授業後に魔術練習室で自主トレをするのが日課になってきたある日、毎日自主トレに付き合ってくれているシャールが珍しく「悪いが今日は行けない」だそうで、一緒にいない。

 ひとりで黙々といつもの練習メニューをこなしてから学生寮へ向かう途中、ふとシャールの気配を感じた気がした。


 魔力が上手く循環できるようになってから、人や動物の気配に敏感になった。

 最初はあまりにも気配が気になって落ち着かなかったが、魔力の循環を無意識でも行えるようになってからは、あまり気にならなくなった。


 シャールの気配だけ引っかかったのは、久しぶりにシャールのいない授業後を過ごしたせいだったのか。


「――分かっている」

「でしたら、すぐに」

「しかし、彼は――」

 気配の方へ向かうと、シャールと誰かが話していた。

 盗み聞きするつもりはなかったが、結果的にそうなってしまった。


「やはり巻き込むわけには」

「そんなことを仰るのでしたら、こちらから」

「それだけは止めてくれ。もう少し、時間を」

「悠長なことを言っている場合ではございませぬ」

 なにやら込み入った話のようだ。


 そして気になるのが、相手の男性が、まるでシャールを高位貴族のように扱っていることだ。

 男性は声の質からして、大人だ。

 そういえば、シャールはラウンジで「侍女にお茶の下準備をさせている」と言っていた。

 先日の奴の言を信じるならシャールは子爵令息だ。

 学院に使用人を連れて入れるのは、実質伯爵のみ。


 何か、隠しているのだろうか。


「よう」

「うわっ!」

 考えに耽っていたら、当のシャールに声を掛けられた。相手の男性の気配は既に遠ざかっている。

「ごめん」

「何が?」

「その、ちょっと盗み聞きしちゃった」

「かまわないよ。っつーか、丁度良かった。お前に関係ある話なんだ」

「へっ?」

 僕が声を上げると、シャールは僕の両肩にばん、と手を置いて、下を向いた。

「こちらこそ、すまない。巻き込む。というか、巻き込む目的でお前に近づいた。この件を手伝ってくれた後なら、縁を切ってもらって構わない。理不尽なことを言っている自覚はあるが、少しだけ協力して欲しい」


 苦しそうな親友の声。

 僕はシャールの手を肩から外し、シャールの両脇に下ろさせた。

「ローシェ……」

 そして、シャールの頭をぽん、と叩いた。

「!?」

「詳しく聞かせてもらおう。話はそれからだ」

 僕がニッと笑うと、シャールは泣きそうな顔になった。




 学生寮の、シャールの部屋に案内された。

 そういえば、寮内で他の生徒の部屋に入ったことがない。

 どうせどの部屋も同じ作りだろう……と考えていた僕が甘かった。


「シャールって、子爵令息じゃないだろ」

 寮の最上階、四階の角部屋は、僕の実家の自室よりも広かった。

 多分、普通の部屋三つ分はあると思う。

「子爵だよ、俺はね」

「……ん?」

 僕は伯爵令息だ。つまり、伯爵位を持っているのは父であり、僕じゃない。

「改めて自己紹介といこうか。俺はシャール・ディスタギール子爵。父はブルム・ガッシャー公爵だ」

 シャール本人が子爵位持ちで……父親が、公爵?

「ガッシャー公爵って、あのガッシャー公爵か!?」

「多分お前の考えてるガッシャー公爵だ」


 同じ貴族位の中にも、序列というものがある。

 伯爵以下の序列は希薄だが、侯爵と公爵は明確だ。


 例の奴の父親、ネビス公爵なんかは、三代前が王族というだけで、その後特にこれといった功績を上げていないため、公爵家の中では下の方だ。

 逆にガッシャー公爵は、今代は確か現王の妹君が嫁がれた家だ。何代か前にも王族がいたし、国の中枢を担う政治家や、優秀な騎士団員を何人も排出している。


「今までのご無礼を謝った方がいい?」

「そんなことするなよ。お茶だって俺が好きで淹れてるんだから」

 そうだ僕、毎日のようにシャールにお茶淹れてもらってた。それこそ使用人にやらせればいいのに。

「お茶淹れるのが好きな公爵令息って」

「子爵だってば。まあ、公爵令息でも間違ってないんだが、学院にいる間の俺は子爵、それどころか子爵令息と勘違いされてたほうがマシまである」

「なんだそれ」

「諸々説明するから座ってくれ。お前の侍女には連絡入れておくから、夕食も一緒に」


 寮の食堂では絶対出て来ない、とんでもなく高価で美味しい夕食とお茶を頂きながら、シャールから話を聞いた。




 シャールは「味方」を探すために、聖学院入学を蹴って、貴族学院へ入学した。

「味方?」

「政治的なしがらみが少なくて、できれば文武両道な友人。政治的な云々は伯爵以下に限定されるし、聖学院の奴らは身分だけで生きていけると勘違いしている奴らの集まりだから、文武両道どころかお貴族らしい振る舞い以外、何も脳のないやつばかりだ。優秀なやつは貴族院に入らず優秀な家庭教師をつけて、自宅で勉学と武術に励んでる。外に出てこないから、知り合う切掛すら無い」

