七話

「ハンネスさんは、お料理をするんですか?」


「たまにですけどね。男の作る雑なものです」


「でも、健康には気を遣っていますよね」


「え、そう見えますか?」


「ここでは野菜料理もよく食べてくださっているから、そう思ったんですけど、違うんですか?」


「ここの料理は何でも美味しいから、その日の気分で特に考えずに頼んでるんですけど……でも、それで僕は健康になってるかもしれませんね」


「じゃあ、この先もここに通えば、もっと健康になれますね」


「こんな僕が通い続けても、迷惑じゃありませんか?」


「まさか! 常連さんが増えて、店長も私も大喜びです」


「ウルリカさんも、ですか?」


「はい! ハンネスさんの笑顔を見ると、こっちも嬉しくなって、一日頑張れるんです。……あっ、ハンネスさんだけじゃないですよ? 他のお客さんの笑顔は皆私の力になってくれています」


「僕も、ウルリカさんの笑顔は、見てるだけで頑張れる気にさせてくれます」


「わ、私の笑顔にそんな効果はありませんよ」


「自分が知らないだけですよ。少なくとも、僕にはそういう効果があるんです」


「何だか、照れてしまいますね……でも光栄です。そんなこと言っていただいて」


 カウンターを挟んで、姉ちゃんとハンネスは楽しそうにしゃべってる。本当に楽しそうに――俺は食器を洗いながら、そんな様子をずっと横目で眺めてた。店に来た当初、ハンネスはいつものように俺に話しかけて、しばらくしゃべってたけど、料理を持ってきた姉ちゃんが一言話しかけると、いつの間にやら俺は忘れられて、二人だけの会話になってた。


 無視されてるのは別に構わない。俺も頼まれて話してたわけだし。でも、この盛り上がり方は放っておけない。あの緩んだ姉ちゃんの表情、好きな人とおしゃべりできて嬉しい! って顔に書いてあるみたいだ。感情が丸わかり。ハンネスもハンネスだ。姉ちゃんが自分に惚れてるって知ってるのに褒めすぎだ。まあ、俺がもう伝えてるって思ってるから、そんなこと気にしないで言ってるんだろうけど。でも姉ちゃんはまだハンネスの気持ちを知らない。片思いに進展がないことなんて知らずに話してるんだ。このまま続けさせても、姉ちゃんの思いが大きくなるだけだし、報われないってわかってる姉ちゃんがかわいそうで見てられない。その原因は俺ではあるんだけど、いざとなるとやっぱり、本人にそんなこと言えなくなる。あんな喜ぶ笑顔を見せられちゃ余計にだ。でもいつまでも黙ってるわけにもいかないし、悪いけど、俺には荷が重かったってことで、ハンネス自身にどうにかしてもらうしかないか……。


 しばらくして姉ちゃんが他の客の元へ行ったのを見て、俺はカウンターのハンネスに近付いた。


「あのさ、ハンネス」


「ああ、アイヴァー、ごめん。ウルリカさんとの話に夢中になってたよ。それで、何を話してたかな」


「そうじゃなくてさ、あの、姉ちゃんとのおしゃべりなんだけど……」


「それが、何?」


 料理を食べるハンネスを見据えて、俺は言った。


「やめてくれないかな……」


 フォークを握る手を止めたハンネスは、目を丸くしてこっちを見てきた。


「……なぜ?」


「姉ちゃんの気持ちは知ってるんだろ? あんなに楽しそうに話されたら、無駄に期待持たせるだけだ」


「期待? でもアイヴァーは僕の気持ちを伝えてくれたんだろ? だからウルリカさんもそれを理解した上で――」


「それなんだ。そのことなんだけどさ、実は……まだ……」


 ハンネスの丸い目がさらに見開いた。


「……伝えてくれてないのか?」


「悪い。何度も言おうとは思ったんだけど……」


 怒られるかと思って上目遣いにハンネスを見ると、その表情は意外にも優しかった。


「そうか。どうりで僕への態度が変わらなかったわけだ」


 そう呟くと、ハンネスはうっすらと笑みを浮かべた。何か、嬉しそうにも見えるけど……。


「と、いうことなんだ。だから、姉ちゃんとはあんまり話さないでほしい」


「ウルリカさんにはもう伝えてくれないの?」


「姉ちゃんのことを思うと、弟の俺には無理だよ。悪いけど自分で言ってくれないかな」


「自分で、か……」


 ハンネスは考え込む。そりゃ言いづらいよな。


「それが無理なら、ここに来ないって手もあるけど?」


 これにハンネスはすぐに顔を上げた。


「それだと、アイヴァーとも話ができなくなる」


「別に俺じゃなくてもいいんだろ? 他の話し相手見つけても――」


「アイヴァーは楽に話しやすいんだ」


 これは褒められてると思っていいのか?


「……じゃあ、場所を変えるのは? 他の店とか近くの公園とかでも話はできるだろ?」


「そうなると、時間が遅くなりそうだね。それはちょっと」


 俺の仕事が午後五時に終わるから、まあ確かに遅めだけど……何か、俺にこだわりすぎじゃないか?


「休みももう少しで終わって、俺はそろそろ村に帰るんだ。どうせ話し相手がいなくなるんだから、今から他を探したっていいと思うけど」


「それでもいいんだ。帰る直前まで、できれば話し相手になってほしい」


 ハンネスはにこにこ笑ってる――何だろ。俺にここまでこだわるのには、別の何かがあるような気がするんだけど。


「……ハンネス、それは本心で言ってる?」


「そうだよ」


 整った笑顔は変わらない。どうしてハンネスはこんなに話し相手にこだわるんだ? 話しやすい俺がいいから、場所も時間も変えたくない……じゃあ、そもそもどうして話し相手が欲しいんだ? 俺を選んだのは偶然なのか――そこで俺にはふと思い付いたことがあった。もしかしたらハンネスは、俺にこだわってるんじゃないのかもしれない。俺のいるこの食堂にこだわってるのかも。話し相手を頼んできたのも、ただ寂しかったとか人恋しいからって理由じゃないはずだ。俺は単なるきっかけで、ハンネスは別の何かのためにこうして食堂に来てはしゃべってるんだとしたら……?


 俺の中には一つの理由が浮かんだ。でも自信はない。これだと疑問があるし、あくまで思い付きの推測だから、かなり的外れかもしれない。でも、可能性はあると思って、俺はハンネスを見据えて聞いてみた。


「姉ちゃんに近付きたいから、俺と話したいんだろ?」


 ハンネスは笑顔を崩さない。それでも俺は続けてみた。


「本当は、姉ちゃんに惚れてるんじゃないのか?」


「僕に気持ちはないって言った。どうしてそう思うの?」


「ハンネスが食堂から離れたがらないから。俺と話したいとか、いろいろ理由は付けてたけど、それが何か引っ掛かったんだ」


「僕はこの食堂を気に入ってるだけだよ。離れたくないと思うのは不自然かな」


「それだけなら全然。でもハンネスは俺に話し相手を求めた。そんなの俺じゃなくたっていいのに、やけにこだわるから、他の考えがあるんじゃないかって気がしたんだ」


 ハンネスは、ふっと笑った。


「それがどうやってウルリカさんへの思いにつながるの?」


「男が同じ店に通い続けるのは大抵、店主と顔馴染みか、気に入った女性目当てのどっちかだ。ハンネスが店長と話してるところは見たことないし、ここに女性は姉ちゃんしかいない」


 俺はハンネスをじっと見つめて返事を待った。笑ったままの青い目がゆっくりまばたきすると、ハンネスは口を開いた。


「アイヴァーは、思ったより鋭いんだね。こんなに洞察力があるとは思わなかったよ」


 ……え? 当たった?


「これじゃ白状するしかないか」


 肩をすくめたハンネスはフォークを置くと、俺に苦笑いを見せた。


「あ、え? 俺の言った通り、なの?」


 聞くと、ハンネスはそうだよと軽くうなずいた。


「僕に気持ちがないなんていうのは、嘘だ」


 諦めたように言ったハンネスと、離れた席で接客する姉ちゃんの背中を交互に見ながら、俺はこれまでのハンネスの行動を思い返してみた。


 最初こそ無口で暗そうだったけど、俺と目が合ったことで姉ちゃんと接するきっかけを作って、計画通り話す仲になったってわけだ。いつも同じカウンター席なのも、姉ちゃんの待機場所に一番近いからだ。これらの行動はよく理解できる。でもそうじゃないこともハンネスはしてる。


「何で、気がないふりをしたんだ?」


 これが理解できない。姉ちゃんが惚れてるのを知りながら、どうしてそれを遠ざける嘘をわざわざついたのか。自分の気持ちとは真逆の行動だ。


 ハンネスは離れた姉ちゃんをちらと見てから言った。


「知っての通り、僕にはよくない噂がある。原因は僕の周りで起こる事件だ。もしウルリカさんに告白でもしたら、彼女にも大きな迷惑がかかってしまう。だから、僕は自分の気持ちをしまうことにしたんだ」


「それなら俺に嘘を伝えさせる必要はないじゃないか。気持ちをしまっておくだけでいいことだろ?」


 ハンネスは緩く首を横に振った。


「僕の今の状況じゃ、ウルリカさんの気持ちには応えられない。それを知りながら、いつまでもそんなものを持たせておくのは申し訳ないと思ったんだ」


 何だか回りくどいな。


「だったら直接姉ちゃんにそう言うべきだ。そうしなかったのは、どっかで期待してたからだろ?」


「期待……そうかもしれないね」


「そうだよ。こうしてほぼ毎日ここに来るのだって、本当は姉ちゃんの気持ちに応えたいからなんだよ。告白したら迷惑になるって言うけどさ、その迷惑はハンネスが作ったもんじゃないんだ。周りで勝手に起こってる事件のせいだろ? だったら堂々と告白すればいい。姉ちゃんだって、ハンネスと付き会えばどんな目で見られるか、その覚悟くらいはしてるさ」


 ハンネスは少し唖然としつつも微笑んでた。これじゃ二人が付き合うのを応援してるみたいだな。そんなつもりじゃなかったんだけど……。


「でも、万が一事件に巻き込まれでもしたら……」


「事件は事件だろ。運悪く近くで起こってるだけだ。そうだろ?」


 ハンネスは何も言わない。


「……それとも、何か気がかりなことでもあるの?」


 これにもハンネスは答えなかった。何か、嫌な沈黙だな……。


「アイヴァー、ハンネスさんとおしゃべりばかりしてないで、お皿洗って」


 客の食器を下げてきた姉ちゃんがそう言って洗い場へ向かう。


「私、先にお昼食べるわね。……店長、休憩貰います」


 姉ちゃんは調理場の奥へ行った。時計を見ると、もう午後一時をとっくに回ってた。大勢いた客も、いつの間にやら数えるだけの人数に減ってた。洗い場には姉ちゃんが下げてきた食器が何枚も重ねられてる。


「仕事、続けて」


 料理を一口食べてハンネスは言う。


「話したこと、ウルリカさんには言わないでくれ。僕はこのままでいいんだ。カウンターから眺めてるだけで……」


 それからハンネスは黙々と料理を食べ始めた。俺は仕方なく洗い場に戻って、洗いかけの皿を手に取る。……何だろ。ハンネスが姉ちゃんを好きだっていう本音は聞けたけど、まだ違う何かがあるような気がする。事件のことを言った時の沈黙、あれは何だったんだろ。妙に不安にさせる沈黙だった。俺の思い過ごしで済めばいいんだけど……。

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