第14話
そっと重ねた手のひらと、このポーズのためにこれまでで1番近くにまで寄ったバージルさんの整った顔面。
私のどこかふにゃふにゃとしたなんの苦労も感じられない手と違って、バージルさんの手は、がっしりとした印象だ。真剣な表情も心臓に悪い。
ドキドキのあまりすっかり意識の外に追いやってしまっていた私の背後、すなわち王太子殿下のいる方から、ふいに呆れたようなため息が聞こえた。
「バージルなら、と思ったのは事実だけど、まさか本当にどうにかできるのかい? 聖女様の魔力を、動かす? 他者の体内にある魔力に直接干渉なんて、そんなことができるなんて、にわかに信じがたいのだけど……」
殿下の問いかけに、バージルさんはどこか得意げな笑みを返す。
「ま、俺以外には無理だろう。なにせ俺は天才だからな。それに、ちょうど、というのも変な話だが、ここのところ、そこら辺の研究をしていたんだ。どうも、魔王の核というのは魔力の中心に根を張るらしい。そこから魔力が通る【道】を侵食していき、やがて全身をのっとるようだ」
バージルさんは、聖女を呼ぶ前に、魔王をどうにかできないものかと研究していたのか。
魔王の核をどうにかできれば、それがなによりだもんな。
ところが、まあ私が呼ばれたからにはそうなんだろうけど、その研究はどうやらあまりうまくいかなかったようで、バージルさんは苦い表情で続ける。
「まあ結局、魔力の中心それから【道】、それらから魔王の核の干渉を剥がそうとすると、どうあがいても中心と道が傷つきなりかけが死んで核が次の宿主の元へと逃げるだけだとわかったんだが……。中心及び道への理解は深まった。だから、今の俺ならできる」
ん? この言い方って、バージルさんはなりかけを見つけて実際に魔王の核を剥がそうとしてみたってこと、なのかな?
それで、今はなりかけが所在不明なのは、なりかけごと逃げられたか魔王の核に逃げられたとか?
それとも、理論だけで考えたのか、似た性質の何かで実験をしたのか……。
「もはや私のような凡人には理解の及ばない範囲まで、君は探っていたのだね。そんな君だからこそ、魔王に対抗するには聖女召喚しかないと、思い詰めてしまったのか……」
私の考察は、またも背後から聞こえてきた、とても残念そうな殿下の声で霧散した。
バージルさんと殿下、この気心の知れっぷりだものなぁ。殿下とすれば、バージルさんが死刑囚になるようなこと、絶対に止めたかっただろうなぁ。
殿下の思いを知ってか知らずか、相変わらず覚悟ガンギマリのバージルさんは、私の背後、おそらく殿下にぴたりと視線を合わせ、静かに告げる。
「他に穢れを浄化できる手段があるなら教えて欲しいものだ。魔王が出るたびに生物が生きられる土地が減っていくことを甘受するのか? 何人死ぬ、幾人苦しむ、どれほどの悲劇が起きる? 俺だけが死ねばそんなことがなくて済むのだから、よかったと割り切れよ、為政者」
「それは……、しかし……」
為政者とすれば正しくとも、バージルさんの友としては受け入れがたいことだろう。
そんな葛藤を見せながらもうまく反論の言葉が浮かばなかったらしい殿下は、言葉に詰まってしまった。
バージルさんはそんな彼からもう興味をなくしたとばかりに視線を外し、私に向き直る。
「もう
「えあっ、はい! よ、よろしくお願いします」
「うん、そんなに緊張しないで良い」
ひっくり返ってしまった私の返事に、バージルさんはおかしそうに笑ってそう言ってくれた。
一呼吸の後、バージルさんの表情が、すっと凪いだものに変わる。集中し始めたのだろう。
やがてこちらの手のひらに、じわりと何かが入ってきた感覚がした。こちらを探る魔法、みたいなものかな?
