第4話 剣姫・夜美

(7)

 アルゴからログオフすると、頭がクラクラと酔った様に回るのを感じた。あの後、しこたまに飲み、ずいぶん酔った。そんな仮想現実の世界の出来事が、現実世界に戻っても尾を引いて居るようだった。僕とジョンはアキバ特区の王城の客室があてがわれ、そこでベッドに横になってから、ログオフした。次にログインするときは王城の客室で目覚めることになる。

 カプセルの上部が開き、緑の液体が排出される。僕はゴホゴホと肺に入った液体を吐き出した。

「大丈夫ですか?」

 色っぽい声がそう尋ねて来る。アリスお姉さんだった。見上げる僕には胸の谷間が飛び込んで来る。

「立てますか? 初めてダイブされた方にはアルゴ酔いでふらつく方も多いのですよ?」

 そう言って右手を差し出してくれる。僕はその手を握って立ち上がった。

「大丈夫です。ちょっと感覚の違いに戸惑っただけです」

 そう言って、照れ笑いをした。アリスお姉さんは笑みを返してくれる。

「こちらのシャワー室でグリーンスープを洗い流して下さい。お着物はシャワー室の入り口に置いておきますね」

 その指示に従いシャワー室へ向かい、シャワーを浴びる。笑みが自然にこぼれてくる。夜美の美しい顔が脳裏に焼き付いている。服を着て、シャワー室から出ると、アリスお姉さんがデスクに向かいPCに何か入力をしていた。僕が出て来た気配にアリスお姉さんはこちらを振り返る。白衣姿が眩しく見えた。

「アルゴはいかがでしたか?」

「最高です。あれがバーチャルリアリティだなんて信じられません」

「それは良かったです。次のダイブのご予約入れられますか?」

「入れます。イブの日まで毎日午後三時に予約させて下さい」

「分かりました。予約入れておきます。イブにご約束が出来ましたか?」

「一応は。すぐログオフするかもしれませんけど……」

「その時はわたしが慰めてあげましょうか? わたし、あいにく、イブは予定が無いものですから」

 アリスお姉さんは舌をぺろりと出して笑った。からかわれているのだと思った。

「その時はよろしくお願いするかもしれません」

 僕も笑顔で軽口を叩く。

「ああ。丸井様からメッセージが入っています。このままログインを延長するので、先に帰っておいて欲しいとのことです」

「……分かりました」

 そう答えながら、心の中であの男はーと思っていた。部屋に戻る際、丸井ことジョンはバルキリーの娘の隊長を何故か同伴させていた。今夜はお楽しみなのだろう。節操が無いこと甚だしい。僕は夜の新宿の街を歩き、帰路についた。仕上げなくてはならないイラストとスケジュールを組み直す。ふと胸ポケットの違和感に気づいた。可愛らしいウサギの形のピンクのメモ用紙が入っていた。

 開いて見ると携帯電話の番号とアドレス。アルゴでの儀体のIDとオフの日時が記されていた。

『ご連絡をお待ちしています。春日野Alice』と記されていた。

 僕は何度もそのメモを見直して真意を伺ったが、分からない。

 とりあえず、『今日はお世話になりました』とメッセを送っておいた。返事はすぐに来た。

『仕事ですからお気になさらずに。オフの日に会えませんか? 現実にでもアルゴででもかまいません』

 僕は悩んだ。魅力的な申し出ではある。だが、自分があんな大人の美女に釣り合うとも思えない。

『イブまでは予定が見えません。会えるようなら、連絡します』

 とお茶を濁した。

『期待しないで待ってます』

 アリス女史は引き下がった。こう言うやりとりは経験が無いので分からない。もやもやとした気分を引きずって僕は帰宅した。イラストに向かうとアルゴのこともアリスお姉さんのことも忘れた。僕は雀たちが朝のさえずりを始めるまで一心不乱にイラストに打ち込んだ。

 そして翌日、三時間の仮眠を取って、一人でアルゴセンターへ向かった。ダイブルームの担当者はアリスお姉さんでは無く、黒人の中年男性だった。僕はアルゴにダイブして、天蓋付きのベッドで目覚めた。枕元に控えていたショートカットの双子のメイドが声を揃えて言う。

「「おはようございます。スター・ドラゴン様」」

「やぁ、おはよう。ジョンは起きているかな?」

「「ジョン・マックスエル様はバルキリーのアイリ様と街へお出かけになりましたわ」」

 エンジョイしてるな。丸井? 僕へのホローは無しかよ?

