Track.2 Retrace 「7」
***
ついに約束の時間になった。今からおれたちは命のやり取りをする。最悪だ、最悪の気分だ。でもどこか高揚感のようなものも感じる。
「まるで映画みたいだな」
「となると、主人公は私たちね。今はクライマックスかしら」
リニアと雑談をしながら、昨日の場所に向かう。俺たちは静まり返った夜の道を歩いていく。虫の鳴き声ひとつ聞こえない。誰もいない公園やぼんやりと光る街灯を見ていると、とても不安になってきた。
明らかに昨日と同じ道なのに、覚悟ができているだけでこんなにも違ってくるものなのか。まるで知らない街を行く当てもなく歩いている気分だ。
―いや、俺たちには目的がある。
暗闇にぼんやりと浮かぶ影が見えた。身動きもせず闇に溶け込む男。ハンス・ブリーゲルだ。
「ハンス!!」
男とは正反対にリニアは笑顔で、腕を大きく広げて話しかける。演技が入っているかのような素振りだ。ハンスは黙ってリニアを眺め、小さく彼女の名前を呟く。
「リニア・イベリン」
すると彼の呼び掛けに答えるようにリニアは一歩前に出た。
「そう、私はリニア・イベリン。そして私はそう生きるためにこの場にいる。ハンス、ハンス・ブリーゲルが生きてみろと言ったから、私は生きるために、あなたに認めてもらうために、死ぬわけにはいかないんだ」
リニアが腰を低くして、戦闘態勢に入った。俺もサポートをする準備をする。
先に動いたのはリニアだった。勢いよく振り上げた彼女の脚は、ハンスの顎を見事に蹴りあげた。そして、その足はそのままハンスの腹部に入り、彼は後方へ飛ばされた。
しかし、とっさに受け身をとった彼は大してダメージを食らっていないようである。
「ありゃ、全く効いてない」
舌を出して、振り返るリニア。お前も全く緊張感ないな。
「仕方ない」
俺は舌打ちをしながら、服の中に忍ばせておいたナイフを一つ投げた。狙いはハンスではなく、リニアの足元。地面だ。これは一種のバフみたいなもの、これでリニアも多少は戦いやすくなるだろう。
「ほう……やはり準備をしてきましたか。刃に文字を入れれば、魔法が無効化される可能性は減るということですね」
ハンスは俺の作戦を予測していたのか、驚く素振りを見せることなく淡々と分析をしている。その隙を狙い、リニアが再び先手を仕掛けた。拳を突き立てる。今回は上手く懐に入ったはずだ。
それでもハンスはびくともしない。涼しい顔で俺たちを見返してきた。リニアはすぐに後方へ身体を抜いた後、今まで以上の速度で距離を縮める。そして彼の脇腹を一発、二発。重たい蹴りを入れた。
しかし、未だにハンスの表情は崩れることがなかった。彼はそのまま懐から短剣を取り出し、俺と同じように自身の近くにそれを刺した。
「武器に文字を入れて魔法を使う。これを考案したのは私が最初のはずだったが……一体、誰が教えてくれたのですか?一人で考えたというなら、君には素晴らしい才能がありますよ」
短剣が光を放ち始めた。それと同時にハンスは戦闘態勢に入る。守りに入っていたさっきまでとは違う、明らかに攻撃の姿勢。
「これが本物ですよ」
ハンスが俺をめがけて一直線に走りだす。反射的に俺もあらかじめ文字が書かれている紙を取り出した。これで少なくとも十秒は持つだろう。無意識の内に俺は拳を握りしめていた。
三年前を思い出す。
―あの記憶を、あの経験を。
―そう、経験は武器になる。
魔法で強化した俺の身体は、精一杯ハンスの動きについていく。もって十秒。その間に一つでも攻撃を受けてしまったら、その苦痛はこの十秒が終わると全て俺に帰ってくる。
受けたら最後、俺の身体は倒れてしまうだろう。
熱風が通り過ぎるかのような攻撃。かろうじて右によけた後、俺は身をかがめて紙を地面に張り付けた。そしてそのまま、ごろごろと回転しながらそこら中に紙を張り付ける。ハンスは俺を追うことなく、地面の紙を見ていた。
瞬間、リニアが彼に向かっていく。彼の注意がリニアに向かった所で、俺はポケットからピアノ線と紙を取り出した。
「ほう、ピアノ線。Chaserの遺品か」
ハンスの言葉に構うことなく、俺は彼に向けて紙を投げた。先ほど張り付けた紙も効果を使える頃合、逃げ道はないはずだ。
これなら―、勝てる!!
希望が見えたと思った。
しかし、ハンスはこちらの攻撃を見越して素早く前に飛び出た。俺は咄嗟に地面に刺したナイフを投げるが、彼は躊躇うことなく、左手でナイフを受け止めそのまま俺に向かって投げ返してきた。
既にバフ時間が終わった俺の身体は避けられない。幸か不幸か、身体に巻いていたプロテクターのおかげで深く刺さることはなかったが、痛みが傷口から登ってくる。
俺はのどから出そうになる苦痛を押し殺した。視界がぼやけ、眠気が襲う。魔法を使おうと思っても集中できない。
リニアが不安そうに俺を見てきた。
「だ、 大丈夫だ、俺はまだ……」
―まだ倒れるわけにはいかない!!
やっとの思いで身体を起こすと、俺はリニアに向かって紙を投げた。
相変わらず恐ろしい速度で相対している二人だが、お互いに冷や汗が出てきたようだ。
「お嬢さん、先ほどの蹴りは少しダメージがありましたよ。あちらの青年の苦痛とは比べ物にもなりませんが」
「そうね、だから何なのよ」
淡々と話すハンスに彼女も苛立ちを見せているようだ。
「お互い、魔法を使わない状態で体術だけで戦うにはこの程度がそろそろ限界です」
「そんなこと私もわかっている」
「はい、では決着をつける方法もお分かりですね」
「魔法で終わらせなければならない」
ハンスは小さく頷き肯定した。
「なによ、以前あなたが教えたことと違うけど?」
「状況が状況ですから」
リニアは戦闘態勢を解いて、ため息をついた。
「いい加減、上層部の意図を教えてくれないかな?」
「それは難しいですね、仕事ですから」
「仕事仕事って……」
うんざりした顔でハンスを見返すリニア。
すると、ハンスも腕を下ろしてじっと彼女を見据えた。
「お嬢さんは……お嬢さんは何のために戦っているのですか?」
「私?」
「はい、少なくともお嬢さんがあのような行動されていなかったら、こんなことにはなりませんでした」
「そうね」
「どうしてこのような状況を作ってしまったのですか?」
「さあ」
リニアは芝居がかかったように首を傾げた。そして、ゆっくりと瞬きをして続けた。
「私が正しいと信じたから。だから私はそうした。後悔なんてしない。友達のために、大切な人のために人間は生きていくと思ったから……。世界中の人を助けることは無理でも、周りの人たち位は私にも助けられると思う。そしたらなんか良いことありそうでしょ」
「良いこと……」
何度も彼女から聞いていた言葉だったのか、あるいは楽観論にうんざりしたのか、ハンスは怪訝そうな顔でリニアを見ていた。
「そう、良いこと」
「そうですね、全て上手くいったならそれは正しいと言えるでしょう」
「それに私は満足してる。ハンスから離れたこの五年間、色々あったけど良いことばっかりだったよ」
霞む視界の中でも、たとえ彼女の後姿しか見えなくても、リニアのあの眩しい笑顔が思い浮かぶ。
堂々とした楽観論といい……あいつらしい。
駄目だな、こんなとこで寝ていられない。
俺は根性で立ちあがろうとした。まず足に力を込めることに集中し、次に腕、手……。
ふと、手のひらにピアノ線が握られていることに気付いた。
―これが最後のチャンスか。
俺はピアノ線を見つめ、その先のハンスに意識を集中させた。
そして―、
「良いこと、あるに決まってるだろ!!」
叫びながら俺はハンスに向かってピアノ線を投げた。それと同時に先ほどの魔法を発動する。紙の文字は全て『止まれ』だ。
発動時間は少ないが、あれだけの量。彼の地面は紙の海となっている。おかげで俺の投げたピアノ線は確かに、魔法で動けない彼の腕を捉えた。そしてリニアが彼にむかい、静かに歩きだす。
「魔法を使うって、こういうことでしょ?」
「小さな魔法も重ねれば威力が増す。そしてこのピアノ線は特別製。見事ですね」