「なるほど。で、どうして味方が欲しいんだ?」

 シャールは音を立てずにフォークとナイフを置いて、僕を見た。


「次の国王になるやつに、もっと危機感を持たせたいんだ」



 ガッシャー公爵夫人が国王陛下の妹ってことは、王宮におられる王子殿下や王女殿下は、シャールの従兄弟だ。

 つまり、少なからずシャールにも、王位継承権がある。

「第一王子殿下は俺たちより十歳年上なんだが、こいつがどうにもやる気がなくてな。第一王子っていう身分に胡座をかいて、勉強も武術も適当にやってるんだよ」

 第一王子殿下は眉目秀麗かつ聡明な方で外交では評判が良いと聞いているが、それ以外の話は知らない。

「頭は良いんじゃないのか?」

「地頭はいい、何せ王族だからな。だけど、本人にやる気と危機感がない。過去六代に亘って第一王子が王位を継承してきたから、自分もどうせそうなるだろうと踏んでいるのさ」

「ふむ。それで、それとシャールが味方を作ることに、何の関係が?」

 ここまでの話だと、僕がシャールの「味方」になる理由が思いつかない。

 シャールは僕を利用するつもりだった等と言っているが、利用するつもりのだけの相手の、暴発の危険が伴う魔力制御訓練に、体を張って付き合うだろうか。もっと安全な奴を味方に引き入れればいいだけの話だ。

「言ったろ、政治的なしがらみが少なくて、できれば文武両道がいいって。それ以前に俺は……いや、今はこの話じゃないな。俺は、王位継承戦に名乗りを上げるつもりなんだ」


 話しながら食べていた食事はとっくに空になり、今はお茶を飲んでいる。

 流石に、シャールではなくシャールの侍女が淹れてくれた。


「何も馬鹿正直に名乗りを上げたりするわけじゃない。ほんの少し仄めかして、貴族学院を優秀な成績で卒業して、その隣に優秀な人物がいるとなれば、周囲は『シャールこそ王に相応しい』ってなるだろ?」

「そうやって、第一王子のケツを蹴ろうってわけか」

「そうだ。……さっきも言ったが、俺は本当に王になろうなんて考えてない。お前は、俺の友達のフリをしてくれていたらいい。もし何か不利益や不都合があったら、全部俺に擦り付けてくれ」

「つまり学院を卒業するまでの、期間限定の友達でいろってことか?」

「ああ」

「お断りだ」

 僕は立ち上がって、シャールの隣に立った。

 ほんの二時間ほど前にシャールがやったのと同じように、シャールの両肩を両手で掴んだ。

「ずっと友達でいてくれよ」

 僕が口元を歪めてみせると、シャールはまた泣きそうな顔になり、下を向いた。

「ありがとう、恩に着る」

 下を向いたシャールから聞こえてきた声は、少し掠れていた。




 シャールに言わせれば、僕たちの間に「契約」が結ばれた翌日。

 僕とシャールはいつもどおり授業を受け、一緒に昼食を取り、魔術の実技は二人で組んで、授業が終わった後は練習室で自主練をした。

 契約を結ぶ前と何ら変わらない。

「これ、契約する必要あったか?」

 自主練中にシャールに問うと、シャールは頷いた。

「王位継承権に関わることだからな。面倒なことが起きるかもしれない。そのときに、説明してあるのとないのじゃ、取る行動や選択肢が違ってくるだろう?」

「それもそうか……?」

 何も知らずに巻き込まれたとしても、僕はシャールの味方をするだろう。

 でも、シャールの立場からしたら、何も知らない友人を巻き込むよりは動きやすいかな。

「具体的に何が起きたりするんだ? 推論でいいから教えてくれ」

「そうだな、まず、第二王子がちょっかい掛けてくる」

「第二王子って……」

 国王陛下と二人の王子と二人の王女の顔は知っている。

 第一王子が細身の理系イケメンだとしたら、第二王子は体育会系ゴリマッチョだ。

「お二人は仲が宜しいと」

「どうだろうな。ただ、第二王子は王位に興味はないらしいが、第一王子に何かあれば、自分が王になってしまうと思いこんでおられる。だから、第一王子の継承権が脅かされることがあれば、出てくるだろう」

「なるほど」

「他には、他の高位貴族の妨害や応援だな。これはまあ、王位継承権につきものの余興だと思ってくれて構わない」

「余興って……」

「俺の地位は、ただの殿下の従兄弟だ。王位継承権も十位以内に入っていない。普通に考えたら、天変地異でも起こらない限り、王になることなどない。それでも、俺を利用しようとしたり、あるいは邪魔しようと考える貴族もいるだろう」

「やっぱり余興と言うには重すぎるよ」

「いいや、余興だ。余興だと考えてくれ。利用でも邪魔でも、ローツェに実害が出たら……いや、出そうになったら、すぐに言ってくれ」

「わかってるよ。僕だって面倒は御免だ」

「頼もしい。本当に助かる」

 シャールは僕の肩をぽんぽんと叩いた。




 契約してから数日後、異変が起きた。

「おはよう! ガルマータ君。いや、ローツェと呼んでも良いかな?」

 教室に入るなり、奴ことフォート・ベン・ネビスから爽やかに挨拶された。

「おはようございます。僕のような伯爵令息如きがネビス公爵令息様と友人づきあいのようなことをするなど、畏れ多くてお断りです」

 なるべく丁寧に断ろうとしたけど、最後に本音出ちゃった。

「そんなこと言わずに。今までの俺の態度のことなら謝るよ。仲良くしよう、な?」

「畏れ多いので、これ以上話をしないほうがよろしいかと」

 奴は先生が教室へやってくるまでの間、ひたすら僕に話しかけ続けた。

 鬱陶しい。

 後から教室にやってきたシャールに視線を送ると、シャールから「すまん」のジェスチャーが来た。


 よりによって、こいつに嗅ぎつけられたのか。

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