第42話 vs負冠禅

 最後の言葉、か。

 そう促してくれるところを見ると、彼も、完全な悪というわけでもないようだ。

 心の底では、実は優しいのかもしれない――。

 純粋な戦闘狂、というわけでもないか。

「特にないね」

 ぼくは、彼からの厚意を、無下にした。

 残す言葉など、なにもない。

「そうか、じゃあ、死ね――なんて、雑魚キャラが言いそうなセリフは言わねえぜ。ここは笑顔で見送ってやる。いってらっしゃい、だ」

 そして、負冠禅――彼の最大の力で、技で、ぼくの生命を破壊しにかかってきた。

 ぼくは、避けない。立ったまま、その攻撃を受ける覚悟で、目を瞑る。

 真っ暗な世界。彼の攻撃の、圧迫感だけが、先にきて――


 だけど、やってくるはずの衝撃は、なかった。

「が、ぎ――あがあああッ!?」

 聞こえたのは声だ。

 彼の――負冠禅の、呻き声。

 痛がるような、漏れた声……あの負冠禅が?

 三人の力を一人に集めているとは言え、それは攻撃面にしか反映されないのだろう。防御面に関しては、疎かになっているのか――、まあ、できないこともないのだろうが、今回は、彼が防御面に回すことを、後回しにしていたからこその、その悲鳴なのか。

 彼らしいと言えばらしい。攻撃特化の戦い方なら、防御のことは考えないのだから。

 それとも、防御面に回して、その痛みなのだとしたら。

 攻撃した誰かの攻撃が、単純に強かった、ということもあり得る――。

 横やりを入れてきた誰かの力が、負冠の防御力を上回った。

 それも三人分の力を、だ。

 ぼくは目を開ける。そして、ぼくと彼を遮るように立っていたのは、さっきまでぼくと話していた男――偽物ではない、この男は、本物だ……。

 我野防人。

 魎野目――、負冠禅が作った、架空の人物ではなかったのか。

 実在していた……。

「……なんで、お前がここにやがる……っ、いや、そんなことはどうでもいいか。聞く必要もねえよな、お前は偶然、ここにきた。それでいいじゃねえか――だからそれよりも、だ。お前、俺の殺戮の時間を邪魔するってことは、どういう意味か、分かってんのか? 知識が足りてねえのか? 俺は、魍倉階段だ! 魍倉階段・負冠兄姉弟、その長男である、負冠禅だ! 俺の楽しみを邪魔したお前は、今から俺の標的になるんだぜ――」

「お前のような……、このすばらしい世界に、お前みたいな身勝手なやつがいるから、世界は平和に、ならないんじゃないか……?」

 負冠の言葉を遮り、我野防人が自分の言葉をぶつけた。

 喧嘩を売った、と受け取られてもおかしくない否定だった。

 ぼくを助けてくれた? それはきっかけだったのだろう。

 助けて、その上で、彼は負冠禅の身勝手さに、怒りを得た――。

 そして今、戦っている。

「私がここにいるのは、ちょうど、旅の途中に、通りかかっただけだ。本来なら、こんななにもない場所にくることはなかったんだがな――しかし君が呼んだのだろう? その力で、無意識に、私のことを呼んだのだろう?」

 呼んだ――?

 あ、そっか――ぼくの、血が。

 味方を、呼び寄せてくれたのだ。

 ぼくは頷く。

「そうか、呼んでくれたのならば、全力を尽くそうじゃないか。相手は負冠禅、負冠兄姉弟のその長男か。厄介なのは、三人の力を一人に集める『三角トライアングルパワー』だが、相手が長男ならば、なんとかなるだろう。戦闘しか経験していないやつを沈めることなど、簡単過ぎて、目を瞑っていてもできる――」

 ぼくに話しかけていながら、負冠禅を挑発している……。

 こんな見え見えの挑発、さすがに彼も乗らないだろう、と思ったが、

「へえ、言うじゃねえか。ならその高くから見下ろしているその余裕をよお、跡形もなく崩してやるぜ、魎野目――そのくだらねえ平和主義ごとなあ!!」

「くだらなくないな。この世には、平和に限らず、くだらないことなんて何一つないんだ」

 言葉を待たず、負冠は、我野さんが話しているその最中に、飛び掛かった。

 一瞬で近づき、彼の懐に入り、真下から真上へ、拳を叩き込む!

 しかし――

 我野さんの、たった少しの動きで、負冠の体が真後ろへ吹き飛ばされた。

 ……なんだ、なにが起こった?

 一瞬のことで、ぼくは目を疑った……幻覚か?

 それにしては、はっきりと見えている――。

 我野防人、彼の手が、数え切れないほどの量に増えていたのだ。

 しかも、大きさもばらばらで、一定でなく――。

 これが、彼の力……、そう言えば言っていたな――それは負冠が化けた姿だったわけだが、だからと言って発言の全てが嘘だった、というわけでもないのだろう。

 リアリティを出すためには本物のプロフィールを利用するのだから。

 我野さんの力は、確か万手観音だった――はず。

 万の手が、敵を襲う……。

 その数の攻撃を受けた負冠は、しかし立ち上がった。

 ふらふらと、足取りは不安定だ。でも、心は死んでいなかった。

 闘志は、未だ燃えている……。

 挑発に乗ったのだ、ここで引けない、負けられないと思ってるのかもな。

 プライドが高いがゆえに。

 引くことを、決められない。

 戦いに全てを捧げてきた彼らしいが――。

「負けるか、よ。そんな、ただの一撃で、俺が負けるか……ッ」

「ただの一撃ではないな、お前が喰らったのは、万の一撃だ」

 そう、勝ち目なんてない。だけど、それを理由に諦める彼ではない。

 彼は、進む。我野さんに向かって、ぼくに向かって。その両手を、鋭く尖らせて、敵の心臓に狙いを定めて。そして、自分の唇を、ぺろりと舐めた。

 口の端の傷を舐め、血を取り込む。

 その鉄の味が、彼の中で、一つのトリガーになっているのかもしれない。

 だからこそ、冷静な判断ができていないのか。

 いや、冷静な判断をしても尚、彼は戦うことを決めたのだろう。

 覚悟は、本物だった。

 でも、

「やっぱり、勝ち目はない――諦めろよ、負冠禅」

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