たゆたう想い

 話しかけてきたと思ったら返事を聞かずにすうっとどこかへ行く人がいたり、普段めちゃくちゃ愛想悪くて距離置かれてそうなのに、課題の答えを見せてとねだるときだけ愛想の良い子がいたり、本当にいろいろな嫌なやつに囲まれながら、二年生になった。


 みんなの態度があからさまに冷たくなった時、中学三年生のあのしんどかった出来事がこれから先二年も続くのかと絶望したし、うんざりして嫌になったけれど、なんとかするべく踏ん張り続けた。


 正直しんどい。


 何度も折れそうになったけれど、なんとかするしかなかった。それに、中学三年生の時、悪いことばかりではなかったのも心の支えにしていた。今はそんな支えはないと腹をくくっているし、実際に存在しないから辛くてたまらないけれど、ひたすら頑張るしかなかった。


 弟が部活で私と同学年の男子と仲良かったから、一部の男子とは仲良く遊んでいた。もちろん、学校ではなく家で。


 電車通学の人たちだった。電車が来るまでの間、うちで遊んで帰ることが多かった。


 みんなが遊んでいるのを見ていただけのことが多かったけれど、見ていて楽しくてたくさん笑えた思い出たち。


 母親が私を呼ぶとき、ケンって言ったように聞こえたからしばらくの間いじられたこともあったな。


「漢字で書いたら剣?」


 母に尋ねてみて返ってきたのは「拳」の一言だった。


 それがまた周りの人にウケて、すごく楽しい出来事だった。


 楽しかった思い出に浸りながら、今年から弟が同じ学校に通うことを憂いていた。


 今はどうなるかわからない。弟が巻き添えになるかもしれない。弟もきっと敵だ。弟には嫌な目に遭ってほしくないから、むしろ私のことを目の敵にしてほしい。敵でいる方が弟自身のためになる。


 複雑な感情に頭を悩ませながら、色々考えた。


 弟のことは大好きだけれど、仲が良いときっと巻き添えになる。


 色々考えて悩んだけれど、弟はきっと上手くやっていける。そんな気がした。




 しんどい日々の中で、複数ある体育館で、桜の花びらが舞っているのをみながら部活をすると心が和んだ。


 私は一人だ。周りは全部敵で、ひとりぼっちだ。誰も信じない。その方がショックを受けない。味方がいると思えば胸がいたくなる。仲良かったと思ったのに、親切にしてきたはずだったのにというショックをもう受けたくなんかない。


 それでも、先輩や助けてくれた子のことは信じたいと思っていた。


 大事な友達。


 だから、積極的に連絡はとらなかったし、冷たくされるのが怖かったのもあったから何も言わなかった。


 味方になってほしいわけじゃなかった。味方になると一緒に嫌な思いをさせてしまう。辛い道を歩ませる。


 大事だから、自分の心の弱い部分――優しい気持ちになれる部分の大半で、心を開ける相手――だから、二人に何も相談せずに一人で抱え込む覚悟を決めてこの辛くて苦しい学校生活に挑んでいた。


 弱点だった。心の支えで拠り所で、接していて優しい気持ちでいられて、心が温かくなれる相手で、一緒にいると落ち着いていられて、もっと知りたくなる相手で『人間』だった。


 普通の人は誰かに相談するのだろうか? 一緒に苦しむのを覚悟して打ち明けたりするのだろうか?


 わからなかった。


 私は不器用だし、同じ目に遭っている人がたくさんいるわけではないだろう。


 片手で収まるどころかピースサインできるくらいの指で足りる人数しかいないから、自分なりに大事に大事にしようとしていた。


 大事にするとは何か、人それぞれ答えは違っているのだろうけれど、私なりの大事に仕方は関わらせないこと、関わらないことだった。


 私と関わってしまったら巻き添えになる、一緒に辛い思いをする、大事だから巻き込ませないために遠ざける。


 私にとって友達は宝物で、癒しで、感情に蓋をしないで話をしたい相手で、興味を持てる相手だった。喧嘩もして、お互いの距離感を把握して、長くずっと関わっていたい相手。


 支え合うのが友情だという人もいるだろうけれど、周りを見ていると、私に手を差し伸べ助けてくれた子を見ていると、必ずしもそうではないと思った。


 一緒にいじめられるし、嫌な思いをする。道連れになる。おまけに、傍にいてくれてもちゃんと大事にできる自信がない。


 大事に思うから、大事だからこそ笑っていてほしいし幸せになっていてほしい。いつか私に向けた優しさと親切が報われて幸せになってほしい。


 私というどうしようもなく不器用にしか生きられなくて、何しても悪者にしかなれない人間を理解しようとしてくれて、仲良くしようとしてくれる人に良いことが山のように起きてほしい。


