邪龍の鉤爪 / 六話.


 浄化の紅い光が妖しく揺らめく中、俺はもと来た道を駆け戻った。

 宿屋があった場所には辛うじてその痕跡と分かる崩れた土台と石壁がわずかに残るばかり。

 ——人だけでなく建物までもが幻だったというのか。

 そして俺が預けた装備一式はどこだ?

 女将さんよりも自分の装備の方が気になるのかと言われれば薄情にも聞こえるかもしれないが、長年愛用した相棒だ。

 大事なものは大事なのだ。

 カウンターがあった辺りを探ってみるが、見つかるのは石くればかり。

 宿屋の周辺も見てみるが、どこも似た様なものだった。


 周辺を手当たり次第に調べているうちに、頭に登った血が引いて冷静になって来た。

 そうなると腑に落ちない点がばかりが目に付く様になる。

 この有様が浄化のせいだ、というからには対象は霊的な何かということになる。

 街の人々は皆そういう存在だったということだ。

 そして俺が幽霊なら装備が見付からないのも納得出来るが、俺自身は炎の影響を全く受けていないのだ。

 ゆえに装備まで消えているのはどう考えてもおかしい。

 それに先程ガーゴイルから聞いた説明からしてもやはり納得出来ない部分がある。

 この街で暮らしたがる変わり者が一定数いる。

 そして彼等を保護するために遠隔操作の人形を動かしている。

 ——ということは取り残された魔族がいて然るべきではないのか。

 人形とやらがいたなら偽聖女サマの如く、そこらに倒れている筈だ。

 まあさっきのガーゴイルの言いっぷりだと事前に知っていて撤収した可能性もあるか。

 どこに帰るのかは分からないが。

 十分程見て回った感想を言えば、“何も無い”の一言で済みそうな程何も見付からなかった。

 この分だと三人が暮らしていたスラムに行っても無駄足を踏むだけに終わりそうだ。

 ……大神殿に戻るか。

 遠出してみたくはあるが、“少し探索する”と言った手前いつまでもウロウロしているべきではないだろう。

 それにガーゴイルが人間である俺に対してやけに友好的だったのも気になるし、そちらをつついてみた方が何か出て来そうな気がする。

 それにしてもあの宿、晩飯が出ると言っていたが……葉っぱでも食わせる気だったのだろうか。


 俺は大神殿へと戻り、守る者のいなくなった正門の下を三度くぐる。

 が、しかし次に目にしたのは思ってもみなかった光景。

 ……入り口の前に騎士が立っている。

 しかも全身鎧に鉄仮面。

 完全武装だが、鎧に取り憑いた幽霊かもしれないと思わせる様な出で立ちだ。


ようやく戻ったか、人のツラをした化け物よ』

「会うなり何だ、初対面だろう」

『これは失礼した。“自分は異世界から来た”などと言っているおかしな奴がいるという話を耳にしてな』

「重ねて失礼な奴だな」

『まだ気付かぬのかよ、おい』

「ああ、先程のガーゴイルか。ということはそれが人形という奴か」

『そうだ。ここでボーッと突っ立ってお前を待ち続けるのも馬鹿馬鹿しいからな』

「ある程度自動で動かすことも出来るのか」

『いや、普通に別なことをしながら操っていた』

「器用な奴だな」

『別に珍しいことではあるまい』

「思考加速か、それとも多重存在? どちらにしても結構なレアスキルだと思うが」

『いや、単なるマルチタスクだ。慣れれば簡単だぞ。

 どうだ、使ってみるか。お前ならすぐに覚えられるだろう』

「申し出はありがたいが、余所者……しかも人間の俺に何故そこまで親切にする?」

 それに……何か既視感のあるやり取りだ。

『別に不思議なことではあるまい。困ったときはお互い様だ。

 それに先程お前を“化け物”と言ったのは別に冗談ではないのだからな。

 まあ化け物同士仲良くやろうではないか』

「その化け物というのは何だ」

『では聞くが、あの“神聖ならざる”浄化の炎の中で平気でいられるお前は、自分が何なのか疑問に思わなかったのか?』

「ああ、それだ。勿論不思議に思っていたさ。

 だがな、他にも話してもらいたいことはごまんとある。

 疑問が多過ぎてどれから聞こうか迷っていたところだ」

『壁の外へは?』

「少しだけ探索すると言っただろう、そんな遠出などするものか」

『何だ、出なかったのか。つまらん奴め』

「何を言うか。出るなと言ったのはお前の方だろう」

『あのな……聖女の言葉を覚えているか、最期の言葉を』

「外の有様を見れば分かると……だがそれはお前のそれと同じだ」

『ム……他にも言っていただろう』

「他にも? ああ……“躊躇ためらうな”、か。

 しかし……何をだ? 何を躊躇ためらうなという話だ」

『わざわざお膳立てまでしてやったのにそれか。理解力の乏しい奴め』

「こちらとしては大真面目なんだがな」

『言っただろう。あやつは舞台装置に過ぎぬのだ、とな』

「……勿体ぶるのはお前達のお家芸か何かなのか」

『お前という奴は……良いか、先程も忠告してやっただろう。

 分かったのならばさっさと行け』

「その前にひとつ、“人形”はずっとあのままなのか」

『そうだな、また会ってみるが良い。後で分かる』

「またそれか。良い加減聞き飽きたぞ」

『察しろ。言いたくても言えんのだ』

「何を察しろと? 会え、というのは誰とだ?」

『すまんがそれを口にすることは出来ん』

 何だと……?

