森本 司の邂逅

第5話

 キンコンカンコン、と数学の授業の終わりを知らせる鐘が鳴った。


 土屋さんに鼻で笑われた後、俺は数学の授業の内容がまったく頭に入ってこなかった。

 授業妨害で土屋さんのことを訴えれば、確実に勝訴できるだろう。


 まあ妨害されていなくとも、うちの高校のレベルの高い授業についていけていたかと問われれば、素直に首を縦には振れないというのが正直なところだ。



 にしても、なぜ土屋さんは俺のことを凝視して鼻で笑ってきたのだろうか。


 その理由にやはり、何か検討がつくわけでもなければ、何か身に覚えがあるわけでもなかった。


 授業が終わって休み時間となり、それを土屋さんに問い詰めることができるチャンスにはなったが……。


「愛〜、次の英語の宿題やった? 私、忘れちゃってさ〜」

「ツッチー、さっきの数学の時間寝てたでしょー。あたし見てたんだからね〜」

「土屋さん。今日の放課後、みんなでカラオケに行くんだけど、一緒にどうかな?」


 土屋さんの席の周りは現在、多くのクラスメイトたちで賑わっていた。

 そのクラスメイトたちをかぎわけて、土屋さんにさっきのことを問い詰めにいくのは無理そうだった。



 ——実はそんな言い訳ができて、胸を撫で下ろしていたり。


 そりゃだって、相手はクラスいや……学校一の美人なわけで。

 話しかけると想像しただけでも、なんだか緊張してきてしまえた。


「ちょっと美優、また宿題忘れたの〜。昨日忘れないように言ったよねえ〜? ザッキーには寝てたのバレちゃってたかー、ちょっと昨日夜更かししちゃって眠くってねえ。佐藤くん、ごめんね。今日の放課後はちょっと用事があって……。でも誘ってくれてありがとう! また今度、誘ってよね!」

 

 土屋さんはまるで聖徳太子かのように、さまざまな方向から同時に話しかけられた話題について、一つ一つ丁寧に返していた。


 どうやら、土屋さんはいつも通りの様子だった。


 なら、授業中の土屋さんの奇行を重く受け止める必要はないだろう。

 土屋さんにもきっと、たまには奇行に走りたくなる時があるのだ。


 うん、そうだ。そういうことにしておこう。




 それから、今日はそのまま何事もなく過ぎていった。

 4時間目の英語の宿題を忘れてしまい先生に怒られて凹んだくらいで、それ以外はいつも通りのありふれた時間だった。

 

 キンコンカンコン、と今度は6時間目の終了の合図が鳴った。

 今日もこれから放課後に、aiさんとゲーム通話をする約束をしている。


 早く家に帰って、約束の時間までに少し手を慣らしておきたかった。


 放課後になってもクラスメイトたちに囲まれていた隣の席の土屋さんを横目に、俺は教室から抜け出し下駄箱へと向かう。


 正直、俺にとって学校に通っている時間など、コース料理でいう前菜に過ぎなかった。これから迎える放課後こそが、1日のメインディッシュだ。



 そういえば俺は高校に入って、特に部活動に入るようなことはしなかった。


 中学では友達に誘われて運動部に所属していたけれど、ポジションは常にベンチだったし、やっているスポーツにそこまで愛着も湧かなかった。


 かと言って高校で新しい部活動をやるにも、特に興味を惹かれるものはなかった。


 暇な時間は極力オンラインゲームをやっていたいっていう気持ちも強かったし、そのままの流れで俺は帰宅部になった。


 部活に入っていれば、友達の一人でもできていたかもしれないな……。


 なんて考えながら昇降口に到着し、自分の下駄箱から外ばきを取り出そうとしていると——。



「ちょっと、あんた」


 そうおもむろに、見知らぬ女子生徒に話しかけられた。


 いいや、声がした方へ振り返ってよく見てみれば、その女子生徒のことを俺は知っていたかもしれなかった。


 たしか……。


「……同じクラスの石田さん?」

「よくあたしの名前が分かったじゃない」

「クラスメイトなんだから、と、当然だよ」


 無論、当然なわけがない。


 俺は入学から1ヶ月たっても、未だに数人しかクラスメイトの名前を覚えられていなかった。


 ではなぜ、目前の彼女がその数人に含まれたのか。

 それは彼女の髪型が所謂、黒髪ツインテールだったからだ。


 学年や年齢が上がってくると、クラスの女子のツインテールの割合は減ってくるものだ。


 ツインテールにしていたとしても、髪を結ぶ位置が低かったりする。

 ツインテールという髪型はどこか、幼い印象を与えられるものだからな。

 

 しかし目前の彼女のツインテールは、髪を結ぶ位置が高く、だいぶ華やかな印象を与えられるものだった。


 子供っぽくなく華やかに見えるのは、彼女のはっきりとした顔立ちの影響だろうか。地雷系に見えなくもなかったが……。


 言うまでもないと思うが、そんな石田さんとも俺はまともに喋ったことはなかった。


「あんたに聞きたいことがあるんだけど」


 どうやら石田さんは、俺に聞きたいことがあるらしい。


 石田さんが気になるような魅力的な情報を俺が持っている気がしなかったが、この状況でこのまま無視して帰宅するわけにもいかないだろう。


 俺は帰ろうとする動作を一旦停止して、石田さんの質問を受け入れることにした。

 今日はなんだか、不可解なことによく巻き込まれるな……。


 しばらくして目前の石田さんはどこか不機嫌な様子で、俺に質問を繰り出してきた。



「3時間目の数学の授業中、土屋様が随分と熱心にあんたに視線を送っていたようだけれど、あんたと土屋様ってどういう関係なわけ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る