 心からそう思っていた。


 だから、大事だから相談しなかった。私の問題だし、友達は関係ないのだから、一人で立ち向かっていた。


 友達だから味方でなければいけないという義務もないし、友達だからこそ諫めなければならないわけでもない。友達だから協力しないといけないなんてことももちろんない。当然、ずっとそばにいないといけないこともない。


 生きてさえいてくれれば、どこかで笑っていてくれたなら、それだけで十分だった。


 これは私の問題だから。私の戦いだから。


 傷つけたくなかった。知られてなければ相談されなくて寂しいなんて思われることもない。


 私は一人で良い。実際一人だ、ひとりぼっちだ。


 二人はどう思うかとか、気にしていなかった。ばれなければ、違う学校なら知られないで済むから大丈夫だと。メールで何か起きてないか聞いても何もないって言っていたから、知られてないなら、巻き込んでいないなら大丈夫だと。


 先輩は私の中で一番大事な存在で、誰よりも興味深かった。腹を割ってもっとたくさん話してみたかった。遠慮なくたくさんのことを話せたら良かった。


 中学生の時、年賀状にとあるキャラクターのイラストを模写して先輩に書いて送る前のこと。


 楽しみにしてもらおうと思っていたけれど、遊びに来てくれた時につい見せてしまった思い出。


 下手な絵だけど……喜んでくれたらいいな。


 そんなことをいうと、上手いと褒めてくれた。


 絵が上手いと褒めてくれただけでなく、なんともいえない表情と反応で悔しそうにしていた。


 どうしてそんな反応をしていたのかわからなかった。


 すごく嬉しかったけれど、あんまり絵を褒められたことなかったし、先輩は私に優しくしてくれて甘いところがあったから、本当にそう思ってるのかがわからなかった。ちゃんと厳しくしてくれたことだってあったのに。


 そんな自分が憎くて恨めしい。




 新しいクラスになり、担任はそのままでメンバーが少し変わり、新しい高校生活が始まった。


 心配だったけれど、弟には友達がいる。多分大丈夫だ。


 弟が迷惑してないかが心配だったけれど、上手く私のことを嫌ってくれているから大丈夫だ。多分、きっと。


 それがどんな理由であれ、私を嫌っている限りは無事に違いない。


 それに何の縁か、鳩を助けようとした時に協力してくれた先生が弟の担任になっていてかなり安心した。あの先生は間違いなく良い先生だと思っていたから。


 正直なところ嫌われるのはしんどかったし、親もよくテストの点を弟と比べていてしんどかった。


 弟は送り迎えについても文句を言っていたけれど、元はといえば電車よりこっちのほうが早いからと母が言い始めたのがきっかけだった。


 送り迎えについてはいろいろな点で訳がわからないし、私が悪かったことにされても構わないと思う。


 私のときには晩御飯をみんなで先に食べていたのに、弟のときだけ待っていて少しショックだったこともあった。


 家の外だけでなく、中でもそうした扱いの違いが出てきていた。


 それに、母親がぼそっと信じられないとか気持ち悪い、あんたが悪いんやとか言っているのも聞こえてきた日があった。


 やっぱりそうか。やはり全員が敵なのだ。


 部活でなにやら騒いでいるのを聞いたことがあった。なんか大声で騒いでいるのとか。


 そこはかとなく嫌な予感があった。


 友達のため? とか、嘘だとか、これが真実だとか。


 何の話かわからなかった。誰かが私をかばったような言葉も聞こえてきていて、すごく嫌な予感がした。


 でも、先輩も助けてくれた子もなにかあったような様子はなかった。


 気のせいかな、思い込みなのかな。


 不安もあり、心配もあったけれど、ひたすら頑張るしかなかった。


 ある男の子が気になって手紙を忍ばせ、いきなり告白するほど好きでもないから、しばらくやり取りしていろいろ知りたいと思ったけれど、私のやり方がよくなくて連絡が返ってこないことがあった。


 終わった。


 そのあとは席がその人と近くなることがあってすごく気まずかった。嫌がらせなのかな? なんて思いながら、お腹が鳴るのとかいろいろなことを気にしながらすごしていた。


 廊下の雑巾がけでフライング〇〇と呼ばれたこと、槍持って裸でジャンプしてそうといわれたこと、たくさんの面白いことがあって、大笑いすることもありながら、しんどいことに負けないくらい楽しんで学校生活を謳歌しようとしていた。


 私はどんな環境でもきっと楽しさを見出せる。




 夢はとても楽しくて面白くて、目が覚めた時にしんどくて痛くて辛かったけれど、その楽しい夢に負けないくらい現実で楽しかったことや面白かったことを見つけてまとめて書いて勝負をする。


 新しく発見した楽しいことだった。


 そして、それは私が求めてやまなかった切磋琢磨する相手が見つかったということでもあった。


 夢をライバルに見立て、張り合うのは少し楽しくて、寂しさがちょっと和らいだ。


 ずっとほしかったものだった。


 一方的にライバル視するのでもなく、一方的に目の敵にされるのでもするのでもなく、蹴落としあいをするわけでもなし。どっちがより楽しいか、楽しんでいられるかを競ってみた。


 どっちにしてもお互い悪い気はしないもので純粋に楽しいを突き詰めることができて最高ではないか?


 周りから見たらきっと頭がおかしいやばいやつだと思われるだろうな。夢が相手だから。


 でも気にしなかった。どうせなにしたって悪者なのだ。今更気にしたところでどうなる。好き勝手なことを言われているのも全部聞こえていたけれど今更だった。


 風に乗って空を飛ぶ夢をたくさん見て、影の夢を見て、一閃で真っ二つにされる夢を見た。


 他には、ドラゴンと友達になって一緒に飛ぶ夢、妖精と魔女が男の子と関わる夢、ヤクザと恋の夢、空から舞い降りてアカエイとオオカミの姿を切り替える何かに会い、猫の寺に行く夢、偽玄武の夢、蛇の夢、いろいろなサメの夢、蛇にのまれるリスの夢、転落する夢、口にするのが恥ずかしいエッチな夢、中学校の前を蜂に追いかけられながら走って逃げ、もうだめという夢、よくわからないフレーズを口走っている夢、天使が翼で守ってくれる夢、未来が見える夢、階段の側面を足で蹴って降りる夢、バスの座席を飛び越える最速の夢、血を操る夢、夢の師匠にある子と一緒にぼっこぼこにされる夢、星空が綺麗な夢、夢にしかいない親友が空に向かって銃を撃つ夢、4丁の銃を全部使って乱射する夢、顔の角度を変えずにこちらを見て話している人の夢、体がばらばらになって倒れて見下ろされる夢、チェンソーに乗って地面や壁を走る夢、ゾンビの夢、属性の夢、場所を入れかえる夢、少年漫画雑誌にありそうな夢、同じ魔法を使えない夢、映画にありそうな夢、幽霊の夢、ある苗字を呼ばれた人のこと誰? という夢、心が無防備なのか大して怖くもないのにめちゃくちゃ怖く感じる夢……ここで書ききれないくらい、とにかくたくさんの夢を在学中に見た。


 いつ見たのかわからない怖い夢に、裏山にいる人を指さしたら怒って駆け下りて家まで入ってきて謝らせようとする夢と、車輪で走る妖怪が通った後、地面にできた溝をまたぐと殺される夢とがある。


 前者は保育所時代から小学校低学年までの間、後者は中学1年か2年の時に見た夢だ。


 話を高校生の頃の夢に戻す。


 特に覚えているのが、周りにいる能力者が殺人鬼に殺され、頭の中を覗き見られるショックな事件が多発していた夢。


 頭の中身を見られた人の能力を殺人鬼が使うという怖い夢だった。


 私も夢の中では能力があって、誰かと一緒に行動していた。


 殺人鬼は私が不死鳥みたいに蘇るのを知らなかったおかげで、一緒にいた人の頭を割って中身を見ている間に回復して逃げ延び、みんなに知らせることができていた。


 でも、蘇ったのがばれてしまったせいで、殺人鬼が私の能力を手に入れるために狙ってくるようになった。


 この能力をあいつが使えるようになったら無敵になってしまう。


 すごく怖い夢だった。怖かったけれど、すごく刺激されてワクワクすることができたし、夢の中にいた他のみんなと利害が一致したおかげで手を取り合って協力することができた。