「唯一持ってる研究所の代物だ。大魔法使い専用兵器、三年前にもらったものを使うことになるとは俺も思わなかった。俺はサポート役、あんたを止めればいいだけ。リニア、後は任せたぞ」
苦痛に耐えられず、背中を壁に預けたまま俺はリニアの背中をただ見つめる。彼女はたくさんの紙をハンスに投げた。巨大な雷に炎を起こした後、最後に彼女はハンスに向かって拳を突き立てた。
「魔法使いを倒す最善の方法は、魔法を使わないことってね。私は最後、拳で終えたわ」
絶対に倒れることがないと思っていた男が倒れた。
「成程……このような作戦があったとは」
「正攻法ではあなたを倒すことは無理だからね」
ハンスは荒い呼吸を繰り返しながら、俺をじっと見つめた。
「これから……どうするのですか?あなたには、研究所から……尖兵が」
「まあ、どうにかなるんじゃないか」
ハンスはしばらく黙ったまま何かを考えていた。そして、傷ついた身体をゆっくりと起こした。どうやらリニアの勝利で決着はついたようだ。
「さて……俺はもう家に帰っていいのか?」
すると、彼女は笑顔でハンスへと駆け寄った。
「ねえ、ハンスも一緒にお家帰ってご飯食べない?」
おそらく俺もハンスもあっけにとられた表情をしているに違いない。
「お前……さっきまで命がけで戦ってた相手に何を」
「いいの! 仕事はもう終わったでしょ」
俺たちのやり取りをハンスは静かに見守っていた。そんな彼に気付いたリニアがもう一度ハンスに手を伸ばした。
「ハンス! 一緒にご飯食べよ」
「……いいのですか?」
「当たり前でしょ、ハンスは家族だもん」
ハンスは彼女の手をしっかりと握りしめた。そうだな、やっぱりこれは家族喧嘩だったな。
「とにかく早く帰ろうぜ」
その時だった。
ハンスが勢いよく俺たち二人を後方へ追いやった。
何者かが突然、彼の前に現れたのだ。
「こんにちは」
少女だ。
「お前は……確か昨日会ったよな?」
「研究所の尖兵だ」
俺の疑問をハンスは一蹴した。少女はそんなやり取りを見てか、くすくすと笑いだす。
「私の名前はノエル。リニア・イベリンの監視が目的だったけど、私の上司が彼女を処理すればもっと私を評価してくれるっていうから」
少女は拳銃を取り出すと、何のためらいも無くリニアに向かって発砲した。
しかし、銃弾はハンスが短剣で弾いたことにより壁に逸れた。
「予想通りだな。戦いの後に現れるとは思っていたが、まさかこのように露骨的に来るとはな。お前は子供か? それとも改造人間か?」
彼は先ほどの戦闘時以上の早さで少女に接近した。やはりリニアとの勝負では多少の手加減をしていたようだ。
「生半可だな。身を隠すのは上手いが、他は中途半端というわけか」
ハンスは後方へ回避しようとする少女の腕を掴んだ。
「遅い」
そして少女の手首をあらぬ方向へと曲げた。少女の悲鳴が響き渡る。思わず耳を塞いでしまいたくなるような悲痛の叫び。
『ハンス・ブリーゲルは後始末を専門とする』
この言葉の意味がどういうことか改めて理解した。彼は少女の片方の腕に短剣を刺した、そして少女に悲鳴を上げさせる暇もないまま別の個所を刺す。俺が口を挟む間もなく、次々と刺し続けるハンス。そして最期に壁に投げ捨てられた少女は、悲鳴をあげる気力もないのか壁にもたれかかっていた。
「背後にいるのは誰だ。ロベルトか、ゴットフリー・ヒットか? ルイーゼは死んだはず、フーゴはまだ生きているのか?」
ハンスの尋問に対し、少女は何も答えぬまま俯いている。
「知っていることは話せ」
彼は少女の首元を掴んで持ち上げた
「や……やめろ! まだ子供だろ、何してんだ、あんた!!」
「これは人間ではありません、人間のように見える人工生命体。詳しい技術は分かりませんが、三年前に研究所が作り上げたものです。そしてこれらは我々の敵です。容姿で判断してはなりません」
