第4話 祭のあと
「つ、疲れた……」
店が閉まった後、冬弥はリビングのソファに深くのしかかっていた。
時刻は既に午後八時過ぎを回っている。本当に骨の折れる一日だった。朝から重いスーツケースを抱えて東京から札幌に移動し、そのまま息をつく間もなく働いたのだ。おまけに寝不足で、心身ともに疲れていないはずがない。
「はい、お茶。これ飲んで落ち着きなよ〜」
その時、同じく仕事終わりのナギが麦茶の入ったコップを差し出した。
「ありがとうございます」
彼女に手渡されたそれを、冬弥は一気に飲み干した。やはり労働後の一杯は格別だ。体に活力が戻ってくる。
「今日はお疲れ様! 初めてにしては上出来上出来! 明日からもよろしくね」
「はい! 頑張ります!」
ナギに褒められ、俄然やる気が満ち溢れる。こういう優しい人が自分の親なら良かったのにな、と切実に思う。
「そういえば、ちょっといい?」
ナギはそう切り出すと、冬弥の隣に腰を下ろした。
「なんですか?」
「私って、いくつに見える?」
──ナギの顔を見ると、実に真剣な表情をしていた。一体どういう意図があるのだろうか。
少し考えたあと、冬弥は答えた。
「19歳……とか」
冬弥は自信なさげに答えた。彼女には年上の雰囲気がある。妙に落ち着いているところからもそれが見て取れる。
しかし、肌はピチピチでいつも明るい。化粧も薄いし、あまり灯織と年は離れていないだろう。
「ふーん……そんなふうに見えてたんだ」
その回答を聞いたナギは満足そうに笑みを浮かべた。
「正解はね、24歳です!」
「へぇ……って、ええええ!?」
冬弥は思わず叫んでしまう。
「嘘! 全然見えませんよ!」
「ふふーん、でしょ♪ でもさ、19歳だったらタバコ吸えないって〜」
た、たしかに──冬弥は頷いた。そういえば、今日も何度かタバコを吸いにベランダに出ていく時があった。
「なるほど……じゃあ、ナギさんは彼氏さんとかいるんですか?」
めっちゃ美人だしいるんでしょう、と冬弥が目を輝かせて言う。
しかし、ナギは顔を背けた。
「え、えっと……」
「どうかしましたか?」
「彼氏なんていない、いない〜」
ナギは明後日の方向を向いてそう言った。思わず冬弥はじっと彼女を見つめる。しかしナギは鼻歌を歌って誤魔化した。
「それより、冬弥くんはどうなの?」
「え、彼氏ですか!?」
「彼女だよ」
この子、ちょっとお馬鹿さんかもしれない……とナギが思った瞬間だった。
「当然、いないっす。中高一貫の男子校でしたしね」
「あら、今どき珍しいね」
「そうですか? まぁ、バイト先でしか女子と喋る接点はなかったって言うか……」
冬弥が恥ずかしげに答えると、ナギは微笑んだ。
「そっか……じゃあ、灯織ちゃんはどう?」
「えっ!?」
いきなり灯織の話になって、冬弥は顔を赤らめた。
「ひ、灯織って……!」
「うん。さっき挨拶した子よ?」
「何言ってるんですか! まだ恋愛どころか、まともに会話すらできてないんですよ!?」
冬弥は首をブンブンと横に振って否定する。しかし、ナギはニヤリと笑ったまま続けた。
「冬弥くんなら大丈夫だって〜。灯織ちゃん、いいお嫁さんになると思うんだけどな〜」
「あんなに可愛い子が俺と付き合うとか罰ゲームじゃないですか!? 金銭譲受があったとしても有り得ない話ですよ──」
二人が恋バナで盛り上がっている一方で、灯織は部屋着に着替え、静かに勉強していた。鉛筆の音だけがカッカッと響いている。
若宮灯織という人間はこと勉学においては『最強』である。一年生の時から全ての模試と定期テストで学年一位を取り続けており、二位以下に甘んじたことはただの一度もない。
彼女には自ずと勉強する習慣がついていた。真の天才には努力を努力と思わない節がある。大した頑張ったつもりもないのに周りから褒められる。こうしたことにこそ、その人が上手く生きるためのヒントが隠されているのだ。
「…………ん」
リビングから会話が聞こえてきたので、灯織はチラッと時計を見た。そろそろ晩御飯の時間だ。
『じゃあ────灯織ちゃんは』
『灯織────って』
「なんだろ……?」
灯織は二つのドア越しに耳を済ませた。リビングからちょくちょく自分の名前が聞こえてくる。勉強も一段落したので、灯織は立ち上がった。
「まったく、どうしたの────」
灯織は騒々しさに半分呆れながらも、リビングの扉を開けた。
その瞬間、冬弥は宣言する。
「貧乳など必要資源の不足でしかありません! 俺、巨乳が好きですから!!」
「……………」
刹那。殺気を感じて振り返った冬弥と灯織の目が合う。
「あっ…………」
冬弥は口をパクパクしている。灯織は立ったままそこから動かない。
張り詰めた空気が、リビングに流れる。
「えっと、あの………………」
「………………………………………………………………………………ね」
「え?」
「死ね!!」
バチーン。リビングに乾いた音が響いた。冬弥はそれを頬にもろに受けて、床に沈んでいく。
「馬鹿! もう知らない!!」
「と、冬弥くん!? 大丈夫!?」
大きな足音を立てて去っていく灯織と、倒れた冬弥を心配するナギ。
「俺が…………悪いんです…………」
冬弥は泡を吹いたまま気絶した。
「いや、……まぁたしかにね」
男子高校生の知能指数を過大評価していたのと同時に、自分も少々やりすぎたと、ナギは幾らばかりか反省したのである。
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