9 少年少女はペンを置き、剣を取った③

 三つ首鯨と三姉妹。

 この地で生まれ育った者なら、誰しもが一度は耳にしたことのある古い伝承。



 その昔、山ほど大きな化け物鯨が住んでおった。

 化け物鯨は三百三十日に一度村々へ現れては、三日後に再び来る時までに村で最も美しい女子おなごを用立て、供物として捧げるよう告げたそうな。

 宣告通り三日後に再び現れれば、化け物鯨はその太いかいなにえを鷲掴みにし、その大きな口で一飲みしてしまった。

 そして、贄に満足すれば豊漁が、満足せねば災いがその村にもたらされた。


 ある時、村で評判のそれはそれは見目みめうるわしき三姉妹がおった。

 そして、現れる化け物鯨。

 差し出すのはその村で最も美しい娘。

 村人たちは三姉妹のうちの誰を差し出すか、三日三晩大いに悩んだ。


 そこへ現れたのは旅の巫女。

 巫女は村人の話を聞くと、力になることを約束してある進言をした。


 約束の日、化け物鯨の前には三姉妹が並んでいた。

 そしてこう告げるのだった。

 村では最も美しい女子を、ついぞ選ぶことはできませんでした。

 なので、貴方様の両手を頭へ変えて、三人同時に召し上がりくださいと。

 

 その提案に大層喜んだ化け物鯨は、提案通りにその両手を頭へとへんさせた。

 そして、いざ食らおうとするが、三姉妹はいつの間にか消え失せており、増えた首で周りを見渡せば、三方の山の頂上にそれぞれ佇んでいた。


 三つ首となった化け物鯨は、それぞれ好き勝手な方向へ首を伸ばして食らいに行くものだから、逆にその場から動けなくなってしまった。

 そんな三つ首鯨の前に現れたのは旅の巫女。


 旅の巫女も大層美しかったものだから、化け物鯨も最初こそは歓喜したものの、巫女のその鬼灯ほおずきのように紅く染まったまなこ、そしてその身体に纏う気配に底知れぬ恐怖を覚えた。

 大慌てで逃げようとするも、またもや三つ首が好き勝手動こうとするせいで動けない。

 そしてついには、三つ首鯨はその巨体を石へ変えてしまい、動かなくなってしまった。


 石となった三つ首鯨は海に沈められ、村には永遠の豊漁が約束されたそうな。

 そして、三つ首鯨の石化が解けぬよう、三姉妹はそれぞれの山の頂上で人柱となり、いつまでも我々を見守ってくださっているそうな……めでたしめでたし。



 「以上がこの地に古くから伝わる三つ首鯨と三姉妹の伝承だね」

 「……どこから突っ込んだらいいものか」

 鼻頭に親指の爪を当て、ひねり出すようにそう呟くケイト。

 数年前に引っ越してきたばかりなこともあり、どうやら伝承を知らなかったらしい。


 まぁ、たしかにツッコミたいよね?

 俺も子供のころに聞いた時、なんだそりゃって思ったもん。

 でも、古い伝承にツッコミを入れるのは野暮なんじゃないだろうか?


 「それで?三つ首クジラの祟りとは?」

 「あぁ、それは」

 「長きの眠りについていた三つ首クジラを掘り起こして、挙句の果てに守り神のように勝手に祀る。三つ首クジラは人に騙され、憎んでいるはずなのに!その怨念がこの空間を形作った。いわばこれは私たち人類への罰!そう、これは三つ首クジラの祟り!」

 興奮気味に捲くし立てるボサボサ頭の少女。


 「……要領を得んな」

 「三つ首鯨は今も学校の下に眠っているの!」

 話が通じないさまに困惑しながら、ケイトがこちらへ目で訴えかけてきている。



 三つ首クジラが学校の下に眠っている。

 まぁ、ある意味でそれは事実だ。

 あの時は誰しもがその話題で持ち切りだったから、俺もよく覚えている。



 三方を山に囲まれ、残った一方には青い海を望むみつ市。

 主要産業が漁業だったのは遠い昔の話で、高度経済成長期には小規模な工業地区を 有する湾口都市へとへんぼうを遂げたが、それも廃れてもっぱしゃよう都市といった様相だった。

