて迎え撃つべきだ。


「なにもみすみす東部2州をタダで敵に与えずとも……」

「敵にはなにも与えない」


 私は伯の言葉を遮り立ち上がる。あぁ、私はなんと罪深いことを口にしようとしているのだろう。


「伯よ、敵にはなにも与えてはなぬ」

「つまり、カレッラにて迎え撃つと?」


 あくまでカレッラでの防衛に拘る伯。当然だ。カレッラを含めたカンナヴァーロ辺境領は彼にとっての全てと言っていいだろう。そんな伯に対して私は……。


「違う! 燃やせ……ッ!」

「は……?」

「シルヴェストリ以東の全てを破却し、業火に滅せよ! 焦土作戦だ! 井戸に毒も投げ入れろ! 敵になにも与えてはならぬ!」

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