第36話 狂う歯車の中心で

 その赤い瞳に目を合わせられ。

 金縛りにあったかのように、俺は動けなくなった。



 どれだけ動けと念じても体は動かない。


 体だけでない。視線もキツネに固定されている。



 身の毛もよだつ、とはこの事を言うのだろう。



 昨日とは雰囲気が違う。人の理から逸脱した存在に、身が収縮し。魂が恐怖を覚える――



 しかし、そんな事より。




 ――時間が、ないんだ。今は一分一秒を争う自体なんだ。

 神様だからなんだ。こっちは風音の命が懸かってるんだぞ。




 無理やりに体をうご――かせた。動かせた。よし。






 勢いのまま、走り出――


「ほう」



 ――そうとした瞬間。その声が耳に入った。



 男の声にも、女の声にも聞こえるような声。


 思わずそちらを見てしまい……後悔した。



 そのキツネは笑っていた。口の端をニィ、と歪めて。


 ゆっくりと。その口が動く。


「アタリだ」


 そして、途切れる事なく。その口は動き続け。


「ふふ。私たちを――」



 構ってられない。



 正直その言葉も気になるが。

 今日でなるべく移動しておかねばならないのだ。今なら飛行機も間に合うかもしれない。





 止められるのかと思ったが、幸い――と言うべきか。鳥居をくぐり、石段を駆け下りる事が出来たのだった。


 ◆◆◆


「……そうか。あれから目を覚ましてないのか」


 飛行機が間に合ったので、一気に南の方へ飛ぶ事ができた。

 ただ、時間が遅すぎるので今日はここまで。……夜に神社へ行くと呪いイベントが起きるのだ。よく見る藁人形に五寸釘を打ち付けてる人とか。いや。よく見てたまるか。



 という事でネカフェに泊まり、俺は流伊へ電話を掛けていた。


『ん。ずっと寝てるよ。おかーさん達もかなり暗い……けど、私が居るから無理に明るくなろうとしてる感じかな』

「……そうか」


 ぐっと拳を握りしめ。首を振る。



「明日は朝一で神社に向かう。昼までには飛行機に乗って、西の方の神社に行って……あそこからなら新幹線が近いから、多分夕方には着くはずだ」

「おっけ。……ちなみに治るまでどれぐらい掛かる感じ?」

「すぐだ。とは言っても、病の原因が消え去るだけで体力が戻る訳ではない。……でも、今の風音は急激に悪くなっているから、筋肉や脂肪がかなり減ってる訳ではない。リハビリは短めで済むはずだ」

「そっか。なら安心だね」


 原作でもそうだった。恐らく夏休み後には普通に学校に通えるようになっているはずだ。


「あと一日もしない。待っててくれ」

「……ん。分かった。気をつけて」

「ああ。あのイベントが近づいてきたら電話を繋げる」

「りょーかい。……じゃあ、おやすみ」

「ああ。おやすみ」


 電話を切り、ふうと息を吐く。


 もうすぐだ。



 絶対、助けるからな。


 ◆◆◆


 何事もなくお守りは手に入った。【お狐様の御守:赤】である。


 御前様も今回は現れなかった。正直気が気でないのだが。


 ……四つ目が手に入ったら来るのだろうか。風音達の所へ行かない事を祈っておこう。


『あと一つ』とだけ流伊へと送り、最後の場所へ向かう。



 向こうの駅に着いてから――改めて。俺は流伊へ電話を掛けた。


『もしもし』

「流伊。……例のイベントが近づいてきたから繋げておく」

『おっけ。何かあったらすぐ救急車ね』

「頼む」


 これから起こるイベント。それは――





 交通事故だ。



 シンプルだ。三つ目の横断歩道を渡っていると、居眠り運転をしている車に跳ねられる。


 命に関わる……とまではいかなくとも、かなりの重症を負う事もある。




 もし風音がギリギリだったら――間に合わなくなる。



 回避方法は二つ。


 一つ目は二週目以降に追加される選択肢。それを選び、時間を少しずらす事だ。

 具体的には、横断歩道を追加で一回待つ事。これだけで交通事故は回避出来る。一番簡単な方法だ。


 そして、もう一つ。


 体を鍛える事。


 バイトや部活に入る。筋トレなど、その他色々な選択肢で身体能力は上がる。


 体が強くなる分、交通事故に遭った際に怪我をする確率が多少減るのだ。……多少。


 ただ例外として、武道を習っていたりすると受身が取れるようになり、怪我をする確率がそこそこ減るのだ。……現実だとどうなのかは分からないが、GIFTの中だとそうだった。