 転機が訪れたのは、長年の悲願だった対岸へ繋がる海上大橋の完成。

 この大橋の完成により、隣県の大都市からのアクセスが劇的によくなったのだ。


 物価の関係からか、ベッドタウンとして急激に人口が増加し始める三重市。

 競うように誘致される大型ショッピングモールや大型専門店の数々。

 さらに、周辺地域を繋ぐ道路も整備されたことにより、周囲からも人口が流入した。


 止まらぬ人口増加に、それに伴う建設ラッシュと労働者の流入。

 当然足りなくなる土地。

 市は大いに潤った資金を投じて、海を埋め立てることによって対処したのだった。


 俺たちが通った三重第三高等学校もそんな内の一つであり、ハイパーマンモス校と化していた三重第一と第二高等学校の問題を解消するために3年前に新設されたわけなのだが……そこで一つ問題が生じた。


 いつものように海を埋め立てようと事前調査したところ、海底で奇妙なクジラの骨が発見されたのだ。

 それはあたかも首が三つあるように見えたことから、この地に古くから伝わる伝承になぞらえて、それはそれは連日マスコミを色めかせた。


 眉唾物の噂ばかりで真相は分からないが、どうも退かしたり引き上げようと試みたものの、不思議な出来事が続いて上手くいかなかったらしい。


 結局、建設ラッシュゆえに工期や場所をずらす余裕はなく、校内の一角に小さなほこらを建てるという簡易的な変更だけされ、工事はかんこうされた。


 つまり、伝承の三つ首クジラかどうかはともかく、三つ首クジラと囃し立てられた クジラの骨が学校の下に埋まっているのは事実なのだ。

 いや、まぁ……これについても陰謀論含めて諸説あるのだが……。


 とはいえ、結局のところ所詮しょせんは伝承であり、住人達にとってもマスコミにとっても、退屈な生活を彩るスパイスに過ぎなかったわけだ。

 事実、この件を大真面目に憂いていたのは年寄りたちや一部界隈の人間だけで、大多数の人間が憂いていたのは、この件で学校や住宅街の建設が遅れないかだった。

 当時中学生だった俺も例外ではなく、自分の進学先が一つ増えるかどうかの方が死活問題であった。

 なにしろ、しょうちゅうと古く狭い校舎で窮屈極まりない学生生活を送っていたために、新設の学校というのが眩しく輝くほどに魅力的に見えたのだ。


 校舎完成の際には小躍りしたし、それなりに高い倍率を勝ち抜いて、その切符を手にした。

 そして、いざ登校してしまえば、ピカピカの校舎に広い廊下、計画的に設計された動線に感動するばかりで、地下にクジラが埋まっていることなど、3年間で一度たりとも気にしたことなどなかった。


 当然だろう?所詮は伝承なのだから。

 令和にもなって、一体誰がそんな伝承を本気で信じるというのか。


 ところが、現実として俺たちは魔訶不思議な現象に巻き込まれている……。


 これでは三つ首クジラの祟りだと、思いたくもなってしまうものだ。

 いや、がみ君の能力や海浜公園のクジラの噴水から新たな仲間が出てくることを考えれば、何かしらの関係はあると見ていいだろう。


 ただ、祟りだとすれば、何故こんなことをさせるのだろうか?

 単に恨みを晴らすだけなら、こんなまどろっこしい方法をとる必要もないだろう。

 なにせ現に街の住人を丸ごと植物にできているのだから。

 なら、なぜ俺たちだけが生き残ってバケモノと戦わされている?

 長い時間をかけてじっくりと絶望に沈めたいのか?

 そもそも、何で俺たちなんだ?


 ……いや、考えても仕方ない。

 その謎を解き明かしたところで、この戦いが終わるとは限らないしな。


 今、俺がすべきことと言えば……。


 

 「はい、いとさん。今回の分」

 おもむろに自分の髪の毛を数本千切ると、ボサボサ髪の少女に手渡す。

 その様子を怪訝な顔で見つめるケイトと三森先生。



 「イヒッ……いつもあっ、ありがとぅ……ござぃます」

 聞き取れないような小声でお礼を言うと、両手で受け取るボサボサ髪の少女。

 前髪ですっぽり覆われているためにその表情は窺い知れないが、声色からどことなく嬉しそうだ。


 「うん、また必要だったらいつでも言ってね」

 「……はぃ」

 またもや、消え入りそうな声で返事が返ってくる。


 「おい、何ををしているのだ?このにょしょうも生徒か?」

 腰に感触を覚えてそちらを見れば、訝し気な表情のケイトが肘うちをしていた。

 「あぁ、そっか。ケイトは同じクラスになったことないから知らないのか。彼女は4組出席番号3番のいとみさおさん。現状俺らの中での最大戦力なんだよ」


 「ほぅ、そうか。初めましてだな。3組出席番号24番林圭杜だ」

 「……どぅも」

 糸出さんは会釈ともとれないほどの浅いお辞儀で返す。


 「先ほどコヤツの髪を受け取っていたが、何かしらの能力に必要と見た。ここは挨拶代わりに受け取ってくれ」

 そう言うなり天然物のパーマをむしって、糸出さんへ突きつけるケイト。

 それを糸出さんはすごく嫌そう(表情が窺い知れないので実際の所不明だが)に受け取る。

 そして、俺の毛を傍に控えていたガイコツ……骨格標本に手渡し、ケイトの毛を内蔵が露出した男……人体模型に手渡す。

 骨格標本と人体模型は独りでに歩き出し、どこかへ消えていった。


 「ほぅ、やはり糸出嬢の能力だったわけか。無機物に命を与える力?それとも、物質を遠隔で操るとか?と、なると宙を飛んでいた剣道具ももしや?ふむ、気になるのは一体何をしていればこんな能力が発現するのだが、推察するに……」

ケイトが言い終わらないうちに、その場を去ってしまう糸出さん。

 本人は気づいていないのか気にしていないのか、一人で考察を続けている。


 「糸出さんはシャイなんだからあんまズケズケ行くなよな」

 「だが、気になるではないか」

 「馬鹿、それで嫌われたらどうすんだよ。誰にだって言いたくないことくらいあるだろ?」

 「だが、オレ達は命を預けて共に戦う仲間だろう?互いの能力は包み隠さず詳細に 開示して理解しあうべきではないか」

 「……まぁ、それはそうなんだけどな。でも、この限られた空間で一緒に暮らしてくんだぞ?皆で仲良くやっていこうぜ?」


 「皆で仲良く?可笑しなことを言う。樋本ひのもとのことを、皆で避けていたではないか」

 その一言で凍り付く。


 「……何でそう思うんだよ?」

 「ふん、簡単な話だ。まるでモーゼだったからな」

 モーゼ……?

 あぁ、俺とマサ兄より先に樋本君が校内に入ったからな。

 その際のことだろう。


 きっとそれまで和気あいあいとしていたのに、樋本君が帰ってきた途端にその進路を開けるように皆が退いたのだろう。

 俺たちが校庭に入った時に、妙に人が少なかったのはそのせいもあるだろうな。


 それに今日の敵は久しぶり……いや、あの時以来のクラゲだった。

 そうか……そうだったんだな。


 「可笑しな話だ。なぜ樋本は避けられている?」

 「……あぁ……それは」


 「チヅルンにホクロー、それにミーさんが死んでるってどういうことっすか!!」

 大声が聞こえてそちらを振り向けば、マサ兄に涼介が食ってかかっていた。


 いずれ説明しなくてはいけないと思っていたが……そうか、バレたか。

 いや、崇あたりが説明したのだろうか?


 「……えっ?駄目ですよ、こんな時にそんな冗談は……」

 マサ兄の近くでは、状況を飲み込めない様子の三森先生。

 しかし、マサ兄の顔を見て顔色がどんどんと悪くなっていく。



 「それに……それに」

 ワナワナと口を震わす涼介。


 「れん君が……樋本蓮芽れんが君が人を殺したってどういうことっすか!」


 閉じられた世界に、その一言は重く重く響き渡った。

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