「けど……見ていて気持ちがいいものじゃない」
すると、ハンスは鋭く反論をした。
「こいつはあなた方に向かって発砲した。要するに君は死ぬ可能性があった。更に今のこいつは、おそらく上司から制約がかかっている状態。いきなり殺しにかかるものに慈悲をかけろと?」
「それは……」
彼の言っていることは正論だ。ちらりと少女の様子を窺う。すると少女は怒りの籠った瞳で、まっすぐとハンスを睨んでいた。その表情はどこか嫌な予感がする。冷や汗が頬を流れた。
次の瞬間、少女はひとり呟く。
「私の趣味は―、
爆弾設置だよ」
突如、大きな爆発音と共に周辺の木々が倒れ始めた。初めてハンスの顔に動揺が現れた。そして俺たちへと振り返る。俺もリニアも傷を負っており、倒れてくる木を避けることは不可能だった。
「ハンス・ブリーゲルと戦うというのに、何も準備をしてこないわけないだろ」
形勢逆転した少女は笑みを浮かべていた。そして傍に落ちていた拳銃を拾い、リニアへと照準を合わせる。
「さようなら」
「リニアっ!!」
俺が伸ばした手は彼女まで届かなかった。
一発の銃声が響き渡る。
その透き通った音は、ずっと俺の耳の中で木霊していた。
「おい……!!」
口から自然と言葉が零れた。大量の血が道路に流れ落ちている。
この血は……
「―ハンス!!」
彼女の悲鳴にも似た叫びが聞こえる。ハンスはかろうじてリニアを庇ったものの、銃弾が肩を貫通していた。
「この出血の量……やばいぞ!!」
「ハンス! しっかりして、ハンス!!」
急いで駆け寄るが彼の瞳は虚ろとしている。息はまだしているようだが、重症には違いない。
「あら……ハンス・ブリーゲルに当たっちゃった。どうしよう……ええと。とりあえずもう一発撃つね」
少女は笑顔で再び拳銃を構える。
「させるかっ!!」
少女が引き金を引く直前、俺は勢いよく少女に向けてピアノ線を投げた。見事に命中し、拳銃は少女の手元からはじけ飛んだ。
「あーあ。あと……ちょっと、だったのに……な」
力尽きたのか、少女もその場で意識を失った。とりあえず勝負はついたみたいだ。
「ハンス!!」
視線を戻すと、リニアは肩を震わせて彼の手を握りしめていた。
「ハンス……何で私なんか庇って……」
するとハンスは消え入るような声で彼女へと笑いかけた。
「娘を……守ることに、理由なんて……要りませんよ」
「ハンス……」
「大丈夫ですよ、お嬢さん。私は……こんなところで、死にやしません」
言葉とは裏腹に、ハンスの呼吸は先ほどより荒くなっていた。出血も未だに止まらない。
「早く手当てを……」
「お嬢さん……気をつけてください」
彼の忠告にリニアはすぐに正面を見据えた。釣られて俺も前を見る。
暗がりにすらりとした美青年が立っていた。いや、ただの美青年ではない。彼の口元に生えた長い髭は不気味さを出していた。青年は気絶した少女を両手で抱え上げ、ため息を零した。
「やれやれ……ここまで実績に執着するとは。まあ、少なくとも評価できる部分もありますね」
青年の視線は少女からハンスへと向けられた。
「久しぶりだね」
「貴様が……背後だったか」
すると、青年は心外そうに口を尖らせて答えた。
「それはちょっと違うね。私が下した命令は監視だけ。部下が勝手に突っ走っただけだ、でもここは謝罪をしとくよ」
「喧嘩を売っているのか?」
「いや、今日はこれを回収しに来ただけだ」
そして青年は身を翻す。
「では、さようなら。リニア・イベリン、鈴木聡太。今度会う時は楽しく遊ぼうね。期待しているよ」
そう言い残すと、青年は闇に溶け込むように消えていった。
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