鳥の決意と星空の残り香
千里を一歩で駆け抜ける光は、古き獣を乗り越えたことで進化した。海も、
──海天一歩。
「えっ!?」
輝來が驚く声が聞こえた。
人間に許されていない速度を伴った一歩を踏み出し、一気に輝來と華火花の元に辿り着く。二人をここから逃げさせ……いや、間に合わない。
弾き飛ばす。
右足を軸に体を回転させる。
廻る風の力を込めた旋風も、同じように力を増した。
「
吹き付ける風が回って、腕にまとわりつく。
木材が迫る。唸る風が敵を目の前にして、その音量を増していく。これなら、届く。
「っ、らぁ!!」
硬い感触。重力に従って拳に訪れる強大な圧力。それを全て、殴り飛ばす。
スタラより力がない。
スタラより遅い。
何もかも足りない。でも、それでも!
相対しているのは人を喰らい尽くすような強大な魔物でも、世界を滅ぼすような天災でもない。日常に落ちた、僅かな影。
それを晴らすぐらいならば、この矮小な光で足りる!
「っ……」
木材が弾き飛ばされ、元の場所に乱暴に戻っていくのが見える。嗚呼、ただ見えるだけだ。
もう一度倒れないか確認する力も、ここから移動する力もない。
生まれたての子鹿のように震える足が遂に限界を迎え、倒れ込む。ホームセンターの冷たい床が、俺の体を迎え入れた。
「宵乃君!?」
「ちょっ……」
二人が駆け寄ってくる。
怪我はないみたいだ。なら
「良かった」
瞼が重たい。
起き上がれない、意識が落ちていく。でも、助けられた。過去の自分を乗り越えた。その充足感が突き抜けていくのが、心地よかった。
ぶつん、と視界が暗転する。
◇
ゆさ、ゆさと体を揺すられる感覚で、目を覚ました。ぼやけた脳みそが、どうにか瞼を上げさせる。
「起きたか、宵乃。意識ははっきりしているか?」
女教師の顔が近くにある。
まともに質問にも答えられず、きょろきょろと周囲を見渡す。緑生い茂る景色を見た感じ、公園か何処かに居るようだった。
「先生……?何で」
「二人に呼ばれてな。あらましは聴いた。よくやったな」
「あ、そうか、俺」
記憶が一気に蘇ってくる。
「二人は、大丈夫ですか?」
「自分は後か、敬虔だな。心配することはない、お前のおかげで、何事もないよ」
「良かった、本当に」
一瞬しか二人の姿が見れなかったから、万が一でも怪我をしていたらと。そう、恐怖していた。
「……すまなかったな。本来、私がすべきことだった」
「買い出しの時なんですから、予想なんてできませんよ」
「それでもだ。私の体は、
心の底から悔しそうな顔をしながら先生が撫でた腕には、やはり尋常ではない筋肉がついていた。それと同時に、その理由を今理解した。
彼女は生徒を守るために、危険から救うために、少しでも強くあろうとした大人なんだ。
「真面目ですね。先生」
「そうでもないさ。お前が真面目すぎるだけだ」
どこか慈しむような目線を注ぐ先生と、目が合った。
「逃げたって良かった。誰もお前を責めなかった。でも、お前は立ち向かったんだ」
「……そうするしか、知らないんです」
ため息と一緒に吐き出した言葉は、温かな昼の風に攫われていった。
「真面目だな、お前は」
「先生もね」
談笑する輝來と華火花を眺めながら、思い出すようにそう言った。自分に課した物の重さで考えれば、多分どっちもどっちなんだろう。
「でも、もう少し頼れ。お前の近くには大人がいる。今はな」
「ちょっと言い方悪いですよ?先生」
「はは、すまないな」
「……ありがとうございます」
「感謝するな。仕事の一環だ」
面倒くさそうに軽く目を瞑った彼女は、けれど、酷くかっこよく見えた。自由を基調とするうちの学校に合っているようで、合っていない人なんじゃないかと思った。
誰よりも、誰かを思っている。誰かに縛られる職業に、誰よりも向いている人。
◇
かくあって。
ホームセンターに謝りに行こうとしたら全力で謝られたり、輝來が先生に状況を説明したせいで強烈な勧誘を受けたりと色々を乗り越え、俺はまた電車に揺られているところだった。
疲れてしまったのか二人はすーっ、と静かな寝息を立てている。十分にもいかない程度しかないので仮眠にしかならないが、まぁしないよりは良い気がする。
(静かでしたね、シリカさん)
(空さんが話していましたから。同時に話しかけてあげましょうか?)
