第33話 部屋の中と外

 そうだ、考えれば分かることだ。

 危険な目に遭うのは、ぼくではない、楽外指南なのだ――。

 心志さんが死んだことを隠して、ぼくはどうしたいのか。心志さんの代理として、顔も名も明かさずに、一族全体に隠し通して、何年もやり過ごそうとしていたのか?

 跡継ぎ問題が解決するまで? だが、解決するためには、心志さんがいなければならない。

 それはもう、叶わないのだ。

 結局ぼくは、出口のない迷宮へ、飛び込むところだったのか――。

 心志さんの意見を勝手に曲げて、指南を次の頭首にするべきか?

 それで、一族全体が納得するのか……?

 無理だ。

 馬鹿にしている。

 なめ過ぎだ――。

 隠し通せるわけがない。それに、犯人を考えた時、外部ばかりに目がいくが、実は内部だったんじゃないか、という可能性だって、なくはないのだ――隠す以前に既にばれていたら、ぼくがしようとしていたことは、茶番で終わる。

 事態を悪化させるだけさせて、取返しがつかないことになる。

 ぼくだけならばまだいいが、指南や、詩八千さんを危険な目に遭わせるのだけは避けたい。

 だから報告することは、まず一歩目として、必要なことなのだ。

「そう、ですね――分かります」

「棺ちゃんが考えていることも、分かるけどね――それじゃあすぐにいってくるわ。学校は、今日は休みなさい。棺ちゃんもだけど、あなた以上に心にダメージを負っているのは、指南の方だからね――できれば、棺ちゃん、指南のことを元気づけてあげて。なにかをする必要はないわ、一緒に、傍にいてくれれば、それでいいから。……どうすればいいのか、分からないって顔をしているわね? 傍にいるだけと言われても、傍にいるだけのことが一番難しいって顔かしら? 戸惑うのも仕方ないわ、自分じゃどうせできっこないって思うのも、仕方ないでしょうよ――それでも、頼まれてくれないかしら」

 心志さんも、詩八千さんも、ぼくに求めることは同じだ。

 指南を、元気づけてほしい――。

 無理だ、難しいだと思うのは、もう飽きた。

 だから、ぼくは頷いた。

「そう――ありがとう、棺ちゃん」

 そして、詩八千さんが報告のために家を出る。

 心志さんがいなくなり、そして詩八千さんまでが、いなくなる。

 いや、別に死んだわけではないけど――死ににいくわけでもない。

 また再会することはできるけど、なんだか、寂しい気分だった。

 まるで、取り残されていくような、一人になっていくような、孤独になっていくような――。

 また、屋根のない部屋で暮らすことになるのかと思うと、ぼくはこの家を、失いたくなかった――冷たいのは嫌だ、この家の温かさが、忘れられないから。

 家じゃない、屋根がどうこうじゃない。

 家庭だ。建造物どうこうじゃない、人だ。

 家族を、失いたくなかったのだ――。

 だから。


「楽外」


 失いたくないから――。

 ぼくは、弱々しく階段を上がっていく、足の裏を真っ赤に染めた彼女を、呼び止める。

 しかし、楽外は、こちらを見向きもせず、自室へ入っていった。

 扉が、ゆっくりと閉じられ、鍵をかけられた。もう開かない――、と決めつけるのはまだ早い。まだ、呼びかけて開く可能性は残っているのだから。

「楽外、開けてほしい。詩八千さんが出かけるんだ。長い間、たぶん帰ってこないんじゃないかと思う。それまでぼくと楽外、二人だけなんだ――だから色々と、役割分担とか、家の使い方とか、教えてほしいんだ――、一緒に決めたいんだよ。だから、出てきてほしい」

 ほくにはこういうやり方しか思い浮かばなかった。

 ぼくにも君にも役割があるんだから、それに努めるべきだって言うしかなかった。

 人の温かさなんて微塵もない、システマティックな文句である――。

 ぼくにはこれしかない……だから、これで粘るしかないのだ。

 根気強く。

 と、思っていたのだが――、確かに出やすい文句ではないにしても、それでも楽外からの反応がなさ過ぎる。何度、声をかけてもなにも聞こえてこない。十五分ほど、変わらない。

 拒絶でもいいから返事がほしかった。

 そろそろぼくも、苛立ちが募ってくる。

 ずっと部屋の前にいるぼくの身にもなってみろ、と思うし、考えてみろとも思う。しかし立っているのはぼくの意思だ、強制されたわけじゃない――嫌ならやめろと言われてそれで終わりだ。だけど、あっちだって、自分のためにしてくれているのだと理解はしているはずだ。言葉とは裏腹に、分かっているはずなのだ――。

 なにも考えていないはずがない。なにも考えないようにするのが、一番難しいだろう。

 今の楽外にとっては。

 そして一番簡単なことは、無理やり思考停止をさせることだ――。

 強制的に、生命活動を停止させること――え?

 待て、待て待て待て!

 自分で言っておいてなんだが、返事がないのは、まさか――

 ……自殺?

 あの楽外が自殺なんてするはずがない、と言い切ることはできない。

 なにも知らない分際で、勝手なことは言えない。自殺しないなんて、決めつけることはできない――でも、大好きだった父親が殺され、最大の拠り所を失った彼女がまず考えることは、じゃあなんだ……? 復讐か? だとしたら落ち込んで、部屋にこもるはずがない。

 じゃあ、考えられるとすれば……。

 自殺、を、考えていても、不思議ではない。

「……これは思っているよりも、まずいな……深刻じゃないか……ッッ」

 返事を期待し、部屋の前でじっと待機し過ぎだ。もっと動きを見せるべきだった。

 語り掛けるのではなく、扉をどうこじ開けるか、強行突破をするべきだったのだ。

 失敗した――まただ。

 また、失敗……。

 反省ばかりで、学習することが多過ぎる。

「開かない……っ、開かない開かないっっ!! どうする!? 体当たりで壊せる扉じゃないだろうし……、なにか棒でもあれば、扉を壊すことも――」

 しかし肝心な、ぼくの力が足りない気がする……、扉も壊せない自分の腕力を恨んだ。

 ぼくに力があれば――力が……あれば……。

 ――ある。ぼくには力が、あるっ!

 ぼくは一度、自室へ戻り、刃物を取り出す。買ったばかりのハサミだ。

 それから楽外の部屋に戻り、そして自分の指に、刃を当てた。

 そして。

 力強く、皮膚を裂く――。

 血が出る。

 地面を、赤く染めていく。

 心志さんほどとはいかないまでも、しかし大量の血だ――、やべ、さっきの死体の光景を思い出して、くらくらしてきた……っ。

「……っ、う」

 指の感覚は、もうない。徐々に痛みもなくなってきている――これ、大丈夫か?

 医学をかじっているわけではないから、どれだけ血を流して大丈夫なのか、分からない。

 このまま流れ続けていたら、意識を失うのではないか……、そもそも、もしも楽外が既に、自殺をしていたのであれば――ぼくのこの行為は完全に無駄に終わる。

 無駄死にとはまさにぼくのことだ。

 本当に、なんの意味があったのか――。

 だけどその時、爆発音かと思うほどの音が目の前から聞こえ、視覚的にも衝撃があった。

 扉が、いきなり倒れてきたのだ。

 ぼくを押し潰す、その直前で、扉が激しく散る――。

 粉々に、木くずに変わった。

 木くずが舞う中、中心から一人の少女が飛び出してきた。

 それは、楽外だった。


 楽外指南。


 彼女は日本刀ではなく、もっと小さなナイフを持ってぼくに飛び掛かり、押し倒し、そして馬乗りになって、ぼくの動きを制限する。

 それから。

 ナイフをぼくの首元に、押し付けてきた。

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