第8話 偽りの友人

 日記に目を通してしばらくすると、ルーレンが夕食の準備が整ったと伝えに来た。

 その際、引き出しの鍵の場所について尋ねる。

 すでに中身を確認しているが、まさかピッキングをしたとも言えないし、今後もピッキングで、というわけにもいかない。


 俺の問いに彼女は――

「申し訳ございません。私は把握しておりません。なにぶん、プライベートなものになりましょうから」

「そうなの? ですが、たしかにあなたの言うとおりですわね」

「お部屋をお探しになられて見つからなかったとしたら……そうですね、お洗濯用に回された衣服に紛れ込んでいるかもしれません。探してみます」

「なるほど、その可能性はありますわね。それじゃあ、お願いね。ルーレン」



 鍵の在りかはルーレンに頼むことして、次に日記以外で見つけたとんでもない代物について尋ねることにした。

 ソファに投げていたソレを手に取り、彼女に見せつける。


「ルーレン、これは?」

「そ、それは!?」


 ソレを目にした途端、ルーレンの身体がガタガタと震え始める。

 震えの意味は恐怖。そして恐怖の対象は……。



「この『鞭』は、あなたを罰するためにあるのですね?」


 とんでもない代物とは、『鞭』――母ダリアが手にしていた鞭と同じもの。

 つまり、母に虐待されるシオンもまた、ルーレンを虐待していたということ。


 馬車から降りる際に見たルーレンの怯えた態度と、鞭を持つダリアの姿に怯える様子を見て、俺はダリアから虐待を受けていると結びつけたが――そうではなかった。


 俺は鞭を見つめ、か細く言葉を漏らす。

「どうやら、わたくしはあなたに対して酷いことを行っていたようで……」

「それは違います、シオンお嬢様!!」

「ルーレン?」


 ルーレンは突然大声を上げたかと思うと、身を震わせながら哀しみの混ざる声を漏らす。

「シオン様は私を大事にしてくださっていました。ですが、シオン様には拠り所がなかった。だから、仕方のないことだったんです! シオン様が悪いわけではなく……」



 これ以上のことは口にできず、ルーレンは黙り込んでしまった。

 だが、今の言葉だけでも十分に状況を推察できる。


 シオンはルーレンを大事にしていた。これは事実だ。

 虐待をした。これもまた事実。

 ではなぜ、大事にしているルーレンを虐待し、ルーレンはそんなシオンを庇うのか?



 答えはこうだ。


 シオンは家族からの虐待に耐えきれず、その矛先をルーレンに向けた。

 その悲しみと苦しみを理解しているからこそ、ルーレンはシオンを悪くないと言う。

 言葉を続けられなかったのは、それ以上の言葉はゼルフォビラ家への非難に繋がるから。



 もし、俺が若ければ、この事実を前にして、シオンに対して悪感情を抱いた。

 虐待を受ける哀しみを知りながら、それを自分より弱い立場の存在に行っているなんてひどい女だと。


 だが、年を取り、一般の者よりも深く、痛みや苦しみを知る裏の世界で生きてきた俺はシオンの痛みを理解できる。

 家族から疎まれ、縋る相手もなく、毎日を怯えて暮らす。

 十四歳という少女に対して、これに耐え、真っ当に生きろと言うのは酷な話。

 


 だからといってルーレンに行った所業が帳消しになるかと言えば、もちろんなるわけがない。


 しかし、俺もルーレンも、シオンが被害者であることを理解している。

 故に、ルーレンはシオンを庇い、俺もシオンを責める気はない。

 それに俺もまた、ガキの頃に親から虐待を受けていた経験がある。

 子どもではどうしようなく、抜け出せない暗い世界があることを知っている。



 幸い、俺は他者に怒りをぶつけることなく、近所の猫の面倒を見ることで心を癒していたが……その猫も義父おやじによって目の前で熱湯をかけられて殺された。

 のちに、お返しとばかりにライター用のオイルを義父おやじにぶっかけて焼き殺したんだが……そんな話はどうでもいいか。


 話を戻そう――シオンは被害者だがルーレンに対する罪は確かに存在する。

 それはルーレンがいくらシオンを庇おうとも。

 そして、今の俺はシオン。シオンの全てを引き継ぐことで生き長らえた。

 ならば、彼女の罪を背負う義務がある。



 そして、それ以上に……ルーレンとの関係に溝を作りたくない。これからのためにも。

 

 俺は鞭をルーレンへ差し出す。

「ルーレン。今後わたくしはあなたへ暴力を振ることはないと誓います。ですが、もし、その誓いを破るようなことがあれば、この鞭でわたくしを打ちなさい」

「そ、そのようなこと、わたしに……」

「ええ、あなたは優しい子だもの。できないでしょう。お返しに打ってと言ってもできないでしょう。だから、これはお願い」

「お願い?」


「わたくしが道を誤るようであれば、鞭を打ってでも正してください。わたくしが二度と理不尽な暴力に怯え、屈しないように。わたくしはこれから先、あなたの模範となり、あなたの瞳を穢さぬように生きていきます。これがあなたへの贖罪。自分勝手な贖罪ですけどね」