(遠慮しておきます)
いくらなんでも不可能だ。聖徳太子でもないんだから。
(……あまり、嬉しい事では無いんです)
(というと?)
二人を助けられた、その時点で俺にはいい事のように感じるが、シリカさんは何処か昏い様子だった。
(二人を助けられたのは、良いことです。けれど、決定的に貴方は後戻りできなくなった)
何かを思い出すような口調で、記憶の海を泳ぐように、ふわふわとシリカさんは話始める。
(もう、空想は空想で居られなくなった。その、第二段階が芽生えてしまった)
シリカさんという存在自体が第一段階なのだとしたら、スキルの発現は第二段階と成る。混ざっている、と思った俺の思考もそこまで間違っていなかったのかもしれない。
(貴方には力が与えられた。でも、それには代償がある。だって、勇者は魔王が居ないと成り立たないのだから)
(……)
類まれなる力には、その対極が現れる。それは逆に、圧倒的な力を相殺するためのものだともいえるのかもしれない。魔王を殺すために、勇者に力が授けられているのかもしれない。
なら、これから俺に降りかかる障害は自明だろう。
(いつかはこうなります。それは、わかっていました。でも、それでも、私は怖い)
震える声で叫ぶ彼女の声を聞きながら、瞼を閉じる二人を見ていた。
安らかに、ゆっくりと眠る二人。それを見れば、答えは一つだった。
(俺も、怖いです)
急に凄い力を寄こされて迫りくる巨悪と戦わなきゃいけないなんてのは、創作の話でしかない。人間はそう簡単に死ぬ覚悟を固められないし、それは俺もそうだ。
できれば進みたくない。何もしなくていいなら、何もしたくない。怖い。
(でも、戦う事よりも、傷つくことよりも)
あの日から。
親父を失った日から、俺はずっと怖かったんだ。何よりも。
(日常を失うことが、誰かが死んでいくことが、怖くてたまらない)
俺が死ぬ今日より、日常が無い明日が恐ろしいと感じてしまった。
それを叶えられる術が手の中に降ってきたのなら、自分の歪んだ恐怖心を埋められる方法がそれしかないんだと言うのなら。もう、答えは決まっている。
(俺は、戦います。そうしなくて誰かが死ぬって言うなら)
(……貴方は、やっぱり『星ヲ望ム者』だ)
いつしか、遠い過去。俺と同じように翼の無い鳥で在った彼女。
同じ道を選んで、でも、恐らく違う末路へと進んでいく彼女は、笑うように、決意を固めたかのように呟いた。
(なら、私も全力でサポートします。それが、私がここに居る理由ですから)
首元にぶら下がる夜空の破片が、一際強く輝いたような気がした。
次の駅まで、あとどのくらいだろう。
◇
「遅くなってしまったな」
辿り着いた環涼高校に刺す日光は、少し落ち込んだものになっていた。
買い出しをしていた時間もそうだが、俺か眠っていた時間も長かったようだ。そう考えると、少し申し訳ない気持ちが湧き上がってくる。
「ま、今日は放課後までできますし、大丈夫じゃないですか?」
そんな事を輝來が言う。
高校の外周を伝うように回って校庭にたどり着いたところで、違和感に気づいた。
迎えてくれるのが数人いるのはわかるが、それが余りにも多い。ざっと見ただけでも、数十人はいるようだった。皆集まってどうかし……
「大丈夫か!?」
「うぇ?」
校門から放たれるように走り抜けてきたのは、俺の友達の一人だった。
それも、切羽詰まったような表情で。
「よかった……お前が気絶したって先生から聞いて、吃驚して……」
「大袈裟だよ。怪我したわけでもないんだし」
「大袈裟ってお前なぁ……まぁ、良かったよ。お前がなんともなくて」
歯を見せて笑うそいつの表情を見て、冗談でも何でもなく心配してくれていたんだというのが理解できる。
「お前が死んだりしたら、寂しいからな!」
「……そっか」
冗談めかして彼が言った言葉が、胸の奥底に沈んでいく感覚がする。
俺は今後、死ぬかもしれない状況に突き落とされるのだと。
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