第30話 盤上の構想
「じゃあ、始めるか」
心志さんがルーレットを回した。出た目は、九だ――十には届かないものの、しかし大きい数字だ。距離を稼げる数字である。
止まったマスは、幸福のマス。
悪いことは基本的に起こらないマスであり、心志さんはお金を貰えたらしい。
で、次はぼくの番だ――ルーレットを回していると、心志さんが、
「悪いな、棺。あいつが――指南があそこまで脆いとは、俺も思っていなかったもんでな。娘のことを、全然分かっていない俺は、父親失格だぜ、まったくよ――」
と言った。
ぼくの目は、三。止まったマスのせいで、ぼくはお金を奪われた――
不幸のマスだったようだ。
ぼくらしいと言えばそうだが、嫌な一歩目である。
「彼女も、自分の精神が脆いということを隠していたのでしょうし、気づけなかったとしても無理ないと思いますよ。彼女の表向きの態度は完璧でしたからね」
学校から帰った楽外は、精神状態が危なかった、と言えた。
分かりやすく暴れたりしてくれたら対処の仕方もあったのだけど、逆だったのだ。
おとなしかった……、まるで、負冠翔のような、死人のような目だった――。
彼女は、息を潜めるように、部屋にこもったまま、夕食にも顔を出さず、七時間以上も、家族と顔を合わせていないのだ。
反抗期、と言えば、あっさりとスルーされそうなものだが、しかしあのファザコンのことを考えれば、心志さんと顔を合わせなくて耐えられないのは楽外の方なのだ。
なのに――。
それに、そうでなくとも、昼間の錯乱した状態を見てしまえば、放っておくことはできなかった。事情を話し、心志さんと詩八千さんにも慰める協力を頼んだのだけど……彼女から拒絶されてしまえば、不用意に手は出せない……。
ぼくにだけ、なんとか返答はしてくれるようだが、それも長くは続かなさそうだ。
彼女が部屋にこもる前に、二人に助けを求めていれば――、ぼくの、完全なミスである。
「確かにな、あいつの表向きの態度は完璧だ。俺だって騙されていたんだからな――、いや、小さい頃に一度だけ、同じことがあったと言えば、あったか……。そんな気もするが、その時は恐らく、深くは考えていなかったんだろうな。小さいガキによくあるパニック状態だと思っていてな――それもすぐに治って、それからというもの、特にこれと言って、おかしな点もなかったからな。だからこそ、まさかなんだよ――。今になって、こうして本性が出るなんて、さ。タイミングが悪い、悪過ぎる」
「タイミング、ですか? しかも悪い? 心志さんは、一体、なにを――あ、すいません、そこのマンションを買いたいので、カードをくれませんか? あと、ぼくのものだと示すためのフラッグも取ってください」
「ほいよ。つうか、俺よりも良いマンションを買いやがって……っ、なんだかんだでお前も運が良いじゃねえか、棺」
「運が良いだけです。それも、不幸が大量に襲い掛かった後の、マイナスを取り戻すためだけの幸運ですよ――それよりも、さっきの話ですけど、タイミングが悪いとか、一体なんのことですか? 彼女の、ことですよね?」
心志さんが、ルーレットを回し、出た目の数だけ駒を動かす。止まったマスに書かれていたのは、『子供が一人、生まれる』だった。心志さんは傍にあった箱から人間の駒を取り出し、車の形をした駒に突き刺す――子供が加わり、心志さんの搭乗者は、三人、である。
ぼくは変わらず、結婚もできていない現状だ。
一人きりの旅である。
「まあ、私情だけどよお」
「大体のことが私情ですよ。私情でない方が少ないです。もしかしたら、私情が挟まない事情なんてないのかもしれませんね」
「まあ、かもな。お前も関係あることだ――魑飛沫のことだ。おとなしく聞いておけ、棺」
威嚇を含んだ声音に、大人しく従っておくことにして――「はい」と頷く。
「魑飛沫の跡継ぎの話なんだよ。俺も人間だ、百歳、二百歳まで生きることはできねえんだ、当たり前のルールなんだよ。俺はこう見えても魑飛沫の中でも一番、偉い男なんだぜ? 驚いただろ」
いや、ぼくとしてはずっとそのつもりで接してきたので、今更それを明かされたところで、驚きはないんだけど――、ただの答え合わせだった。
しかし、正直にそんな表情をしたら、心志さんをガッカリさせてしまうのではないか。
と、考えていると、それ自体が顔に出ていたようで、心志さんが、
「分かったっつーの。驚いてねえんだろ? つまんねーやつだ」
と、ちょっと拗ねていた。
楽外に似ている――、やはり親子だ。
「え、っと、それで、跡継ぎ、というのは、もう決まっているんですか? あ、もしかして、心志さんの跡継ぎに彼女――指南を選ぶから、さっきタイミングがどうとか言っていたんですか?」
「半分は正解だ。俺の跡継ぎ候補は五十人ほどいてな、指南はその中に入っているだけだ――親子だから、血が繋がっているから、という理由だけで優遇されるほど、魑飛沫は甘くねえんだよなあ、これが。魑飛沫ってのはな、血の繋がりを無視した、一族という呼称を借りた戦闘部隊なんだよ。地球の裏側にいるやつでも、魑飛沫の性質を持てば魑飛沫を名乗れる。まあ、今の頭首――俺のことだが、俺に『自分は魑飛沫だ』と言わない限りは、完全な魑飛沫じゃねえんだがな――自覚があっても関係ねえってことだ。棺、だからお前が俺に報告をしてきたのは、正解だったわけだ」
心志さんは、だから、と言って、
「俺の自由で、候補生を減らすことも、増やすこともできるんだ……、お前も候補生に入っているんだぜ、棺」
と、ぼくに向かって最高の笑顔を見せた。
候補生に入っている、だって?
ぼくが、魑飛沫一族、その頭首の権利を譲り受けることが、できるって?
正直、そんなものはいらない、とぼくは拒否するが――しかしこの場で拒否するというのも、せっかく候補生に入れてくれた心志さんに悪い……、だからこの場では言わなかった。
さすがに、ぼくにそんな度胸はない。
それ以前に、ぼくには確信があったのだ。五十人もいる魑飛沫一族の候補生の中から、未熟で不完全な魑飛沫であるぼくが選ばれることはないと。分かっていたからこそ言わなかったのだ。
万が一、ぼくを選ぶなら、楽外を選ぶだろう。
心志さんは、そうするべきなのだ。
「それで、心志さんはもう選んでいるんですか? 残り数人、には絞っているんですよね? その、候補生の中から、自分の跡継ぎになる人を」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます