第33話
学生たちが自由に使ってよいとされる食堂にも利用時間の決まりはあって、夜の10時になると全員その場を出なければいけないことになっていた。
暁は自室で夕食をすませると、階下へ降りて行き、物置から箒とモップ、バケツなどを取り出して食堂へ向かった。
ちょうど食堂のクローズに伴って学生たちがぞろぞろと出てくるところで、掃除道具を担いでいる暁を見ると驚いた顔で「本当に掃除させられるのね」と言ったり、「なんだって外で魔法なんか使うのよ、馬鹿ね」と、呆れられたりした。
中には「いい気味よ」とあからさまに言う者もいて、暁はげんなりさせられた。差別をする者も意地悪な者も、世界中どこにでもいるのだ。
それには赤毛のジャネットも含まれていて、いつものように仲良しグループと連れだって食堂から出て来ると「ご苦労さまね」と、微笑んだ。
暁がおや?と思っているとジャネットは言った。
「ただの掃除だと思ってるんでしょ。学長も妙なペナルティを与えたものよね。ほんとは掃除は名目で、実際はあなたを追い出したいんじゃないかしら」
「……どういう意味」
「エドワードに近づくなんて身の程知らずなのよ。学長はロックハート家の言いつけに従って、あなたを退学にするんだわ」
「なんであの子が出てくるわけ? 私が外で魔法を使ったこととなんの関係が?」
「あなたって本当に馬鹿なのね。ロックハート家ではエドワードに変な虫がつかないように、学長に依頼してるそうよ」
「……そう。でも、あなたがその変な虫とやらになれないのは、私のせいではないと思うよ?」
意地悪に意地悪で返すのは、褒められたことではないのだけれど。こんな言われ方をして黙っていては本当の馬鹿ではないか。暁は自分に言い訳するように肩をそびやかした。
ジャネットはその赤毛と同じように怒りで頬を紅潮させ、もっとなにか反撃しようとしたが他の女の子たちに「よしなさいよ。行きましょう」と促されて、思いきり鼻を鳴らして食堂を出て行った。
――なんなんだ一体――。そのロックハート家っていうのは、そんなにも見識の高い家柄なのか。貴族だとは聞いたけれど、それがどうした―――。
エドワードは嫌味な奴だったが、学長の実験室では暁をかばってくれたし、心底悪い奴でもないのだなと思っていた。それに、どうやら彼はモテるらしいことも分かり始めていた。暁はまた一人肩をすくめた。妙な嫉妬をされたものだと思って。
誰もいなくなった食堂で暁はテーブルや椅子を拭き、床を掃き、モップをかけた。黙々と作業を進める。掃除というのはとにかく手を動かしてさえいればきちんと成果が出て、いずれは終わる。ここではそんなことを魔法を使わずに行うことが滑稽なのだろうけれど、暁には苦にならなかった。
食堂の掃除を終えると暁は玄関ホール、階段と掃除を進めた。ホールにかけられた絵画の中の貴婦人たちが胡散臭そうな目で暁を見ている。
時計の針の音が聞こえるほど静かだった。暁は階段を上り学生たちの部屋のドアの並ぶ廊下へやってくると、モップを手に床を拭き始めた。学生寮だというのに、廊下は静かで部屋からはなんの物音も漏れてこない。ただ暁の足音がするだけだった。
誰かの声ぐらい漏れてもおかしくはないはずなのに。更けゆく夜の静けさだけが深まっていく。
ひとわたり廊下を拭きあげると、暁はうっすらと額に汗をにじませながら曲げていた腰を伸ばし、とんとんと叩いて「さて、次の階へ……」と思い、階段の方を省みた。
すると廊下の隅を小さな生き物が階段の方へ走って行くのが視界をよぎった。暁は驚いて一瞬動きが固まってしまった。
-------なんだあれは。今、視界を走って行った小さなものは……。ネズミじゃない。誰かの使い魔でもない。……小人だった-------。
突差に暁はシャツの胸を押さえた。妙な緊張感で鼓動が早くなり、息が苦しい。
小人。それは自分たち人間とまったく変わらない形をしており、ただその大きさだけが手のひらに乗るサイズだった。
暁は小人が走り去った方角を凝視した。特に変わったところはないようだが、分からない。
カレンに教わった「目に頼らない」見方について思い出した暁は、一度落ち着いて深呼吸をすると瞼を閉じた。
目で見るのではない。感じるのだ。彼らの足音、息遣い、わずかな動きが生みだす空気の流れを。
ベネットはこの歪んだ空間を自由に行き来する者がいると言っていたではないか。清掃業者の役割を担っているという……。それが小人たちなのだとしたら。
暁は本当に微かな足音を、それこそネズミがひたひたと壁の隅を忍び足に歩くような到底人間には聞こえないような気配を感じると、お団子に挿した稲穂の簪を抜き、さらさら小さく振った。
「どうもこんばんは。お仕事、ご苦労さまです」
先ほど階段の方へ走って行った小人に続く形で、六人の小人たちが廊下の隅を一列になって歩いて行くところだった。皆、揃いのツナギを着ていてハンチングをかぶっている。そして手には掃除道具を携えていた。
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