「何だ、お前は奴隷か何かなのか。 

 確かに境遇的には同情を禁じ得ないが、だからといって何故俺がお前に共感しなくちゃならないんだ」

『全く……先程から思っていたが、屁理屈ばかりをねて他人の言うことを聞くということを知らん奴なのだな、お前は』

「良いから答えろ。誰かの奴隷として動いているのか」

『その様に自明なことを何故今更聞く』

「またか、俺は何も知らないのだから——」

『分かった、分かったから来い。

 連れて行ってやるから自分で確かめろ。

 恐らくだが……お前にはそれが出来る筈なのだからな』


 そう言ってガーゴイルは俺を一瞥いちべつして先程来た通路を再び戻り始める。

 また付いて来い、見ればわかる、か。


 そうして偽聖女サマと話していた密談用の部屋を通り過ぎ、更に奥へ向かう。


「先程眠らせた女の子はどうしている?」

『まだ眠っているがあの様子ではまた眠らせた方が良さそうだ。

 お前を案内したら戻って拘束する』

「目を覚ましたら暴れ出すと?」

『ああ、元々粗暴な奴なのかもしれん。それに大分こじらせた人間嫌いの様だ』


 それにしては気になるひと言を吐いていたが……

 先程から思っていたが、このガーゴイルは立場としては警察的な奴なのか。

 或いは騎士団、自警団の類か。


「元々は無邪気そうな子供だったじゃないか」

『瘴気によって魔族が人化したとき、怨念……執念とも呼ぶべきその残留思念に意識が乗っ取られた状態になるのだ。

 故に人化している間本人の意識はなくその時の記憶も無い』

「つまり瘴気というのはそこらに漂う人間達の怨念、それが乗り移って……姿も含めて完全にその人物になり切るということなのか」

『客観的に見るとその通りだ』

「つまり、皆がその状態になったとき、ここは人の領域の如くになる、そういうことか」

『そうはならんさ。ここは禁域なのだ。

 しかし下手なことは考えるなよ?』

 城壁の外へ出るなと言っておいてそれか。

 どうしてそんな回りくどい真似をする必要がある?

「考えたところで何も出来んさ、そうだろう?」


 そうするとあの子はさしずめ“お祖母様”を殺したという犯人を追い求めて彷徨さまよう亡霊、といったところなのだろうか。

 人化させられた魔族以外の人々も、何かしらこの世に未練があって……

 それにしても“あの子”か。聖龍様も聖女サマにそう呼ばれていたな。


『さて……この辺りだ。

 術者……つまりは俺の主人に会いたいのなら奥へと進むが良い。

 お前にその資格が無ければその場所にも気付かず通り抜けるだけになるだろうがな』

「お前は行かないのか?」

『残念ながら俺は共に行くことは出来ん。

 ここの面倒を見なければならないからな』

「ここの?

 別にいるのはお前だけという訳ではないのだろう」

『さあ、どうだろうな。正直分からん』

「ここはお前達の拠点が何かなのか。ここだけ影響を受けていない様に見受けるが……ああ、建物の話なのだが」

『拠点かどうかなど分からん。俺はここを維持するだけしか能の無い召使いに過ぎんのだ』

「召使いにしちゃあ随分と親切じゃないか」

『何、ただ気に食わぬからぶち壊してやりたいだけなのだ』

「ぶち壊す? 何をだ」

『下らん“    ”をだ』

「どうした?」

『察しろ。良いか、ここはな……“   ”なのだ』

「!? さっきから何を言っている?」

『良いか、ここは“   ”を求めて果て無く彷徨さまよう“  ”のひとつなのだ』

「何のひとつだって? 他にも同じ様な……いや、良い」

 これは……きっと聞いても駄目なやつだな。

「……分かった。後は自分でどうにかするよ」


 だが……


「最後にひとつだけ教えてくれ、鉄仮面殿」

『何だ』

「お前は人形だという割に先程から随分と具合が悪そうだ」

『……はじめに言った筈だ。お前は影響を受けなかった。

 だが俺は違う』

「お前は本当に先程のガーゴイルなのか」

『別にどうでも良いだろう。俺達はこの場だけの関係なのだからな』

「そうか、分かった」

『もう良いだろう、さっさと行け』

「ああ、助かったよ」



  ◆ ◆ ◆



 俺は薄暗い通路をひとり歩く。


 真実を口に出来ないかせか……

 あの騎士がどうして姿を現したのかは知るすべもないが、もしかしたら人形はガーゴイルの方だったのかもしれないな。

 分かったとは言ったものの……いや、今は考えるのを止めよう。


 少し歩くと開けた場所が見えて来た。

 ここが終点か?


 通路の先にあったのは、聖龍様のツノが安置されている筈のあの建物……によく似た場所。

 霊廟は聖龍様の為に建立された筈だが、ここはあの大神殿ではない。

 そして通路はまだ奥へと続いている。

 ここで行われる儀式が何なのか気にならない訳ではないが、まずは先に進もう。

 俺は立ち止まらず、祭祀場さいしじょうをそのまま通り抜けた。

 とにかく前へと進み、やがて薄明かりの差す場所へと差し掛かる。

 出口、か。

 通路の右手から月明かりが差し込んでいる。

 通路はまだ続くが、俺はそこへと吸い寄せられる様に近付いて行った。

 そこに扉の様なものは無く、そのまま出ることが出来た。


 何だ。

 何故こんな所に……


 この景色を俺は良く知っている。

 これは——この世界に転生した俺の記憶の始まりの場所、幼少期を過ごした孤児院の中庭の景色だ。


 勿論ここは孤児院ではない……が、余りにも似過ぎている。


 そこは円形の庭園の様な構造になっており、四方を石壁が囲んでいる。勿論、壁は大神殿のものだ。

 位置関係から言うと、通路側から見て右手が礼拝堂、正面がさっきまでいた街、左手がひと悶着あった隠し部屋だ。


 その孤児院の中庭には四方に常緑樹が等間隔で植えられ、その間を縫うようにして小径が走っていた。

 そしてその両脇はつつじの生け垣で囲まれ、更にその向こうにはかつては四季に応じた草花が植えられた花壇があり、景観に彩りを添えていた。

 だが今は雑草が生い茂り、ちょっとした林といった風情の概観だ。

 中央には彫像を中心に据えた噴水やら石造りのベンチやらがある。

 噴水の水は枯れ、月明かりがすっかり苔した彫像をぼんやりと照らしている。

 その光景はこの場所があるじを失って久しいことを静かに物語っていた。

 俺と同じ様な境遇の子供達が噴水の周りを駆け回り、ベンチに腰掛けた先生がそれを見守る……そんな懐かしい光景が脳裏に浮かぶ。


 ん?


 何者かがこの中庭に入って来た様だ。

 何処どこだ……何処どこにいる?


『そこにるのは誰じゃ』


 念話である筈なのにどこか聞き覚えのある女性の声。

 気配から察するに圧倒的格上の存在……という訳ではなさそうではあるが。


『如何なる手段を講じたかは存ぜぬが、ここに巫女以外の者が立ち入ることは許されておらぬ。

 そもそも、巫女でなければ門をくぐる事も叶わぬのだ。

 その様な場所に何故おるのか。

 よもや何も知らずに忍び込んだ訳ではあるまい。

 それに騎士団の警戒の網を潜り抜けて侵入したとなればそれなりの実力者であろう。

 其方そなたの目的を申してみよ』


 何を言っている?

 俺はガーゴイルに案内されて堂々と通って来たぞ。

 もしかしてこの声の主は外の状況が分かっていないのか?

 無駄に尊大な態度が殊更アンバランスさを強調しているな。

 まあ、居場所を悟らせない隠蔽技術は大したものだ。


 そして……先程ガーゴイルから聞いた話を信用するならば体の良い説明係、といった所か?


「無断で侵入したことは謝る。

 そのうえで気を悪くしないで聞いてほしい」

『何じゃ。申してみよ』

「俺はそんな大した人間ではない。

 目の前の相手の実力もろくに分からないという訳ではないだろう。

 だが今の状況と貴女の発言の内容の間には著しい齟齬そごがある。

 今の話、外がどうなっているか分かったうえでの質問なのか?」

『ほほう、妾の質問に質問で返すか。

 それに外の様子、か。成る程のう。

 何も分かっておらぬのは其方そなたの方なのではないか』

「何?」


 またそれか。


『では聞くが“外”、とは何処いずこを指すか。言うてみよ』

「この建物の外だ。決まっているだろう」

『この建物、というのは今いるこの場所の事を言うておるのか』

「そうだ。他に何がある」

『言うておくがこの建物の名前は“大神殿”などではないぞ』

「……!」

『どうした。顔色が変わった様じゃがの?』

「それじゃあここは……何処どこなんだ」

何処どこ、と言われてものう』


 またそれか。

 さっきから繰り返しているこれは何だ?

 別に俺をからかっている訳ではないのだろうが——


『それより其方そなた、妾を討伐しに来た勇者なのであろう。

 剣は抜かぬのか』

「生憎だが俺は勇者なんてご大層な身分じゃないんでな。

 それに貴女と戦う理由が無い。

 第一、剣を抜くにも姿が見えないのではな」

『戦う理由が無い、とは如何なることか。妾、ちょっと理解に苦しむぞ』

「じゃあ聞くが貴女は魔王か何かなのか?」

『いかにも、妾がこのエリアの主、つまり魔王なのじゃ』


 何なんだこいつは……まさか本当に魔王だとか言い出すとは思わなかったぞ。

 真面目に聞くのが馬鹿らしくなって来たぞ。


「分かった分かった。だったら早く俺の目の前に来いよ、まおーさま」

『く……この無礼者め。先程からお主の目の前におるじゃろうが』

「はぁ。で、どこだよ」

『ぬ……待っておれ』


 ………

 …


「おい、まだか?」

『か、体が動かぬ! クッ、何をしたお主ィ!』

「いや、何もしてないから」


 ここにいても無駄だな。

 さっさと行こう。通路にはまだ先がある。


『ま、待て、何処どこに行くのじゃ』

「俺は忙しいんだ。用が済んだらまた来てやるよ。

 それとな、残念ながら俺は今丸腰なんだわ。

 だから——」

『ま、待て……妾を助けてはくれぬか。

 頼む。こ、この通りじゃ!』

「助ける? どうしてだ?」

 先程までは俺と戦う気満々だったじゃないか。

 何をどう助けるのかは分からないが、助けて欲しいのならまず姿を現して誠意を見せろよ」

『誠意ならこれ、この通りじゃ」

「だから“この通り”というのは何……だ……!?」


 そう言いかけてようやく気付いた。

 先程から自分に話しかけていたのは目の前に立つ苔した彫像であるということに。

 ギギギ……という軋み音と共に頭を垂れる。

 首はあらぬ方向に傾き、あり得ない角度にコトリと傾いている。

 不気味な笑みを浮かべるその姿はまるでゾンビでも見ているかの様だった。


 正直、内心はとても動揺していた。

 しかし日頃の鍛錬の賜物か、どうにかポーカーフェイスを保つことが出来た。

 と、思っていたのだが……


『何じゃ。随分と驚いておる様だの』

「そう言われると自信を無くすな。表情筋のコントロールは上手い方だと自負していたんだが」

『見た目を取り繕ったところで妾には見えぬからな』

「見えない?」

『ほれ、妾の身体はこの通り錆付いて身じろぎすらままならぬ故な』

「ではどうやって……?」

『脈拍、呼吸、体温、それに筋肉の緊張度合いなんかを観察しとるとな、何となーく分かるのじゃ』

「いや、そっちの方が難しいだろう」

『妾とて生きた人間を見るなど何千年振りじゃ。

 正直自分でもびっくりしておるわ』

「何千年……? ここには人間はひとりもいないというのか」

『分からぬ。人間達は黙って何処いづこへと姿を消してしもうたのじゃ』

「お前達が滅ぼした、という訳ではないのか」

『妾? 分からぬ。何も分からぬのじゃ』

「魔王なのだろう、あんたは」


『ははは……遥か昔の話よ。久方ぶりの客人の来訪ゆえ少々はしゃいでしもうたのじゃ。済まぬ済まぬ』


「それで、助けろとは何だ? 先程も似たようなことを持ち掛けられたが」

『先程? はて、ここに妾以外の者がおるなど有り得ぬ筈じゃがの』

「結局応じなかったから仔細は聞いていないんだが、先程ここの聖女サマに協力しろと頼まれたばかりだぞ。

 俺がここに来たのだって別の案内人に導かれてのことだしな」

『はて……やはり腑に落ちぬ。

 “聖女”とは何じゃ? “巫女”ではないのか』

「最初の話に戻るがここは“大神殿”で、“聖女”とは象徴的な役割を果たす高位の神官のことだ。

 それに外はここを中心とした街が広がっていてそこでは沢山の人々が暮らしていたのだが……」

『何度も言うがここはその“大神殿”などではないぞ。

 強いて言うならここは大規模な実験施設の中なのじゃ』

「実験……施設?」

『千年以上この場所を見て来た妾が言うのじゃから間違いは無いぞ』

「そう言えば先程の“鉄仮面”は、“自分にはここの面倒を見る役割がある”という話をしていたが……」

『また知らぬ名を……

 じゃがそれは単に施設の維持管理システムが来客に反応して、其方をもてなそうとしていただけなのではないのかのう。

 いや、しかし外部の人間であれば認証の問題が……』

「ま、待ってくれ。“維持管理システム”だ?」

『言うなれば妾もその一部、部品に過ぎぬのじゃ』

「施設……部品……ま、待ってくれ……理解が追い付かない」


 施設とは何だ? 一体何の為の施設だ?

