雨に捧ぐは宇宙の愛
二晩占二
第1話 雨の中の来訪者
雨は降り続けていた。
外の空気に触れたとたん、エア・アンブレラが私の体を包んだ。
コートに内蔵されたAIの仕業だった。
空気の壁が、雨粒を弾く。
おかげで私は、髪の先端すら濡れずに済む。
その代わり、びちびち、びちびち、と耳障りな音響に脳を揺さぶられなければならない。
魚群の飛び降り自殺を彷彿させる雑音だ。
音から逃げるように、私は家路を急いだ。
靴裏のローラーが自動運転で経路をたどった。
そこで、待ち伏せに気がついた。
私の勘よりも鈍いAIは、一歩遅れてガレージ脇に潜む生体反応を報せる。
靴裏のローラーを収納した。
自分の足で、歩く。
エア・アンブレラと水たまりが、大げさな
「ごきげんよう」
私は来客用の笑顔を浮かべながら、物陰に語りかける。
返事は巨大な拳となって投げ返された。
緑色で毛むくじゃら。
おまけに、バスケットボールみたいに大きい。
わかりやすく、ミュータントの拳だった。
私は鼻先で
風を感じる。
避けた腕の外側に体を滑らせる。
背後にまわる。
来訪者の全貌が明らかになった。
ガレージの天井に届かんばかりの巨体。
紺碧の髭に覆われた厳しい顔。
にらみつける眼光は、白かった。
空振った右腕の勢いで体をねじり、緑色の巨人は左腕を突き出してくる。
体重まかせに、ぶん投げる。
巨体が宙を舞う。
天井を男のつま先がこする。傷跡が残った。
大げさな衝突音とともに、ミュータントは背中を床に強打した。
のたうちまわる。
私はゆったりと、その頭の上をまたいで立った。
右手を振る。
愛用の黒銃の手触りが、袖口から飛び出した。
「待て、
銃口を眉間に押しつけたとたん、ミュータントが叫んだ。
「あんたが
私の体めがけて、唾が飛び散る。
コートのエア・アンブレラが一瞬だけ作動して、止まった。
私は来客用の笑顔をつくりなおす。
そして、安全装置を解除した。
銃口に、殺意をこめる。
「なあ、待ってくれ、
死を面前にしているとは思えない男の落ち着きぶりに、私は銃をおろした。
手を振ると、黒い相棒は音もなく袖口に戻っていく。
大男の顔を踏まないように、ゆったりと足をどけた。
「ご要件は」
垂直で見ると、確かに見覚えのある顔だった。
たびたびビジネス雑誌の隅に並ぶ金持ちの顔だ。
「妻を連れ戻してほしい」
衣服を直しながら、
質のいい紺のダブルスーツだった。
胸ポケットから丸眼鏡を取り出してかける様子で、富豪感が増した。
「誘拐か?」
「不倫だ」
甘ったるいラベンダーの匂いが漂う。
「専門外だな」
「いや、あんたは専門家だ。妻の写真を見てくれ」
彼は水煙草を挟んだ指を繰り、眼前に透過型ディスプレイを呼び出した。
一般人向けのサイズの端末を、小指で器用に操作する。
「なるほど、
表示された人物写真を見て、私は言った。
「そうだ、愛おしいだろう。名前は
一見、何の変哲もない東洋系の美女だ。
だがよく見るとそのきめ細かな
アニメーションのキャラクターや3DCGなどの
時代の変化に弱いこの国でも、十年前には彼ら彼女らに人権が与えられた。
昨年末には
だが、実際に籍を入れた異次元夫婦を見るのは、初めてだった。
「で、この愛おしい電子の奥様が不倫している、と。愛を取り戻したい、と。解決は簡単だ。一度アンイストールしてから再ダウンロードすればいい」
「愛を理解していないな、
大柄な体に似合わない器用な動きだった。
「相手はわかってるのか」
「薄汚いトレーダーだ。生まれも育ちも人間だが、
「なぜ自分で始末しない」
「場所がわからんのだ」
「居場所が、か」
「いや」
「棲家は割れている。が、どうしても辿り着けんのだ」
「なるほど、暗号化か」
ようやく、この男が依頼にきた理由が明確になった。
私は
電子の宇宙で繰り広げられる犯罪と捜索。
それが私のテリトリーだった。
「引き受けよう、報酬は
「こんなもんでどうだ」
食い気味に、
同時に、私の周辺視野に、新着メッセージの通知が表示された。
透明化ディスプレイを起動し、確認する。
十分に満足のいく金額が、提示されていた。
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