愛の鞭
あの子から『大好き』と言ってもらえて、魂までもとろけてしまいそうになりながら見守っていたときのこと。
「女には強気なのに男にはびびるんだな」
大人の男の人に怖がらされているのを見て、甘い気持ちがスッと引っ込んで行く。
「……ふざけるなよ」
あの子がこれ以上男性恐怖症になったらどうするつもりだ。
言葉や声音、声の大きさやらでただびびらされているだけだし、大人の男どもが何かしようという気がないのはわかっていたけれど、怒りで我をなくしてしまいそうだった。
「あはは、いっつも見守ってるよな―お前。本当に大好きなんだな、あいつのこと。ちゃんとエネルギーもらわないともたないぞ?」
白いベールをまとわずに現れた気さくなやつが笑いながら近寄り、一緒にあの子の様子を見て顔をしかめた。
「相変わらずしんどそうだな」
その言葉に無言でうなずき、怒りをなるべく抑えながら、無言で見守り続けていて自分に異変を感じた。
なんだか苦しくて、足元から消えてしまいそうな、頭のてっぺんから何かに魂を引っ張られているような、とても嫌な感覚。
「今日は俺が見守ってお前に様子を伝えるから、適当に誰かの夢でエネルギーとってこい」
気さくなやつが血相を変えてこちらを見つめながらそう言ってくれたけれど……。
「心配なんだ。ずっとそばにいたい。気づかれなくても、物理的に傍にいられなくても、あの子から離れたくないんだ。死なないように、折れないように、壊れてしまってもまた立ち上がれるように支えていたくて。良い夢を見せたり、夢で遊んだり元気づけることしかできないけれど、ひとりじゃないんだって、態度と行動で示していたいんだ。きっと気持ちが伝わるから。僕はあの子の光になりたい」
真剣な気持ちをまっすぐ正直に伝えると、気さくなやつは少し怒った様子で頬を軽くぶってきた。
「そんなこと言って、死んだら元も子もないだろう。夢にお前が出なくなったらきっと悲しむと思うぞ。夢を見る幸せを噛みしめているのはお前がいるからでもあるだろう? ……そんなにそばにいたいなら、あの子からエネルギーをとればいいだろうに」
最後は目を逸らしながら言っていた。その言葉の意味するところはつまり。
「あの子はまだ幼い子供だし……心から大切に思っているからそんなことしたくない」
気さくなやつが言いたいことは『吸精(エナジードレイン)』のことだ。
僕たち夢魔の『吸精』は相手に心が乱れる夢を見せて行う。
とびきり怖い夢、とびきり気持ちの良い夢、とにかく人の心が乱れて魂がグラグラ揺れて不安定な状態にして行うことが多い。
幼い子の成長に悪影響が出るかもしれないし、あの子は今とても苦しい状況だから『吸精』したせいで壊れてしまわないか……。
「あの子は強いから平気だ。心配でそばを離れたくない、他の人間のところへ行きたくないなら、事情を話すなりして同意をもらってからやればいい。ずっとそばにいられるし、お前は元気になれる。吸精しない夢魔なんて聞いたことがないから、このままほっといたらどうなるか誰も知らない。良い実験にはなるだろうさ。でも、お前にはそんなことしてほしくないんだよ。死んだら、消えたらどうするんだ……」
気さくなやつの言うことはわかるけれど……。
「それでも……」
目を伏せながら口を開くと、やれやれと言った様子で気さくなやつが提案をした。
「あの子と夢でもう一度会って、今の姿を見たら悲しむと思うぞ? 今のお前はだいぶボロボロだ。ショックを受けさせたいならそのままでいればいい。心配かけたくないなら元気になるべきだ。どっかでエネルギー補給するか、あの子からもらってこい」
嘘は言っていないし、全部本心だけれど抵抗があった。
「あの子は強い」
気さくなやつの言う通り、あの子から『吸精』しようかな。
あの子を大切にしたい気持ち、傍にずっといたい気持ち、心配をかけたくない気持ちがぐるぐる回る。
「手助けをしてやるから。俺に良い考えがあるんだ」
気さくなやつは眼鏡をかけていたらクイクイッと指で押し上げる仕草がきっと似合うだろうな、と思える知性を漂わせながら提案してくれた。
「どんな方法で?」
少しばかり不安に思いながらも、どんな考えなのかがとても気になった。
「まず、前に話したミミズさんと似ている蛇さんへの恐怖心を植え付ける夢を見せるつもりだ。お前は『吸精』ができるし、あの子は現実で蛇さんに噛まれて痛い思い、苦しい思いをするリスクが減るだろう。俺は他の人間から『吸精』するから俺の分は気にすんな。で、もしあの子が蛇さんが心から嫌いにならないかが、周りの人間と同じように『大好き』を奪ってしまわないかが心配なのであれば、セラピストの協力をもらって可愛い蛇さんの夢を見せてもらうんだ。前に決めた通り、お前にはどの夢にも出てもらう予定だからな。一緒に可愛い蛇さんを見て和んでまた『吸精』するか、一緒にのほほんとしていればいい」