 怖い夢でも良い、ずっとここにいさせてほしい。みんなで協力する楽しさから出た思いと願いだった。


 切実な願いだったけれど、目が覚めてしまって、色々なところが痛くて、苦しかった。


 他に印象深いのは、夢といっていいのかわからないけれど、寝ているのか曖昧な状態の時、ふわっと優しくお姫様抱っこで抱き上げられる夢をみたこと。


 現実感も何もなかった。


 寝転んでいる状態なのは確かだし、誰かが触っている感じもないのに、体が温かく優しく包み込まれるような安心感があって、持ち上げられたときの痛みもなにもなくて、ただ純粋に心からときめくことができる夢だった。


 乙女心というべき心が刺激されて、照れくさくて、夢見心地だった。


 こんなに優しく抱き上げられたことなんてあったっけ?


 心からの安心感があって、相手に体を委ねることができた夢だった。


 私は体重が重いのに、文句ひとつ言わなかった。


 いや、こういう、夢と現実の間にいる感覚の時にみる夢のときはいつも何も聞こえず、何も見えず、触れられているか、浮いているかといった感覚があるだけだった。


 嫌われるかもしれないという不安も、意地悪されるかもしれない恐怖もそこにはなかった。


 不思議な夢だったけれど、私を包み込むなにかは終始温かくて安定していて、落ち着いた。


 とても癒される夢だった。恋に落ちそうなくらい。いや、恋に落ちてしまうくらい。


 そして不思議なことに、夢の内容を楽しみながら書いていると、部活で「知ってたの?」なんて聞かれることがあった。


 何の話か分からなくて首を傾げると、何でもないと言われた。


 他にも、私が拳銃四丁使った夢の話を書いたあたりで、私が本当にそれができるかどうか弟に聞いているのが聞こえてきた。


 いやいやいや。


 ちゃんと夢の内容の時は目印をつけてるのにどうしてそんな? わかりづらかったかな?


 ちゃんと夢は夢だと明記するように気をつけたきっかけでもあった。どうして夢なのに信じられているのかが疑問でならなかった。




 あるとき、連絡網の順番を飛ばしてうちに連絡がきたことがあった。


 朝早い時間帯で、起きて二階で見た夢をメモしていたときのことだ。


 一階の仕事場で父親が電話に出ているのが聞こえきた。


 うちは自営業で、仕事の注文で電話がかかることが多かった。


 私が出るのは邪魔でしかなかったし、もし電話に出ても、代わりにメモをとろうとする前に親に出てもらうようお願いされたことしかない。


 だから基本的に私が電話に出ることはなく、その日もそのまま過ごしていたときのことだ。


「ああ、それなら二階で寝とります」


 父親がそんなことを言っているのが聞こえてきた。


 え? と思っている間に受話器が置かれ、母親は電話が終わってから父親に「あの子起きとるで」なんて言っていた。それくらい一瞬の間に終わったことだった。


 終わったわ。


 学校にスケジュール表を提出しており、私は朝早くに起きて勉強していると話していた。


 だから先生は信じてかけてくれたのだとわかったし気づいたけれど、父親の一言で嘘つき呼ばわりされるのがすぐにわかった。実際、先生からはしんどくなるような言葉をかけられた。


 この時期の私は嘘つき呼ばわりされるのがすごく嫌だった。人殺しでもしたかのような扱いのうちの一つが嘘つき呼ばわりだった。


 まるで嘘で人を殺したかのように、物凄い火力で罵詈雑言を浴びせられていた。


 本当は信じてほしかったけれど諦めていた。諦めていたけれど信じてほしかったし、信用なんてなければ楽になれると考えていた。


 人はそれを矛盾というだろうけれど、私としては全く矛盾なんてしていない気持ちだった。


 信じてほしいと足掻いたところで返ってくるのは言葉と数の暴力だけ。


 あきらめるしかなかったけれど、誰かに信じてほしくて、話を聞いてほしかった。


 いや、信じなくても良い、味方も誰もいなくて誰にも頼れなくて、一人孤独に頑張っていることがいかに辛いことなのか、誰かに相談できたら良いのになと心のどこかで思ってしまっていた。


 気持ちを綴っていると、自分が本当は何を欲していたのか気づくことができて不思議なものだった。


 本当に欲しかったのは信用でも信頼でもなく、話に耳を傾けてもらうことだった。


 嘘つき呼ばわりされるのではなく、決めつけられるのでもなく、矛盾してると否定されることもなく、信じてくれなくても別にいいから、話の腰を折ったりしないで、ただ会話をしてほしかった。


 話を聞いて、確かめて、調べてほしかった。本当かどうか、嘘かどうか、どんな気持ちでいるのか、誰かに知ってほしかった。けれど、相談できる人は誰もいなかった。


 一人でいることを選んだけれど、一人でいることを選ばなければならなかったけれど、辛いものは辛かったし、一人で抱え込みながら歩くにはあまりに大変な道のりだった。


 信用がなければ楽になれると思っていたのは、信じていたとか、信用できないとか、がっかりした、傷ついたと主張されるのが苦しかった。ただでさえ精神的に辛い生活の中で、さらなる心の重荷にしかならなかったからだ。


 私を悪者にしようと、サンドバックにしようとしているとしか思えないそれらの言葉と振る舞いが嫌いで仕方がなかった。


 だから、そういう言葉と態度をとる人とは距離をとりたかったし関わりたくなかった。信用なんてあるから、被害者面する人たちが悪者叩きをすることで自分は正義だと主張し、暴力を正当化しながら己の行いに酔いしれる人間が寄ってくると思っていたからそうしたことだった。


 関わりたくない。


 正当な評価を願い、いつかこの願いが叶えばいいなと頑張り続けていたけれど、そうやって評価されるとがっかりしたとか信じていたのにとかいって悪者にしてくるようなやつらが寄ってくる。


 すごく嫌なことだった。


 出来れば叶ってほしい願いには、この世で最もいて欲しくない人間がセットでついていて、欲しいほうだけがあったらいいのにと願わずにいられなかった。




 走れるようになってからは特に汗の量がおかしくなっていた。


 頭から水をかぶったみたいに酷い汗をかいていて恥ずかしかった。


 またあることないこと言われて辛かった。汗なんてどうすれば少なくできるのかわからなかった。


 そのうち、人の話を事実確認しないで鵜呑みにして正義感たっぷりに暴力の限りを尽くしてくる人は、私にとって敵で相手にする必要がないのだという価値観が出来上がっていた。


 好き勝手言ってる人を逆に利用しようという考えもできはじめていた。


 話を信じる人は敵。私にとって不必要でいらない存在で、相手にする価値のない人。


 信じなかった人は、なんでもない。味方という概念は捨てていたから私にとって無害な可能性がある人という印象だった。


 二年生から同じクラスになった、保育所時代から一緒の人は私にとって無害な人だった。


 この人は、周りの人に何か聞かれていて、やってないと思うと答えていた。


 それだけじゃなく、体育の時間で走った後、第一体育館の下駄箱に靴を入れて履き替えるとき、電気が走ったようなピリッとした痛みが足にあって、痛いといって身動きしなかったときに助けようとしてくれもした。


 ただ、運悪く、その子が私の足に触った時に痛みが取れて何の変哲もない状態になってしまって、嘘なんて言ってないのに嘘つきだと思われたかなと思ったけれど、その子は別に嘘ついたとかは言わず、本当につってるの? とだけいっていた。


 わからなかった。


 昔はいじめられていたけれど、小学5年生の時と中学生の時にはいじめをしなくなったどころか、高校生になってからなんだか助けてくれようとしてくれてるのか、仲間に入れようとしてくれているのか、私に理解できないことをたくさんするようになった。


 嬉しくないわけじゃなかった。優しいんだなと思ったけれど、私にはどうするのがいいのかわからなかった。


 疑心暗鬼だった。


 夢に対して思ったように、お前は敵なのかそれとも油断させて辛い思いをさせようとしているのか? と疑問を抱いていた。


 違うクラスにいる、幼稚園の頃から同じ学校でなんか性悪してきた子もそうだった。


 廊下か外だったかまでは覚えてないけれど、やってないと思うなんて言っているのを見かけた。


 頼むから、二人とも何をやってるやってないの話をしているのか教えてよ。


 心の底から気になったけれど、相手がどういうつもりかわからなかったし、私の中からは敵かその他かの概念しかなかったからわからなかった。


 味方なんて概念があると傷つくだけ、背中を刺されるだけだ。


 そう自分に言い聞かせていたし、実際味方なんていないほうが気持ちは楽だった。




 文化祭の準備の時、頭上で風船が割れたことがあった。


 春先には静電気が酷かったし、それを心から楽しんでいたことがあった、


 多分、私は静電気を纏いやすいのだろう。近くに寄ると風船が割れることが頻繁にあって、なるべく風船には近寄るまいと思わされた最初の出来事だった。




 体育の授業に実習生がついて、ソフトボールを楽しんだことがあった。


 球の投げ方を丁寧に教えてもらえて、でも思いっきり投げると相手が困ると思って手加減することがあった。


 でも、実習生の先生が、相手は投げても大丈夫な子だというのだった。


 先生の前では思いっきり投げた。いないときにはちょっと手加減して投げようとしていたけれど、相手の子は大丈夫だと言ってくれていた。


 心の中で少し引っかかりながらも、良いと言ってくれてるのだから思いきり投げさせてもらった。


 体育で上手な投げ方を教わり、肩が鍛えられたからなのか、部活でも肩の調子が良くなった。


 しかしそれも最初だけだった。


 部活予定の体育館が閉まっていて、鍵を取りに行こうにも職員室も閉まっていて困っているときだった。


 倉庫の窓の鍵が開いていたから、ダメ元でやってみたらよじ登ることができたので、そこから中に入って鍵をあけたとき、腕の付け根にある筋が筋肉痛になったのか、傷んだのかよくわからない痛みに見舞われてしまった。


 肩の調子がよくて、打ち合いに選んでもらえるようになっていたけれど、その日から上手に打てなくなってしまった。


 でも、それでよかったと思う。傷めて良かった。


 私を選んでくれるようになった人のダブルスの相棒が選ばれなくなって、なんだか不満そうというか不安そうな、あまりよくない雰囲気を感じていたから、私が怪我をして上手く打てなくなったことで、その子と元の鞘に収まったようだったし、何よりまた選んでもらえて嬉しそうにしていた。体育館のカギを開けてみんなの練習に貢献できたし丸く収まってこれで良かったのだ。




 そんな日々を過ごして、一年生の時と比べると学校生活を過ごしやすかった。


 過ごしやすかったけれど、咳が止まらなくて、うるさくて迷惑かけるのが嫌で、授業を抜け出してトイレに引きこもって咳をし続けたことがあった。


 担任の先生は保健室へ行くように言ってくれたけれど、誰も頼るつもりがないし、誰に迷惑なのかちっとも理解できなかったし、言うことを聞くつもりがなかったからトイレにこもり続けていた。


 先生は約束させることで言うことを聞かせようとしていたけれど私は守るつもりがなかった。


 父親が電話で確認しないで勝手なことを言ったこともあって、この出来事が余計に先生からの信頼をなくしたらしいこともわかっていたけれど、私にとってはもうとっくになくなっていたものだと思っていた。


 トイレで咳込み、苦しんでいる間、ただの風邪だ、入ったらだめなとこに入っただけだ。ここなら吐いても鼻水が出ても誰にも迷惑かけないどころか何も汚さずにすんでいくらでも流せる。


 そんなことを思いながら引きこもっていた。すごく気が楽だった。


 最初はそのうち治まると思っていたけれど、全くよくなる気配がないので病院へ連れて行ってもらったところ、マイコプラズマ肺炎と診断された。


 どうりで息がしづらいわけだった。


 学校で古典の先生にそのことを言うと、肺炎!? なんて驚かれたけれど、私はどうして驚かれているのかがわからなかった。


 先生がいうには、普通は入院するレベルのものらしい。


 それを聞いてなんだかちょっと誇らしかった。


 小学生と中学生でリコーダーを吹くのが好きで練習し続けていたおかげか、演劇の発声練習で長く発声できたことから肺活量には自信があった。


 高校でたくさん走れるようになってからは、肺活量のおかげか息がそこまで苦しくなかったのがもっと苦しくなくなったことから、肺活量を誇らしく思うことができて、その裏付けにも似たようなエピソードが加わってとても嬉しかったのだ。




 肺炎も治り、呼吸が楽になって余裕ができたからなのか、ある日の部活ですごく調子がいい時のことだった。


 コートギリギリのところにシャトルを落とせて、相手を振り回すことができて、すこぶる調子が良く、なんだかテンションもうなぎのぼりで最高だった。


 ちょっと調子悪いんじゃない?


 そういわれて強制的にコートから出され、氷嚢で首元を冷やされることがあった。


 私は調子良かったのに、なんでみんなそんなことを言って、こんなことをするのかが本当にわからなかった。


 大学生になるまでずっと謎で理解できないことだった。




 修学旅行は韓国へ行くはずだったのに、豚インフルエンザの影響で九州へと行き先が変更になった。


 しかし、ひそひそと「絶対あいつのせいで韓国へ行けなくなった」とか「ほんまやめてほしい」なんて言っているのが聞こえてきた。


 何かあったのか、誰か豚インフルエンザになったのかなと思いながら聞いていたけれど、なにもわからなかった。この時は。


 ほとんどバスでの移動で体をあまり動かすことはなく、ほとんど寝ていたけれど、ご飯がたくさん出てきてお腹は限界だった。


 そんなに食べられない。


 残すことに罪悪感を覚えながら、惜しみながら、せっかくのご馳走を残すことが多かった。


 他の子も同じだったのか、仲良くするようお願いされた子とその連れの子は残すのがもったいないし嫌だからと、私にちゃんぽんの残りを食べてとお願いしてくることがあった。


 私もおなかいっぱいだけれど、気持ちはわかるから食べきった。


 そのあとも特に行きたい場所はないし、一緒にどこか見て回ろうと言われてもそんな気が起きなかったから、私は一人で花畑や現地で出会った鳩や白鳥、鯉、猫を写真に収めて眺めて和んで過ごしていた。


 猫の写真をある坂道で撮り、にんまりと眺めていたときだった。


 階段に腰かけていると、猫が膝に自ら乗ってきたのだ。


 可愛い!!


 あんまり可愛くて目元がゆるゆるでとろけていただろう。


 夢中になりながらも、そっと撫でていると猫が目を閉じて眠っているようだった。


 私と猫の様子を見た班の子が写真を二枚撮ってくれた。


 カメラ目線を一枚、猫目線を一枚。


 修学旅行から帰ってから写真を渡してもらって見てみたら、私の顔の不細工さときたら……絶句ものだった。けれど、目がめちゃくちゃ垂れてて猫にそれだけメロメロだったんだと思うと笑える間抜けづらで悪くはなかった。


 そうやって猫と戯れていると、ここの観光スポットにはいったのかと数人に聞かれた。


 興味がなかったし、猫に夢中だったから別に良かった。猫はどこにでもいるかもしれないけれど、この猫はここにしかいない猫ちゃんで、私の膝に自ら乗ってきたフレンドリーで可愛い子だったから思い出作りできて満足だった。


 もし来たいなら、もし後で興味を持ったなら、ひとりでまたこればいいだけだ。


 猫とずっと戯れていたかったけれど、みんなでご飯を食べる時間になった。


 別にお腹がすいていないからずっと外で戯れてても良かったけれど、それではみんなに迷惑がかかる。


 班で固まり、列に並んで待っていると、さっきの猫ちゃんが私の後をついてきた。


 しゃがんで撫でようとすると、スカートの中に入ってきて思わずびっくりして立ち上がると、猫もびっくりしたのか離れてしまった。


 いきなり素早く動くとびっくりするし警戒しちゃうよね。


 悪いことをしたと思ったり、寒かったのかなと思いもしたけれど、遅かれ早かれ建物の中までは連れていけないから、ここでちょうどよい別れだったのだと自分の中で割り切った。


 猫の方はどうだったかわからないけれど。




 そのあと建物に入るとき顔面にアルコールが飛んでくる事故があって目が染みてずっと涙が出てたけれど、なかなかいい勉強になった。


 修学旅行中、手をアルコールで消毒されっぱなしで、目をこすったとき涙が止まらなかった理由に気づくきっかけになったからだった。


 なるほど、だから目がツーンとしみて涙が止まらなかったわけだ。


 ふとしたきっかけや事故で気づけることは山ほどあって楽しい。たとえそれが痛くて嫌な思いをしたものでも、わざとやられたわけじゃないし、たくさんの生徒の手にアルコールをつけるのは大変だから運が悪かっただけだから。


 修学旅行は結局動植物にしか興味がないまま、理不尽な怒られ方をして私が悪者呼ばわりされてるんだろうなと思いながら、無事に終わって家に帰った。


 修学旅行の間も、部活で作られたサイトに日記を書くのをやめなかった。バッテリーがギリギリだったけれど、欠かさず書き続けることができて少しだけ誇らしかった。




 家でデジカメの中身を親に見せると、案の定突っ込みが入った。


 動物と花畑しか撮っておらず、名所のお城とかそういったなにかを残していなくてたくさんいじられた。


 お前は何しに行ったんだ?


 家族だけでなく学校で絡んでくれる人たちからも突っ込みが入った。


 私は別にこれで満足していたから何がどうダメだったのかさっぱりわからなかったし、未だに一つも後悔していないどころか、撮ってきた動物と花畑の写真を久々に見たいとすら思っているくらいだ。


 一体何がダメだったのか。




 高校生活で一番楽しい一年だったと思っている。辛いことが山ほどあったからか、すごく楽しかった。


 助けてくれた子と漫画の貸し借りをするようになっていたから、知らなかった漫画を知って楽しむことができたのもある。


 漫画の貸し借りができたのは、いじめられたのをきっかけに読むようになった少年漫画のおかげでもある。


 この漫画のおかげで一番つらい時期は心の支えになり、ある程度したら助けてくれた子や仲良くしてみたいと思った子との交流のきっかけになった。




 元気が出て、楽しんでいると、きっかけは忘れたけれど、クッキーをレシピなしで作ろうという気になり、たくさん試行錯誤を重ねた。


 最初は砂のような食感と出来上がり、味も何もしないくそまずいクッキーができたけれど、だんだん加減を覚えて砂からまだましな砂の塊、辛うじてクッキー、クッキーというように、粉でできたなにかだった出来上がりを徐々にクッキーへ進化させていくことができた。


 砂糖はあまりいれず、バニラエッセンスを少し多めに入れるのが私のクッキーの特徴だった。


 そうすることで甘さ控えめで美味いけれど、匂いのおかげで甘さを錯覚させることができる美味しいクッキー。


 目で見て、混ぜた時の感触で覚えて、匂いの強さで覚えて、体で覚えたクッキー。


 クッキーを焼くのに夢中になって、楽しくて、いろいろな人に食べさせて喜んでもらって楽しかったクッキー。


 たまに、バニラエッセンスきらしてしまって失敗してしまったこともあったけれど、それも良い思い出になるものだった。




 プライベートでやってるブログでも仲良くなる人がいて、おすすめしてもらえるものもあったけれど、回線の問題でメッセージを送ったのに送ってないことになったことがあった。


 おすすめしてもらったものをすぐに読まなかったり、そういう行き違いもあってその人とは疎遠になってしまうことになるけれど、一時的でも楽しい思い出を共有してもらえて、読んでてとても楽しくなれる作品を教えてもらえてよかった思い出だった。


 他にも、授業で習ったHTMLを活用できるブログのレイアウト? を使って楽しみながらセットするのに夢中になれて、たくさんのことに挑戦した年でもあった。




 話をしていると横取りされて嫌なことがあり、横取りした子が怖い目に遭った話を聞いたりもして、部活で大泣きしちゃう子がいたりして、部活の日記に匿名? のコメントがついて、不思議な出来事もある一年ともいえた。




 周りは敵だと気を緩めはしなかったけれど、とても楽しくて緩みそうになりながらも気を張り、精神的に参りそうになりながらも楽しいことをたくさん経験して過ごすことのできた一年だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る