 気を取り直し、僕はメイドに尋ねる。

「僕に届け物は来てるかな?」

「「はい。お召し物が届いております」」

 実は今日の為に昨夜の内に通販で頼んでおいたのだ。

「じゃ、着替えるので、出て行ってくれる?」

「「いいえ。スター・ドラゴン様、お手伝いいたします」」

 出て行って欲しい、いいえ、手伝います。で押し問答が続いたが、メイド姉妹は頑として部屋から出て行かなかった。


 僕はニヤニヤが止まらない。そんな僕に剣呑な視線を向ける夜美。

 日付は翌日の午後四時半。アキバ特区の王宮の喫茶室で僕と夜美は向き合って座っていた。夜美はニヤニヤして喋らない、僕に痺れを切らして、口火を切った。

「なによ? ニヤニヤしてわたしを見つめて……。なにか喋ったらどうなの?」

「綺麗だ」

「―――なっ?」

 夜美は顔を真っ赤にして絶句する。夜美は渋い紺の着物を着て来てる。髪は纏めてあり、うなじが艶っぽい。

「そうだよなぁ。夜美がデートで気合い入れるのは着物だよなー」

「別に気合いを入れた訳じゃないわよ!」

 夜美はぷいとふくれる。可愛らしい。ちなみに僕もこれを見越して着物を着て来ている。

「お揃いだね」

 と笑いかけると夜美はうなじまで朱に染めた。

「偶然よ」

 そう言う夜美に、僕は

「いや。愛だね」

 と答えた。夜美と言うキャラクターに対する愛と言うつもりだったが、夜美は字面そのままに受け止めたらしい。

「―――っ。なにが愛よ。わたし達知り合ったばかりじゃないの!」

 と語気を荒めた。いかにも夜美らしい反応に僕は頬を緩めてしまう。

「―――なんで笑うの?」

「うれしいから」

「馬鹿言ってないで、紅茶飲みなさいよ。ここのは最高級の茶葉を使っているのよ。ケーキも美味しいのよ」

 ケーキをつまんで、その後、紅茶を頂く。芳香が口の中に広がる。

「うん! 美味しい!」

「でしょ? って、いちいち人の顔を見つめて微笑むなぁー! 視線外してよ」

「ヤダ」

「なんでよ?」

「もったい無い。三時間しか君を独占出来ないんだから」

 夜美は俯いて黙ってしまった。首筋まで朱に染まっている。

「どうしたの?」

「なんでもないっ!」

 顔を上げずに夜美は叫ぶ。そして黙してしまう。

「五月ちゃん。五月ちゃん。あれが生粋のツンデレと言うものですわよ」

「のりちゃん、そうですの? まぁ、恥じ入ってなんて可愛らしいんでしょうか?」

 隣のテーブルから、こちらに聞こえる様に会話が流れてくる。

 夜美は顔を上げると、キッと隣のテーブルの二人を睨む。

「そして、なんで、あんたら二人が横にいるのよ?」

 夜美は涙目で訴える。

「なんでって……。偶然やよ? 午後のティータイムを王宮の喫茶室でうちらが過ごすのはおかしいことないやろ?」

「夜美ぃ~ アンタ、自意識過剰じゃない? いつもなら、三人でお茶してる時間じゃない? わたし達二人が隣の席にいても不思議はないじゃない?」

「ほな、ツンデレとか言うなや!」

「のりちゃん。のりちゃん。わたし達が絡むのが不快の様よ」

「二人っきりにさせてってか……。いやぁ、見せつけてくれるなぁ。ペアルックやし」

「そんなん、ちゃうわ! ペアルックでもないし!」

「僕としても見世物パンダになるのはイヤだなぁ~」

 夜美弄りが延々と続きそうなので、僕は助け船を出す。

「見世物なんて、スター・ドラゴンはん、いややわぁ~」

「夜美が髪型変えるなんてアルゴに来てから初めてですのよ? 友人として、どうしても興味を抱かざるを得ませんわ」

 五月さんが胸を張って言い切った。僕は苦笑せざるを得ない。

「夜美。王宮にいてはどうしても注目される。どこか近場に景色の良い所は無いかい? 二人で出かけよう」

「なぜに、ナチュラルに呼び捨て?」

「気に触るかい?」

「いいえ。夜美でいいわ。近しい者はそう呼ぶし……。そうね。王宮にいるのは得策ではないわ。わたしが良く行くワサラ渓谷へ行きましょう。馬車で一時間の距離よ。日本を思わす景色が広がっているわよ」

「じゃぁ、そこへ行こう」

 話は纏まった。

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