佐藤君は神か悪魔か

マツモ草

前編


「へー、優しいじゃん」


 クラスメイトが落とした消しゴムを拾ったくらいで、彼が優しいかどうかは分からないけど、愛莉あいりはそう言って欲しくてその話題を口にしたんだろうし、私にもそれ以外言うべき感想が見つからなかった。

 私がそう言うと、向かいに座っている愛莉は少し照れたようにはにかんで、手元のお弁当に視線を落とした。


「もしかして......好きになっちゃった?」


 私が少しからかい気味にそう言うと、「いやっ、全然そんなのじゃないから」って顔を赤くして、窓側の後ろの席で友達とお弁当を食べている彼の方をチラチラと気にし始めた愛莉は、同性の私から見てもとても可愛い。


 さっきの自習中、愛莉の隣の席で友達と話しをしていた彼の足元に、彼女がわざと消しゴムを落としたのをバッチリ目撃していた私からすれば、分かり切った反応だけど、こうやって照れている親友の様子を見れて揶揄いがいがあるってもんだ。


 後から思えば、この時は親友の恋を応援したいって思ったし、自分の判断が間違ったとも思ってない。

 だけど、もし今時間が巻き戻ったとしたら、私は心から彼女を応援出来るだろうか。


 ♢♢♢


 私と愛莉は一昨年この高校に入学した時に同じクラスで席が前後になってから仲良くなって、今では親友と呼べるほどの関係になった。

 そんな親友の愛莉が二年生で同じクラスになった佐藤君を好きになった。


 佐藤君はひょろっとした大人しそうな印象の、眼鏡を掛けていて目立たない男子で、愛莉の事があるまで私も数回挨拶をしたことがあるだけだった。


 一度佐藤君が眼鏡をはずしたところを見たけれど、顔は中の上って感じで、学年でもトップ5に入る可愛さの愛莉が、正直に言ってこれと言った特徴のない彼の事をなぜ好きになったのか不思議だった。


 切っ掛けについては愛莉が色々言っていたけど、まあ、大した理由なんかないらしく、気が付いたら好きになってたってやつらしい。


 ただ、特徴と言えるのかは分からないけど、佐藤君には親友と呼べる友人がいた。


 その親友、山西は学年でも知らない生徒がいないほど、良くも悪くも目立っている生徒で、全校集会で皆が静まり返っている時に突然冗談を言ったりして、いつも先生に「山西は黙ってろ」と言われるような、小学生の精神構造のまま高校生になったような生徒だ。


 だけど、そんな山西は友達も多く、人の輪が出来ると常にその中心で騒いでいるような感じで、しかも黙っていれば顔は良いので男女共に人気があった。


 佐藤君はそんな山西と小学校からの友達らしく、佐藤君の傍に誰かいる時は常に山西だった。


 男女区別なく比較的誰とでも仲良く出来る私は、親友の恋を応援しようと佐藤君に毎日挨拶したり、すれ違った時に雑談をしたり、少しづつ絡むように心がけた。


 受け身で大人しい愛莉が自分から積極的になれないのは分かってたし、余計なおせっかいだと思うけど、そのせいで山西も含め私たち四人は教室でいつも一緒にいるグループになって、私が最後のお膳立てをしたことで愛莉と佐藤君はめでたく彼氏彼女の関係になった。


 本当だったら後は二人が仲良くしているのをただ微笑ましく眺めていれば良かった話だけど、ここで一つ問題があった。そう、山西だ。


 彼はいい意味でも悪い意味でも空気が読めないのか、二人きりにしてあげた方が良いと思うときでも、今まで通り遠慮なく二人の間に割って入る。


 愛莉はあんな性格で山西に何も言えないから、私が一緒にいる時は山西を無理やり引っ張っていってお説教をするのだけど、彼はあまり分かってないのか、何回言っても同じことを繰り返す。


 佐藤君にも何回かそれとなく言ってみたけど、佐藤君もそんなところは親友に似たのか、あまり気にしていないようだった。


 私が親友の為だと思ってそんな事を繰り返していると、必然的に私と山西が二人でいる事も多くなる。

 二人になると、いや、初めて会った時から分かっていたけど、山西はかなりエロい。

 明るいし、話していても楽しいし、顔だって良い。だけどエロいのだ。


 そりゃ私だってそういう事に興味もあるし、男子高校生がどういう生き物なのか多少は分かってるつもりだ。


 大抵の男子は視線が胸、足、顔ときて、目が合うと慌てて逸らす。

 気が付かないふりをしてると何回もチラチラと見てきてるのも全部分かってる。


 不快だけど、そういうもんだってあまり気にしない様にしている。

 けど、山西は別だ。奴の視線には遠慮や恥じらいが全く無い。


 通りすがりのおっさんのようにエロ丸出しの視線を遠慮なく向けて来るのだ。

 何も言わなければそのまま手が伸びて来るんじゃないかと思うような視線を、隠すことなくぶつけて来る。


 当然と言って良いのか、彼にとって親友の彼女である愛莉にもその視線は向かうので、人一倍視線に敏感な愛莉なんかは時々恐怖で固まってたりする。


 私は「お前の視線はエロいから止めろ」と何回も注意したけど、奴はこれが男子高校生だと言わんばかりの態度で一向に改めないし、佐藤君からも注意してもらえるようにお願いしたことで多少はましになったけど、それでも奴の視線はエロいままだった。


 もちろん私がそんな山西を好きになるはずもなく、愛莉たちが付き合い始めてすぐの頃は、俺達も付き合おうぜ、感いっぱいで私にすり寄って来た山西も、私にその気がないとやっと分かったのか、暫くするとそんな事も無くなっていた。

 相変わらず視線はエロかったけど。


 佐藤君は見た目通り穏やかな性格で、口調も物腰も柔らかく、彼が声を荒げたり怒っている所を私は一回も見たことが無かった。

 愛莉も同じことを言っていたので、猫を被っているという事もなさそうだし、同じように大人しい愛莉と佐藤君の交際は順調だった。


 山西という危険物に注意していれば二人の仲も私たちの関係も平和そのもので、季節はあっという間に流れ、二人が付き合いだした夏は終わり、冬も過ぎ、春になった。


 しかし、この時には私の知らない所で問題は既に起こっていたのだ。


 ♢♢♢


 もうあと数日で春休みとなる放課後、佐藤君も山西も友達との約束があるって先に帰ったので、私は愛莉と二人で駅に向かって歩いていた。

 その時、何となく彼女の様子がいつもと違うのに気が付いた。


「愛莉、なんかあった?」


 浮かない顔で生返事をする愛莉にそうたずねると、彼女は「えっ、ううん......なにもないよ」と、何かある時の返事を返して来た。


 最近の愛莉の悩みと言えばあれだ、付き合って八ヶ月以上経つのに佐藤君は最近やっと手をつないでくれるようになっただけで、キスもしてこないってことだろう。

 可愛い顔してそんな事はちゃんと考えているんだと思うと、ますます愛莉が可愛くなってくる。


「またまた~、佐藤君が手を出してこないって事でしょ?」


 ここで普段の愛莉だったら少し赤くなって慌てたように「ちっ、違うよ!そんな事考えてないし」って返事が変えてくるんだけど、愛莉の反応が私の想像と少し違っていた。


「あっ、うん......まあ」


 俯きながらそんな返事をした愛莉に違和感を感じた私は、何かあったのか聞こうとしたけど、すぐに普段の愛莉に戻っていて「いやっ、違うし」って言うとすたすたと歩き続けた。


 私の気のせいだったのかな。なんて思い直し、それ以上その事について聞かなかったけど、今思えば私の心配なんてもう手遅れだったのだ。


 ♢♢♢


 私の家系は歯があまり丈夫ではなかった。

 幸い私は小学生以来一度も虫歯になっていないけど、念のため三か月に一度は掛り付けの歯医者さんに行ってケアをしてもらっている。

 その歯医者さんは地元の駅から下り方面に四駅行った所にあって、春休みに入った私は朝一番の予約を取って歯医者さんに向かった。


 歯医者さんで今回も虫歯が一本もない事に気をよくした私は、ちょうどお昼前だし帰りに何か食べて帰ろうかな、何て考えながら駅に向かって歩いていた時だった。

 車道の向こう側のファミレスの入口で、男の背中に続いて入って行く女の子の後ろ姿が一瞬目に入った。


「あれ......愛莉?」


 チラッとしか見えなかったけど、あの後ろ姿は愛莉に似ていた。


 丁度何か食べようかって考えていたから、店内に入って確認すればいいのだけど、私は店内に入る、いや、あの後ろ姿が愛莉だって確認する勇気がなかった。


 だって、愛莉の前に店内に入って行った男の後ろ姿が佐藤君には見えなかったから。


 普通だったらみんな大体、上り方面に二駅いった大きな繁華街のある町で遊んだりするんだけど、この町は私たちの町からは下り方面にあって、比較的大きいとはいえ、私みたいに用事がない限りこっちに来る人は殆どいない。


 私の見間違えだろう。


 そう結論付けて足早にその場を去ったけど、どうしても気になった私はその晩、愛莉にメッセージを送って、今日は何をしていたのかをそれとなく聞いてみた。


 ”今日は朝からお母さんと都内に買い物に行ったよ”


 ほら、あれはやっぱり愛莉じゃなかった。

 愛莉が私に嘘を吐くわけないから......


 ♢♢♢


 それでも何となく気になっていた私は、数日後、いつもの四人で会った時に、みんなの様子におかしなところがないか注意してみた。


 佐藤君の様子は変わってないと思う。

 今日も穏やかな笑みを浮かべてみんなの話を聞いている。


 山西もいつも通りだ。相変わらず騒がしく、不快な視線を私や愛莉に向けて来る。


 そして愛莉。一見普段通りで、数日前に見たおかしな様子も感じなかったから、やっぱりあれは私の見間違いだと思いたい......けど、微かな違和感に私は気が付いてしまった。


 愛莉に向けられる山西の不快な視線。

 いつもの愛莉なら戸惑って困った様子を見せるのに、今の愛莉はその視線に気が付いていながらあまり気にしていない様に私には思えた。


 この前のファミレスでほんの一瞬だけ見えた男の後ろ姿は佐藤君じゃなかった。

 そう、どちらかと言えば......


 その日、私は何をして遊んだのか全く覚えていない。


 ♢♢♢


 そして事態が大きく動いたのは新学期に入って二週間ほど経った頃だった。

 事態が動いたというより、私が動かしてしまったと言った方が正しいけど、私は自分の判断が間違っていたのか今でも分からない。


 その日の放課後、いつもの様に四人揃ったところで、佐藤君が帰りにカラオケでも行かないかと提案した時だった。


 山西が「わりい!俺今日は他の奴らと約束しててな」と言って先に教室を出て行った。

「じゃあ、三人で―――」

 佐藤君がそう言いかけたとき、愛莉が口を開いた。


「あっ、私も先生に呼ばれてて、進路希望のことかも......ごめん。また明日ね」


 そう言って愛莉も教室から出て行った。

 こういうことは特別珍しい事では無い。

 四人の予定が合わない事なんてしょっちゅうだから。


 だけど、私は見てしまったんだ。

 山西が去り際に、ほんの一瞬だけ愛莉と視線を交わした所を。


「じゃあ、途中まで一緒に帰ろうか」


 佐藤君にそういわれて私は歩き出したけど、内心はそれどころじゃなかった。

 愛莉と佐藤君がくっつくようにおせっかいをしたのは私だし、もし私の疑いが事実だったら佐藤君はどう思うだろう。


 私の思い違いだ、愛莉が浮気するなんて、そんな事あるはずない。

 それに愛莉がずっと私を、私たちを騙してたなんて信じたくない。


「ごめん佐藤君、学校に忘れ物したから先に帰ってて」


 だから愛莉の無実を確認する為に、自分を納得させる為に私は学校へ引き返した。


 ♢♢♢


 校門が良く確認できる場所で身を潜めていると、暫くして少し辺りを気にした様子の愛莉が姿を現した。


 俯き加減に駅の方に歩き始めた愛莉から少し離れて私も後を追う。彼女は駅に着くと下り線のホームに向かった。

 ここまではおかしくない。愛莉の家の最寄り駅は下り線方向の一つ隣の駅だから。

 到着した電車に乗った愛莉を見失わない程度に距離を取って私も電車に乗りこむ。


 愛莉お願い、次の駅で降りて。


 そんな私の願いも空しく、彼女は自宅の最寄り駅で電車を降りる事は無く、彼女が電車を降りたのは私の掛り付けの歯医者さんのある、春休みに愛莉らしき後ろ姿を見掛けた駅だった。


 もう私の疑惑は確信に変わっていた。


 電車を降りた愛莉は駅のトイレに入り、再び出て来た時には制服の上から白いパーカーを羽織っていた。


 クリスマスに佐藤君からプレゼントされた彼女のお気に入りのパーカー。


 彼からのプレゼントで制服を隠して、愛莉は何処に行くのか。

 もうこれ以上追わない方がいい。この後何を目撃してしまうのか想像がついている。

 それでも私は、自分が両手を握り締めている事にも気づかずに駅の北口に向かう愛莉の後を追った。


 そしてそこで私は自分の悪い想像が間違っていなかったことを思い知ることになった。


 愛莉は北口の端っこで待っていた山西を見つけると、小走りで近寄り、二人は二言三言会話を交わした後に歩き出した。


 二人は手を繋ぐわけでもないし、べったりとくっ付くようなこともしなかった。

 愛莉の後ろ姿からは、佐藤君と並んで歩いている時のような、初々しさや嬉しさも感じられない。


 ただ、寄り添って歩く二人の後ろ姿を見て、何年も付き合っている恋人同士のような生々しさを感じて、余計に事態は深刻なんだと思わずにはいられなかった。


 再開発されて綺麗な商業施設が立ち並ぶ南口とは違い、北口には狭い路地を挟んでひしめくように立ち並ぶ雑居ビルと飲食店、バーや風俗店などが立ち並んでいた。


 私が来た事もない道を、二人は通い慣れた道のように何の迷いもなく歩き続けてラブホテル街までやって来て、その中の一軒に入っていった。


 もし、愛莉が入口で躊躇うような様子を見せていれば、私は飛び出して行って愛莉を止めたかも知れない。


 だけど愛莉は何の躊躇いもなく山西の後に続いてホテルの中に消えていった。


 私に出来たのは、佐藤君にプレゼントされた彼女のパーカーのフードが、揺れながら消えていくのを数枚の写真に撮る事だけだった。


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