第41話 風邪、引かないようにな!
川を渡っていた。
足首までしかない、浅い川。とても澄んだ水だった。飲めそうなくらい綺麗な水が流れていた。
でも、長い。とても長い川だった。川を渡っているはずなのに、上流から下流に向かってるんじゃないかと思うくらい、長い川。
死ぬんだろうなって、思った。
戻りたいと思っても、体は動き続けている。
「……会いたいなぁ。一織に。流伊に」
もう会えないと思うと、すっごく悲しい。寂しい。
でも、どうしてか涙は流れない。
ボクは、歩き続けた。どこまでも。
どこまでも――
「行かせない」
聞き馴染みのある声が、聞こえた気がした。
「死なせる訳にはいかないんだよ」
振り向いたら、そこに――
一織が居た。
「……いお、り?」
「ああ。俺だ」
一織は、優しく微笑んでいた。
「もう、大丈夫だぞ。戻っても」
「……あぇ?」
一織にそう言われた瞬間。私は立ち止まって……反対の方向に歩き始めていた。
「ここからまっすぐ戻ってくれ。寄り道しようとか考えるなよ?」
「まっ、待って。一織も――」
一緒に。そう思って、手を伸ばしたけど――その手が一織に辿り着くより早く、一織は歩き始めた。
「まだ、迎えに行かないといけない奴が居るからな」
「……だ、だれの……こと?」
そう言うと、一織は小さく笑った。
「起きれば分かる」
そして、歩き始める。
「ま、待って」
「風音。流伊と仲良くするんだぞ」
距離が離れてきて。声を張らないと聞こえないくらいになった。
「それで。俺なんかより、ずーっと良い男を捕まえるんだ! それで、幸せになるんだぞ!」
「や、やだ……やだよ!」
ここで一織が居なくなったら。もう、会えなくなる気がして。ボクは叫んだ。
「風音!」
行かないと。彼の所に。
行かないと、いけないのに。体は動かなかった。
「風音の優しくて、かっこよくて、かわいくて、最後まで諦めない。努力家なところ。雷がこわくて、顔に感情がすぐ出て、少しだけ独占欲があるところ!」
一織がニコッと。優しく笑った。
「全部、全部ひっくるめて、大好きだぞ!」
そう言って、一織は歩き始めた。
「それじゃあな! 風邪、引かないようにな!」
ふっ、と。彼の姿が掻き消えた。
「一織……一織!」
そう叫びながらも、彼の姿は見えない。声は、聞こえない。
きっと、戻れば彼が居ると自分に言い聞かせて。ボクは歩き続けた。
◆◆◆
「……ぁ」
「起きた。起きましたよ! 先生!」
「……ああ。そのようだね。おはよう、風音ちゃん」
瞼を開くと、そこには先生が居た。
……あ、れ?
「くるしく、ない?」
心臓が、肺が、頭が、痛くない。腕も、指も、脚も、足も、ちゃんと動く。
「……おなか、すいた?」
くう、とお腹も鳴ってしまった。
「最初は水が多めのお粥になりますが、今持ってきますね。白湯も」
「あ……お願いします」
喉も乾いていたので、丁度良かった。……ではなく。
「え、えっと……流伊と一織は?」
そう言うと。先生が目を伏せた。
……え?
「……風音ちゃんが寝ている間に色々あったんだけど。ちょっと説明するのが難しいかな」
「長く、なっても良いので。教えてください」
喉がガラガラで、喋ると少し痛い。それでも、聞きたかった。
「……分かった。落ち着いて聞いてね」
先生は渋々頷いて。話をしてくれた。
◆◆◆
「行かなきゃ」
「ちょ、風音ちゃん!?」
「行かないと」
ベッドから起き上がる。少しだけふらっとした。でも、大丈夫。
そのまま立ち上がろうとして――ボクは、膝から崩れ落ちた。
「……ッ、なん、で」
「二週間も立っていなければ筋肉は落ちる。……しかも、ご飯は食べられずに栄養剤だけなんだ。体は衰弱して当たり前だよ」
「でも、行かないと」
先生の話を確かめるために。
「……分かった、分かったから。針で傷つくかもしれない。今車椅子を用意する。とりあえずお粥だけ食べてくれないかな? 食べないと体も全然良くならない」
「……わ、分かりました。ごめんなさい」
なんか痛いと思ったら、点滴の針だった。ちょっと危なかったみたい。
ベッドに座り直して、待っていると看護師さんがお粥と白湯を持ってきてくれた。
白湯もお粥も、すっごく美味しかった。おかわりを頼もうとしたけど、お腹がびっくりして戻したりお腹が痛くなるかもしれないからと先生に止められた。
「それじゃあ向かうけど。興奮して立ち上がったりしないでね?」
「が、頑張ります」
「……あの子も風音ちゃんみたいに素直だったら良かったんだけどね」
先生が一度頭を抱えて。でも、ボクが聞くより早く車椅子を押し始めた。
◆◆◆
【羽柴一織】
すぐ、隣の部屋だった。
先生がコンコンと、ノックをする。
「私だ。風音ちゃんが起きたから連れてきた」
「……どうぞ」
一瞬、誰の声なのか分からなかった。余りにも小さく、か細い声だったから。
流伊の声だと気づいた瞬間、扉は開かれた。
一織は、眠っていた。
ボクが寝ていた時と同じような機械に繋がれて。体のあちこちに点滴を打たれていた。脚は吊り上げられていた。折れてると聞いたけど、本当らしい。……交通事故に巻き込まれた、とか。
「……い、おり」
「……風音。起きたんだね。良かった」
流伊は、小さく笑ってボクへそう言った。でも、その顔は涙とか鼻水でぐしゃぐしゃになっていた。
「先程は人の目があり、言えなかったが」
先生がいきなりそう言って。一織をじっと見た。
「何らかの方法を使って、流伊ちゃんの病気を引き受けたんだと思う。……今でも信じられないが。流伊ちゃんと同じ進行具合だ。元々、流伊ちゃんの病気はかなり進行していて……正直に言うよ」
先生が唇を噛み締めた。
「今日を生き抜けるかどうか、だろう。……彼がこうなってしまった以上、回復の見込みもない。手術を行える体力もない。悔しいが、私に出来る事は……ほとんどない」
「……」
場に、沈黙が訪れた。機械の音だけが部屋に響いている。
「……私は」「ボクは」
流伊と同時に口を開いた。流伊がボクと目を合わせる。
その目は真っ赤になっている。でも、力強い目だった。
「「諦めない」」
言葉が紡がれたのは、同時の事だった。まるで、本物の双子のように。
「……とは言っても。時間はないよね」
「ん。だから直接殴り込みに行く」
流伊がタオルで自分の顔をごしごしと乱暴に拭って。立ち上がった。
「会いに行くよ。神様のところ」
「うん!」
と、そこまで言って立ち上がろうとして――
「ダメだ」
先生に肩を押されて。車椅子に座り直されたのだった。
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