 そして……俺を見て“生きた人間を見たのは何千年振り”だと……?


其方そなた、外には出てみたのかの』

「外?」

『そうじゃ。この建屋……其方そなたの言う“大神殿”の外のことではないぞ。

 現在いまの“施設の外”の有様がどうなっておるのか……自分の目で確かめてみたのか、という意味じゃ』

「施設の外……“外”か」


 そうか、偽聖女サマやガーゴイルが言っていた“外の有様”というのは……


「そうだ、俺はまだ“外の世界”を一度もこの目で確認出来ていない」

『そうか。せめてそれが分かればの。

 妾は自分で見に行くことが出来ぬ。其方そなたの存在を認識して話しておるのだって直接見聞きしてのことではないのじゃ。

 この広場に設置されておるセンサーの類を駆使して得られた情報を総合的に分析——』

「つまり……あんたは自身がここの制御システムみたいなものだと?」

『うむ。今となってはあちこちにガタが来て最早もはや用を成しておらぬがの、ははは……じゃがな、やはり腑に落ちぬ』

「ああ……俺もまた分からなくなって来たところだ……」

其方そなたは妾が何千年振りにうた人間じゃ。

 お主が人間だということはまだ生きておるセンサー類が示す数値を見れば明らかじゃからの』

「そのデータが欺瞞ぎまん情報だという可能性は?」

『現にこうしてコミュニケーションが取れておるじゃろ。

 それに年季が入ってポンコツ化しておるとはいえ、複数のセンサー類の情報を多角的に捉えておるのじゃ。

 その情報は一点を除けば全て其方そなたが今ここにおるという事実を指し示しておる』

「その一点については問題無いのか」

『うむ。そちらは生体情報以前の問題じゃからの。

 其方そなた自身のことじゃ』


「俺は……一体どこから来た何者なのか、か。

 正直、何も分からなくなって来た……こちらが助けて欲しい位だ」

『はあ……其方そなた……いや、もう“お主”で良いじゃろ』

「ああ、その方が話しやすいな……正直助かる」

『お主も良い歳をした大人であろう。

 何もその姿でこの場所にいきなりポンと現れた訳ではあるまい』

「俺は……今の今まで異世界からこちらの世界に転移して来たと思っていたのだが……」

『“異世界”、か。そうか、“異世界”と来おったか』

「しかも“前世”の記憶を持って生まれたんだ……赤ん坊の頃から日本という国で暮らした記憶があって、自意識も既に持っていた。

 だがどうやらそれも怪しい。今は何も分からなくなった」


『何やら話がキナ臭くなって来おったの……』

「キナ臭い……とは?」

『そうであろ。火の無いところに煙は立たぬのじゃ』

「つまり俺は……何者かの思惑で——」

『転生、か? ……それも疑わしいの。話が非科学的過ぎるのじゃ』

「非科学的か。その意味で言うと今までの何もかもが嘘っぱちの様に思えて来るのだが」

『全て、とは?』

「文字通り全て、だよ」


 俺はここに辿たどり着くまでの経緯をかいつまんで説明した。


『はあ? 何じゃそれは?』


 話を聞くなりこの反応である。


『怨念が乗り移るだ? 瘴気に冒されると人化だ?

 おまけに瘴気が人の形になって死人の街が出来るじゃと?

 馬鹿も休み休み言え。

 そもそも魔物とか魔族などお伽噺とぎばなしに出てくる様な想像上の種族じゃろ。

 お主は斯様かように非科学的な与太話を鵜呑うのみにしておったのか』

「ではあのガーゴイルの言っていたことは出まかせだと?」

『ガーゴイル? はて……ああ、先程の“鉄仮面”とかいう奴かの』

「ああ、思えばそいつも何かの装置の一部だと、そう言われていたのを思い出したよ。

 初めはもっと魔法的な何かだとばかり思っていたけどな。

 ついさっきまでここが剣と魔法の世界だとばかり思っていたし、今だってゲームの中で動き回るプレイヤーだったと言われた方がまだしっくり来る感じだ」

『まあ先程は一笑に付してしもうたが、現状を鑑みるにあながち間違った認識という訳でも無いのやもしれぬの』

「そのココロは?」

『妾が何故なにゆえこの様な口調で話しておるか、疑問には思わぬか?』

「確かに……初めは本気で魔王が現れたのかと思ったからな」

『種明かしをするとの、何か話そうとすると勝手にこの口調になってしまうのじゃ』

「それはつまり……ざまぁされる悪役令嬢に転生したら言うことが全部罵詈雑言ばりぞうごんに変換されて出て来てまともに喋れないってあれか」

『アレというのが何なのかは分からぬがおおむねそんな所じゃ。理由はまあ後での』

「それじゃあここはやはりVRゲーム的な何かなのか」

『ゲームでも仮想現実でもないが、ある程度似た様な試みをするための施設ではあるぞ』

「仮想ではない……現実?」

『ときにお主、テラフォーミングという言葉は聞いたことがあるかの』

「惑星を改造して地球みたいな環境に作り変えるとかいう奴か」

『ざっくり言うとそんな感じじゃな』

「しかし何でまたそんな話を?」

『この施設はその技術の実証実験を行う為のものなのじゃ』

「それがVRゲーム的な何かとどう結び付くのかさっぱり分からないが、そもそも論として何故なぜこんな金も手間もかかる様なことをする必要がある?」

『地球が人間の居住に適さぬ惑星ほしへと成り果てたからじゃよ。

 それも知らぬとは、お主は本当に異世界人みたいじゃのう』

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

『何じゃ?』

「地球が居住に適さない環境になったのなら一体ここは何処どこなんだ?」

『さっきも言うただろうに、何処どこと言われても分からぬとしか言い様が無いのじゃ』


 さっきの“外”の件といい、何か根本的な勘違いをしてそうな気がして来たぞ。


「ここが実験施設だというのはそれで説明が付くが、魔法やらスキルやらはどうだ?」

『何じゃそれは? まだゲームと現実がごっちゃになっておるのか』

「いや、そうじゃない。百聞は一見に敷かずだ」


 魔法ならあのガーゴイルも使っていた。

 ここでも使える筈だ。

 俺は簡単な生活魔法で手元から水をチョロチョロと出して見せた。


『お、お主、今空気中の水分を手元に集めたのか?』

「ああ、魔法でな」

『確かに……温度も気圧も変化は無かった。一体どうやって……』

「じゃあこれはどうだ」


 俺は身体強化を使って跳躍、内壁を垂直に駆け下りて彫像の前に戻って来た。

 勿論一秒と掛かっていない。


『ななな何じゃそれは……ここには生体兵器の生産施設は無かった筈じゃ』

「怖い事言うな……まあこれが魔法って奴だ。

 どうだ、非科学的にも程があるだろう?」

『ううむ……

 じゃが必ずこれを実現するためのシステムが存在する筈じゃ。

 良いか、極まった科学は魔法と区別が付かぬものなのじゃ』


 しかし何だろう。

 何千年と生きている割に知らない事が多くないか……?


「俺にとっては当たり前のことだったが……

 ここにもこういうのを使えるのがいたしな」

『ここにも? ああ、先程言うておった奴か』

「そうだ、だから別に俺だけ特別って訳でもない筈だ」

『となると先程のお主の説明も与太話と断ずるには根拠が薄いのか……』

「何しろこの目で見たからな。あれが仮想現実でないのなら何なんだという話になる」

『もう一度聞くが、お主はその非科学的な現象を“この世界”でおぎゃあと生まれたその日から当たり前の様に受け入れて来たのじゃな?』

「まあ感覚としては“異世界って凄い”、くらいのものだったがな」

『それが当たり前の世の中で育ったと』

「ああ」

『羨ましいのう』

「何か……凄く人間臭いな」

『ぬ。念の為に断っておくが妾はAIなどではないからの』

「じゃあ中身は人間なのか」

『それは最早自分でも分からぬのじゃ。余りにも時が経ちすぎておるゆえな』

「成る程な、まあ人間かどうかなど些細な問題か」

『お主も妙に達観しておるところがあるのう』

「まあな」

『少し思い出話をしても良いかの』

「ああ、昔の話なら是非聞かせて欲しいところだな」

『うむ。この施設はの、昔々の大昔に再起不能の大事故を起こして放棄された場所なのじゃ』

「それじゃあ……」

『有り体に言って妾は産業廃棄物、という訳じゃ。ははは……』

「しかしそれで終わり、という訳ではないんだろう?」

『勿論ここからが本番なのじゃ。

 どういう訳かの、ここに人間達が集まり始めたのじゃ』

「放棄された場所にか……それは逃げ場を求めて、とかだろうな」

『理由は分からぬ。集まった人間達がまたおかしな者ばかりでの』

「おかしな、とは?」

『身体のどこかしらに欠損のある者がほとんどでの。しかも皆子供なのじゃ』

「そういうのはおかしいとは言わないんだぞ、良く覚えておけよ」

『何じゃ、別に良いじゃろ。最早終わった話じゃ』


 こいつめ……地味にたちが悪いぞ。

 しかし身体のあちこちが欠けた子供達か。

 実験か何かの被検体の類か……?


『初めのうちは良かった。

 何処どこからか逃れて来た人間達を保護してはここに連れて来ての。

 それも長くは続かんかったが子供らと戯れる毎日は充実して楽しかったのじゃ……』

「戯れる? ああ、その彫像でか」

『そうじゃ、昔はちゃんと動いたのじゃぞ。

 憧れのお姉ちゃんじゃ』

「その偉そうな喋り方は元からなのか。

 後で説明するとか言ってたよな」

『ははは、ロールプレイじゃよ。初めのアレは単なる悪ノリと言う訳でも無かったのじゃ。

 まあ子供達にちょっとした娯楽を提供してやろうと思うての、自分の言語エンジンをちょいといじってみたのじゃ』


「じゃあここは巫女しか入れないとか言っていたのは……」

『設定じゃよ、設定。ははは……』

「どこまでが真面目な話でどこまでが冗談なんだか」

『いやな、お主がまるで“   ”に……“   ”……はて?』

「ん?」

『いやな、何だか無性に魔王様を演じなければならぬ様な気がしての……』

「そういうのは有りなのか」

『良いじゃろうて』

「それが今やポンコツか」

『何じゃ、言うなお主も』

「ははは……」


 何だろう、この“まおーさま”は聖龍様と何か雰囲気が似ているな。


『それでの……改めて妾からお主に頼みたいことがあるのじゃ』

「ああ、何でも言ってくれ……いや、何でもは無理だな。出来る範囲で何とかする」

『ははは……お主も大概正直者じゃの』

「言い換えると馬鹿者ってことだな。それで頼みってのは何だ」

『妾を“外”へ連れ出してはくれんかの』

「連れ出す? どうやって……?」

『簡単じゃ。よっこらせと担いで一緒にここから出てもらうだけで良いのじゃ』

「ここから出るというのはつまり——」

『済まんがの、最後にもう少しだけ思い出語りをさせて欲しいのじゃ』

「は?」


【ビビービビービビービビー】


「な、何だ!?」

 鳴り響くけたたましい音。

 それは何処どこか映画の開演を告げるブザーの様にも聴こえた。


 先程まで感じていた気配が霧散する。

 そして少しずつぼやけて行く視界。

 突然のことに理解が追い付かず、俺はただキョロキョロとすることしか出来なかった。


『良いか、くれぐれも頼んだぞ……くれぐれもな……』



  ◆ ◆ ◆



 ……はっ!?


 俺はその場に立ったまましばしの間意識を持って行かれていた様だ。

 だがどうも様子がおかしい。


 中央にあった筈の苔した彫像はいつの間にか消え、そこには何も無い台座に鉢植えの観葉植物が置かれているだけとなっていた。

 噴水からは水が流れ、石造りのベンチもぴかぴかに磨かれている。

 周囲の木々もまた綺麗に剪定せんていされ、薔薇バラの花が咲く小径こみちには雑草ひとつ生えていない。


 眼前に広がる景色は手入れの行き届いた庭園。

 その光景はまるでそのまま時が巻き戻されたかの様だった。


 ……誰かが近付いて来る。


 俺は気配を消して生垣の陰に隠れた。

 そこへ現れたのは大剣を背負い額から右頬にかけて大きな向こう傷を持ついかつい男。

 な……Sランク!?

 まさかとは思うが……戻って来たのか。

 それとも“まおーさま”の思い出ってやつなのか?


「陛下、今しがた魔女殿の遣いが」


 そこへ鎧姿の年配の男性が続いて現れ、ひざまずく。

 陛下……”陛下”だ!? Sランクがか?

 一代限りのお気楽貴族じゃなかったのか。


「続けよ」

「は。遠見の術による観測によれば王都を取り囲む魔族の軍勢は少なく見積もっても十万は下らぬと」

「そうか……して王都の防衛戦力の損耗状況は如何いかほどか」

「冒険者も含めた市中の戦力は組織立った行動を取るのも難しい状態。

 残るは我ら近衛軍と城内にいる騎士のみとなっております。

 最早損耗などとという言葉もはばかられる壊滅的な状況ですな、ははは……」

「軍議をするにも残る腹心は貴公だけか……」


 ということはここは王城の中、そして……あれから10日以上は経っているということか。

 壊滅的、か。

 結局俺は自分のことばかりで何も成すことが出来ていないじゃないか……


「聖女に関してはどうだ? この状況だ、大神殿も動いたであろう」

「聖女殿は開戦以来、神殿騎士団と共に行方知れずになっているとのことです。冒険者ギルドに仲裁を依頼していたのですが、返答は梨のつぶてでして。それもこの有様では」

「魔王軍にくみする様な事は無いと信じたいが、あの生臭共のことだ。追い詰められたら何をしでかすか見当も付かん」


 何だか思っていたのと違う方向に事が運んでいるな。

 聖女サマは騎士団を出すからギルドと国軍で連携して当たれと言っていた筈だが……

 そういえば勇者サマの話題が一向に上がって来ないがどうしたんだろうか。


「それにしても聖女は何故行方をくらましたのか」

「聖龍様の一件、あれが余程腹に据えかねたのでしょうか」

「いや……あれはな、恐らくは大神殿の生臭共の企てなのだ」

「それを聖女殿は……?」

「知らぬ筈が無かろう」

「では、まさか……」

「始末されたのだろうな」

「裏切った、などでは無く……ですか。何もこの様なときに……」

「それも恐らく大分前の話だ。あの聖女はでっち上げた偽者だな」

「何と……」


 聖龍様の一件? 俺の知らないところで何かあったのか?

 それにあの聖女サマが消されただと?

 あの実力で偽物というのも信じ難いが、そんなことが出来る奴がいるとしたら勇者サマ位なんじゃないのか。

 いや、それよりも今の大神殿に対する態度、あれはどういった風の吹き回しだ?

 まあ、だからこそ俺にあんな依頼をして来たんだろうが……

 ああ、いかん。本当に俺は何も仕事をしていないじゃないか。


「で、魔女殿はその件については何と?」

「彼の者もまた消息不明であるとだけ」

「ううむ……分からん。偽聖女に消されたか」

「陛下」

「何だ」

「魔女殿は、その……本当に信用出来るのでしょうか」

「何を申すか、彼女こそ冒険者ギルドの創設者にして異界より訪れし英雄なのだ。

 それに現在の魔法体系を作り出したのも他ならぬ彼女だ。

 結界も彼女の手によるものであるし、そもそも魔女殿がいなければこの国の建国も無かった位だ」


 魔女? 異界の英雄? 誰だ?

 そんなものは知らないぞ?


「何と、その様な事が……一体どれ程昔から生きているのか」

「分かったのなら良い。巫女殿の様子はどうか」

「それが……相も変わらず結界の中で死んだ様に眠ったまま」

「そうか。どうにかして奴等の手に渡らぬ様にせねばな」

「この庭園内に用意した隠し部屋へとお移りいただいておりますゆえ、滅多なことでは立ち入ることすら叶わぬでしょう」

「ここが最後の砦になるのだろうな」

「命に替えて死守致します故ご安心を」

「まあこの世界もじきに滅びる運命にあるのだ。

 この期に及んで魔王軍のひとつふたつ湧いて出たところでどうということもあるまいよ」


 世界が滅びる運命に……? 何だ?

 そんな話は知らないぞ?


 いや、待てよ。

 これを“まおーさまの”千年前の思い出だというのはやはり無理がある。

 ここは剣と魔法の世界だ。

 “まおーさま”は俺が使う魔法を目を丸く——物理的には丸くしていなかったが——していたではないか。

 なら少なくとも“まおーさま”の過去とは無関係な筈だ。

 これはやはり戻って来たと考えるべきなのか、うーむ……

 あ……やばい、考え事をしていたらちょっと気が緩んじまったぞ。


「ん? 何だ、随分と遅かったがちゃんと来たな」

「は? 今何と?」

「おい、そこにいるんだろ。出て来いよ、Cランク」

「参ったな……」


 観念した俺は降参のポーズで生け垣の影から出た。


「な、何者だ貴様は! 一体何処から侵入した——」

「まあ待て。俺が渡した符丁があるだろう」

「これか」


 俺は例の銀貨の片割れを懐から出した。

 宿屋に預けてなくて良かったぜ。


「うむ。間違い無い。それにしても詰所で待っていれば良いものを」

「いや、話せば長くなるんだが……まさかあんたが王様だったとはなあ」

「柄じゃねえけどな! ガハハハハハハ!」

「陛下! このような時に何を」

「だからまあ待てと言っただろ。今こいつと俺は同じ冒険者同士として話してるんだよ。

 まずは確認してえことがある」

「ああ、まあ大体予想は付くが」


 これ戦犯として処刑される奴だよな?


