第3話. コスタリーカ センテイメンタル ジャーニー (アウレリアとの出会い)
その年も暮れて新年をむかえる、思うところがあって会社に三週間の休暇と割引旅行の申請をした。
典子と結婚する前の大学四年生の時にやったヒッピー旅行がたまらなく懐かしくなって、思い出のメキシコ中米へセンテイメンタル・ジャーニー(感傷旅行)に出かけたくなったのである。
すでに7年前になるが、その時はハワイを起点に、合衆国本土、カナダ、メキシコ、中米、と終着地点のパナマまで二年近くに渡り放浪したものであった。
途中ホノルルやコネテイカット州のニューヘブン市でアルバイトをして旅費を稼いだ。
半年も滞在したホノルルでは卒業論文を書きあげながらホテルで皿洗いをやったり、ガソリンスタンドで給油と洗車をしていた。
現地の日系二世の客に可愛がられ、ときには5ドルのチップを貰ったこともあった。当時にしては大枚だ。
なにしろガソリンの値段が1ガロン(4リットル)で30セントの時代である。
もとより観光ビザでの滞在であるから違法労働であったが、ハワイには日系人が圧倒的に多いので目立つことなく移民局の調査の心配はなかった。
ニューヘブンではホリデイイン・ホテルのレストランでバス・ボーイのアルバイトをしていたとき、ウエイターに昇格させるとのオファーを得たが、違法労働であったのでそこまでやるのは断念した。
給仕として忙しく働いていたある日、州会議員の会食中のテーブルで水をアクシデントでこぼして、州会議長のスーツを濡らしてしまい、実に申し訳ないと恐縮していたら、
「ジャスト、ウオター(単なる、水だ)。気にするな」
と言われ、アメリカ人の懐の大きさに感心させられたものだ。
当時はまだ、違法労働にわりと寛容な時期ではあったが、フロリダ州のタンパではガソリンスタンドの給油の仕事を始めた三日目に移民局の調査部員に踏み込まれて、慌てて逃げ出した事もあった。
メランコリー ジャニー(傷心旅行)でもあった今回の旅はメキシコを皮切りに中米のガテマラへとやって来たが、特に傷心の傷口が癒されるようなこともなく、次の目的地コスタリーカへ旅立った。
当時のパンアメリカン航空はガテマラをハブ空港にロスやニューヨーク、シカゴ、ヒューストン等からのフライト(便)をここに集合させ乗客を振り分けて、同じ124席の707型ボーイング各機を中米のニカラグア、ホンジュラス、コスタリーカ、パナマへと飛ばせていた。
午後にガテマラを発ってコスタリーカへは夕刻前に着いた。
機内ではキャビンアテンダントのパーサーと話しが弾み、僕がパンアメリカン航空の東京ステイションでラインメカニックをしていると言うと、彼がわざわざコックピットの機長に連絡し、機長が自ら僕に挨拶に来てくれた。
航空会社においてラインメカニックは非常に尊重されるのである。
キャプテンが僕に、
「今夜はどこに泊まるんだ」
と訊くので、
「まだ決めてない」
と応えると、
「それでは俺達クルー(乗務員)が泊まるチョロテガ・ホテルがいい、そんなに上等ではないが雰囲気が開放的で、丘の上からの眺めがとてもいい」と勧めた。
当時のパンアメリカン航空は既に経営に陰りが出ていたので、乗務員の宿泊ホテルも一流から二流どころへと落ちていた。
夕陽に染まった南国風情緒のサンタマリア空港をあとにして、20キロばかり離れた首都サンホセヘタクシーで向かった。
空港と首都を結ぶハイウエイの両側にはコーヒー畑が延々と続いていた。
郊外から市街地へ入る頃には日が暮れて街並みは淡いネオンや灯りの中で静かに佇んでいた。
大都市のラッシュアワーの慌ただしさを感じさせない落ち着きがここにはあった。
キャプテンお勧めのチョロテガ・ホテルの玄関は大通りに面していたが、チェックインを済ませて三階の自分の部屋までやって来て一瞬目を見張った。
廊下を隔てたドアの向かい側はテラスになっていて、その眼下には広大な街の灯が大海原のように煌めいていたのである。
翌朝、ホテルのカフェテリアでパパイヤの角切りを注文して、塩とレモンをたっぷりかけ朝食とした。
コスタリーカのパパイヤはそんなに大きくない細長めのものが美味で僕の好物だった。
前回ヒッピー旅行で滞在した時にはしょっちゅうこれを食したものである。
食後、何処に行こうか又何をしようかという計画もなく、ハワイで調達の派手なアロハシャツと半ズボンの装いで気の向くままに街へ繰り出した。
通りを吹き抜ける爽やかな涼風が頬を撫で、街路樹のヤシの葉をサラサラと鳴らしている。
日本の清々しい初夏の陽気である。
此処ではこのなんともいえない、ほど良い涼しい気候が年中続くのである。
乾季と雨季が半年ごとに繰り返すが、雨季の午後からの雨はスコールみたいなもので鬱とうしい感じはしない。
いかにも快適この上もない、まさに地上の楽園である。
北緯8度から11度の間に位置するコスタリーカは熱帯圏であるが、首都のサンホセは海抜1200メートルの台地にあり、温和な気候と風光明媚なところから”中米のスイス”と称されている。
イラスとポアスの両火山のなだらかな裾野に広がるサンホセ盆地は、緑の樹林に覆われた理想郷の赴きがあった。
その中央に位置するサンホセ市は現在では140万人ぐらいの人口を抱えているが、当時は50万人にも満たないこじんまりとした中都市で、落ち着いた少し田舎っぽい感じさえするとても気さくな町であった。
