入学式から十日経った。

 授業にはちゃんとついていけているし、友人もできた。


 しかし、順風満帆、とは言えない。


「おい、ガルマータ。お前がやっておけ」

 授業後、僕の机にぱさりと書類の束を落とし、居丈高に命令するのは、例の公爵子息、フォート・ベン・ネビスだ。

 奴――こいつに「彼」とか「クラスメイト」とかいう丁寧な言葉は使いたくない――は公爵子息の立場を最大限悪用し、多数決で僕に決まりかけていたクラス長の座に無理やり座った。

 そこでちゃんと仕事をすればまだ文句はないのだが、地味な作業は全て僕や他のクラスメイトに押し付けてくる。


 僕が主な標的な理由は、嫉妬だ。

 座学も実技も、僕がクラスのトップにいる。こればかりは、公爵権限でも覆せなかった。

 奴は僕の足を引っ張るためだけに雑用を押し付け、自分はテストでいかにカンニングをするか、実技をどうやって誤魔化すかということに心血を注いでいる。


 書類は、ただ教員室の担任に届けるだけの仕事だ。

 自分で持っていけば教師からの好感度も多少は上がるだろうに、そこまで気が回らないと言うか、どう僕の邪魔をするかしか考えていない。


 この十日で、奴にはあれこれ言った。学校内では貴族位は関係ないことも、僕がやるべき仕事でないことも、そもそもお前が自分でクラス長になっただろうということも、全部言った。

