01


繁忙シーズンが過ぎた温泉街には観光客は疎か、そこに暮らす人の姿すらもなく、ひどく閑散としている。

だから早朝に行動するエマたちにとっては、この上なく好都合だった。

朝靄と温泉の湯気に霞む舗装された道をバス停に向かって早足で歩きながら、ハンクは物珍し気に頻りと周囲を眺めながらついてくる。


「ハンク、これからバスに乗るからね」


「ばす?」


「(大の男が、ひらがな発音…ちょっとカワイイかも)料金を払えば、誰でも乗れる便利な乗り物よ。雨でも雪でも、これに乗れば濡れないの」


「ほう、便利なものだな…向こうは馬車か馬を使うんだ」


「そうなんだ…」


間違いなくインドア派で、自分が乗馬をする想像がつかないエマは無難に馬車を使おうと秘かに項垂れる。

白く雪雲りの空から舞い落ちる牡丹雪がちらちらと霞み始めた頃、朧気にバスのオレンジ色の電飾と車影が見えた。


「あ、来たよ。アレに乗るの」


今更だが、手袋を持ち合わせていない。

早朝の凍みるような寒さが、指から感覚と体温を奪っていく。


「へえ、あれが…。…どうした…寒いのか?」


「ちょ、ちょっと何すん…」


少し寄り気味に距離が縮まってきて抗議をするが、そのままハンクの革手袋を履いた大きな手がエマの冷えた手を包み込んだ。


「もう…」


指を絡めて、きっちり握られた手と手にエマは上気した頬のままそっぽを向いた。

ハンクの手は、確りとエマの手を握り込んで恋人繋ぎをしている。


「だ、ダメだったのか?」


ハンクの問いかけとほぼ同時に、バス停へバスがゆっくりと滑り込んできて停まった。


「そ、そうじゃ…ないけど。ほらバス来たから乗ろうっ」


おろおろするハンクの手を牽きながら、エマは爪先から頭の天辺まで赤くなった。

初心という訳ではないのだが、何だか恥ずかしかったのだ。


「っ、わかった!」


エマに構われて嬉しいハンクは、ほくほく顔でそのまま車内についていった。



背の高いハンクに椅子は座りづらいと判断したエマは、後部座席を選んで座ることにした。

案の定、後部座席でも少しばかり高さが足りないらしく、頭がつっかえそうなのは見ないフリだ。


「エマ…」


隣に並んでいるせいで、肩が触れる。それがなにやら落ち着かなくて身動げば、宥めるように大きな手が頭を撫でた。


「そんなに始終尖っていて、疲れないか?」


「ハンク…」


「苦労していたんだな、お前。でも、もう尖らなくてもいいぞ。俺はエマを裏切らない」


「長年の癖で、疑り深くなっちゃうのね…ごめん」


(でも、彼は優しいわ…これだって、私が寒いのは苦手って言ったからこうしたのだろうし。善意なのよね、この手は……それに彼は嘘をついていない。かといってすぐに信じる訳じゃないけど、この人をもう少し見てみよう)


穏やかに微笑むハンクに、エマもぎこちなくだがはにかんでみせる。

善意のみの人間が皆無であるのを、エマは知っている。だからこそ、ハンクの存在が如何に貴重なのかも理解できた。

暖かな体温が心地よくて、ささくれて汚れた気持ちがならされていく。しかし凡て気を許したわけではないエマは、車窓を眺めているハンクに問いかけた。

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