努力と挑戦

 中学校へ通うようになり、見知らぬ人たちが増え、人数も増え、いつもと違う雰囲気に緊張しながらも、これからの学生生活に少しだけ期待している一方で、少し寂しさも覚えていた。


 いつも一緒だった助けてくれた子が違う学校になったからだった。


 私だけが知らなかった。


 卒業式が近くなり、周りの人が知っているのに私だけが知らないなんてことがわかって悲しさを覚えていた。


 友達ができるかな、なんて楽しみに思う一方で、不安も入り交じっていた。


 そんな中、すぐに話しかけてくれて、仲良くなろうとしてくれてるのだと思った人たちがいた。


 家に遊びに行きたいと言ってもらえて、嬉しくて一緒に遊んだ。


 近くの神社へ遊びに行ったり、その辺を歩き回って楽しんだ。


 仲良くなれると思っていた。思い込んでいた。


 遊んだうちの一人から「体育に使うスクール水着を私の代わりに受け取って欲しい、お金は学校で渡すから」と電話がかかってきた。


 何の疑問も抱かずに引き受け、親に事情を説明してお金をもらおうとすると、まずは店に確認してからにしなさいと注意を受けた。


 電話番号を調べ、お店に電話して確認してみると、遅くなっても良いから本人に取りに来させるようにと、優しい口調で注意された。


 その話を電話して頼ってくれた子に伝えると、まず親に話したことを聞き返されたり、少し残念そうな、どうしても取りに行ってほしそうな様子で食い下がられた。頼むから、お願いだからと。


 どうしてそんなに取りに行かせたいのかが全くわからなかった。


 お店のおじいさんは取りに来る期間過ぎても待つと言っていたのに?


 不思議な気持ちで電話を終えて親に質問してみたけれど、親はそういうのがあるとか、人の家の事情だからといっていた。


 親の言うことを聞かず、お願いをかなえたくてこっそりお店にいったけれど、やんわりと断られてしまった。


 学校で見かけたとき、正直に謝ると、あんまりいい反応をしていなかった。


 ますますわからなくて、やっぱり取りに行ってあげた方が良かったんじゃないかという気持ちでいると、女子の集団の中でうつむきながら後ろをついて歩いているのを見かけた。


 そのとき、なんとなく虐げられているのかなと思ったけれど、根拠もなにもなかったからわからないのだった。


 ただ、その集団が通り過ぎた後に聞こえてきたのが「パシらせることもできないとか」という言葉だった。聞き間違いでないのであれば。


 他にも色々なことがあった。


 担任の先生が守ると言ってくれて嬉しかったし、他のクラスにいる何人かの女の子も守ると言って好意的に接してくれたけれど、守るって何から? という疑問しか浮かばなかった。


 なぜか知らないけれど、可哀想だと見かけるたびに言われたけれど、普通に教室にいて、普通に本を読んでいるだけでそんなことを言われてなぜそう言われているのかが全く理解できなかった。


 そのうち、最初に話しかけてくれて仲良くしようとしてくれてると思った女の子たちからは、話しかけられて考えてる間に違う人と話し始めたり、つまらないとか遅いとか言われて返事を待ってもらうことはなかった。


 友達がほしかったから、上手に話せるように、話しかけられてもすぐに返事ができればいいのにという一心で、話の先読みを自分の中で繰り返し繰り返しし続けた。


 どんな話を持ってきてくれるのか、どんな返事をしたら喜んでもらえるのか、こう言えば何て返事が来るのだろうか。


 木の枝のように、たくさんの返事をひとつの出来事からたくさん伸ばして考えて考えて、考え抜いて、可能性が低ければ剪定して選んで用意したけれど、結局口を開く頃には違う人と話していてうまくいくことはなかった。会話においては。


 私も輪に入って話せたらと思っていたけれど、そのうち本の世界に入り込み、返事は待ってくれる子だけにすることにした。


 夏場になれば、水筒の中身がないからお茶をちょうだいと言われて快くわけたことがあった。


 担任の先生はそれを快く思っておらず、見過ごさずに注意してくれたけれど、私は我慢強かったし、水筒の水を飲まずに一日すごせるくらいにはタフだった。


 それに、喉が渇いて苦しい状態なのは私も同じだから理解できたし、私は耐えられる。なにより、喜んでもらえるのが何より嬉しかったからちっとも腹が立たなかった。


 そうはいっても、喉はからからで頭がガンガン痛み、家に帰ったら水をがぶ飲みしていた。


 ただ我慢強かっただけだったけれど、そういう生活をしていたからか、汗をあまりかかなかった。


 人生を通してみても、この時期が一番汗をかかなかったと思う。


 人の適応力というものの存在に少しだけ感謝と感心しながら、この人たちに話しかけられても嬉しくないし、反応を楽しんで性悪をされているのがよくわかってきた。


 そういう人と仲良くする必要性を感じなかったし、友達だと言いつつやってることがただの意地悪なのが腹立たしかった。


 反抗的な態度をとるとエスカレートしたので普通に怒ると、文句を言ってからあまり関わってこなくなった。


 無理なものは無理なんだ。


 そうやって友達だと言いながら嫌なことをたくさんされたから、友達とは何かを自分の中でひたすら考えるようになった。


 周りを見て、友達関係らしきものを築いている人を観て、仲良さそうに話しているのを羨ましいと思う反面、陰口をたくさん叩いてるのも見聞きして幻滅したりもした。


 友達とは一体何だろう?


 私の中で友達とは何かの問答をひたすら繰り返しながら周りを観察する日々の始まりだった。


 他人の人間関係から学び、自分の中で本当にそれは友人なのかを考えて考えて悩んで苦しんだ。


 私には友達がいないのではないか?


 最終的に行き着いた答えがここだったからだ。


 他人の人間関係にそれは友達じゃないなんて宣言も苦言も呈さなかったけれど、疑問に思うことがたくさんあった。


 ずっといるのが友達だろうか? いや、違う。離れていても友達は友達だ。


 では陰口を言うか言わないかは? わからない。誰でも陰口を言いたくなるだろう。でも、私は言いたいと思わなかった。


 ずっと傍にいられるわけではないことを知っていたし、ひしひしと寂しさを感じていたからそう思っただけだった。


 友達って何だろうか。




 話しかける人がいない中、自分の中でたくさんの考え事をしていると、小四で意地悪をしてきた子も、小三で意地悪してきた子も、中学になると全く意地悪をしなくなっていたどころか、いままで一度も褒められたことのなかった睫毛を褒めてくれるのだった。


 小三で意地悪してきてしまった人に関していえば、保育所の時には睫毛が気持ち悪いといってきていたというのに。


 小四で意地悪しちゃった人は、理由を聞いてあげるといいと、中学から一緒になった子に話して私との接し方を教えようともしてくれていた。


 人は変わる。時とともに、色々な出来事を経ながら。


 時にそれを成長と呼び、進歩とも呼ぶ。


 変わらない人も中にはいるけれど、人は変わり行くものなのだ。


 私もまた、中学生になってから大きな変化があった。


 自主的に話しかけに行きたい人が違う学校になった影響で休み時間は本をたくさん読むようになった。


 同じ本を繰り返し読むことがこの時期は多かったように思う。


 家にある読みたい本があまり多くなかった影響でもあったけれど、読みたい本が群を抜いて大好きだったからというのが大きな理由だ。


 夢と桜の話が特に大好きだった。次は大樹のお話。その次が森の中にある舟とその物語。


 何度も同じ話を飽きもせずに読み続けた。


 茶化しに来る人が多かったけれど、そのうち本の世界へ入りこむことに夢中になり、物語の流れと内容だけでは飽き足らず、登場人物たちがなぜそうしたのか、どんな心境だったのかを気にして読むようになった。何度も同じ話を読み続けて内容を覚えた結果、新しい興味が開かれていくのもまた楽しいのだった。


 何度も読んでいくうち、だからこのキャラクターはこうしたのかとか、こういうことを思っていたからそういうことをしたのか! という気づきがたくさんあった。


 それまでは話の流れと何が起きたかしか読んで楽しんでいなかったけれど、そういうキャラクターの心情や考えに寄り添う楽しさを知ってからは、感情移入やそのキャラになりきって本を読む楽しさを身につけていった。