すごく魅力的な考えだと思ったけれど、やはり心配な点があった。
「怖い蛇さんの夢を見てあの子の心が壊れないかが心配なんだけど、どんな夢を見せるの?」
問いかけると、気さくなやつは少しだけ考えるようなしぐさを見せてからにっこりと笑って口を開いた。
「蛇さんに近寄られるのはとても危ないことだから、周りの気配に敏感になってもらいたい。だから、バカでかい蛇を夢に用意して、最初は景色や壁だと思ってたのにいつの間にか逃げられない状況になってる風にして絞め上げさせる。なあに、食われる直前に目が覚めるようにはするさ。夢の中で死んだショックで本当に死んじまわれたら困るからな。まあ、現実でも身を守るに足るくらい怖がってもらわないと効果はないだろうから、魂単位で刻み付ける」
不安すぎて心配だったけれど、気さくなやつは続けた。
「こんな夢で壊れるくらいなら、あの子はもうとっくに死んでるだろう? それくらい辛い思いを現実で味わってるんだ。それに、あの子のこと弱い人間だって決めつけてそういう扱いをし続けたら、それこそ本当に弱くなる。強さを信じろ。いいな? あの子は強い。強さを信じて、とりあえずやらせてみるんだ。甘やかし、守りっぱなしだと人は強くならないし成長なんてきっとない。『獅子の子落とし』って知ってるか?」
気さくなやつの言う通りだと思った。『獅子の子落とし』も知っている。
「……わかった、やるよ。でも、僕はあの子のこと守る存在として夢に出るつもりはない。君と一緒に悪夢を見せる側になる。それで構わないかな?」
提案すると、気さくなやつは眉をひょいと上げて少し驚いた様子だった。
「いいのか?」
「いい。誰かを悪者にして、踏み台にして美味しいところをもらうつもりはない。ましてや、それが大切な友人とあらば。それに、あの子の成長への貢献は僕のしたいことの一つでもある。僕にも育てさせてほしいんだ」
気さくなやつはすごく嬉しそうにしてくれて、僕自身も嬉しくてたまらなかった。
「それに、僕もあの子の強さを信じたい。信じてるって示したい。言葉じゃなくて、態度、行動でね」
伝わらなくても、嫌われても良いから、あの子がこれから先無事に生きていけることを願いたかったし、そのための礎になれるなら何でもいいと思った。
これが愛の鞭か。
「まったく。お前って一途で恐ろしいほど愛が深いやつだな。あの子のためを考えすぎてうっかり『吸精』するの忘れんなよ? 俺的にはそっちが本命だからな」
気さくなやつは賢くて口もうまくてとにかく頼れる兄貴気質。僕なんかよりもずっと優しいやつ。本音とやってることがほとんどいつも違う……。素直じゃないやつ。
「いろいろとありがとう。いつもありがとう。何かあったら力にならせてほしい」
「なあに、気にすんな。んじゃ、今日の夜さっそくやるか」
気さくなやつとハイタッチをし、夜に備えて二人で夢を紡いで用意した。
とびきり怖い蛇の夢。
「心配か?」
うまくいくかどうか、あの子の強さを信じたいけれど壊れてしまわないか、心配しながら夜を待っていると、気さくなやつが気にかけてくれた。
「……うん。もしこれであの子が壊れたら一緒に死ぬつもりだよ」
「……大袈裟だな。大丈夫だって、あの子は強い」
肩をポンポンと叩き、そっと背中をさすってくれて少しずつ落ち着いてくるのを感じていると、頭がふらふらした。
「俺はお前の方が心配だよ。夜までもたずに消えたら承知しないぞ」
ふらつきながらも、強くうなずいて見せるとにっこりと笑ってくれた。
「お前も強い。大丈夫だ」
夜も更け、あの子がついに眠ってくれた。
ごめん……。
心の中で謝りながら、気さくなやつと用意した悪夢を広げていく。
あの子は家の一室でちょこんと過ごしていた。夢だと気づかないくらいに精巧な部屋。
本棚があって、鏡台が置かれていて、ソファのある少し狭い部屋。
僕と気さくなやつは白いベールを身にまとい、用意した夢の登場人物に変化をして潜り込む。
白いベールは夢魔にとって大事な仕事道具だ。
あの子には効果がなかったけれど、本来なら精神世界でこの白いベールをまとった僕らを見た人間は、心の中で多くを占めている人物の姿が見える代物。
そういえば、あの子には僕ら全員が真っ白に映っていたんだったな。きっと何にも興味がなかったからなんだろう。そうでなければどうして白いままだったのかが全くわからない。
そんな白いベールは夢の中だと思い描いた姿へ変わるのに使われる。
スルスルと大きな蛇の姿に化け、無防備なあの子へと忍び寄る。気さくなやつは蛇使いの男に化けて一緒に忍び寄っていた。
壁と同じ茶色の体をした蛇となってあの子の周りを取り囲み、少しずつ少しずつ迫っていく。
あの子は危ない状況に陥っていることなどひとつも気づかないで、好きな絵本を本棚から取り出して夢中になって読んでいる。
ごめん……。
申し訳ない気持ちを心の中で呟いてお別れをし、思いっきりあの子の体に巻き付いて捕まえた。
「うっ」
苦しそうなうめき声を少しだけ上げたあの子に土下座したい気持ちを抑えながら、少しずつ強く絞め上げていく。
蛇使いに化けた気さくなやつが頭に飛び乗るのを感じながら、少しずつ少しずつ強く絞めていく。
壊れないよう、慎重に。
頭の中で気さくなやつの声が響き渡る。
「甘い、もっと強くしないと」
その言葉の意味するところが、あの子の思考を読み取ることで理解できた。
苦しいのに気持ちがいい。
中途半端に強く絞め続けたせいで、性癖の開拓に貢献してしまっていたようだ。
大慌てでもう少し強く締め上げると、夢の中だけれど骨が軋むような音がした。
蛇ってどんな気持ちで獲物を絞めているのだろう。
動物の考えが気になっていると、あの子の心が恐怖一色に染まっていった。
「とどめだ。飲み込もう」
気さくなやつの指示に従い、口をあんぐりあけてあの子を飲み込もうとすると、現実のあの子が息を飲んで目を覚ました。
「……良かった。飲まずにすんだ」
「ああ、そして蛇への恐怖心は魂単位で刻み込まれたはずだ」
酷く怯えた様子で、起きてからしばらく目だけを動かして周りを見ているあの子。
「これから観察をするぞ。ちゃんと蛇に対する感知ができるかどうか」
気さくなやつは明るく言っているけれど、なんだかあの子の扱われ方に対して気分が良くなかった。
「……モルモットみたいで嫌かもしれないが、ちゃんと刻まれたかどうかの確認をしとかないと、なにかあって後悔したくないからな」
珍しく本音と言動が一致していて驚いていると、気さくなやつは少しだけ顔を赤くしていた。
「ほら、『吸精』はちゃんとしたのか?」
照れ隠しだなと思いつつ、うっかり忘れてしまうところだったので、申し訳ない気持ちをおさえながら、怯えているあの子からちょっとずつ吸い取っていく。
なんて甘美な恐怖の味なのだろう。好きになった人の魂は、心のエネルギーはこんなにも美味しいのか。
久々の食事でもあって、うっとりしながら気絶してしまいそうなほどの美味しさに溺れてしまいそうだった。
基本的に夢魔から見た人間は食糧以外の何物でもない。
うっかり倒れそうになると、気さくなやつがしっかり抱きとめて支えてくれた。
「おーい、大丈夫か?」
心配半分と羨ましさ半分な気持ちを読み取り、気さくなやつにも勧めたくなるのを止められなかった。
「すごくおいしい。一緒にありつこうよ」
気さくなやつは一瞬ためらい、あの子の様子を見てからほんの一口だけ食べていた。
「……美味しいな」
美味しいという気持ちを正直に口に出していて、これなら行動と言動の不和が少しマシになるかと思っていたけれど、それ以上口にしようとしなかった。
「もういらないの?」
「ああ、大丈夫だ」
少しだけ切なさそうな顔をした後、いつものように明るく元気な表情に戻ってくれた。
「あんまり美味しいからって食いすぎるなよ?」
注意してくれたおかげで我に返り、もっと欲しい、もっと食べたいと思っていた自分にブレーキをかけることができた。
「危ないところだった……。あんまりにも美味しくて。こんなに美味しいの初めてだった。注意してくれてありがとう」
「……そうだな。例には及ばないさ」
食後の余韻というものに浸りながら、心地よい沈黙に身をゆだねていると、おさんぽの時間にあの子が誰よりも早く蛇を見つけて周りに知らせているのを見た。
「どうやらうまくいったらしいな?」
少し嬉しそうに言う気さくなやつと目を合わせながら、満面の笑みで頷くと、周りから浮いていたあの子がみんなから褒められて、尊敬の目で見られているのが自分のことのように嬉しくてたまらなかった。
「居場所、あっちでもできるかもな」
夢での訓練のおかげで、あの子は今までよりも、誰よりも輝く子になれるんだって希望を持てた出来事でもあった。
君の居場所づくりを手伝わせてほしい。
いつか君が愛されて、大事にされる日が、大切にしてもらえる場所がありますように。
そのためなら心を鬼にすることだって厭わなくなった夢だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます