33話 馬車にて

 なだらかな平原のなか、一台の大きな馬車がひっそりと歩いていた。


「あ、みてみてビオンデッタ!雌鳥めんどりが砂浴びしてるよ」


 ガタンゴトン。


「…………安直極まりない牧歌的風景ね。アンジェラインが見たら喜んでつまらない詩を書きそう」


 ガタンゴトン。


 ガタンゴトン。


 ガタンゴトン……………………。


「あのー……」


 堪えきれずとうとう、その馬車を引いていた御者は口を開いた。


「何でしょう?」


 ピシャリ。と言い放たれた冷たい声。


「い、いえ。なんでもありません」


 その声の突き放すような雰囲気に、若い少年の御者は帽子を深く被り直し、項垂れるように下を向いた。


 ずっと人生で御者をやってきた少年にとっても、全く初めてのことと言っていいだろう。その日の馬車には、今まで一度たりとも見たことがないほど美しい、二人の絶世の美女が乗っていた。


 一人は20代前半くらいに見えるだろうか、ウェーブのかかった白緑びゃくろく色の長髪をサイドに流しており、乳白色のエレガントなコートドレスに黒鳶くろとび色のジャボをつけており、お忍び外出中の貴族という表現がぴったりの女性だった。


 けれど、エティナでは一般的ではないタイトスカートとタイツ、琥珀色のヒールなどのアイテムの組み合わせが、見る人によって印象は異なるにしても、少なくともその御者にはとても洗練されたものに思えた。


 ……彼女は、いかにも仕事ができる美女といった顔立ちではあったが、銀縁の眼鏡の奥にある瞳には温かみが一切なく、全てのものをつまらなさそうに睨んでいるのみだった。


 もう一方は、15歳ほどの少女であった。


 彼女は、黒のパンクジャケット……その上着のみであっても御者のような素朴な育ちのものにとっては十分に混乱を招くものだったが、さらに紫紺色のボンデージドレスに、スタッズだらけの毒々しい色のニーソを身にまとっており、極彩色の装飾だらけの大きなシルクハット被り、緑と紫の原色で構成された熊のぬいぐるみを手にしていた。


 ボンテージドレスは鎖骨付近まで覆っており、決して露出度の高いものではなかったが、それでもボディラインを強調する衣服は、純朴な暮らしで女性経験も乏しい御者にとっては目に毒だった。


 髪型は金髪のツインテール……ではあるのだが、髪の毛にしては原色に近く、金髪というよりは黄色の髪という表現がしっくり来る色をしている。


 顔立ちは幼めでなんのやましさも感じさせない天真爛漫な笑みを浮かべていたが、だからこそその過激な服装が際立って異質に見え、その少女の挑発的な内面を表しているようだった。


 そんな二人が仲良く談笑をしているというのだから、御者にとっては見れば見るほど不思議な組み合わせだったことは間違いない。


 その二人だけの空間を壊してよいものか分からなかったものの、あまりにも気になったため、御者は質問をしてしまったのだ。その質問は、長髪の美女によって遮られてしまったが。


「ちょっと。ビオンデッタ!」


 しかし、そんな美女の態度を少女……ローザローザがなだめた。


「はぁ…………なんでしょうか。御者ボーイ」


 極めて面倒そうにビオンデッタが御者に尋ねる。


「ぎょ、御者ボーイ?い、いえ。すんません。その、どうしてお若い女性二人で旅をしてるんだろって……」


 御者はこの二人がダンジョンを踏破するハンターとして国を転々としていると聞いていた。


 ……確かに、戦闘に向く神の加護持ちであれば、女性であっても一騎当千の戦闘力を誇るものも少なくはない。


 しかし例えそうであったとしても、うら若き美しい二人の女性がハンターなどという危険な職業をしている理由は分からなかった。更に、普通強い加護持ちといえば大抵はいいところのお嬢さんか、国に囲われた重要な戦力である。


 だというのにお供も連れずに旅をする二人には何か、やむを得ない理由があるのだと御者は考えたのだった。


 しかし、そんな男の好奇心は、一刀のもと斬り伏せられる。


「なんの権利があってそのようなことをお尋ねになるのでしょう」


 それは大人びた女性の方、ビオンデッタの言葉だった。それは単なる疑問ではなく、こちらを咎めるような剣呑さを含んだ言葉だった。

 

「い、いえ。権利と言いますか、その……もうしわけございませんでした」


 まさか、何か本当に国の暗部に関わるような仕事をしているのかもしれない。一度噂で聞いた、貿易結社のスパイ達かもしれない。御者は、そのビオンデッタの頑なに事情を隠す態度にそんなことまで考えていた。


「ビオンデッタちゃん!いやー、別に理由なんてなくって、お金稼ぎですよぅお金稼ぎ!腕っぷしに自信がある私達が手っ取り早く稼ぐなら、ハンターになるのが一番でしょ。ほら、御者さんもビオンデッタの強さ、見たでしょう?」


 ローザローザが取り持つのように言った。どうやら見た目とは反対に、この二人では幼い少女の方が周囲との間柄を取り持つ役割をしているようだった。


「けれど、あんな立派な加護をお持ちなんて名のしれたお嬢様かと思いまして……」


 ……この御者がこの二人を馬車に乗せた経緯は、命の危機を救われたことにあった。街の外には危険が溢れている。モンスター、盗賊、略奪を生業とする蛮族、そして敵国の兵士。


 これら全てを回避する必要があるため、特に街道の整備されていない小規模都市を移動する職業に従事する者は常に命の危険が隣合わせである。


 そんななか、御者が緑色の鷹である獣族モンスター、デミプラントホークに襲われていたところ、ビオンデッタが助けてくれたのだ。


 ビオンデッタは手にしたボウガンと刀で、空を高速で飛ぶ鷹の群れを、一瞬で狩り尽くしてしまった。後ろに目がついているかのように敵の攻撃を避け、空飛ぶ鷹が行動する先を予測し、素手でその頭を掴む。まさに人間離れした戦闘だった。


 ……エティナでは基本的に、人間の強さは経済力の強さに直結する。それは人間の戦闘力はほとんど加護に由来し、その加護を得るために最も効率的な手段が金銭を用いた奉納であるからだ。


 だからこそ御者は、その二人が良家の娘達、あるいは娘とその警護であると考えたわけだ。大商人でもない御者は社交界などに出席する時間もなく、主要な良家の娘の顔など憶えてなかった。


 実際の強さの理由は二人共ステータスアップが可能なモンスターだからであり、ユニークスキルのおかげなので、加護など持ってはいなかったのだが。


「あはは。そんなんじゃないってば。御者さんも馬の加護持ちなんでしょ?すごいジャーン」


 そんな勘違いをした御者を上手くローザローザが持ち上げつつ話を逸らす。


「い、いえ。馬車引き全員が授かる加護ですので」


 御者は照れくさそうに笑った。事実、その御者が加護を貰った神は、定量の供物を捧げれば誰にでも加護を授ける神であった。

 

「へぇー。どんなことができるの?」


 ローザローザがグイッと前屈みになって聞いた……確かにローザローザはまだ少女と呼んでもよい年齢であった。しかし、御者もまだ若かったし、一目見れば忘れられないほど眩い容姿に、ウエストが締め付けられ胸部を強調する造りになっているその服装を見て、少年はまともに彼女の顔を見ることができなかった。


 御者は顔を赤らめ、下を向きながら返事をする。


「ば、馬車がモンスターの襲撃を受けづらくなるんですよ。この加護がなけりゃあ、商売はおじゃんなんです。僕が今まで生きてこられたのは、アララ神のおかげなんです」


 少年は自身の信仰する自慢の神の話であるからか、少しだけ声を張って返事をする。


「えぇー!すごーい」


 それを聞いて少女、ローザローザは感嘆の声を上げた。……御者はこんな美しい少女と出会い、命を助けられただけでも幸運であるというのに、こんな風に褒められ、夢心地になってしまう。彼女に賞賛され、嬉しくない男はいないだろうなんて惚気けたことを思いながら。


「へへえ。ただ、最近はあまり捧げ物ができていませんでして、今日みたいに襲われてしまったわけです。お二人がいなければ死んでいましたね」


「アハハ」と、美人二人の前で自らのふところの寒さを教えるのが、恥ずかしかったのか、御者は笑った。


 いくら素朴に生きてきて、親孝行もなるべくかかさなかった御者とはいえ、美女に褒められれば浮かれもするし、今後の交友関係に期待することもある。


 そのため、いつもより口が軽くなってしまったことは確かである。

 

 しかし、その御者の談笑へ返ってきたものは、ドンッという苛立ちの込められた足踏みの音だった。


 脚を踏み鳴らしたものは長身の美女、ビオンデッタの方だったらしく、その目は閉じられ、眉は静かながらも怒りに吊り上がっていた。


 流石に馬車を揺らすほどのものではなかったにしても、御者は命の恩人を怒らせてしまったことと、突然の非常識な振る舞いに御者は混乱した。


「時に御者ボーイ。この馬車はいつ頃ナディナレズレにつくのです?」


「は、はい!夜までに一度中継地点の町につきまして、ナディナレズレにつくのは明日の夜になるかと」


 御者は突然振られた仕事の話に慌てつつも、答える。そして、そうした推測が出来ていないのだということは、やはり二人はそんなに旅になれていないんだろうと考えた。


 ……命を救って貰った以上料金はタダだ。これは、御者が命を救ってもらった際、去りゆく二人に慌ててこの話を持ちかけたからだ。……御者の名誉のために断じておくが、彼は自身の命の恩人が美女の二人組でなかったとしても、同様の提案をしていただろう。


 しかし、そんな善意に満ちた提案だというのに、ビオンデッタは不満げに反論を漏らした。


「……到着が明日の夜?……提案なのですが、中継地点を経由せずにいけば8時間ほど時間を短縮できるのではないですか?」


 と、彼女は「むしろどうしてそうしないのですか?」と、叱るような口調であった。御者は馬の元気も重要である馬車を操るものとして当たり前のことをしているのだが、何故か悪いことをした気になって肩を竦めた。


「アハハ!そりゃそうでしょ」


 そんな彼を救ったものはローザローザの笑い声だった。


(たまに世間知らずのお客様には、馬車をもっと早く走らせようとする人もいるからな……少女の方は馬車を詳しく知っているようでよかった)


 と、すっかり御者の心は既に優しく接してくれるローザローザに掴まれていた。しかし、安心もつかの間、


「ウィト様のお話にあったので、一度馬車にも乗ってみたいとは思っていましたが……非効率が過ぎますね。ローザローザ、降りますよ」


 そういうと、ビオンデッタは走っている馬車のドアに手をかけ、飛び出そうとした。本来であれば危ないと慌てて止めるところだが、自身よりよっぽど強い二人には無用のことかもしれないと、御者は黙って見ていることしかできない。


「え、ねぇ。御者君?女の二人旅で入国しようとすれば止められるかな?」


 しかし、そんな相方の突飛な行動に、ローザローザは驚きもせず御者に聞く。


「ハ、ハンターでしたよね?紹介状とかはありますか?」


「あはは、あるわけないジャーン。ハンター、やったことないんだから」


 ローザローザが笑った理由は、自身が常識はずれなことを言っていると知っていたからだ。もはや彼女は、自身の可憐さにより御者が虜であり、それほど失言しても問題ないだろうと把握しきっていた。


