第二章/あるいは落ちこぼれ学院生活

落ちこぼれ学院生活①

 静謐とした空気に反して、男の心中は騒然としていた。

 王立第一魔術学校に併設されている王立図書館別館――つまり学院の図書館――の片隅である。男は早朝から、壁に埋まる図書を抜いては開き抜いては開きを繰り返している。理論魔術。魔具。呪物。歴史。地理。宗教。伝承。蟹歩きに移動しながら、帝国が蒐集した魔術的英知をぱらぱらとめくっては、どこか落胆した様子で戻していく。どれも難しい書物ばかりだ。そうつまみ食いの要領で咀嚼できるようなものではないから、おそらくは確認したい一説でもあるのかもしれない。

 例えば、人の意識を先鋭化させる呪物の存在に関する一説とか。

「うぅ……見つからない」

 男――ノエル・フォーチュンは最後の一冊を棚にしまうと、両手で顔を覆った。

 お目当てはもちろん、例の翠玉の首飾りに関する伝承である。あれほどの魔具であれば、呪物であれば、どこかに言い伝えが残っているのではないかと思ったのだ。が、数時間かけて収穫はなし。同じような効能を持った呪物の記述すら見つからなかった。

「禁書モノなのかな」

 何かしらの理由から、閲覧不可能となっている書物を禁書という。例えば『帝国の統治を妨げるもの』や『著しく倫理的規範から外れているもの』なのが該当する。といっても、古代ヘレーネの正当なる末裔を自称する帝国は他国や教会に比べて検閲がゆるく、禁書のほとんどは『誰かが再現しようとしたらまずい』魔術書の類で、だから普段は問題にならないのだけれど。

「いや、でも、それっぽい記述がどこにもないってことがあるのか?」

 作り方や詳しい効能が書いてあるのならともかく、ちょっとその存在をほのめかす程度では禁書処分にはならないだろう。そう考えると、世には全く知られていない、しかし個人の手には余るような呪物、ということになろうか。

 ちら、と貫頭衣の下を覗く。

 昨夜のあれ以来、翠玉の首飾りは変わった様子を見せていない。感覚が鋭くなるとか、頭がよくなるとか、眠りが深くなるとか、そういうこともなかった。完全に沈黙している――まるで人に対するような表現だが、ノエルにはそう思えた。

 持っているべきではないと思う。

 さっさと売ってしまうか、しかるべき場所に寄贈するか。

 今だって慌てて図書館で調べ物をするような有様である。そうするべきだとノエルは心の底から考えていた。なのに、指が動かない身体が動かない。目を離すのが怖いからと言い訳をして首から下げて、こうして御する方法を探している。

「……もう少し調べてみよう」

 今度は逆方向に図書を漁っていく。翠玉の首飾りに関する記述ではなく、呪物に関する知識を洗い直すことで、手掛かりを掴もうという算段である。魔具に関する講義は履修済み、所属研究会は理論魔術の権威、モールディング教授のモールディング研究会である。頼りないながら土台はあった。

 昼食時が終わる頃合いまで書物をがじがじして、ノエルは結論を得た。

 分からん。

 いつもの投げやりな結論ではなかった。本当に分からなかったのだ。

 まず、翠玉の呪物という点がおかしい。

 青緑の輝きで知られる翠玉は、今でこそ宝石として馴染み深いが、その産地は大陸の外、ずっと南にある別大陸である。ゆえに、帝国と言わず大陸で出回るようになったのは、交易が盛んになってから、時代で言うと第一魔術革命の少し後ということになる。

 一方で、呪物と呼ばれる魔具の全盛期はそれ以前である。所有者に半自動的に効能を与える魔具、とも定義される呪物は、大昔にはすこぶる流行ったのだが、魔術師が爆発的に増えた一次革命以降、そのお手軽な効果に惹かれる人間が増えたため、贋物や粗悪品が出回り、そのあおりを受けて下火となって、表舞台から消えてしまったのだ。

 つまり、年代が噛み合ってないのだ。

 もちろん、下火なって以降も、微かながら個人レベルでの生産はあったはずである。が、それだけ産業が衰退した中で、こんなものが生まれたとなれば、むしろ注目を浴びてしかるべきではなかろうか。呪物の効能は一部の例外を除いてほとんど気休めである、なんて現代の風潮が違うものとなっていたかもしれないような、時を越える大作であるからして。

「あと、単純に効果が強過ぎるんだよな」

 気休めでない一部の例外ですら、ちょっと魔素の流れが感じやすくなるとか、眠りが深くなるとか、集中力が上がるとか、そんな効能なのである。まるで大気に意識を溶け込ませるような効能は、規格外なんてものではない。

「……考えれば考えるほど持っていちゃいけない気がする」

 正直怖い。心理的な恐怖ではなく、本能的な恐怖である。

 身を滅ぼす。

 ――それに、昨日の追手。

 あれはこの首飾りの効果を知っていたからこそのものだった、と考えて間違いはないだろう。それなりに金のありそうな人間が、強盗してでも欲しいもの。あるいは、強盗以上の行為――所有者を害してでも欲しいもの。学院に、ひいては帝国と女王陛下に弓引いても欲しいもの。

「しばらくは街に出ない方がいいよな」

 酒場で話してしまったから、顔は覚えられているはずだ。学院内が安全地帯であることを祈って、ほとぼりが冷めるまでこもっていのがよかろう。

 しかし、

「なんで悩みが増えてるんだよ。うう」

 悩みを沈めるために酒場に行き、悩みを解消するために首飾りを購入したつもりだったのに。

 嘆いていると、向かいの席に誰かが座った。

「おぬしは独り言が多いな」

 リチャード・ラッセルだった。ノエルは驚いて、思わず一枚布をかき抱いた。見られたからといってどうなるわけでもあるまいに、後ろめたさと恐怖心が反射的にノエルを動かした。

 もっとも、彼の興味は端からノエルの手元にしかなかったようだ。彼はノエルのおかしな態度には言及せず、並べられた書物を見て、

「進んでいるか」

 何のことだと一瞬ぽかんとしてしまったのは、眼前の悩みが大き過ぎたからで、どかしてしまえば、答えはすぐそこにあった。研究会の論文である。

「ああ、ええ。ぼちぼち」

 当たり前だが進んでいない。昨日は酒場に出かけ、今日は朝から首飾りについて調べ物をしていたからだ。しかし、今現在のノエルを見て、言葉を疑う人間はいないだろう。ラッセルもそうだった。

「それは良いことだ。実は話したいことがあってな、一息つく頃合いになったら付き合ってくれぬか」

 手掛かり一つ掴めていないのだ。一息付ける頃合いなどいつになることやら。そう嘆息してから、天啓のようにひらめいた。

 この男に相談してみてはどうか。

 知識は十分。口も堅いと聞く。呪物の煌めきに当てられて悪さを働く、などということもあるまい。おまけに、説教されるのも慣れているから、多少ぼかせば、これを買ったことについて咎められても、大して心も痛まない。

「む、忙しいか」

 ノエルが黙り込んだのをどう解釈したのか、ラッセルは難しい顔をした。

「こちらもどうでもいい話というわけではないからな、無理ない範囲で時間を作ってもらえるとありがたいのだが」

 ノエルは決心した。ただ、余計な詮索をされては困るから、あくまでさりげない風を装って、

「いえ、構いませんよ。ちょうど一段落付いたところだったので」

「そうかそうか。おぬし昼食は?」

「まだです」

「では、少し遅いが食堂へ行こう」

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