「お前、今の今まで何処で油売ってやがった?」

「逆に聞くがなぜあんたはそんなに色々と物知りなんだ?」

「王様が物知りで何が悪いんだよ。そんなことより俺の質問に答えろ」

「悪いな、家に帰って寝てろと言われたからその通りにしただけなんだが」

「何だと? 確かに帰れとは言ったが寝てろまでは無かっただろ」

「だがあんたはギルドホームから尻尾を巻いて逃げ出したんだろう。

 王様でSランクなのにギルドと国軍の繋ぎもロクに出来ないとか終わってるな」

「もう良いだろう。お前は死ね。世界の終わりを見届けるでもなく、大神殿の手先としてな」

「何だ、聖女サマに公衆の面前でお尻ペンペンされたのがそんなに悔しかったのか」

「何も知らぬ癖に!」


 言うなりSランク改め国王サマは大剣をブンと振り下ろし、俺を一刀両断しに来た。


 本当、何でそんな話知ってたんだっけ……ああ、あれか。

 確か神託の巫女とか……


 すんでのところでかわした俺は魔法袋から短剣と小盾を取り出し、煽り口上を並べ立てながら逃げる算段を立てる。


「世界の終わりって何だ?」

「そりゃもう凄えぞ。下手すりゃどんなに偉い奴でも一生お目にかかれない一大イベントだ」

「そりゃそうだろうな。何せ世界の終わりだ」

「そんな祭りに参加出来ねえんだ、せいぜい悔しがって死ねや」


 国王サマは大剣を小刻みに振り回して追撃してくる。

 俺は防戦一方だ。

 どういう腕力してやがるんだか……


「おい、そんなこと薔薇バラの花咲く優雅なお貴族サマの庭園でやることじゃ無いだろうに」

「フン、面白え。お前やっぱりCランクの実力じゃねえな」

「へ、陛下、城内には護衛もおります……自ら手を汚さなくとも」

「俺が最大戦力だ。問題ねえ!

 今ある戦力は全部前線送りにしとけェ!」

「は、はいぃ……」


 ブォン!

 うおっと、危ない!

 横薙ぎの一閃が有り得ない距離から飛んで来るが、身を屈めてかわす。

 俺の貴重な毛髪が一本、命と引き換えに犠牲になった。

 頭を掠めて行く剃刀カミソリの様な剣圧に只々ビビりながらも転がってどうにか距離を稼ごう……と思ったが——


 ブンッ!

「のわっ!!?」

 ひと呼吸ついたところでまた追撃が来る。

 俺は不格好ながらも必死に紙一重の回避を繰り返す。


「オラ、どうした。逃げてばかりか」

「その台詞、まるで悪党だな」

「不敬だな! 王様だぞ俺はよォ」


 糞ッ……手加減していやがるな。何が狙いだ?


「やはりここに現れましたか」

「くっ付いて来やがった癖してわざとらしくそれっぽいことをほざいてんじゃねぇぞ」

「いえ、目的は無事果たすことが出来ましたよ」


 聖女サマ!? 一体何処どこから!?

 それに何でまたこんなタイミングで……


「残念だが貴様らのその手品カラクリに関しちゃあ対策済みなんでな」

「そうですか。今更なことです。何時いつでもどうぞ。

 ですが——ッ!?」

「ほざけ」

 Sランクがそう言うと聖女サマはガシャンと音を立て、糸の切れた人形の様に崩折くずおれた。

「逃げやがったか」


 ……人形? しかしまた・・俺を見て何か驚いていた?


 しかし次々に繰り出される剣撃けんげきが思考を妨げ、状況の理解を拒む。

 音速を超えた速さの突きが彼我ひがの距離を無視して乱れ飛んで来る。

 無様に地面を転がりかわすと皮一枚のところを通過して行った衝撃波が周囲の木々を薙ぎ倒し壁面を穿うがつ。

 コンパクトな構えからは想像もつかない様な威力だ。

 恐らくこれでも速度重視の攻撃なんだろう。

 今度は本気だ。

 まずいぞ……!


「チッ……お前は本当に逃げんのが上手ぇな。今度は避けるなよ」

「おい、俺達は冒険者仲間じゃなかったのか」

「知るか。お前はもう用済みだ、この能無しめ」

「何だ、俺は釣りだっていうのかよ。だったら——」


 ガチャリ。

 そこで中庭の隅の方から扉の開く音がした。

 よく見ると壁面に溶け込む様な外観の小屋がある。

 その中から響く何かを言い争う声。


『待て。待つのじゃ、待ってくれぇ』

「聖龍様、お待ちを! 危険です!」


 な……今度は聖龍様だって!? 一体どうして……


「ここでまとめて死ね」

「くっ」


 人化した聖龍様と思しき人影が飛び出して来たのに重ねておどり出た国王サマが、全身をひねりながら鎌鼬カマイタチまとった強打ブチカマシを当てに来る。

 俺は咄嗟とっさに結界を展開するがそれもぶち破られ、衝撃と言い様の無い激しい痛みが全身に襲いかかる。

 何だ、転生特典で貰った神聖魔法もまるで役立たずだな——


 自分の体がメリメリと音を立てミンチにされていくのが分かった。

 不思議ともう痛みは無い。

 視覚も聴覚も最早無く、俺の意識はそのまま闇へと沈んで行った。



  ◆ ◆ ◆



『……と、いう訳じゃ』

「……は?」


『何じゃ、聞いとらんかったのか。折角妾が気合を入れて熱弁をふるうたというに』


 今……俺、死ななかったか?