「そ、そうですか。どうしてハンターに?」


 そして、既に心を囚われた御者はローザローザのことを浮き世離れをした人だなぁ。やっぱりお嬢様なんだなぁ程度の印象しか抱かず、質問をしてしまう。


「なんかぁ、入国しやすいって聞いてぇ」


 こんな怪しい答えはあるだろうか。しかしてもはや、御者の脳内では彼女達がお忍びのお嬢様とその護衛という形で固定されてしまっていた。


 そのため怪しさを微塵も感じず、信頼しておそらく秘密であろう事情も話してくれる彼女達を支えてあげようという思考に陥っていた。


「……女性でなくたって、経験のないハンター二人じゃあ、取り調べがあるかもしれません。その、僕が紹介すればなんとかなるかと」


 そりゃそうだ。ハンターになれば身分証明とするギルドカードを貰える。普通は大きな国へ入る前に、入国しやすいギルドで身分証明書を作るものだ。


「ほら!聞いた?ビオンデッタ!人助けすればいいことあるって、お兄ちゃん言ってたでしょ。二人で入るより結局早くなるかもよ」


 そのローザローザの一言に、ビオンデッタが馬車の縁にかけた手を離したのが、御者には見えた。よかった話は終わったようだ。


 御者が安心して、せめて急いで進んであげようと前を向いたそのときだった。


「ゲーッ!ビオンデッタ、てめーロザロザちゃんの横で!」


 突然後ろから、今までのあの愛らしく、天真爛漫だった少女からは信じられないような罵声が響いたのだ。


 すわ何事か、と当然御者は後ろを向いた。


「うわぁぁぁあ」


 眼光の鋭い人間大の大きさの蜂が、いつの間にか。御者の驚きも最もであるといえた。


 御者は椅子から転げ落ち、パニックになる。

 

 まさか、あの長身の美女はモンスターが化けた姿とか?なんて、正解にたどり着きかけた御者であったが、その思考は隣に降り立ったビオンデッタによって中断させられた。


「ローザローザ。そこの馬と御者ボーイを馬車に上げなさい。それと、その死体は捨てておきなさい」


 そういうとビオンデッタは、馬車の馬を引くための綱を外し始めた。御者には何のことがさっぱりだった。


 しかし、ローザローザにより蜂の殻が捨てられ、それが既に中身のない死体であることを気づくと、少し平静さを取り戻した。


「ちょ、ちょっと!何やってるんですか」

 

 しかし、そんな御者の声を全く無視して、ビオンデッタは馬車をいじり続ける。


「あはは。御者さん珍しいもの見れるよ~。よかったね」


 そして、そんなことをローザローザが言ったと思うと、身体が縄のようなもので持ち上げられ馬と共に馬車の中に乗せられてしまった。


 御者にはもう、何が起こっているのかさっぱり分からない。


「私が馬車を運びますので、御者ボーイ。効率のいい私達の紹介方法を考えておいてください」


 そういうと、エレガントな衣装にヒールという格好のまま、ビオンデッタは馬が馬車を引くための綱部分を掴んで引っ張り始める。


(そんな馬鹿な!馬二頭でようやく動くんだぞこの馬車は)


 御者の驚きはもはや声にならぬまま、二人の勝手な行動は進んでいく。


「えー。そんな変な格好で街に行くの恥ずかしいんだけど!」


 と、ローザローザが見当外れな抗議をし、


「いえ、直前で馬を下ろせばよいでしょう。時間を無駄にはできません」


 とビオンデッタが馬車を引いて走り始める。そして、突如馬車の中にまで吹き始める突風。


 それは突然の超スピードにより車内に流れ込んできた空気抵抗によるものだった。


「ギャハ!はやーい!」


 もはや御者には、口を挟む度胸も、理由もなかった。


(確かに馬より速く馬車を引けたら、馬車に苛立ちもするよなぁ)


 なんて思った。そして突風に対して、馬がストレスを抱えないよう必死に宥めなから、御者は気づいた。


(あれ、速すぎてこの馬車浮いてないか?)


 それから彼が地獄のような絶叫マシンから解放されたのは、およそ三時間後のことだった。

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