第2話 とある魔女のはなし➁
〜
あれは、まだ両親が生きていた、5歳の誕生日の事であった。
この時も、父親が大好きだったジムノペディの曲が、オーディオから流れていた事をはっきりと記憶していた。
少女は目の前にある、自分の誕生日を祝うためのケーキに興奮を抑えきれず、イスに座る足をバタつかせていた。食卓の上に載せられたケーキを、キラキラとした瞳で熱心に見つめている。
「早く、ケーキ食べましょうね〜」
少女の横に座っている父親は、いつもの通り可愛い我が娘に甘く、デレデレとした様子で黒縁のメガネの奥の目尻を下げながら、クリームがたっぷりと載ったケーキをナイフで切り分けていた。
この父親は、本当に温厚な性格で一度も怒られた記憶がなかった。
職業は画家で、いつも家の一室をアトリエ代わりに絵を描いている、物静かだが愛情深い父親だった。
「いただきます」
少女は、鼻にクリームが付いているのにも気づかないくらい、夢中になってケーキを頬張る。
その様子を、テーブルの向かい側に座って眺めていた母親は、何事か考え込んでいる様子であったが、やがて意を決したように口を開く。
「ヒイラギ、あなたに話しがあるの」
普段はハッキリとした物言いの母親が、いつになく神妙な様子だったので、ケーキに夢中だった少女の目は自然に母親に向けられた。
隣に座っている父親も、ハッとした表情で緊張の色が浮かび母親を見つめている。
母親は、その特徴的でキレイな赤毛のイメージそのものの人で、父親とは対称的な快活で情熱的な性格で、そして彼女も魔女であった。
「これから、普通の人間として生きたいか、それとも、魔女として生きたいか今ここで決めてちょうだい」
小さな子供にも理解出来るように、ゆっくりと、はっきりとした口調で、母親はこんな事を話した。
魔法使いの子供は、5歳になると魔法を使うための修行を始めるのが一般的だ。
この少女ヒイラギの場合は、母親は魔法使いだが父親は普通の人間、つまりはノーマルなので、自分でどちらの生き方をしたいか選ばせたかったのだろう。
その時の母親の態度は、どちらかの選択を押し付けようとしているのではなく、あなたの生き方を自分自身で決めなさいと言う、目の前の小さな娘を一人の人間として尊重した上での言葉だった。
「わたし、まじょになる」
小さな少女はすぐさま答えを口にする。そこには迷いなど一切無かった。
「ヒイラギ、だが・・・」
父親は口をはさみかけるが、少女の母親を真っすぐと見つめる、キラキラと輝く瞳を見て無駄だと悟ったのか、すぐに口をつぐんだ。
そこには、魔女である母親への強い憧れがあった。
このコミュニティの中でも最高の魔法使いと言われており、幼心にも周囲から頼りにされているのが分かった。
そして、ヒイラギが初めて魔法を目の当たりにした、原体験とも言える記憶。
まだ、それは3歳の頃だった。
ヒイラギは、広大な農地の中心地にぽつんと立つ母を、遠くから父親に抱かれて見守っていた。
その燃えるような赤い髪が目印になり、離れた所からでも、はっきりと母親を認識する事が出来た。
母親が精神を集中して両手を上に向けると、ポコンと、バスケットボールくらいのサイズの玉状の水の塊が上空に現れる。
それにさらに魔力を加えると、どんどん巨大化していき、最終的に数十メートル級の、天体を思わせる超巨大な水の玉に膨れ上がった。
魔法の影響なのか大気が乱れ、周囲の空気が梅雨の時期のようにじっとりとしていた。
そして、母親が両手を勢いよく下げたかと思うと、上空でその巨大な水の玉が破裂して、瞬間的に大雨を巻き起こし地上に降り注ぐ。
ザーザー、ザーザー、ザーザー
轟音をたてながら地上に降り注ぐ、大きな雨粒が、干ばつで乾いた農地に染み渡っていく。
父親に抱かれて、離れた所から母親を見ていたヒイラギもびしょ濡れになり、全身で母親が起こした奇跡の力の凄さを身を持って体感した。
この時ヒイラギは、その光景に夢中になり、魂が高揚するのを感じた。
その頃から、幼いながらもおぼろげに感じていた、人知の及ばぬ神の領域の力、その奇跡を自分の母親が魔法を使って目の前で引き起こしたのだ。
この時の体験は、強烈に幼いヒイラギの脳裏に焼き付いた。
そして、ヒイラギの5歳の誕生日での、この母親との短いやり取り。
この瞬間に、まだ小さな少女は魔女として生きる事になった。
そして、この決断が後ほど、少女が世界の運命を大きく変える事になるとは、両親も少女自身もまだ知る由もなかった。
〜
「カアッ、カァ」
ジジの鳴き声で、すっかりと過去に思いをはせていたヒイラギは我に返った。
ふと、入り口の方から何やら人の気配を感じたので目を向ける。
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