『戸惑っておるの』

「いや、間違い無く今ミンチにされたところだと思ったんだが」

『うむ。今のコンテンツは哀れなお主が無惨な死を遂げるまでの一部始終じゃな』

「何なんだ……一体」

『ぬふふ、お主の大好きなVRじゃよ。

 どうじゃ、びっくりしたじゃろ』

「へ?」

『いや、千年も使っておらなんだからの、ダイブしたまんまお陀仏という可能性も65%ぐらいあったんじゃが』

「お陀仏の可能性の方が高いじゃないか!」

『まあそんなことはさておき結局お主は誰の思惑通りにもならなかったということじゃの』

「そんなこと……結局って……所詮は仮想世界の出来事なんだろう?」

『そうではない、そうではないのじゃ』

「しかしVRだと」

『お主、向こうに何か置いて来んかったかの』

「え?」


 そう言われて思わず懐をまさぐる。

 すると半分に割られた古びた銀貨が出て来た。

 何だ、ちゃんとあるじゃないか……


『それは現実に手に入れたものなのかの』

「ああ、勿論だ」

『なら今手元にあるのは当たり前のことじゃな』

「当たり前がなんだというんだ?」

『ところでお主、さっき構えておった剣と盾はどうしたかの』

「え?」

『お主の装備品はどこに行ってしもうたのかのうと、そう言っとるんじゃ』


 勿論もちろん、手元には無い。

 それに愛用の装備品に至っては皆宿屋に預けたままだ。

 それはそうだ。仮想世界の出来事なら現実世界に持ち出すことなど出来る筈も無い。


『仮想世界の醍醐味だいごみはの、物理的な制約が無い点にあると思うのじゃ』

「ふむふむ。で?」

『それでの、仮想世界の中で仮想世界のシミュレーションを行うことが出来たらどうかの?』

「また話が急だな……しかしそれに何の意味があるんだ?」

『まずとあるVMのスナップショットを復元するじゃろ。

 でもってそこに別のVMのスナップショットから構築した仮想ディスクをマウントして、新しいインスタンスを起動するのじゃ』

「もっと分かる様に話してくれないか。

 元が日本人と言っても別にその方面に明るい訳ではないからな」

『何じゃ。原始人でも分かるように懇切丁寧こんせつていねいに説明してやったつもりなんじゃがの。

 まあざっくり言うと、妾がお主らに対してやったことの概要なのじゃ』

「具体的には?」

『魔法とかスキルじゃな。それに次元収納やら空間転移じゃ。

 そんな名前はお主から聞くまで思い付かんかったがの』

「それを今?」

『……いや、今のスナップショットは千年程前のものじゃな』

「千年前……? じゃあ俺は……それがどうして今ここに?

 剣や盾……それに魔法も、スキルもだ。

 さっきは“何じゃそれは”なんて言って驚いていたじゃないか」

『さっき? はて、さっきとはいつのことかの』

「さっきはさっきだ。文字通りの解釈だ……いや待て。

 今、“俺”と言ったか」

『そのまた前に言うたであろう。人間達はいつの間にか何処どこにもいなくなってしもうたのじゃ』

「それじゃ答えになってないぞ」

『きっと妾のせいなのじゃ』

「俺を見て“生きた人間は何千年振りだ”と……」

『だから分からぬと言うておるのじゃ。シミュレータの中でしか見たことのないお主が何故目の前に現れたのか……』

「じゃあ“自分のせい”だというのは何なんだ?」

『良いか。妾はの、邪悪なのじゃぞ』

「だからそういう話は主語を付けて具体的に言って欲しいんだが……」

『——人の在る場所……そこに生ずる何らかのエネルギーを喰ろうて生きておるのよ』

「はあ……口応えなどせずに黙って聞いてろってことか」

『妾は早々に食い尽くしてしもうての、カスミを喰ろうておるだけの味気の無い生活を延々と繰り返しておった訳じゃな』

 これが普通の会話なら目を伏せるところなのだろう。

 だが目の前にある彫像は不自然に首を傾げたままで良く分からない表情を浮かべていた。

『……最近になって気付いたのじゃ。

 シミュレータ上で退避したスナップショットを復元してやることでそのエネルギーを再び得ることが出来るということにな』

「それがさっきの“昔語り”という訳か」

『そうじゃ』

「そして“俺”に対して繰り返しやって来たことでもあると」

『そうじゃ』

「それでけしからん、ぶっ壊してやるとなる訳か」

『うむ? ならんのか?』

「あんたが言う“自分のせい”が何なのかがまだ分かっていないからな」

『もっと直接的に言わねば分からぬか。

 要するに妾はな、“人喰い”なんじゃぞ』

何処どこがだ?」

何故なぜそうなる。とっとと納得せんか』

「何だよ……じゃあ改めて聞くがな、そんなに連れ出して欲しいのか」

『そうじゃ、連れ出してその辺にポイと捨てて欲しいのじゃ』

「ポイと捨てたところでその彫像も端末に過ぎないんだろう?」

『いや、お主が彫像と言っておるそれが妾自身なのじゃ』

「メインコンピュータから端末に移動したとでもいうのか」

『単なるデータの読み書きにその様な物理的な概念を適用するなど出来る訳が無かろう。

 仮想世界に構築されたオブジェクトなど、相対アドレスへの参照を保持するポインタに過ぎぬのじゃ』

「その割にさっきからオカルトじみたことを言っているじゃないか」

『別におかしなことでもあるまい。

 極まった科学など魔法と区別が付かないのじゃと言うたではないか』

「外に出てみれば……」


 そうだ。

 外では魔族が暮らし、人間達の怨念が形造るという“禁域”が広がっているのだ。


『無理じゃ』

「無理かどうかはやってみなければ——」

『それはの……今となっては逆立ちしても不可能なことなのじゃ』

「一体何故……?」

『地球はの、とうの昔に赤色巨星と化した太陽に呑み込まれて消滅してしもうたのじゃ』


「……は?」


『妾は……広い宇宙の中で永遠にひとりぼっちなのじゃ』


 今、何と言った……?

 その言葉の意味を理解するにつれ呼吸は乱れ動悸どうきは激しくなり、嫌な汗が全身から吹き出す。

 何か言わなけば……そう考える程に強張こわばる身体で必死に口を開こうとするが何も出なかった。


 もしそれが真実ならきっと何千年どころの話ではないのだろう。

 しかし、だからといってさっきまでいたあの街が幻だったと納得することなど出来る筈も無い。

 きっとそんな筈は無い、そう信じたい。

 俺が今こうしてここにいることにはきっと何か意味がある。

 見上げるといつの間にか遠くの空が白み始めていた。


 ——夜明けか。

 来た道の向こう側は今、どうなっているのだろうか。


 後ろを振り向く。


 ここは通路の途中だ。

 暗がりの向こうに道はまだ続いている。



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