第7話

 暁にとって意外なことはなにもなかった。ただ大切な儀式を壊してしまったことだけが不本位だったし、申し訳なかった。


 山から下りると母屋には一族郎党が集まり、暁を責めるような、または、汚いものでも見るような目で睨んだ。そうなるだろうということも、暁には初めから分かっていた。


 ――だから本殿に行くのは嫌だったのだ。何か恐ろしいことが起きるような気がしていたのに――。といっても双子である匠の神宿りの儀式に一人だけ参列しないのもおかしいし、なによりも祖父母がそれを許さなかったのだから誰を責めることもできない。匠が特別な子供であるなら、暁も同じく特別なのだと祖父母が言い募ったのだから。


 ――ようするに、結局、私が一族の異端だってことが明らかになっちゃったってことなのよね――。暁は無言の責めを感じながら部屋から一段低い造りになっている台所へ下りて行った。


 女中たちはかすりの着物に前掛をつけた格好で、燗した酒を銚子にうつして忙しく座敷へと運んで行く。


 一体、一族の誰の目にこの女中たちの「本当の姿」が見えているのだろうか。全員ではないはずだ。一族といっても全員に「力」があるわけではないのを暁は知っている。持てる力が同じではないということも。


 暁は水道の栓を捻ってコップに水を汲んだ。


 暁の目には幼い頃からこの家に仕える女中、使用人は皆、獣の姿に見えていた。前掛をして皿を洗ったり、畑からとってきた野菜を洗う姿もすべて獣。子供というのはその目で見たものがすべてであり、真実だ。子供であるが故に惑わされない。


 幼い時に暁は祖父母に仕えている女中の狐の背中に大きな刀傷があるのを見て、初めてそれを問うたことがあった。


「おじいの狐は怪我してるね」


 祖父は驚いて「見えるのか」と尋ねた。暁にはなんのことだか分らなかった。見えるもなにも、ない。「見える」とはどういう意味なのか。しかし、分からないなりにも頷いた。だって「見えている」のだから。


 祖父は苦しげに眼を伏せ、天を仰ぎ、それから暁の小さな両肩に手を置いて重々しく告げた。


「狐のことは誰にも言ってはいけないよ。匠にも絶対に言ってはいけない。もし、誰かに言ったら、暁はおうちから追い出されて、死んでしまうんだからね」


 あまりに深刻に言うので幼い暁にも何か恐ろしいことが分かり、死んでしまうなどと言われては絶対に誰に話すことはできなかった。


 その時初めて知ったのだ。自分と匠では、一族の人間たちとでは見えているものが違うのだ、と。


 そのようなことが、いくつもあった。その度に暁は「絶対に誰にも話してはいけない」と言われてきた。それでも魔道の者と言われるとは思いもよらなかった。ただちょっと変わってるぐらいな、久遠寺の子だから仕方がないのだぐらいにしか考えてはいなかった。


 暁はコップの水を飲み干すと大きく息を吐いた。


「暁様、煎じ薬はそこに」


 背後から女中が声をかけた。


「うん」


 台所の隅に野草を煎じた茶色い汁が土瓶に入れて置いてあった。


「いかがなさいますか」


「……年寄り達に先におすすめして差し上げて……。おじいとおばあももうすぐ山から下りてくる」


「離れにお戻りになりますか」


「そうした方がいいんだろうね」


「……」


 暁はくるりと踵を返し、女中と相対した。女中は驚いた顔で暁を見つめた。


「お前は、今夜のことを知っていたの」


「……いえ、私はなにも……」


「嘘。神々がすでに私を見出し、許してはいなかったことをお前たち一族は知っていたはず」


「……暁様が匠様とは違うということは存じておりましたが……」


「やっぱりね」


 暁は通り土間から表玄関へ出ると、離れへ向かった。


 離れは母屋とちがってこぢんまりとしていて、居間と、祖父母の寝起きする部屋と書斎の他に暁のベッドをいれた小さな部屋があるだけだった。


 暁は風呂場へ行くと脱衣所で着物と袴を脱ぎ、シャワーを浴びた。温められた体からは酒の匂いがぷんぷんしていた。


 風呂場を出ると長い髪を拭きながら、とんだ誕生日だと思った。鏡に映っている自分と目があう。おかしくて、なんだか笑ってしまう。笑ってからひどく悲しい気持ちが胸を塞いだ。


 ――なんかおかしいとは思ってたんだよね。女中は狐だし、鳥は喋るし、山からおりてくる奇妙ないきものが目の前をちょろちょろするし――。電柱の陰に、田圃たんぼあぜに、人ではないものや妖しい獣を見ることも当たり前すぎて疑問を感じなかったけれど、それも魔道の者の証だったのだ。


 服を着て部屋に戻ると、母屋からは一族のどやどやと騒ぐ声が聞こえてきた。父や匠たちが戻ったのだろう。父のことだから一族を黙らせ、このまま何もなかったかのように匠の神宿りの儀を祝うことは想像できた。


 暁は母屋の賑やかな声を物悲しく聞いていた。幼い頃から匠とも両親とも切り離されて離れで祖父母に育てられたことも、暁はずっと心の隅で「自分はいらない子なんだ」と感じていた。女だから。人と違って妙ちきりんだから。匠みたいにかしこくもないし、運動もできないし、人から好かれるわけでもないし。けど、悪気はなかった。いつだって、悪意はなかった。人と違う力を持っているのを誇示したこともなければ、悪用したこともない。ひたすら秘密にして、ひっそり生きてきたつもりだった。そうしていれば静かに暮らせると信じて。この家の、家族の一人でいられると信じて。


「暁」


 離れの玄関の格子戸をからからと開ける音がして、匠の声がした。


 暁は自分の部屋を出て居間へ行くと、そこには紋付姿の匠が銘々膳めいめいぜんを据えるところで、暁を見るとちょっとほっとしたような顔をした。


「お前、あんな暗い中よくさっさと山を下りれたな」


 匠は屈託のない調子で言った。


「……だって灯籠があったでしょ」


「あっても、お前、あんな小さな灯りじゃ危ないだろ。おじいちゃん達は懐中電灯持ってたぞ」


「匠、ここにいていいの」


「暁、電気消せ」


「え?」


 見ると、匠が持ってきた銘々膳には苺ののったホールケーキが鎮座していた。

 暁は瞬時に匠の意図を正しく理解した。誕生日ケーキだ。二人の。


「これ、どうしたの」


「冷蔵庫に入ってた」


「こっちに持ってきていいの」


「いい。どうせみんなそれどころじゃないんだから」


「……」


 匠はケーキに蠟燭を挿していくと、自ら部屋の電気を消しに立った。


「……ごめんね」


 暁は呟いた。


「こんなことになるなんて思わなかったから……。わざとじゃないから……」


「謝まるな」


「でも」


「お前のせいじゃない」


 匠はきっぱりと言うと袂からマッチを取り出して火を付けた。


 暗闇の中をぽっちりと小さな火が燃え、リンの燃焼する匂いが漂う。蠟燭を順番に灯すとケーキの上のチョコレートのプレートに「匠&暁誕生日おめでとう」と書かれているのが読めた。


「もし謝ることがあるとしたら、それは、ずっと内緒にしてたことだ」


「……」


「言うなって言われてたんだろうけどな」


 匠は肩をすくめて少し笑った。


「でも、言ってほしかった」


「……」


「だって、きょうだいだろ」


 二人は肩を並べて座り、ケーキをじっと見つめてから互いに向って「誕生日おめでとう」と言うと、双子らしく絶妙に呼吸を合わせて蠟燭を吹き消した。


「心配しなくていいからな」


「……」


「お父さんもちゃんと考えてくれてる」


 暁は無言で頷いた。母屋からは宴席で一族の誰かがうた四海波しかいなみが漏れ聞こえていた。


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注釈※四海波…謡曲「高砂」の「四海波静かにて…」で始まる、祝いの席で謡われる曲。四つの海が平穏で、天下の平和を意味している。

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