「そ、そんなことは! 私のような醜いドワーフをお傍に置いて頂けているだけでも十分ですのに!」

「自分をそのように卑下してはダメですよ。それにあなたはとても可愛らしい女の子ですもの」

「そ、そ、そんな! 私は全然かわいくなんかっ」


 褐色の肌であってもはっきりわかるくらいに頬を赤らめるルーレン。

 その姿を愛くるしく感じながら、彼女へ声を掛ける。

「ルーレン、わたくしの罪をあなたに預けます。その罪をどう裁くはあなたに任せます。お願いできますか? これは、そうね……」


 俺はわざと一拍置いて、懇願と優しさの混ざる感情を瞳に乗せる。

あるじとメイドという関係でなく、友人としてのお願い」

「友人…………シオン……お嬢様」



 ルーレンは驚いたような声を上げて、少しだけ瞳を潤ませる。

 どうやら俺の演技は功を奏して、ルーレンの心の琴線に触れることができたようだ。

 そっと、鞭を彼女へ差し出す。

 彼女は潤ませていた瞳を僅かに泳がせるが、ゆっくりと瞳を動かして鞭に止める。

 そして、恐る恐る鞭を手に取った。


「お嬢様の罪をお預かりします。シオンお嬢様が道を誤らぬように失礼ながらも見守らせていただきます」

「ええ、頼みましたわ」



 シオンの罪をルーレンに預け、ルーレンが判断を下す。

 ということで、虐待の件は一応の決着を見た。

 とても曖昧だが、身分差という壁が存在する以上、ルーレンがシオンの罪を裁くというのは難しい。

 たとえ、俺が強く望んだとしても。

 だから、これが落としどころと考える。今後の俺とルーレンの関係を考えて。

 今のところ彼女は味方になりそうな唯一の存在。それ故に、彼女からのマイナス感情は少しでも減らして起きたい。

 そういった計算で生まれたやり取り。

 


 ルーレンの純情を利用したくそみたいな考え方だが、中身はくそみたいな殺し屋のおっさんなので仕方がない。

 純真無垢な俺は義父おやじを殺した十三の時に死んだ。


 

 一連のやり取りを終えた俺は家族がつどう食堂へ案内される。

 現在、この屋敷には以下の家族が住んでいる。


 父・セルガ=カース=ゼルフォビラ。

 母・ダリア=シノトス=ゼルフォビラ。

 次兄・ザディラ=スガリ=ゼルフォビラ。

 双子の弟・アズール=イディア=ゼルフォビラ。

 双子の妹・ライラ=ザマ=ゼルフォビラ。


 そして次女である俺・シオン=ポリトス=ゼルフォビラ。



 名前は、名=ミドルネーム=姓の構成

 ミドルネームは生まれた月と日とその日の天候の組み合わせで変わるとか。

 面倒なので家族は全員同じにしてほしい。


 とりあえず、父セルガ・母ダリア・次兄ザディラ・弟アズール・妹ライラ、と名前だけ覚えていればいいか。


 残りの兄二人と姉一人は不在。

 長兄は皇都で政治家として活躍中。

 三男は皇都で軍に所属し活躍中。

 姉は別の町の学院の生徒で、その学院の寮にいるそうだ。


 シオンも以前はその学院に通っていたらしいが、諸事情あって戻ってきたと。

 その諸事情とは、いじめ。

 同級生によるいじめに耐えられなくなり屋敷に戻ってきたとか。詳しい話は必要になったら尋ねるとしよう。



 家族構成と彼らの居場所を反芻しながら、日記に書かれていたシオンの実の母親のことを考える。


(スティラ――ルーレンに尋ねたいところだが、俺は記憶を失い何も知らないご令嬢。情報源だった日記は鍵付きの引き出しの中。尋ねることはできないな……シオンの本当の親。『家族』)



 この家族という言葉で、俺は自分の失敗を呪う。

(ここは右も左もわからぬ場所。それなのにいきなり母ダリアと弟と妹に喧嘩を売ってしまった。彼女たちは復讐相手なのか? どう復讐するのか? それらはさておき、何もわからぬ以上、無闇に敵に回すべきではなかったが……ま、いいか。いまさら悔やんでも仕方ない)


 このいい加減っぷりが二流の殺し屋たる所以ゆえんなのだろうが、いまさら治るようなものでもない。

 なにせ俺は頭の凝り固まった四十のおっさんだからな。

 もはや自分を変えるなんて器用な真似はできない。


 と、この時の俺はそう思っていた。

 だが、のちに知ることになる。

 今の俺は四十のおっさんでなく、若く柔軟な思考を持てる十四歳の少女であり、それに見合うだけの可能性を手に入れたことに……。

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