 本を読むのが得意でも好きでもなかったけれど、どんどん読むのが好きになっていった。一人だったからこそ開けた趣味ともいえる。


 大人になった今思い返しても、一人で過ごしていて良かったと思う。たとえ他人から評価されなくとも、楽しい趣味と楽しい得意が手に入ったのだから。


 部活には演劇部を選んだ。帰宅部でもよかったけれど、何かしてみたいと思っていたからだった。


 従兄弟が所属していたこと、自分を変えたいと思ったことが理由だった。


 他に一年生で志願する人はおらず、先輩からすごく可愛がってもらって大切にしてもらえて嬉しかった。


 中でも、眼鏡をかけた小柄な先輩はよく目をかけてくれて大好きだった。


 どうしてそんなに大切にしてくれるのか、面倒をみようとしてくれるのか、最初は不思議でならなかった。


「一人しかいない後輩だから」


 最初はみんなそう言っていたけれど、その先輩は友達になろうとしてくれて、年齢とか気にせずタメで良いと言ってくれた先輩の言葉を、そのままの意味で受け取ってため口を聞いた私に対して本音と建て前や立場について解説して教えてくれたのだった。


 私は何も知らなかった。先輩と後輩の関係や本音と建て前、なにもかも。


 部活に所属したことで、とても良い先輩であり友人でもある人に恵まれたことで、私の世界と知識は少し広がっていった。


 友達がおらず、早めに部活の集合場所へ現れて自主練習やらしている私に、いつも親しく話しかけてくれたおかげだったのだろうか、いつも秘密にして話さなかった自分の好きなもの、はまっているものを恥ずかしがりながら、躊躇いながらでも話すことができた。


 最初は忍者の漫画の話をした。


 キャラクターやアニメの話、原作の話、話の幅がとてつもなく広がって、笑いながら話せることがたくさん増えて、好きな物を共有するのがこんなにも楽しくて解放的なんだと学ぶ出来事になる。


 先輩はある漫画の雑誌が大好きで、私も父親が買っていた時期にちらちら読んでいて大好きだった話をして盛り上がった。


 アニメオリジナルというものの存在をこの時初めて知った瞬間でもある。


「原作の方読んでみたいな」


 私が興味を持って何の気なしに言っただけだったけれど、先輩は今週のその漫画雑誌を持ってうちへ遊びに来てくれるというのだった。


 すごく嬉しかった。




 先輩はシルベーヌとその漫画雑誌を持って家に遊びに来てくれた。すごく緊張したけれど、先輩も同じように緊張している様子なのがなんとなくわかって、どういうわけか安心するのだった。


 私が初めて見るケーキの形をしたそのチョコ菓子を興味深く見つめていると、先輩はすごく申し訳なさそうな、後悔したような様子で謝ってきてしまった。


「ごめんね。もっと知られてて有名なものにすればよかった」


 私はとにかくそのチョコ菓子をほめちぎった。そういうつもりで見ていたわけではなかったし、初めて見るお菓子にただ興味津々だっただけだったから。


 それになにより、新しいお菓子を知れたのが嬉しいだけだった。


 褒めながら、先輩はもしかしたら気にしすぎるところがあるのだろうか、なんてことを私は気にした。


 学校では凛々しくて自分の考えを持っていてすごく立派で素敵なのに、本当は見られ方が、何を思われているのかとても気になるのかな。


 そう思いながら、持ってきてくれた漫画雑誌をめくって読んでいった。


 周年記念イベントの内容がとても面白い漫画にお腹がよじれそうになりながら読んだこと、冒頭が修行で気になるキャラが登場するバトル漫画、例の忍者の漫画、頭にろうそくをつけて逆さにつるされて絶体絶命のシーンから始まるブラックジョークの利いた面白い漫画……それぞれ楽しみながら、笑いながら読み進めていき、女の子の入浴シーンがある漫画は顔を赤くしながらとばしたときだった。


