第44話

「よくそんなこと考えついたわね!」


 カレンはダウンタウンを目指す地下鉄の車内で、しみじみと感心したように嘆息した。


 暁とカレンは約束通り、シリルと三人で食事をする為に待ち合わせに向うところだった。


 厚いコートを着てブーツを履いていても、外を歩けば雪を踏んですぐに体は冷えていく。けれど、カレンの着ている真っ赤なコートは目に鮮やかで見ているだけでほのかな熱を感じられる気がした。


「でもカレンだって自分の知識や経験を生かすようにって言ったでしょ」


「別に私はそれが科学のことだとは思ってなかったけどね」


「それじゃあ私の知識と経験ってなんなの」


「それはあなたが生きてきた中で得たものでしょう。日本の、美しい文化や風習とか」


「……私、そういうのを意識して生きてなかったよ……。ただ目の前にある。当たり前のものだと思ってたんだもの」


 近くにあるものほど気がつかないのと同じだ。今頃、鷹住の山にも雪が降っているだろう。あの山の寒さも厳しさも、美しさも、暁にとっては当然のものだった。けれど今はその尊さが痛いほど分かる。その中で何も考えずに魔道と呼ばれる力を使ってきたことを。鷹住の神々が暁を許さなかったのは、その無知さではなかっただろうか。力を持つ者が無知であっては、人を傷つける。それが罪なことなのだ。


「冬休みは日本に帰るの?」


「……帰らないよ。カレンは帰るの?」


「実は、クリスマス休暇の間、シリルとヨーロッパに行こうって話しをしてるのよ。彼のお母さんフランス人だから向こうの親戚やおばあさんに会うの」


「え、それ、大丈夫なの」


「……偏見は免れないわね。でも、シリルが行こうと言ってくれる。そのことが私には大切」


「……怖くない?」


 暁はそっと尋ねた。地下鉄の車輪が甲高いブレーキ音で線路を軋ませ、車体を揺らして駅にすべりこんだ。


「怖い? そうね。怖いこともある。でも平気よ」


「どうして」


「私には魔法があるから」


 カレンはそう言うと暁にウィンクした。


 一体どんな場面で魔法を使うのか暁には想像もつかなかった。が、もしかしたら力というのは時として自信となって自分を支えてくれるものなのかもしれないと思った。それだけの実力があれば。または「努力した」と言えるだけのことをしているなら、力が心を支えてくれるのだろう。


 二人は揃って改札を出ると階段を上りながら、


「試験の結果って明日貼りだされるんでしょう」


「たぶんエドワードが一番だと思うよ」


「学長がアキラに求めているのは三位以内でしょ」


 地上へ出ると粉雪が降っていて街明りにその結晶を煌かせていた。カレンは寒いねと言いながらマフラーをしっかり巻き直した。暁の手にはエドワードがくれた手袋が嵌めてあった。


 それにしてもラジオメーターとは。暁の紙オムツと比べれば格段にロマンチックで美しい。あの集めた光の花火のような眩しさと美しさときたら。


 シリルは田舎風のイタリア料理店ですでに待っていて、カレンと暁に等しく抱擁をしてくれた。


 店内にはクリスマスソングが流れ、どのテーブルも幸福な空気が漂っている。プレゼントを交わす人もいて、暁は自分が外国にいるということを改めて感じた。


「アキラはクリスマス休暇はどうするの? 日本に帰るの?」


 シリルがワイングラスを傾けながらカレンと同じことを暁に尋ねた。


「帰る予定はないわ」


「寮の学生はみんな帰省するんだろ」


「たぶんね」


「寂しくない?」


 暁は黙って肩をすくめてみせた。暁が寂しいと思うのは、家族が帰ってこいと言ってこないことだった。


 そもそもの始まりは、暁が鷹住の山にいてはいけないから旅に出たようなものなのだから、仕方がないことなのかもしれないけれど。匠も何も言ってこないところを見ると、修行が忙しいのか、それとも大学が忙しいのか。またはその両方でこちらにかまう余裕がないのか。暁が寂しいのはそのすべてだった。


 カレンがオーソブッコを食べながら「美味しいね」とシリルに話しかける。今は二人から放たれる温かな空気が、暁にはなによりの癒しだった。

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