ある青年の死【ヒトコワ】

息子が電車の事故で他界した。

撥ねられたのではない。自殺でもない。混雑したホームで、通過する電車に接触してしまったのだ。

ダイヤが乱れていて、通勤ラッシュで、雨で、ホームに人があふれていたらしい。

会社員の息子は、そのラッシュに巻き込まれ、人の波に押され、ふらっとよろけてしまい、電車と接触してしまったらしい。


ホームでの電車との接触事故はわりと多いらしく、ホームと線路の間に接触防止のホームドアを設置している駅も多い。息子の使う駅にはまだ設置されていなかった。

些末な不運の重なりで、息子は死んでしまった。


私と夫は、息子の死をまだ受け入れられていない。いつものように仕事に行って、そのまま帰ってこなかった。まだ仕事に行っているだけ。もしくは、ときどきあった出張に行っているだけ。そんな気分だった。


悲しむという感覚を持つには、突然すぎたのかもしれない。そして逝くには若すぎた。今、私と夫が持っている感情は、何だろう。うまく言葉にはできない。


「ねえ、あなた、あの子、彼女とかいたのかしら」


息子の部屋で、夫と一緒に過ごす時間。


「どうだろうな。そんな話、したことなかったな」

「そうね。仕事の話はよくしていたけど」

「もしかしたら、親には言わないで、付き合っている人くらいはいたのかもしれないな」

「そうだといいわね」


息子はもういない、という感覚は湧かない。でも息子の部屋でこうして息子の話をする。これは、二人で息子を追悼する時間でもあった。無意識のうちの、悲しみを癒すための行動なのかもしれない。


「ねえ、あの子に彼女がいたとして、お葬式の日程、教えてあげなくていいのかしら」


私たちが息子の死を伝えることができたのは、会社関係の人だけだ。


もし、社内恋愛じゃなければ、息子の死を知らないまま、お葬式にも出られない。そんなことになってしまうかもしれない。なにせ、本当に突然だったのだ。


「そうだな。あいつの会社以外の友達に、知らせないといけないな。母さん、誰か知っているか?」

「いいえ、知っているのは、せいぜい高校のとき仲が良かった子くらいで、その子ももう働いているでしょうから、連絡先はわからないわ」

「そうだな。昔は学校の連絡網なんてものもあったが、今は個人情報が厳しいからな」


住所や電話番号が卒業アルバムに記載されていたのはもう何十年前なのだろう。いつの間にか個人情報の取り扱いが厳しくなって、今では固定電話を持っていない家もあるのかもしれない。


「ねえ、あの子のスマートフォン、見せてもらいましょうか?」

「あぁ、そうか。今時の子たちは何でもスマートフォンだもんな」

「ええ、もしかしたら、お付き合いしている子とのやり取りが残っているかもしれないわ」

「あいつ、きっと怒るぞ」

「ふふ、そうよね。恥ずかしいわよね」

「でも、誰にも知らせないわけにもいかないからな」

「うん。ちょっとだけ、見させてもらいましょう」


私たちは、遺品として受け取ってきた息子のスマートフォンの画面を開く。携帯電話の会社にはまだ解約の連絡をしていない。何もかも、息子はいなくなってしまった、という事実を認識せざるを得ない作業は、二人して後回しにしている気がする。


「あら、あなた、パスワードがかかってるわ」

「そりゃそうか」

「パスワード何かしら」

「誕生日か?」

「そんな単純じゃないでしょ」


入力してみる。


「ほら、開かないわ」

「そりゃそうだよな。あいつの考えそうなことといったら……」


部屋に飾られているアイドルの女の子のポスターを二人で眺める。


「この子は何ていう名前だったかしら」

「うーん……たしか、何とかクルミちゃんとか言ってなかったか?」

「あぁ、そうだったわね、待って、調べてみるわ」


私は自分の携帯電話で何とかクルミちゃんを調べてみる。


「あ、いたわ、いたわ。このグループの、ほら、この子よ」


息子はクルミちゃんが好きだったのだ。


「ちょっと待って、クルミちゃんの誕生日……」


息子のスマートフォンに入力する。


「あ、開いた」

「あいつ、好きなアイドルの誕生日をパスワードにしていたのか? そんなんじゃ、彼女はいないかもしれないな」

「ふふ、そうね」


夫と二人で息子のスマートフォンを見てみる。まるで生きている息子にまた会えているかのような不思議な感覚に陥る。確かに生きて、存在していた息子。その存在の、証。


案の定、メールやラインのやり取りで、親しそうな女性はいなかった。なんだか残念な気もする。若くして逝ってしまったんだ。素敵な恋の一つくらい、知っていても良かったのに。


「この男性とのやりとりが多いわね」

「そうだな。この男の人にとりあえず連絡してみて、そこから他の友達に伝えてもらってもいいかもしれないな」

「そうね」


何気なく息子のスマートフォンのほかのフォルダも開けてみる。SNSもいくつか登録しているようだったが、私たちには使い方がわからなかった。


写真のフォルダを開けてみる。アイドルのクルミちゃんの写真が多かった。かわいい女の子とデートでもしている写真があれば良かったのに、クルミちゃんばかり。まあ、アイドルの女の子に夢中になるのも青春の一つか、と思いフォルダを閉じようとしたとき、動画のフォルダにロックがかかっていることに気が付いた。


「あなた、あの子動画もあるみたい。鍵がかかっているわ」

「彼女のいない男なんだ。ちょっとエッチなものでも保存しているんだろう」

「そりゃそうよね。そこまで覗いたら、あの子に本当に怒られちゃうわね」


そう言いつつ、母親として気になってしまう。


「クルミちゃんの誕生日、何日だったかしら」

「おいおい、いくら息子だからって、プライバシーはあるぞ」

「わかってるわよ、ちょっとだけよ」


私はクルミちゃんの誕生日でフォルダのロックを解除し、動画を見ようとしたそのとき、驚くものを目にした。


「あ、あなた。あの子が最後に動画撮った日、あの子の事故があった日よ!」

「え?」

「何撮ったのかしら」


私は恐る恐るスマートフォンに残っている動画を再生した。




『──って──にち──てるの──ら!──えな──押すなよ!!』




ほんの10秒ほどの動画だった。見終った私たちは何も言えず、一瞬硬直した。


動画は、何かを撮影しているというより、動画モードになってしまったスマートフォンを持ちながら喋っているという感じで、動画の視線は定まらず、ただ混雑したホームの人混みだけがぐるぐる動きながら写っている。


驚いたのはそこに録音されていた声のほうだ。前半はよく聞き取れないが、言い争うような若い女性の声、そして最後に息子の声で確実に聞こえた「押すなよ!!」という叫び。


「あなた!」


これは、恐ろしいものを発見してしまった。息子の死は、もしかしたら事故じゃなかったのではないか!? 夫も私を見て頷く。


「これは、何かの証拠になるかもしれないな。一緒に警察に行こう」


私は一気に体がカッと熱くなった。


不運な事故だと思っていたのに。まさか、事件だったなんて。


おそらく、そばで言い争いをしていた女性がいて、その喧嘩に巻き込まれて押されてしまったんだ。殺人じゃなかったとしても、過失致死だ。


警察に任せれば、この言い争っている女性を特定できるかもしれない。息子を死に追いやっておいて、のうのうと生きているなんて、許せない。


「ほかの動画もあるかもしれないわ。もう少し見てみる」


私は証拠になりそうなものがないか、ほかの動画を見てみる。



え?

何これ。



写っているのは、明らかに、女性の下着。パンティだ。履いている状態を下から見る構図。



「あなた、これ……」

「おい、だから言っただろ。あいつだって男なんだ。エロい動画くらい見るさ。やめてやれよ」

「そりゃそうなんだろうけど」


私はまた別の日の動画を見てみる。


『次は~有楽町~有楽町~』


電車のアナウンスが聞こえる。

同じアングルの女性の下着。

あれ、さっきの動画と同じ色のスカート。


別の動画を見る。


電車のアナウンス。

同じアングルの女性の下着。

同じ色のスカート。


「あ……あなた、これ」

「なんだよ」



私は事故のあった日の動画を見直す。


録音されている、言い争っている声をもう一度聞き返す。




『──しって─いにち──してるの──から!──せえな──押すなよ!!』


もう1回。


『──しって──まいにち──つしてるの──だから!──るせえな──押すなよ!!』


もう1回。


『──しってるんだ──がまいにち──うさつしてるの──しってるんだから!──うるせえな!おい、押すなよ!!』




もう1回。




「知ってるんだから! あんたが毎日、盗撮してるの、知ってるんだから!」


「なんだよ、うるせえな! おい、押すなよ!!」




ぞっと背中が凍り付いた。




ぐるぐる動き回る動画の視線に一瞬うつる女性、下着の動画に写っていたのと同じ色のスカート。どこかの学校の制服。制服の女性と息子の言い争う声。毎日のように撮影されていた女性の下着動画。




「あ、あなた……これ」


夫は青ざめた顔で一直線にスマートフォンを見つめている。


「あなた……どうしましょう」


「──ことにしよう」


「え?」


「……見なかった……ことにしよう」


夫は、絞り出したような擦れた声で言い、私からそっとスマートフォンを受け取り、電源を落とした。


息子の部屋で二人、沈黙した。


知らぬ間に、静かに陽が陰っていった。



【おわり】

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