二話
村に戻った二人が目にしたのは、惨憺たる光景だった。
「そんな……」
呆然としたマルファが一言呟く。その隣でレオンも言葉を失っていた。
森へ行く前は何の異変もなかった村だが、今目の前に広がっているのは、壊された民家の入り口や、空になった家畜小屋、地面に散乱する衣類や日用品、そして、それらを黙々と拾い集める大人達だった。
「お父さんとお母さんは……!」
思い出したようにそう言うと、マルファは慌てて自分の家へ向かっていった。レオンはそれを黙って見送る。そして散乱する物を避けながら、ゆっくり村の中を歩き始めた。
大人達は皆、怒りと悲しみを押し殺した表情で片付けている。その傍らにいる子供は、今し方起こっていたことに、まだ恐怖を感じているようだった。レオンはこの光景を見るのは初めてではない。もう何度も見ているもので、黙って動く大人達を見ていると、恐怖や悲しみよりも、苛立つ怒りを感じずにはいられなかった。
この村は山深くに作られ、外界の人間が訪れることはまずなかった。なので一族の暮らしを乱されることもなかった。数年前までは。
ある日、村に見知らぬ男達が現れたかと思うと、この山は自分達の山だと一方的に決め、住人達から略奪を始めた。抵抗する者もいたが、そういう者は容赦なく痛め付けられ、最後には殺された。男達は主に食料や家畜を狙い、ある程度奪うと帰っていった。すべて奪わないところに男達の狡猾さがある。住人達を飢え死にさせては、略奪は一度しかできない。暴力を振るっても、その恐怖で山を離れかねない。男達はこの村を食料供給地とするべく、優しい恐怖で支配した。抵抗さえしなければ、誰も傷付かず、死ぬこともない。一年に数度、食料と家畜を差し出せば、今までと同じように平穏に暮らすことができるのだと。略奪される暮らしを平穏と呼べるはずはなかったが、殺されるよりはそちらのほうが平穏と思うしかなかった。族長は、男達――山賊の言うことを聞いた。
そして今日も、山賊の略奪が行われた。冬場は森や畑で取れる食料が少なく、秋に溜めたものが住人達の命綱なのだが、山賊はお構いなしに奪っていく。餓死者こそ出ないが、冬場はどの住人も、少なからずひもじい思いを強いられていた。
白い息を吐きながら手を動かす大人達は、皆やり切れない表情だった。誰もこんな現状に納得していない。言葉に出せない不満を持っているのは明らかだ。だが山賊に歯向かえば命はない。それに怯えて言うことを聞くしかないと思っている――本当にそうだろうかとレオンは常々感じていた。自分達は山賊より弱いのか? 風使いの一族なら、その力を見せ付けてやるべきじゃないかと、長年続く一族の掟に違和感を覚えていた。
ふと見ると、通りの先に白髪頭の族長の姿を見つけ、レオンは駆け寄った。
「族長様」
呼ぶと、数人の大人と話していた族長はレオンに気付き、わずかに笑みを見せた。
「おお、レオン、森へ行ったと聞いたが、無事だったか」
「俺とマルファは。でも、ミコラスが山賊に捕まったかもしれません」
「何?」
族長と共に、側で聞いていた大人達も驚く。
「山賊が一人、急に現れて……俺達を逃がすために、ミコラスが……」
「……そうか……小さい体で、勇気のある子だ」
「族長様、ミコラスを助けてください」
そう言うと、族長は険しい表情を浮かべた。
「そうしてやりたいが……」
「急げばまだ森にいるかもしれません。山賊は一人だし、大勢で行けば――」
「そういう問題ではないのだ。あやつらが相手では、慎重に動かなくてはならない」
「何でですか。早くしないとミコラスが連れて行かれて――」
「不用意に手を出せば、我々が倍返しを食らうのだ」
苦しい表情で、きっぱりと言った族長を、レオンは忌々しげに見つめた。
「レオン、お前の気持ちは痛いほどわかっている」
肩に触れようとした族長の手を、レオンは避けるように一歩下がった。
「ミコラスを、助けてくれないんですか」
「もちろん助ける。だが力尽くでは――」
「風使いは、そんなに弱い一族なのか! 山賊に立ち向かう勇気もないのか!」
大声を上げるレオンを、族長と大人達は困り顔で見つめる。
「風使いなら風を使えばいいだろ。俺達の風なら山賊を簡単に吹き飛ばせる」
「……レオン、お前も掟を知っているだろう。我々の力は神から与えられた神聖なものだ。それを人間に向けて絶対に使ってはいけない。この力は、一族の中だけに秘めておくべきものなのだ」