 二つ目よりは一つ目の方が簡単だ。というか時間もないので、今回は一つ目を主軸として動く事にした。保険はかけておくが。


「まずは一つ目の信号だ」


 周りに気を配らないといけないので、流伊は聞くだけで居てもらう必要があった。


 電話を繋ぎながら、信号を渡る。……よし。



「問題なし。二つ目も渡るからな」

『おっけ』


 二つ目も問題なく渡る事が出来た。少し緊張してしまい、汗が滴り落ちる。


「……次。待ってみる」

『ん』


 信号が赤へと変わっても、渡らない。次の瞬間、




 甲高いクラクションが耳を刺した。


 すぐ目の前を車が走っていき……かなりの蛇行運転で、対向車に当たりそうだ。


 しかし、対向車に当たる事なく――方向が変わり、ガードレールに突っ込んだ。


 そこに人は居なかった。


「……まじか」

『一織!? 凄い音したけど!?』

「俺は大丈夫だ」


 俺は、だが。


 ……あの運転手。無事では済まないだろう。


「悪い。一旦警察と救急に電話する」

『あ……おっけ。終わったらかけ直して』

「ああ」


 一旦電話を切り、警察と救急へ連絡。事故が起きた事を告げた。


 そして、改めて流伊へ電話を掛け直した。


『……大丈夫?』

「……ああ。まあ、気分は良くないが。問題ない」


 目の前で人が死んだ……のかもしれない。いや、もしかしたら助かるのかもしれないが。


 それでも、交通事故を見るのは初めてだったのでショックはある。


 それでも。


「止まる訳にはいかないからな」

『……ん、分かった。帰ってからケアするから』

「ああ。頼む」


 そこまで伝え、俺は改めて信号を渡った。もちろん周りに気は配りながら。


「……問題ないな」

『良かった』


 信号を渡り、歩き始める。大丈夫だろうと電話を切ろうとしたその時だった。













「危ない!」



 それは誰の声だっただろうか。恐らく、事故現場に来た野次馬の誰かだと思う。



 その声に振り向いた瞬間。















 目の前にトラックが――

















 ◆◇◆


 頭の中が、真っ白になった。



 思わず耳を離してしまいそうになるほど、鼓膜が敗れそうな衝撃音が聞こえてきて。


「……ッ、一織!?」


 慌てて声を掛ける。しかし、返事は帰ってこない。


 ガッ、ガッ、と。恐らくスマートフォンが地面や壁に当たった音が響いて。



 プツリ、と電話が途切れた。


「……ッ」


 ぐちゃぐちゃになる頭を無視して。GPSのアプリを起動する。


「……場所は、示されてるけど」


 この時のために。GPSで追跡できるアプリを入れていた。スマホの電源が切れていても表示されているもの。


「警察と、救急車。電話して――」





 もし一織が立てないくらい大変な事になってるなら、そのまま病院へ。




 大丈夫そうなら――その場から離れると言っていた。





 震える腕を掴む。冷や汗がダラダラと流れて、心臓がバクバクと嫌な音を立てる。









 嫌な音を立てる。……え?










 あれ? これって。













 この、心臓の鳴り方って。















 気がつけば、私は倒れていた。








「なん、で…………?」







 ゆびに、ちからがはいらない。










 こきゅうが、できない。









「……こ、れ…………っ、て」










 おぼえている。このかんかく。










 なん、で。










 いおり、に。きゅうきゅうしゃ、よばないと。いけないのに。









 うごいてよ。










 うごいてよ。ゆび。

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