「やっぱりそうか……そうだよね」


 先輩は嬉しそうに目を細め、意味深に呟いていた。


 首を傾げながら先輩を見ていると、なんでもないよって言って優しく微笑みかけてくれた。とても優しい声音と微笑みを今でも鮮明に思い出せる。




 学校で先輩にお礼を言い、いつものように漫画やアニメの話に夢中でたくさん楽しく話していたときだった。


 私がつい話に夢中で、周りが静まり返って先生が口を開くのを静かにして待っていないといけないのに、気付かずおしゃべりを続けてしまったとき、どうして雰囲気がこうなっていて、何が良くなかったのか教えながら指摘してくれた。頭ごなしに怒鳴るのではなく、こそこそと静かに。おまけに、やり方に不服で愚痴をこぼした私に次はどうしたらいいかのアドバイスも添えてくれた。


 何の気なしにいった言葉で先輩が少し嫌な顔をしていたときも、こそこそとたしなめながら教えてくれて、自分の視野が広がってくるのがわかった。


 大好きな気持ちがどんどん膨れ上がってくるのがわかった。今までこんな人はいなかったし、なにより心にあたたかさを感じられる人でもっと仲良くしたくてたまらなかった。


 友達。


 これこそ友達なのではないか? 私が求めてやまなくて、考えに考え、悩みに悩み続けてきた友達!


 すごく嬉しかった。大好きだ!


 でも、当然だけれど先輩には他にも友達がいて、こんなにいい人に友達がいないわけがないもんな……なんて思いながら、少しヤキモチを妬いた。妬きながら、夢中になりすぎないように手綱を引いた。


 傷つける、傷つけたくない、我慢すればいい。


 それはどうして? ……なんとなく。


 好きになりすぎると、独り占めしたくなると、誰かを傷つけてしまう。


 一生懸命我慢した。


 本当は好きな気持ちをいっぱい表現したかったのに。


 一緒にいたらそれだけで嫌な思いをするんじゃないのか。そんなことも思った。


 思っただけで聞いたりはしなかった。仲良く楽しく話していて、急にそんなことを聞かれても困るだろうし、不安な気持ちを見せたくなかったから。


 一緒にいられるときは楽しくすごしたい。


 精一杯楽しい話を選んで、暗い話をしないように、誰かの悪口を言ってしまわないように、一緒にいる時間を大事に大事にすごしていた。


 その影響か、夢の中で楽しくすごしたような気がする日々が続き、楽しくて幸せでたまらなかったけれど、違う学校へ行った助けてくれた子への悪口が聞こえてきてから沈む日がきた。


 直接話したこともないくせに、もう同じ学校にはいないのに、人伝に話を聞いただけでネタにして笑いをとろうとしている人がいた。


 許せなくて怒ってしまった。怒鳴ってしまった。脅してしまった。


 すると、それを面白がった人たちが次々に助けてくれた子のことをネタにして悪口を言うようになってしまった。


 その時に学んだ。怒らず耐えないといけないときもあることを。


 悔しくても、腹が立っても、下手に庇いだてすればエスカレートしてしまうことを。


 あまりに大勢の人がネタにするので、注意できないし怒れないことを悔しがりながら泣いていると、先輩が一緒に怒ってくれて、隣に座って頭を撫でてくれた。


 あたたかい記憶、あたたかい思い出。




 夏頃には、弟の肩を掴んだ嫌なやつが下校中付きまとわれないよう追い払ってから、見守ってくれて、優しくしてくれたお兄さんがクラスにきたことがあった。


 何かの用事で顔を出したらしい。多分、クラスで私のこといじってきた人に用があったのだけれど、見かけたら気づいて名前を確認して叫ぶように呼んでくれた。


 周りの人にひそひそ言われて恥ずかしかったけれど、嬉しい出来事だった。嬉しかったのに、帰り道で声をかけられたときには全力で逃げてしまった。


 それからはあまり声を掛けられなくなった。


 本音で言うと、早く帰りたかっただけだった。また前みたいにいろいろあるのが嫌だったから。


 優しくしてくれて、温かく見守ってくれていたけれど、多分すごく傷つけてしまったんだ。




 冬場になると、風邪を引いた。


 常に体が冷えていて、ずっと鼻水をかんでいた。


 秋ぐらいに家の前で待ち伏せされ、一緒に学校へ行こうなんて言われて嫌な思いをしたことがあった。


 別にその子が嫌いなんじゃなくて、一人で登校したかったから、一人でいたかったからもっと早めに登校して突き放して振り払ったのだけれど、風邪で熱を出して休んだ後に登校すると上履きがなくなっていた。


