4-14 過去②*

 自身の夢へと導いてくれる小鳥を追い、らいむとれもんは暗闇を飛んでいた。

 横並びに翼を羽ばたかせ、さきほどから感じる視線に、らいむは微笑みを向ける。


「どうしたんですか、れもん?」


 ずっと見つめていた赤い瞳が弧を描き、腕を組んで唸る仕草をする。


「はっさく、今日はカフェに来ないかな?」

「帰ってまだいなければ、様子を見に行きますよ。夢鼠を狩ったことを報告して、今日は休んでいいと伝えておきます」


 はっさくが気の疲れで休むのはよくあることだ。体の病気であれば、店長がすぐに気づいて病院へ連れていってくれる。心遣いはするが、心配するほどではないと、らいむは知っている。


「じゃあ、今日はらいむといっしょに寝られるね?」


 はっさくを心配しているかと思いきや、れもんは悪戯いたずらっぽく笑みを浮かべた。


「はつに怒られますよ?」

「らいむ、なに想像しているの?」

「からかわないでください」


 そう言って、二人きりの空間で笑い合う。

 先を飛ぶ小鳥が、ひとつの扉の中へすり抜けて入っていった。

 木の扉があり、二人は扉の下にある小さな踊り場に降り立つ。


「さぁ、ここからは狩りに集中してくださいね?」

「わかってるよ。すだちにケーキを作る約束もしたから、早く終わらせよう」


 れもんはドアノブに手を置き、扉を開けた。先の部屋は闇が広がって、まだよく見えない。

 夢鼠は、人の夢の深いところに潜んでいる場合が多い。何度か扉を開けて進んだ先で、見つかる場合が多い。

 今までの経験から、れもんは最初の扉の先へ、なんのためらいもなく入っていく。


 カリ……。


 続いて部屋へ足を踏み入れたらいむの耳に、かすかな声が聞こえた。


「動かないでください」


 素速く指示を飛ばし、先に進もうとするれもんの前へ踏み出す。翼から一枚の羽根を抜き、ナイフに変えた瞬間、暗闇に向かって投げつけた。

 目の慣れた前方に、大きな夢の結晶が浮かんでいる。結晶の上にいた一匹のネズミが、脳天にナイフが刺さったまま、床へと落ちた。


「……夢鼠? 入ってすぐいるんだ」

「珍しいですが、なにが起こるかわからないのが夢鼠狩りです。油断してはいけませんよ?」


 れもんが呆気にとられた様子で、倒れた夢鼠を見ている。優しく注意を受け、表情を引き締めた。

 小さなネズミの姿をした夢鼠は、床にうつ伏せになり動かない。ナイフの刺さった脳天から、光の粒子が漏れ出ている。


「とどめを刺しますね」


 らいむが翼からもう一枚羽根を抜こうとしたところで、れもんの手に止められる。


「らいむだけズルいよ。僕の出番がないから、僕がとどめを刺すよ」


 言うや、左手のブレスレットを胸に当て、変身を遂げる。まるで御伽おとぎの王子のような純白の衣装に身を包み、左手につかんだ一枚の白い羽根が、大太刀おおたちへと変化する。刀を構え、床を蹴って飛び立っていく。


 はっさくがいたら、「でしゃばるな」と怒られそうだ。らいむは想像しながら苦笑いを浮かべ、夢鼠の目の前に降り立つれもんを、後方から見守る。


「夢に巣くうものは、夢の中で散れ」


 れもんが刀を振り上げる。夢鼠はもう力尽きているのか、ピクリとも動かない。


 しかし、床に倒れている夢鼠を見て、らいむは違和感を覚えた。力尽きたなら、体が光の粒子になって消えるはずだ。さきほどまで、ナイフが刺さっている箇所から光の粒子が漏れ出ていたが、今はなにも出ていない。


「れもん! 引いてください!」


 とっさに、らいむは床を蹴って飛び立つ。

 不意の声に、れもんは振り下ろす刀を止めて振り返る。

 動かなかったはずの小さなネズミの尻尾が、ピクリと揺れた。


 直後、れもんの背後から、牙を剥きだした大口が迫る。


「れもんっ!」


 らいむは腕を伸ばし、れもんの身体を突き飛ばす。

 床に倒れるれもんを見た直後、右足に激痛が走る。そのまま足を引っ張られ、グワンと身体が宙に浮く。


「くっ!?」


 足の痛みに歯を噛み締めながら、翼から羽根を一枚抜いてナイフに変化させる。柄を握り、足に噛みついているなにかに、戸惑いなく突き刺した。

 刺さる感触はあった。なにかが痛がるように大きく揺れ、らいむは振り落とされて床へたたきつけられる。


「らいむっ!?」


 一瞬の出来事だった。

 立ち上がったれもんは、倒れたらいむのもとへすぐに飛んでいく。上半身を起こして噛まれた足を押さえるらいむを、片膝をついて抱き支えた。


「ごめん! 大丈夫?」

「えぇ……、私は大丈夫です」


 無理に微笑みながら、れもんを見る。怪我をしていない仲間に、安心する。

 それから自身の足へ目を向けた。噛まれた箇所から血が滲んでいるが、ちぎられたわけではない。足が残っているなら問題ないと、立ち上がろうとする。


「……っ!?」

「らいむ!?」


 右足に力が入らず、身体がよろける。痛みとは違う。足を改めて見ると、小刻みに震え、痙攣けいれんしている。足の感覚も、しだいになくなっていく。


「毒……?」


 呟いた直後、獣の呻き声が聞こえた。

 夢の結晶のそばに、一体の夢鼠がいる。高さ六メートルほどの巨体で、頭部はライオン、背からヤギの顔が生え、尾はヘビの姿をしている。


「あれが、さっきの夢鼠……?」


 れもんの呟く声が震えていた。

 ナイフで致命傷を負ったはずの体は、何事もなかったかのように立っている。さきほど襲いかかってきたのは尾のヘビだろうが、刺した跡も見当たらない。なにより、今まで何体も夢鼠を狩ってきたが、こんな姿の怪物は今まで見たことがない。

 らいむの身体から、不意に支えがなくなる。手を離したれもんが立ち上がった。


「らいむは休んでて。あんなヤツ、僕ひとりで狩れるよ」


 ちらと振り返り、ウインクをして、笑みを見せる。

 らいむは胸の奥から、得体の知れないものがうごめく感覚を覚えた。

 感覚を言葉にするより早く、れもんが翼を広げ、夢鼠のもとへ行ってしまう。


「れもん! 待ってください!」


 呼び止める声は、夢鼠の雄叫びにかき消される。

 品定めするように動かなかった夢鼠が、刀を構えて突っ込んでくる相手に狙いを定め、迎え撃つ。


 ――一刻も早くれもんに加勢しなければ。


 らいむはそう判断し、再び自身の足に目を移した。はいているズボンをナイフで切り裂き、噛まれた傷口を出す。裂いた布切れで、傷口より心臓側を縛る。さらに身を屈めて口をつけ、血とともに毒を吸い取り、吐き捨てる。何度も繰り返し、毒をできる限り出そうとする。

 だが、右足は依然、震えて感覚がない。しだいに左足も感覚を失い、力を込めなければ身体全体が思うように動かせなくなる。


「メェェェエエエエエーーーッ!!」


 突然、耳をつんざくような鳴き声が響いた。頭が割れそうな痛みを起こし、身体の自由が利かなくなる。やっとのことで目を動かし、声のしたほうを見て、息が止まる。

 れもんが石造りの柱へ身体を打ち付け、力なく落ちていく。きらびやかな純白の服は切り裂かれ、焼け焦げた跡があり、赤く滲んでいる。ひたいから血を流しながら、大太刀を床に突き刺し、よろめきながら立ち上がる。

 真正面には、無傷の夢鼠。ライオンの口を開け、容赦なくれもんに炎を吐いた。


「れもんっ!」


 自分の身体も忘れ、らいむは叫んだ。

 燃え上がる炎の中へ、夢鼠は鋭利な爪を突きだした前脚を振り払う。白い羽根を散らしながら宙へ高く飛ばされた身体が、床に落ちて転がる。握られていた大太刀は離れた場所に突き刺さり、倒れた身体は、かすかに動くが起きる気配がない。