「……んん? リア、【道】が手のひらに繋がってないな? 手のひら側からひっぱろうと思ったんだが、これじゃ無理だな……」
え。それだいぶ致命的なのでは。
バージルさんの独り言に私は絶望しかけたが、そこまではただの独り言だったようで、ちらりと私と目を合わせてからバージルさんは告げる。
「すまない。ちょっと、……いやだいぶ、気持ち悪い、というか、こわい感覚がするだろうが、直接リアの魔力の中心に触れる。傷をつけるようなヘマはしないから、少しの間堪えてくれ」
魔力の中心に触れる=こわい?
一瞬よくわからなかったけれど、心臓を握られるようなものらしいからそれはそうかと気づく。
まあでも、バージルさんなら。
死刑確定になってまで呼んだ聖女を、死なせるようなことはしないだろう。
そうでなくとも、この人なら信頼して良いと思う。
なにより、多少こわい思いをするのだとしても、魔法を使えるようになりたい。
「はい。大丈夫、です。やっちゃってください」
私が了承すると、じわり、が一気に私の体内を走った。
ドクン、と、跳ねた箇所。
心臓があるなどと普段は意識しないけれど、だいたいその辺だろうなと思う場所に、何かが触れた。予想に反して、特にこわいとか気持ち悪いとかはない。
そうそう、これこれ。たぶんこれが魔力の中心ってやつだと思っているやつ。ここまでは私自身、知覚できているんだよ。異世界に来る前は絶対になかった、新しい感覚。
これの知覚さえできればあとは手のひらに動かすだけって言われたのに、全然動かないやつ。【道】ってなにさ。
「なんだこれ、どこに行って……? うわ異世界人どうなってるんだよ、こんな、奥、でしかもえらく複雑な絡まり方の……。ああ、肺、か? ドラゴンとかと同じパターンか……。じゃあ、奴らと同じようにこのまま喉、になら導けそうだな……」
え。私ドラゴンと同じパターンなの。それ、人としてどうなの。
まだ勇壮な男性ならドラゴンっぽくてもかっこいい気もするけど、可憐でありたい女子高生としては、致命的にダメでは。
けっこうなショックで愕然としている間に。
あ、動いた。
ピクリとも動かなかったはずの魔力が、バージルさんがぶつぶつとそんなことを言いながらぐっと力を籠めると、心臓から上へ。おお。喉の奥あたりまでするっと自分の魔力が動いた感触に感激する。
動かそうとする方向が間違っていた、ってこと? なのかな?
「リア、この状態で、咆哮……は聖女の性質には合わないだろうな。……歌を、歌ってみると良い。そうだな、子守歌なんかが合うだろう」
危ない。聖女じゃなかったら咆哮からのドラゴンブレスだったらしい。
バージルさんは、まだ咆哮ではなくてよかったけれどそれでもイマイチよくわからない提案をしてきた。
「子守歌、ですか?」
「ああそうだ。慈しみを込めろ。聖女らしく、安らかに穏やかに平らかにあれと願いながら歌え。その思いで歌える歌なら、別に子守歌でなくともかまわない」
「えっと、やって、みます」
なんだかよくわからないけれど、子守歌らしい。
聖女? の性質? に合うのが、それなのかな。
「~、~♪」
あう。声が震えている。ちょっと音程もひっくり返った。
いや、大事なのは、慈しみを乗せたなにかを、喉から、ここまでは魔力が届いてくれた箇所から、外にだすこと! たぶん!
そう信じて、歌に集中する。
「……ははっ。すごいな」
ふいに、バージルさんがそんな風に言ったかと思うと、ぱっと手を離した。
え。ちょ、待って。
の、喉から魔力が戻る戻る戻ろうとする!
バージルさんの補助がなくなったことによって揺らぎかけた魔力を、えっと、さっきはこんな感じだったはず! となんとか持ちこたえさせる。
中心から喉、そこから外へ。
そんな魔力の流れがスムーズに行くようになった頃、一曲が終わった。
「うん、できている。これが、お前の魔法か。見事だな」
「素晴らしい。ここだけ春が戻ってきましたね」
集中のあまり意識の外に出していたバージルさんと殿下から、そう声をかけられてびくりとする。
春が、戻ってきたとは……? そっと周囲を見渡すと、おお。本当だ。春、戻ってきている。
剪定されていた薔薇の垣根が復活したらしく、花が戻ったみたいだ。足元も、刈られていたらしい雑草がすっかり元気に生い茂っている。いや雑草はちょっと申し訳ないな。
まあでもとにかく、癒し的な魔法が使えたっぽい。
「どうやらリアは、魔力が喉から出るタイプらしいな。今ので感覚を覚えただろうから、これからは普通に魔法が使えるだろう。歌もおそらくいらない」
いやそんな、あなたの風邪はどこからじゃないんだから。
タイプとかそういう問題か……? 普通、とは。
あ、でも、もしかして。
「もしかして、呪文を詠唱する流派の魔法使いって、私みたいな人が多かったりします? 声に魔力を乗せている、的な」
「いや。魔力が口から出るタイプの人類は、リアしか見たことない。でもまあ、個性の範囲だろ。どちらかの手にしか【道】がないやつなんかもいるし。詠唱……詠唱なあ。そもそもあれ、大した意味はないんだよな」
一縷の望みをかけてした問いは、あっさりと否定された上になかなか衝撃的な事実が付け加わってきた。
「え、そうなのかい?」
「た、大した意味、ないんですか!? けっこうメジャーな流派だって教わったんですけどっ!?」
殿下とほぼ同時に叫んでしまって、若干気まずい。
気まずいけれど、こちらの世界初心者かつ魔法初心者である私だけでなく、殿下も先ほどのバージルさんの発言が衝撃的だったようだ。
そんな私たちを意に介さず、バージルさんはえらく軽い調子で頷く。
「そうそう。メジャーメジャー。俺も強いて分類するならそこ所属。ただ、かえって邪魔になるって気づいたあたりから、呪文とか一切言わなくなったけど」
「え、ええ……」
「これから魔法を覚えるなら、あんなもの最初から使わない方が良い。変な癖が付くから」
「へ、変な癖って……」
「魔法を使うのに必要なのは、正しく魔力を練り上げ、はっきりとしたビジョンを持って魔力を外に出し働かせることだけだ。だから、色んな流派があるんだろ。詠唱が絶対に必要なら、他なんてないはずだ。自分の中でこうするってしっかりとイメージできれば、呪文なんていらない」
私の戸惑いの声も気にせず、バージルさんはきっぱりと言い切った。
はあ、と、おそらく固定観念に囚われた世の魔法使いたちに呆れたようにため息を吐いてから、彼は続ける。
「呪文なんて、あれ、ただの古い言葉での宣言だからな。『今からあっちにむかって炎を出します。出すぞ出すぞ出ろ』くらいの。そんなのわざわざ声に出さなくても、頭の中で思い浮かべるだけで十分だ」
「え、でもそれなら、初心者のうちは呪文を唱えた方が良いのでは……? 声に出した方が、イメージしやすくないですか……?」
つまり自転車の補助輪みたいなものでは? いつかは外すにしても、最初のうちはあった方が良いのでは? わざわざ古い言葉である必要は、ないのかもしれないけれど。
そんな私の疑問は、またもきっぱりとバージルさんに否定される。
「いいや、おすすめしない。『魔法を使うのには呪文の詠唱が必要だ。これがなければ自分は魔法が出せない』と思い込んでしまうと、本当にそうなる。永遠に無詠唱で魔法が使えなくなる可能性が高い。でも、呪文なんか一々声に出していたら、余計な時間がかかるだろ」
「まあ、それはそうだろうな。私はたぶん、もう無詠唱では魔法が使えない。型通りの呪文のない魔法も、きっと使えない。つまり、どうしたってバージルほどは、即座に自在に魔法を使うことはできない」
まさかの殿下から肯定が飛んできた。
「ほらな。後々のことを考えれば、早い段階で詠唱なしで魔法を使うようになっていた方が良いんだ。ちょうどいい実験台がそこにたくさんいるから、一度試してみればどうだ。詠唱も俺の補助も歌もなしでやってみろ」
そう言ってバージルさんが指さした先には、彼が意識を刈り取った、護衛の人々が転がっていた。……忘れてた。
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