 その上で、これだ。

 奴は人の話を聞く能力がない。

 口論するだけ時間の無駄だ。


 僕は無言で書類の束を掴み、教室を出た。



 担任に無事書類を届け、教室には戻らず、ラウンジへ向かった。

「ローツェ、こっちだ」

 僕をファーストネームで呼び、手招きしているのは、学院で初めて友人になってくれたシャール・ディスタギールだ。

 シャールが陣取っているテーブルには、二人分の紅茶とお菓子が並んでいる。

「書類運びすら君に任せるようになったなぁ、あいつ」

 シャールは気さくに笑いながら、僕のカップに紅茶を注いでくれた。

 長めの赤い髪を後ろに括った緑眼のシャールは、同じ十歳と思えないほど大人びている。

 人を世話するのが好きらしく、僕が奴になにかされた後は、こうしてお茶に誘って労ってくれる。

「ありがとう。先生ももう、あいつに仕事振らないしな」

 先生たちも、何かの圧に屈しっぱなしではない。


 クラス長が奴に決まった三日後、僕は他の数名のクラスメイトと共に、担任に呼び出された。

「彼にはクラス長の仕事は重たすぎる様子です。申し訳ないのですが、クラス長の仕事は貴方たちに割り振ります」

 担任は僕たちの前で、奴のことを「お飾りのクラス長」「彼にクラス長の評価は与えない」と宣言した。


 奴は入学から十日で、先生たちを含めた全員から「使えない、出来ない奴」と認識された。

 知らないのは奴だけだ。


 ラウンジでゆっくりと休憩し、予習を済ませてから、教室に戻る。

 日本の学校と違って、授業と授業の間の休憩時間は三十分もあるのだ。



 教室の近くまで行くと、何やらざわざわしているのに気づいた。

「騒がしいな。なんだろう」

「僕たちのクラスじゃないか?」

 どうせまた奴が我儘でも言ってるのだろうと、軽く考えて近づいた。


「このクラスは不正に満ちている! 我が息子の評価、成績がこんなはずがない!」

 騒いでいるのは大人だった。

 プラチナブロンドに碧眼の整った顔立ち……誰かに似てる、とかじゃなく、間違いない。

 奴が大人になったらあんな感じだ。

「ネビス閣下、わが校に不正などありません」

 やっぱりネビス公爵本人だ。

 特別な用事や行事がない限り、生徒の親は学校に立ち入れないはずなんだけどなぁ。

 担任の先生がなだめているが、火に油を注ぐ結果になった。

「何だと!? さては不正は貴様の仕業か! 貴様はクビだ!」

 本当のことを言っている大人が、真実を信じない大人に仕事を奪われようとしている。

 教育上良くないだろ、この光景。


「学力で信じていただけないのでしたら、実技はどうでしょう」


 僕たちの後ろから、しわがれた声がした。

 院長先生だ。いつから背後にいたのだろう。気づかなかった。

 院長先生は僕の肩をぽん、と叩いて、ニッと笑みを浮かべた。

「例えば、彼は学年トップです。貴方の息子の評価がおかしいと仰るなら、彼に勝てますよね?」

「ふん、剣技など、貴族に必要ない。それに、そいつが下手な剣を振るって我が子に怪我でもさせたら何とする」

「怪我の治療に関しては、我が学院の保健医の腕は確かですよ」

 この世界には魔力があり、魔術がある。

 魔力は誰でも多少は持っているが、魔術を扱うには一定以上の魔力量を持っていないと、発動しない。

 残念なことに、僕は魔力量が多くないため、魔術は使えない。

 医者は大抵、治癒魔術師だ。保健室にはまだお世話になったことはないが、保健医は魔術使いなのだろう。

「それと、貴族にこそ武術が必要な世の中です。公爵ともあろうお方が、前時代的なお考えでは……」

「うるさい! 貴様も私に逆らうのか! 私はネビス公爵だぞ!」

 この親にしてあの子供あり、というものの実例を見せる教育には適した見世物だなぁ。

 僕がそんなことを考えていると、剣技の授業を受け持っている男の先生が、僕に練習用の刃を潰した剣の柄を差し出した。

「え、ここでやるんですか?」

「院長が結界を張ってるからね。ここでやることになると思うよ」

 周囲を見渡すと、ほんのり虹色の膜に覆われていた。これもいつの間に魔術が使われたんだろう。

「この学院がお気に召さないのでしたら、どうぞご子息共々ご退去ください。不正を見極めたいと仰るなら方法は一つ、彼とご子息の一騎打ち。どうなさいますか?」

 院長先生はあくまでおっとりとした口調で語りかける。

 貴族で一番位の高い公爵を前に、一ミリも動じていない。

 そんな院長先生の様子に、公爵はたじろいだ。

「ぐ……。フォート! できるな!?」

「えっ!?」

 呼ばれた息子は、思いっきり腰が引けている。


 初めての剣術の授業で、先生が成績順に相手を決めようとしたら、奴は無理やり僕を指名した。

 そこで完膚なきまでに負かして泣かしたことは、奴の記憶力でも覚えていたようだ。

 ……泣かすつもりはなかったのだが、奴はどこからか持ってきた真剣で僕に斬りかかってきたので、僕も本気で相手した。結果、奴の剣を折ったら勝手に泣き出したのだ。

 剣術の授業に真剣が持ち込まれた件では先生から、奴はこっぴどく叱られ、僕は謝られた。奴の所業は、こんな親がついてるんじゃ先生にもどうしようもないだろうに。


 僕が剣の柄を手に取ると、先生が僕の背中を押し、僕は奴の前に立った。

「ち、父上! 私はこやつに以前……」

「どうした。お前の腕ならば、こんな下級貴族の学校の生徒など、ひとひねりだろう?」

 親子で意思疎通ができてない。大丈夫か、公爵家。


 僕が剣を構えると、公爵はぎゅっと眉間に皺を寄せ、奴は竦み上がった。

「ひ、ひぃ、ひいいいいぃぃいいい!!」

 奴は悲鳴みたいな声を出しながら、剣を振り上げて僕に向かってきた。やることにしたらしい。

 奴の隙だらけの振り下ろしを躱して背後をとり、剣を喉元へ突きつける。


 試合ならこれで終わるので、油断していた。

「うわぁあん!」

 奴は喉元の剣を全く見ずに、手にした剣を振り回した。

 刃の潰れた剣とはいえ、金属は金属だ。

 しかも振り回した高さが拙かった。

「ぐっ!」

 目元に剣が当たった。とっさに目を閉じたから眼球は守れたが、瞼が切れたようだ。地味に痛いし、目が開けられない。

「ローツェ! おい、勝負はついてただろう!」

 シャールの声だ。

「なんだと? 今何か言ったやつは誰だ、出てこい」

「私です、公爵閣下。貴方のご子息は試合の礼儀も知らないのですか!」

 シャールが公爵に食って掛かると、見物に集まっていた生徒や先生たちからも非難の声が上がった。

「卑怯だぞ! それでも上位貴族か!」

「大体どうして公爵子息が貴族院にいるのよ!」

「成績だって下級貴族より下のくせに!」

「一組に無理やり入ったのは誰だよ!」

「な、なんだとっ」

 最上位貴族の公爵閣下といえど、数の暴力には敵わないらしい。

「大丈夫ですか、ガルマータ君」

「目が開けられないです」

「すぐに保健医が来ますからね」

 僕のところには担任らしき人が駆け寄ってきて、手を握り声を掛けてくれた。

 後で聞いたのだが、この時奴が何をしていたかというと、僕に更に斬りかかろうとしていたところを、公爵を押しのけて僕と奴の間に割り込んだシャールやクラスメイトに取り押さえられていたそうだ。


「ネビス公爵!」

 カン! と甲高い打撃音が響いた。

 院長先生が持っていた杖で、床を鳴らしたのだ。


 その頃には息を切らしてやってきた保健医の先生が治癒魔術を掛けてくれて、僕も周囲を見ることができた。


「貴方と貴方の息子の所業は目に余るものがあります。今日の一連の行動は……あちらの記録具に記録してあります。あれを、国王陛下に提出させていただきます」

「何っ!?」

 院長先生が杖で指した方向には、黒くて四角い……所謂監視カメラ異世界版が設置してあった。今日は「いつの間に」が多すぎる。

 国王陛下に提出、といっても、本当に国王陛下がカメラの内容を精査するわけではない。

 国の中枢を担う大臣等、貴族よりも更に上の人達に見せる、という意味だ。


「ローツェ・ガルマータ君、大丈夫かね。まさかこんなことになるとは……認識が甘かった」

 院長先生が優しく声を掛けてくれる。

「治癒魔術のお陰で、もう大丈夫です」

 僕が目をぱちぱちさせて元気をアピールしてみせると、院長先生はやわらかく微笑んで、再び公爵に向き直った。


「彼の目の治療代と、授業が妨害された生徒たちへの慰謝料は、しっかり請求させていただきます」

 いや、目、治ってるんですが。そもそも瞼を浅く切っただけで、放っておいても治る程度の……と思ったが、僕は何も言わずにおいた。

「……覚えていろよ」

 公爵は、バリバリに悪役の台詞を吐いて、その場から立ち去った。



 この騒動の発端でもある公爵子息本人は何故か学院に残り、何なら再開した授業に出席していた。

「どんだけ厚顔無恥だよ、あいつ」

「しかもガルマータ君に謝ってないわよね」

「大変だったね、ガルマータ君」

 授業後、そそくさと教室を出ていった奴の背中には、非難の言葉が次々に投げかけられた。

 そして僕には一気に同情が集まった。

「僕はもう大丈夫」

 本当にかすり傷だったのに、斬られた箇所が箇所なだけに、皆本気で心配してくれている。

「授業中、板書見えた?」

「うん。本当に平気だから。あ、シャール、ラウンジ行くか?」

「おう、行こう」

 ただちょっと、普段ろくに会話をしない人まで僕に構いすぎだ。僕はシャールに助けを求め、シャールも僕の意を汲んでくれた。


 ラウンジへ着くと、シャールは早速紅茶を淹れてくれた。

 そして僕の正面に座り、僕の目をまじまじと見つめた。

「……うん、傷跡もない。ここの保健医の腕が良いって、本当なんだな」

 シャールは一人納得して、紅茶を持ち上げた。

「ありがとう。シャールこそ大丈夫か」

「うん?」

 シャールは紅茶を飲む寸前で止めた。

「公爵に突っかかってたじゃないか。あれ、いいのか?」

「それこそ平気だって。ここは学院で、向こうは無許可侵入者で、しかも息子をけしかけて生徒に怪我させた大悪人だぜ。これで俺がなにかの罪に問われるなら、この国がおかしい」

 シャールの言うことは最もなのだが、何せ相手はあの奴の親で公爵だ。

 僕が黙り込んだ理由を正確に察したシャールが、紅茶を置いて僕の肩をぽんぽん叩いた。

「本当に、気にすんな。どうとでもなる」

 シャールがあまりに自信たっぷり、余裕綽々なものだから、僕も心配するのは止めた。




 そんな事件から三日後の授業後、僕は院長先生に呼び出された。

 院長室には保健医の先生もいて、血圧計みたいな道具を持っている。

「やあ、ガルマータ君。急に呼び出してすまないね」

「いえ」

 何故呼び出されたのか。心当たりは三日前の事件のことくらいだが、それ以上のことはまったくわからない。


 院長先生から出たのは、意外な話だった。


「君は入学前の魔力診断で、魔力値20だったはずだね。今も変化はないかね」


 魔力値は、100以上あれば魔術が使えるとされている。僕の20は、平均よりも少ないくらいだ。

「無いと思います」

 魔術が扱えない限り、自分の魔力値を自分で知ることはできない。

 ではどうやって魔力値を測るかというと、そこは異世界最先端技術の出番。

 保健医の先生が持っている道具が、魔力測定器だ。

「先日君を治療した時、魔力による魔術阻害を確認してね。再測定したいのですよ」


 僕は血圧計もとい、魔力測定器に腕を通した。

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