 担任の先生が調べてくれたところによると、その子が隠したので間違いないようだった。


 怒りと悔しさと悲しさとで一日中泣いて、いつも以上に鼻水がひどくて鼻が痛かった。嫌いじゃなかった子から大嫌いな子になった瞬間でもあったから相手にしないように無視することにした。




 ある日、それぞれの係が自分の担当している仕事とはどのようなものかを説明する集まりが開かれることになった。


 私がとある係の発表をすることになったけれど、先生と相談して内容を決めるようにと言われ、先生と相談するという行為が中学生になってから少し苦手に思っていたから何も相談できず、とりあえず簡単すぎるくらい簡単すぎてこれでいいのか悩んで迷ってそのまま本番に入ったことがあった。


 待機列の隣にいたのは、小四のとき少し意地悪しちゃった子で、緊張している私を元気づけて励ましてくれた。


 ついに私の番が回ってきて、緊張と圧力がかかる環境と、なにもかもやばい状態で一言も発せずに泣いた。


 泣いてしまうと、司会を務めている小三のとき意地悪しちゃった子がフォローしてくれて、なんとか話せるようにしようと協力してくれた。


 過去は変わらないけれど、過去があるから変化があって今があるし、これから先いろいろな可能性へと伸びていく。


 二人とも見違えるくらい立派になって、優しくされたら余計に泣いてしまって結局何も言えないまま終わってしまった。

 



 そんなある日、先輩がおすすめしてくれた漫画がアニメ化されることになった。


 私はおすすめしてもらったからそのアニメを観て、いいものを教えてもらえて良かったし、お話したいと思っていたけれど話すことはできなかった。


 先輩は知らないのだと、アニメを観てもらえなかったのだと思ったのか、原作の漫画をうちにもってきて読ませてくれた。他の漫画も一緒に。


 そのどちらも面白くてワクワクするものだった。


 先輩はその漫画について一緒にいろいろなことを話したかったのかもしれない。


 とても幸せな日々。幸せな思い出。


 先輩が部活をやめてからも、私のことを気にかけて放課後会いに来て話をたくさんしてくれた。


 受験大変じゃないのか心配だったけれど、先輩は自分のことを馬鹿だと言って低く見積もっているようだった。


 私も頭が良い方ではないのに賢いと周りから言われていたこと、先輩は私から見たら賢くて良くできている人間で素敵なのに自分を低く評価していることから、頭が良いとはどういうことなのかを考えるようになった。


 頭が良いってなんだろう?


 友達とは何かを考え続けていたように、賢さとは何かがわからなくて考えるようになった出来事でもあった。


 賢いって何? 頭が良いとは? 勉強ができること? 良い点をとること? 物に詳しいこと? 一体何だろう?


 そうして、考え続けるようになりながらも、先輩がそうやって自分を卑下しているのを見るのがすごくつらかった。今まで会ったことないくらい素敵な人なのに。




 そんな日々の中で、昔善意で物を拾おうとしたら私が叩き落したと言われたことがあったから、守りたいと言ってくれた子の棚から置き勉の資料が崩れ落ちた時、気づかないふりをしたことがあった。


 それを見た男子がいじめだと呟いているのが聞こえてきたけれど、それも知らないふりをした。


 誰とも関わりたいと思わなかった。


 親切で何かしようとすれば勘違いされて怒られて嫌がられた記憶が溢れてくるし、人とすれ違うことも何もかも嫌で仕方がなかった。


 弟に勧められたネトゲをするようになり、ネット上では普通に話せば仲良くなれるのが不思議で温かくて自分の居場所であるように感じられるようにもなった。


 先輩も一緒に遊んでくれたらいいのにな。


 ネトゲでもたまに意地悪な人がいて、意地悪されてることにすら気づかなくて頓珍漢なこと言ってしまって、後で意地悪してたんだと気づくようなことがあったり、とにかくたくさんの経験を積むことができた。