町の中心部までやって来るのに、そぞろ歩きで20分とかからなかった。パルケ セントラル(中央公園)の一角に教会を正面にしたラテンアメリカでは何処の市町村の中心部にもある特有のプラサ(広場)にやってきた。
何処にあっても、まず此処からラテンアメリカの町は広がり、観光は始まるのだ。
プラサのベンチでくつろぐ人達、道行く人の装いは簡素にしてこざっぱりとしていて、街並みの清潔さにとけ込んでいた。
連れ立って闊歩しているカップルやグループは皆んな陽気な笑みを浮かべ気さくな印象だ。
前回の滞在でコスタリーカについての見識はそこそこに身についていたが、所得水準がさほど高くないのに生活文化のレベルが先進国なみなのであることに僕は驚かされた。
それはラテン諸国の中でもとび抜けて白人の比率が高く、アメリカの強い影響かもしれない。
ラテンアメリカにおいて中産階級が国民の過半数を占める唯一の国である。
さらにもう一つの特色は、軍隊を持たない稀有な国家でもある。
僕はプラサを後にして、そこから二、三ブロック離れたコスタリーカ国立銀行へ手持ちのドルを現地通貨のコロンに交換するために向かった。
銀行脇の広い花壇には赤や紫色のサルビアの花が光り溢れる気候と相俟って絢爛と咲き誇っていた。
噴水からほとばしる水滴が日差しを受けてキラキラと輝いている。
通貨を交換した後、花壇の幅広い縁石に腰をかけ周りの景色や往来を行き交う人々を眺めていた。
気分が落ち着き、まさに春風駘蕩の心持ちとなり、しだいに眠けに誘われた。
東京の喧騒を逃れて、非日常的な真っ昼間からの休息をむさぼっている僕は、すでに失恋の痛手から少しずつ癒され始め、心地よい倦怠感とかすかな高揚感に包まれていた。
もしもこの場に身を横たえ、この陽光の下で少しの間でも眠りにつけば、新しい恋の夢でも浮かび、目が覚めた時にはすべての苦い過去が洗い流されて、新しい世界が開けるような気がした。
道を隔てた正面のマクドナルド ハンバーガに眠そうな目をやると、大きいウインドグラスを通してまだ昼には早いのに客がすでに列をなしているのが見えた。
四、五列をなして並んでいる客の正面は高いカウンターになっており、横一線に4、5人の若い女性のキャッシャーが応対していた。
列の頭越しにライトブルーの制服を着た彼女らの上半身が見えるが、皆んな揃ってすごい美人なのに目を奪われた。
色白で典型的なスペイン人の末裔である彼女らはともすれば西国で美人の多いバレンシア地方の女の子を連想させた。
僕にとってはそれまでの人生で遭遇したもっともな美形は、かつてのヨーロッパ旅行の時バレンシアの浜辺のカフェテリアで会い、二、三こと言葉を交わした二十歳前後の若い娘であった。
気だての良い気さくな、とても魅力的な女性だった。
そのときの僕はすでに典子嬢と連れ合いになっていたが、もし独身であったら躊躇なくアタックしていただろう。
なかでも中央で笑顔をうかべ老紳士に優しく接しているブルネット(やや濃ゆい茶髪)のセニョリータが気を引いた。
コーヒーカップをこぼしそうになった彼のカップに彼女の手を添えている。
目を凝らしてよく見ると僕の大好きなハリウッド女優のキャンデイス バーゲンの若い頃によく似ている。
人懐っこいスマイルがたまらない魅力だ。
反射的に腰を浮かした僕は、眠気も覚めて猪突猛進にマクドナルドのドアを開けて彼女の列に加わっていた。
緊張した順番が経ち彼女の前に立つと、胸はドキドキ赤面してるのが自分でもわかった。
昔、放浪時代にメキシコで習った下手なスペイン語で、
「シェイクをちょうだい」
と注文するが、動悸の高まりで声が上ずって自分でも何を言ってるかわからない。
彼女は吹き出しそうに手を口に当て、それでもニッコリと微笑んだ。
その時の彼女のこうごうしいスマイルは一生忘れずに僕の脳裏に焼き付いている。
それからは毎日シェイクである。
午前中に早く彼女の顔を見たいので、昼前に一度、午後にもう一度というぐあいである。
名前を訊かれ自己紹介も済んだあと、日を重ねるたびに恥ずかしさも薄れ、彼女
の前に立つ1、2分の間に二言、三言と言葉を交わすようになった。
後ろに誰も待っている者がいなければ、余裕を持って会話を長引かせることもできるようになった。
「アウレリア、今日は調子どう?」
「エイシー、上々よ。あなたは?」
「もう最高だよ、あなたのおかげで」
「昨日は博物館に行ったんでしょう、どうだった?」
「とても面白かった」
次第に会話が発展していった。
彼女が僕に好意を持っているのがわかると、最初は好奇心の目で眺めていた周りの彼女の同僚たちも僕に温い眼差しを向けてくれるようになった。
もう我が家の春だ。
盆と正月が一緒に来たような童心に戻り、失恋の痛手は少しずつだが確実に癒やされていった。
有頂天の浮かれた日々が経過するなかで僕はもう東京での生活のことなどすっかり忘れ去り、アウレリアとの交際をどうやって上手く続けていけるかだけを考えていた。
何としてでもこの恋を実らせねばならないと、無我夢中でこの一事だけに専念した。
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