98話 森の調査




「 天子ラマカーナは、その側仕えの少年にマールカと名付けました。 」



「てんし、ら、まか、……天子って何ですか」

「今で言うと、王の子供とか、王位を継承する立場のことだな」

「ラマカーナは王子さま?」

「そういうことだ。ほら、続き」


 夜になり、約束通り『英傑マールカと悪逆オリジャ』をご主人と一緒に読んでいる。


 とても苦戦しています。


 この童話は、約千年ほど前に滅んだという『大国シンティア』が舞台で、天子……つまり王子に仕えていたマールカという少年が主人公の話だ。


 けっこう文字量が多くて、一文を読み進めるのにも一苦労……というか、ぜんぜん進まない。


 文法がややこしい。


 過去の話だから過去形だが、過去における進行形なので、過去進行形、いや完了形?…………うああ、学生時代の悪夢が。


 だから文法の理解とかは捨てて、ご主人が読んだとおりに文字を辿っていくことに集中するしかない。


 そうすると今度は内容がわからなくなります。



「おっと、発音が違うな。この文字と隣り合ってるときは伸ばさなくていいんだ」

「む……」


 字を覚えるって大変なんだなあ。


 すらすら本を読めるようになりたい。


 これでもまだ楽なほうなんだと思う。識字率の高い場所で育った記憶が役に立った。


 ラマカーナ、そしてマールカが同じ歳で兄弟のように育った、というところまでで今日の朗読会はおしまいになった。


 あとは机に向かい、今日読んだところを書き写す。手が痛くなったので、これもすぐに終わる。


 もう寝る時間になっちゃった。


 天井の模様を眺めながらぐるぐる考える。


 うーん。

 なかなか字の勉強が進まないな。


 もっと日常的に行えるような効率的な勉強法はないものか……。


 単語カードを作る、とかどうかな


 集めた単語をリーダーやご主人に見てもらって、正しいかどうか確認していく。間違ったやつはまた書き直して……これ、なかなか効率が良いんじゃないか。


 毎日最低でも10個くらいは集めて、書いて、見てもらおう。


 必要なのは細く切った紙と、それをまとめる紐だけ。腰帯にでもぶら下げておけば、いつでもサッと書き留められる。


 いいかも。


 よし。明日は単語帳制作だ。


 少しでも光が見えると心が軽くなるものだな。


 その日は、穏やかな気持ちで眠りについた。




***




 翌朝。


 朝早くから、パーティーのみんなと冒険者組合本部に来ている。


 ……そうだったよ。


 調査に行くとか何とか言ってたよ。単語帳計画はさっそく延期になりました。


 北西の森の異変の情報を集め、森の奥の調査依頼が出ていたらそれを受けるみたいだ。それも大事なことだよな。調査が終わらないと安全に採集できないし。


 早くに叩き起こされたダインは、あくびをしながら待機所でクッションを取り出し寝始めた。この朝のギスギスした空気の中で、なんという胆力だろう、見習いたい。いや、見習っちゃダメ。


 ノーヴェは朝が弱いのでちょっと不機嫌で無口、リーダーとアキはいつも通り。


 ご主人もいつもは二度寝するのに、依頼を受けるときはピンピンしてる。


 俺は、帰りたいです。



「やっぱり痕跡は熊だったらしいな」

「それも大熊だね。奥に逃げてくれたらよかったのだけど、追い込んでも奥には絶対に向かわなかったから討伐したようだ。やはり、奥に何かがいるんだろう」

「徹夜で追い込んだんだってね。大変だっただろうな」


 寝てるダインを囲むように座って、リーダーたちが集めた情報を話し合っている。


 熊だったか。無事に討伐されたんだ。


 メルガナは隠そうとしたのは良くないけど、痕跡を見逃さなかったんだから、お手柄ではある。俺だったら見逃しちゃうね。


 あれから姿を見てないけど、あの子たちは元気かな。



「部門長もリーダーと同じ考えだ。奥に何かいるかもしれないって。合同の深部探索依頼が出てたぞ。受けるのか?」

「そのために来たからね」


 ダイン以外、みんなやる気が漲っていて、冒険者って顔になってる。


 俺は足手まといになる未来しか見えない。森の奥がどんなものかは気になるけど、どうしても行きたいってわけじゃない。


 しかし、ご主人はやる気満々だ。



「ああ、そうだハルク。今回はアウルは連れて行けないよ」

「えっ!」


 ピンピンしていたご主人の耳と尻尾が垂れてしまった。


 一方、俺に耳と尻尾があったらピン!と立っていただろう。



「依頼の要綱をよく読んだかい?『個人で青色以上の冒険者のみ参加可能』とあるだろう。見習いのアウルには当てはまらない」

「……俺が見てるから」

「僕たちだけなら、何とかなったかもしれない。でも今回は他のパーティーと合同の探索依頼だからね」


 ほら、やっぱり見習いはダメなやつ!


 ご主人には悪いけど、規則は守らないと命に関わると思います。だって、熊が逃げ出すような何かがいるかもしれないんだ。


 ダメダメ。絶対よくない。



「どうしてもダメか?」

「ダメだよ」

「……俺の『勘』だとしても?」

「それは……」


 やけに食い下がるな、ご主人。いつもなら押し負けてるところなのに。


 そんなに俺を連れて行きたいのかな。


 リーダーは少し考えたが、首を横に振った。



「わかってほしい、ハルクの勘を疑っているわけではないよ。それでも今回は規則を守るべきだと僕は思う」

「……わかった」


 リーダーに説き伏せられ、ご主人は渋々うなずいた。


 散歩に行けなくなったワンちゃんみたいで、ちょっとかわいそうだ。


 俺としては安心だけど、楽しみにしていたらしいご主人にはちょっとだけ申し訳ない気持ちになった。


 散歩はまた今度にしましょうね。



 調査する森は外・北西区の方角だから、みんなは拠点に寄って俺をポイッと置いてから向かうことができる。


 拠点で馬車からおろされた。様々な注意を俺に言い聞かせ、厩にいたヤクシに様子を見てくれるよう頼んでから、ご主人たちは依頼に向かった。


 森の中で一泊してくるらしい。


 去り際に、ご主人が「夜に戻るから」ってこっそり囁いていった。遠い森の中からどうやって戻る気だ。


 ご主人なら本当に戻ってきそうで怖い。



 ともあれ、俺はひとり拠点に残された。


 さっきまで騒がしかったのが嘘みたいに、シンとしている。


 ひとりになっちゃった。


 ひとり……。



 そう、この広々とした拠点を独り占めできる。


 やった!



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