 名前を譲ってと言われたこと、譲ったらびっくりするようなことを言われたこと。


 友達になりたくて性別を偽ったこと、ミスってモンスターをヒールしたのかと思って慰めるつもりでポジティブな言葉を言ったらずっとヒールされ続けてしまったこと。


 ネタに困っていた人、そういうロールをしていた人……自閉症だと公言している人。


 現実ではなかった人との交流、コミュニケーションをたくさんすることができて、たくさん勉強をすることができたと思う。


 もちろん、辛いことも悲しいことも腹が立ったことも、たくさんの嫌な感情もあったし、楽しいこと、面白いこと、心が温かくなる出来事もあった。


 いつも同じ本を読んでいたから、そのことも話題に出していると、ホラー作家の小説や枠にとらわれない作家の小説、みんなと知り合えたゲームの原作、いろいろなものを勧めてもらえて、たくさんの種類の本を読むようになるきっかけになった。


 現実では素直におすすめしてもらえたものを話せなかったけれど、ネトゲでは正直に話すことができて、心が自由で気が楽だった。山と同じくらい好きな場所だった。


 今思えば、私とまともに会話した人、コミュニケーションをとってくれた人なんて、学校にほとんどいなかったなんて気がつくことがある。


 話す前から嫌われて距離をとられて、すれ違うたびにひそひそ言われ、理由もわからないまま、守ってあげると、可哀想だと、きもいと言われ続けていた。


 私はただ、話がしたかったのだろうか。


 自分自身に問いただす。


 お喋りが好きなわけではない。むしろ苦手で嫌いな方だ。じゃあ、どうしてそんなにわかってもらいたいのか、話を聞いてもらいたいのか?


 わからなかった。


 それを人はかまってちゃんだとか、自己中だとか、様々なマイナスの言葉で表現しているから、私も自分を外へは出さないようにし続けた。




 修学旅行では刀館に興味を持ったけれど、誰にも何も言わなかった。


 一年生の時に担任をしてくれた先生が言ってみるよう促してくれたけれど、話す気にはなれないのだった。


 理由はわからない。わからないけれど、話さない方がいい気がしたからそうしていた。




 ネトゲにはまり、ほとんど部屋の中ですごしていたからか、体育祭の練習をしていた時期に日焼けがひどすぎて顔がアンパンマンレベルに腫れあがったことがある。


 寝起きに目が開かなくて、普通に過ごしていても開きづらいことがあったからそのたぐいだと思いつつ鏡を見て悲鳴を上げた。


 見たことないくらい自分の顔が腫れあがっていて目があかなかったのに気がつき、思わず大泣きをした。


 日焼けで痛いだけでなく、自分の顔と思えないものをみて怖くてショックを受けていると、親に病院へ連れて行ってもらえた。


 病院では火傷の薬を出してもらい、1週間ほど学校へ行かずに家で過ごした。


 ゲームできてうらやましいなんて言われたけれど、日焼けした部分全部ずっとヒリヒリ痛いし、とてもゲームなんて気分にはならなかっただけでなく、休んでいる間はゲームをせずに読書をして過ごしていた。


 自閉症を公言していた子と仲良くなり、興味を持ち、治せるものだと思っていたし情報が少ない時期で自閉症がなにかわからなかったから、治してみせるなんて言っていたくらい仲が良かったと思う。


 その子がおすすめしてくれたネトゲの原作を休んでいる間は読みふけった。


 ハードカバーで綺麗なイラストの描かれた表紙。


 シリーズの二巻目を休んでいる間に読み切ってしまった。学校へいきながらだと結構な日数が必要なのに。


 しかしそれもまた楽しいのだった。


 物語の世界へひたすら没頭し、情景を思い描き、キャラクターの動きを心の中に思い描き、起きたまま見る夢のように。


 本を読むのが本当に大好きだった。


 教えてもらった本を、近くのお店に売ってある分買いそろえ、すべて読んだらもう一度読み直して楽しむ日々は今思い返しても充実していた。


 意地悪さえされなければ、陰口を言われていようが、たまに背中や頭を叩かれようが、何があろうが平気だった。


 私には本の世界があって、家では他の人とコミュニケーションをとれるネトゲがあった。


 放課後には先輩と話ができて、辛いことばかりではなかった。そのはずなのに、心に空いた隙間が埋まることがなく、大事な何かが欠けているような感覚が消えることはなかった。


 体育祭では過呼吸になった。大人数でやる二人三脚では私がいないとなぜか合わないと言われて必要としているようなことを言ってもらえたけれど、それがかえってプレッシャーになってたようだ。


 そのおかげで過呼吸の人の気持ちや必要な物、どんな状態かについてすごくよくわかるようになれた。


 ネトゲで知り合った女の子の名前と元ネタの漫画から過呼吸のことを知って学んだ。


 ネットの世界は広くていろいろな人がいて、いろいろなおすすめを嗜んで、正直に話合えて、たくさんの学びがあって、普通に接してもらえるのが嬉しすぎて有頂天になったりしたこともあったけれど、人生経験を豊富にできた場所の一つでもあった。




 ネトゲで同じクラブに所属していた人のために、思い描いた情景を文字にしてクラブチャットに流したことがあった。


 それがきっかけで、その内容を元に本を書こうとしたこともあるし、試しに詩を書いてみたりもした。


 担任の先生に読んでもらったけれど、周りの女の子に何か聞かれ、さらっと答えていて恥ずかしいのだった。




 演劇部の顧問をしてくれていた先生が違う学校へ行くことになり、演劇部は廃部、そのあと副顧問をしてくれていた先生が手芸部を一時的に作っていろいろなことを教えながら挑戦させてくれた。


 手芸部の後は、弟からの誘いでパソコン部へと入部した。通称コン部と呼ばれていて、私の脳内イメージでは海の中でゆらゆら揺られながらのんびりまったり楽しくやっているイメージで楽しそうなものだった。


 イメージ通り、みんな思い思いのことをしていて、そのうち顧問の先生が活動的な人になり、検定を受けさせてくれたり、展示するのに使うようなものを作ろうと意欲的に盛り上げてくれたのもまた楽しかった。




 先輩が卒業し、誤解を受けて悪い噂を流され、みんながよそよそしくなり、春先にお腹を壊したせいか、その一年間ずっとお腹がゴロゴロなって苦しみ、悩んだ時期もあったけれど、それも今思えば良い経験だった。良い経験だったけれど、不貞腐れることになる出来事でもあった。


 どんなに良い子でいようが、日頃の行いが良かろうが、ちょっとしたことで何もかも崩れ去る。


 何もかも嫌で良い子でいるのも嫌になった。


 休んでいる間に、職場体験で希望してないところに配属されていたのはショックだった。他の子のときには待ってたように思えたけれど、私にはそういう扱いはなかった。


 キモって言われたように聞こえてショックを受けたこともあったけれど、多分聞き間違えだったのだろう。周りの人がいつもそう言っていたから同じように言われたんだと。


 同じ目に遭っている人の気持ちや苦しみ、誤解を受ける苦痛、身体的な方の苦痛が理解できるようになれた。同じ目に遭ったから。




 その年の冬場、付きまとってきた子と、昔ビーズを盗んだ子にシャーペンの芯をごっそり盗まれたことがあったけれど、気づかぬふり、知らぬふりをした。


 担任と周りの人は知っていて気付いてそれとなく声をかけてくれたから気づいたけれど、相手にするとエスカレートしてしまうのを助けてくれた子の一件で学んだから徹底的に無視をした。


 机の周りにたかってこられても本に熱中し、水をよこせとたかってきた子たちが集まってきてもそれも無視した。無視し続けた。


 どうせ会話にならないし、話を聞くつもりがないのに相手にする必要がないと判断したからだった。




 同じ高校へ行くという理由で、仲良くしてあげてほしいと担任にお願いされたけれど、今思えばすごく後悔している出来事だった。


 お願いされたからという理由でいうことを聞かなければ良かった。


 しかしどのみち、お願いされてようがなかろうが、同じように話しかけられていたように思う。


 わざわざ意地悪をしてくる人はおらず、かといって何も言われないわけでもなく、ちょっとした楽しみを糧に、自分の殻に閉じこもっていろいろなことをじっくり考え続けた3年間だった。

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