「ミコラスの命が懸かってるのに、風を使えば助かるかもしれないのに、それでも掟を守れって言うのか」
「……そうだ」
レオンはギリ、と奥歯を噛み締めた。
「もう何回山賊に奪われたんだ。殺された人だっているんだぞ。山賊の気まぐれで俺達の生活が荒らされてもいいのかよ!」
族長は目を伏せたまま何も答えない。その代わりに、深く息を吐いた。
「俺はこんなの……もう嫌だ」
吐き捨てると、レオンは踵を返してその場を去る。族長は口を閉じたままだった。
苛立つ気持ちで自分の家へ向かっていると、右にある民家から女性が飛び出してきた。
「レオン! 捜していたのよ」
駆け寄ってきたのは、ミコラスの母親だった。
「無事に帰ってきてよかった。あの子はどこにいるの?」
ミコラスと同じ金色の髪は高い位置で結われていたが、こんな状況のせいか、ところどころほつれ、肩に垂れ下がっていた。
「ミコラスは……」
うつむき、言い淀むレオンに、母親は何かを感じ取り、表情を硬くする。
「……ちゃんと言ってちょうだい。あの子はどうしたの?」
「俺達を逃がすために、山賊につかみかかって……」
これに母親は息を呑み、口元を手で押さえる。その目は見開き、そして次第に潤み始める。
「……ごめんなさい」
目に涙を溜める母親を直視できないまま、レオンは小さな声で謝った。
「仕方ないわ……あなたが助かってよかった……」
「俺達のために、ミコラスは山賊を止めたんです。だから、俺のせいです」
「それは違うわ」
母親は涙を拭うと、微笑みを作ってレオンを見た。
「それを言ったら、薬草採りを頼んだ私のせいになるわ。あなたのせいじゃない。責任なんて感じないで」
「でも……」
「山賊を止めたのは、あの子の意思だったのでしょう? だったら、私は人助けをしたあの子を誇りに思うわ。だから、あなたはそれを無駄にしないよう、あの子の分まで生きてちょうだい」
これにレオンは眉をしかめた。
「ミコラスはまだ死んだとは決まって――」
「そうだとしても……あの子がまだ生かされているとしても、私達には取り返す術がないのよ。あのけだもの達に懇願したところで、うるさいと一蹴されるか、私が殺されるかしかない。山賊に捕まるということは、そういうことなのよ」
母親は力ない笑みを浮かべる。自分の子供の生死がまだわからない段階だというのに、この母親はすでに諦めていた。それほど山賊の恐怖はこの村を支配しているのだ。それに反抗する気持ちをなくし、甘んじて受けている大人達を見ると、レオンは苛立ちと共に、胸の奥に嫌気を湧き立たせていた。
「ミコラスと一緒にいてくれて、ありがとうね、レオン。早く家に帰って、ご両親を安心させてあげなさい」
優しい眼差しでレオンの頬を一撫でした母親は、とぼとぼと自分の家へ入っていった。その後ろ姿が見えなくなって、レオンは両親の待つ家へ向けて再び歩き始める。物が散乱する、まだ片付けられていない道を眺めるが、その目は何も見ていない。頭も心も、山賊に対して何もしない大人達への、疑問と怒りだけが渦巻いていた。
「おかしいだろ……力があるのに……」
一族には風を操る力がある。だがそれを外界の者に知られたり、人間へ向けて使ってはならない掟がある。それを破れば、誰でも罰を受けなければならない――それは小さい頃から教えられてきたことで、レオンも罰を恐れてこれまで守ってきた。しかし、山賊が現れてからは、その掟に疑問を感じざるを得なかった。神から与えられた力だと言うが、そんなことと人の命が比べられるものなのか。風を使えば山賊は確実に撃退できる。それなのに、目の前で一族の仲間が殺されようとしているのに、誰も動こうとしない。それは、レオンにしてみれば異常なことに見えた。自分達には強力な術があるのに、なぜ助けようとしない? 理不尽な状況に、なぜ抵抗しない? 風の力を使えば、無惨に殺された者達は助けられたはずなのだ。あの時も、マルファが止めるのを無視して、ミコラスのために風を操っていれば、母親も自分も、こんな気持ちになることはなかっただろう――レオンはやり場のない後悔を、口の奥で強く噛み締めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます