第22話 完全無欠のロックンロール
「よ、よし。なんとか前の方に来れたな」
やきそば完売後の体育館。特設ステージを前にして、冬弥は額に浮かぶ汗を拭った。
ここに来た目的はもちろん、灯織がピンチヒッターとして出演するバンドの演奏である。まだステージの幕は上がっていないが、体育館は既に多くの生徒でごった返していた。
「薫……どうしたんだよ。そんなぐちゃぐちゃな顔して」
「────感無量ッ!」
冬弥の隣にいる青髪の男子は今、大粒の涙を流しながら天井を見上げていた。ちなみにナギはお店の仕入れ先の方との約束があるため学校に来れず、エマも生徒会の仕事があるため一緒に見ることが叶わなくなっていた。
「これこそ、愛すべき空間というものだよ──音楽にまるで興味のなかった自分を、彼女らはここまで導いてくれたんだ」
「よ、よくわからんが……ロクション・シメジって人気なんだな」
冬弥は超満員の会場を見渡して、そんなことを呟いた。こうしている間にも、聴衆がどんどん体育館に流れ込んでくる。
「まぁ、大トリだからってのもあるだろうね」
「へぇ」
「僕も詳しくはないんだけどね。最近は街中のライブハウスで演奏もしてるみたい。ボーカルの子はハスキーボイスが持ち味だね。いつものギターは今日はいないけど、代役の若宮さんに期待。ベースはよく暴れ回ってるけど今日はどうなんだろう。ドラムはたまにSNSでバズってるくらい上手いね。彼女らの高校生らしからぬライブパフォーマンスに注」
「めちゃくちゃ好きじゃねぇか! 俺が誘わなかったら一人でここに来ようとしてたのも忘れてないからな!」
テニス部の聡明メガネ野郎はロクション・シメジの大ファンなのであった。
「あ、始まるみたいだよ」
薫の言葉と同時に、会場の照明が全て落とされた。そして、スネアを打ち鳴らす音が響き渡る。
「────ッ!」
瞬間、冬弥は思わず息を呑む。
暗闇の中を、無数のスポットライトが飛び交う。まるでそれは流星群のようで──そして、ステージに照明が合った。演奏が始まった瞬間、体育館に割れんばかりの声援が鳴り響く。
左手側から茶髪のベーシスト、小柄なドラマー、背の高いボーカリストが並んでいる。スタンドマイクに慣れた手つきで手を掛けながら、リズムに乗っていた。
そして、一番右手側に黒髪のギタリストがいる。灯織だ。彼女は姿勢よく立ち、ギターをかき鳴らしている。冬弥は彼女を見つけた瞬間、あまりの衝撃に言葉が出なくなった。
ステージに立つ灯織の姿が、あまりにも眩しかったからだ。白いTシャツに、真っ赤なギターを引っ提げるその姿は、軽音部の本格的なバンドに混ざっても一切違和感はない。
そして、ロクシメの演奏は想像以上だった。イントロはギターが主旋律を担い、キャッチーなフレーズを観客の脳内に叩き込んでくる。会場全体が軽快なビートに乗せられて、手拍子や合いの手を入れる。ボーカルが入ると、曲が一気にロックテイストになった。ボーカリストの歌声は透き通っていて、それでいて力強い。
「……!」
そして、冬弥は気づく。イントロから休む間もなくギターをかき鳴らす、灯織の脚が震えていることに。
しかし、彼女の表情には緊張の色は見えない。むしろ、楽しんでいるようにすら見える。半端ない重圧の中、灯織はギターを弾くことに集中している。これは簡単なことではないはずだ。
やがて、サビに入る。ボーカリストが魂の熱唱を響かせる中、灯織は寡黙な仕事人として黙々とリフを響かせる。冬弥はとにかく圧倒され、周りを気にする余裕もなかった。少しでもステージから目を離せば、会場の熱気に押しつぶされてしまうような気がしたからだ。
ドラムの軽快なリズムが、ベースの重低音が、ボーカルの熱唱が、ギターのフレーズが。観客を包み込んで、体育館に一種の小宇宙を作り上げていたのだ。小さな箱に見向きもしなかった自分が、大きな渦に呑まれていることに気がつく。
だが、この熱狂にもひとまず終わりが訪れた。最後の一音を鳴らした瞬間、体育館に静寂が訪れる。まるで、先ほどまでの喧騒が嘘のように。そして音が止んだ瞬間、割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。
「……最高だ」
冬弥の横で、薫は呆然と呟いた。メンバーが変わっているとはいえ、この演奏をひとたびお目にすれば──虜になるのも無理はない。
『こんにちは。 ロクション・シメジです!』
ボーカリストがマイクに向かってそう挨拶した瞬間、再び観客が拍手と声援を送る。冬弥もまた、ようやく我に返ったように声援を送った。そして、息を吸い込んで吐き出す。
「……灯織ー!!」
気付けば、彼女の名前を叫んでいる自分がいた。その声がステージまで届いたのか、灯織と一瞬目が合ったような気がして。それでも、灯織はすぐに違う方を向いてしまった。
当然、笑顔などは浮かべない。そして、そのクールさが今は大きな武器になっていた。
「あのギターの子誰!?」
「もしかして、若宮さんじゃない? チョーカッコイイんだけど!」
冬弥は後ろの方で聞こえてきた会話に小さく頷いた。
──俺もそう思う。今の灯織は、超絶かっこいい。
『それじゃ、メンバー紹介の前に、一曲オリジナル曲やらせてください』
リーダーらしきボーカリストがそう言った途端、体育館中に拍手が巻き起こる。
『聴いてください。「青春の証」』
灯織がギターを鳴らす。すると、今までのバンドとは少し毛色が違う、スローテンポの曲が流れ始めた。
ボーカルが歌い始める。同時に、照明が青い光を放った。青く輝くスポットライトが、ステージ全体を照らし出す。
この曲は、どこか懐かしさを感じさせるメロディーだった。ゆったりとした曲調に合わせて、ボーカルも優しく語りかけるように歌う。
そして、その歌詞は、学生の目線で青春を歌ったものだった。『悲しみ』を直接表現した歌詞は無いのに、何故だか切ない気分になって。
『それが青春の証だね』
真ん中に立つボーカリストが、優しく歌いかける。冬弥はふとその子の隣を見た。
灯織が優しくピックで音色を奏でている。その途中で、こちらを見つめて一瞬だけ口角を上げたのを──冬弥は見逃さなかった。
見逃すはずがなかった。
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