「れもん! 逃げてください! れもんっ!」


 悲鳴のように叫び、届かない仲間に手を伸ばす。

 夢鼠が、ゆっくりと、倒れたままのれもんへ近づいていく。

 

「こちらです! 私が相手になります! 夢鼠!」


 夢鼠の注意を向けようとする。ナイフを投げようにも、指さえ思うように動かせない。乱暴にむしり取った自身の羽根は、形を変える前に手から落ちてしまう。

 夢鼠はらいむに一瞥をくれることなく、れもんを見下ろす位置へやってくる。


「やめてください……」


 夢鼠が、前脚をあげる。

 うつ伏せに倒れているれもんが、両腕に力を込めてかすかに顔をあげる。夢鼠を見る表情は、歪んで震えて、今まで見たことがないほど、怯えている。


「れもん……っ!」


 その顔を見た瞬間、らいむはありったけの力を込めて、飛び立っていた。どう動けたのかわからない。がむしゃらに身体を動かし、気づけば、真紅の衣装に身を包み、夢鼠の目の前に、仲間を庇うために立っていた。


「これ以上……れもんを、けがすなっ!!」


 直立できたのは一瞬。すぐに足が崩れるように倒れていく。

 視界には、夢鼠の鋭い前脚が、今まさに自分を切り裂こうと迫っていた。

 覚悟した痛みは、仲間が傷つけられるよりマシだ。


「らいむっ!!」


 大量の白い羽根が、赤い液体とともに宙に飛び散った。

 痛みが来ない。床に倒れるでもなく、切り裂かれるでもなく、らいむの身体は横になり、温かな腕に抱かれていた。すぐ目の前には、れもんの顔。倒れていたはずのれもんが、らいむを抱きかかえ、走っている。


「……れもん?」

「ごめんね、らいむ。もう、大丈夫だから」


 怯えた表情は消え、笑顔でれもんが言う。らいむはその意味がわからない。

 ハッと視線を動かすと、後ろから夢鼠が追いかけてくる。ひと跳びされれば追いつかれる距離。ただ、それ以上に違和感をおぼえ、焦点を近くへ移す。

 れもんの背から生えた白い翼が揺れている。それは右の翼だけで、らいむの位置から見えるはずの、左の翼が、ない。


「翼が……!? れもん!? れもん!!」


 れもんはらいむを見ることなく、前を向いて走り続ける。


「大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫」


 何度も何度も何度も、その言葉を繰り返す。

 後ろから迫る夢鼠の尾が体を伸ばし、牙のある口を開けてきた。


「……うっ!?」


 ヘビが、れもんの背中からなにかをもぎとっていく。

 れもんは身体を後方へ引きずられるが、足で踏みとどまる。一瞬、顔をしかめるが、すぐに前を向いて再び走り出す。

 引っ込んだヘビの口から覗くのは、白い羽の片翼。


「れもん!? もう止まってください!」


 れもんの足は止まらない。らいむをしっかり抱えたまま、一直線に走っていく。


「大丈夫。大丈夫。大丈夫」


 口の端から血が流れても、言葉を止めない。


「れもん! れもんっ! れもんっ!!」


 らいむは何度もれもんの名前を叫んだ。全身がすでに動かせず、叫ぶしか、できなかった。


「大丈夫。大丈夫」


 走り続けた先で、唐突に、らいむの身体が突き放された。

 さきほど入った木の扉が開かれ、外へと、身体が投げ出される。

 視界に映るれもんは、扉の内側で、立ったまま。

 真後ろには、ライオンの並ぶ牙と炎の渦巻く口内が見えた。


「……っ!?」


 声も出せず、身体も動かず、愛おしい仲間が離れていく。

 その口が開き、なにかを紡ぐ。


「      」


 次の瞬間、らいむの瞳の中で、真っ赤な鮮血が破裂した。

 赤く染まった扉が、音を立てて閉まる。




  【第四章 終】



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る