深海の底【GL】

「アウター着てくれば良かった」

「あうたー?」

「アウター。ジャンバーとか、コートとか」

 ああ。アウター。

 そんなおしゃれな言い方するようになっちゃって、と私は少し意地悪な気持ちになる。久しぶりに帰省した幼馴染のアコは、たしかに垢ぬけていた。短い髪は茶色く染めているのに艶々で、Sを縦に伸ばしたみたいな金色のピアスが白い耳に揺れている。

「寒いの?」

「うん、ちょっとね」

 私は仕方なく、さっき自販機で買った紅茶花伝のペットボトルを渡してやる。「さんきゅー」といってアコは、それをスキニーの太ももに挟んだ。もう春といっても、夜はずいぶん冷える。公園には誰もいなくて、私とアコだけがベンチに並んで座っていた。まだ寒そうにしているアコを見て、私は自分のマフラーを一度はずし、アコにも一緒に巻き付けた。若いカップルでもやりそうにないけれど、二人で一つのマフラーをぐるぐる巻き付けると、体温も相まって暖かさが増した気がした。

「ん、ありがとう」

 されるがままにマフラーを巻かれ、ありがとう、と言えるアコの素直なところが好きだったのに、今は苛ついてしまう。

「サチの匂いする」と言いながらマフラーに顔をうずめるアコの呼気はさっきまで飲んでいた日本酒の匂いがする。

「あ、あれUFOだ」

 アコが顔をあげて空を指す。

「飛行機でしょ?」

「いや、飛行機だと確認できるまでは未確認だから、確認できない飛行物はすべて未確認飛行物体なのだよ」

 私は肩をすくます。

「なにシュレディンガーの猫みたいなこと言ってんの」

「おお、シュレディンガーの猫知ってるの? 理系ですねえ」

「バカにしてるでしょう」

「あれ、見るまで中がどうなっているかわからない、って意味じゃないんだよ」

「え、そーなの?」

「うん。生と死が同じ確率で1:1で重なり合っている状態を指すの」

「あーごめん。意味わかんない」

「だから、黒猫と白猫を箱に入れたら1:1で重なり合って灰色の猫になるって話」

 さすがにからかわれているとわかったので、私は無視をする。

「深海の底のようだね星月夜」

 アコがつぶやく。

「何それ」

「一句詠みました」

「どういう意味?」

「なんかさ、空に星がいっぱい見えて、海の底から見上げているみたいじゃない? 光の届かない深海って、なんか光る生き物いっぱいいるし。静かで、空だけきらきらしてて、今ここって海の底みたいって思って……どう? 文学的?」

 シュレディンガーの猫でからかったことを少しは反省したのだろうか。文系の私に話をあわせにきたらしい。

「素敵だけど、星月夜は秋の季語だよ」

「おお! そこまでは知らなかった。おおめに見て」

 両手で拝むポーズをする。細い長い指がきれい。

「春北斗永遠願う君の横」

 私は、思わずといった感じでささやいた。アコは「んー」と唸る。

「ロマンチックっぽいのは伝わるけど、春北斗がわかんない。何?」

「北斗七星のこと」

「ああ、【ひしゃく星に蓋して笑わせた~】の、ひしゃく星か」

 アコが急に私の知らないメロディを奏でた。

「何それ」

「ドリカムの……なんだっけな。銀河への……ふね? かな」

「ブルーノマーズ大好きだった人が、ドリカムねえ」

 嫌みっぽい口調になった自覚はあった。アコもさすがに私の口調に気付いたのか、じっとりと私をにらむ。

「あのさ、お母さんだからね」

「何が」

「ドリカム好きなの」

 そういえば、と思い出す。子供の頃にアコの家の車に乗せてもらったとき流れていたのは、たしかに、ドリカムの曲だったかもしれない。

「さっきのなんて、うちら生まれる前のアルバム曲だし」

 変な勘ぐりをしたのは、私の責任だと思う。でも、やっぱりそれは、アコがかわってしまった気がして寂しいからなのだ。沈黙がふわふわと漂っては足元に落ちていく。

「ねえねえ、私のピアスかわいくない?」

「急に何」

「これ、かわいいでしょう」

 たしかに、それはかわいかったし、アコに良く似合っていた。

「うん、かわいいし、似合ってる」

 そういうとアコは「これ、サチのSだよ」と言った。

「え、どういう意味?」

「このピアス、Sの形なの。SはサチのS」

 そう言いながら、アコは私を見つめた。丸いウサギみたいな目の縁にはきれいにアイラインがひいてある。鼻筋には少しラメの入ったハイライト。頬には淡いピンクのチーク。同じマフラーを巻いているから、隅々まで観察できるくらい顔が目の前にある。日本酒の匂いのするアコの呼気を吸って、私は脳がくらくらする。

「Just the way you are~」

 アコがブルーノマーズをくちずさむ。

 少しずつ顔を寄せてくる。

 これ以上は……黄色の点滅、じゃない。もはや停止だ、赤信号だよ。

「ちょ、アコ?」

「サチは、嫌なの?」

「酔っぱらってるの?」

「まあ、たしかにお酒の力は借りてるかも」

 そういって、アコはふふんと笑った。日本酒の匂いの呼気がもうそのまま唇を振動させる。そのくらい、近い。私は考えるまでもない。

「嫌じゃない」

 アコの唇がゆっくり近づいて私のそれと静かに重なる。

 ああ、やっぱりここは深海だと思った。静かで、真っ暗で、上空だけがきらきらしている、二人だけの世界。いつまでもここにいられたらいいのに。

「サチに会うためだけに、また来るから」

 私の気持ちを見透かしたようにアコがささやくから、私はうなずいてもう一度唇を寄せた。


【おわり】


歌詞引用:DREAMS COME TRUE 「銀河への船」

     Bruno Mars 「Just the Way You Are」


企画「匿名闇鍋バトル」参加作品です。


使用したお題

「うた」「紅茶」「日本酒」「深海」「未確認飛行物体」「ピアス」「永遠」「黒猫」「ひしゃく」《和歌、俳句の使用》

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